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07.泥だらけの俺を、誰か介抱してくれ
しおりを挟む石畳の廊下を、彼方は一人、足早に歩いていた。
腰に下げた革袋の中には、小さな石ころが二つ。そして、両手には慣れない革の手袋。
数時間前、シズが時間をかけて火炎魔法の魔法陣を刻んでくれた、即席の魔法具とその付属品だ。
(頑張るよ、俺)
彼の脳裏には、出発前の出来事が鮮明に蘇る。
【数刻前:シルヴァリア王城・一室】
「お待ちください、シズ殿」
祖母が発案した小石に魔法陣を刻む作戦。
火炎の魔法陣の書写しが保管されていたこともあり、アッシュのフリをする上でも必要との判断でレオはこの作戦に賛成した。
が、魔法陣とは彼方達の想像以上に扱いにくいものであるらしい。
「魔法陣を刻み、完成した石に素手で触れると発動してしまうのです。」
「おやまぁ。そりゃあ……なんともまあ……」
言われてみればそうである。
原理を理解した者が魔法陣に触れるだけで発動してしまうのなら、シズが刻み終わった後、たちまち魔法が発動してまうのは道理であった。
(魔法って、かなり扱いにくいな……)
彼方と同じ感想を持ったらしいシズが、困った顔でレオの方を見た。
「なので、こちらを」
レオは皮に金属片が縫い付けられた手袋を持ってきた。魔道具整備士用のこの手袋をつければ、ひとまず発動させずに作成できるらしい。
「ありがとうねえ。さて、急ごうか」
そう言って、シズが書写しと見比べながら石を彫り進める間、彼方はオーガについてレオに尋ねる。
「オーガはオークよりも強いってイメージしかないんですけど、急所や弱点ってあるのでしょうか」
彼方の問いに、レオは眉を寄せながらオーガの特徴を話した。
「オーガはかなり脅威です。生物としての弱点は他と大差はありません。が、あれは回復力が恐ろしく高く、なにより外皮が硬いのです」
ただ切りつけた程度ではすぐに回復してしまうのだと、レオは説明を続けた。
「……兄様の力を持ってしても、首を切り落とすことは難しい相手です。その為、再生する間も与えずに急所を貫く必要があります。……ですが、オーガも急所への攻撃は避けようとするはず」
アッシュでさえ、やすやすとは倒せない魔物の情報に彼方の顔が曇った。
戦闘経験は比較出来ないほどに彼方の方が少ないのだ。それでもどうにか倒さねばとブツブツ考えを巡らせる。
その顔をみて、レオがポツリと尋ねた。
「……どうして、兄様のフリをしてくださるのですか」
それは、王としての判断の上で、あえて有耶無耶にしていた問いだった。
賢者エリアーデが解決策を共に探してくれる前提の判断であった。
が、頼みの綱であったエリアーデすら入れ替わってしまっている以上、彼方はいつまでこの状態なのかわからないのだ。
状況が変わったのにもかかわらず、尚も現状を受け入れている彼方の気持ちを、レオは確認しておきたかった。
そんなレオの問いに、作業に勤しむシズの背をじっと見つめた彼方は、自分でも確認するように言葉を紡いだ。
「俺。言いたくないんですけど……すっごい弱虫なんです」
彼方は頬をかきながら、それでも素直に答える。
「弱虫だけど……俺は、何もしないで泣いて、保護される弱虫になるのは……もう嫌なんですよ」
怖いものは怖い。が、できるかもしれない事をしない方が彼方は恐ろしかった。
(また後悔はしたくない)
彼方は、自分の悔恨に後押しされるように精一杯レオに答えた。
「だから、俺にできる全力で陛下に協力させてください」
その言葉を受けて、レオは静かに一つ頷いた。
やがて完成した二つの石をシズから受け取ったレオは、慎重に革袋に収め、彼方に手渡した。
「彼方さん。正直に申し上げます。その小さな石の魔法陣では威力に期待はできません。ですが、火打石とは違って、即座に火を放てるのは大きな利点です。目眩しや注意を逸らすことには、必ず役に立つはずです。あとは、彼方さんの使い方次第です」
レオは、真剣な眼差しで彼方を見つめた。
「村人の保護のため、シルヴァリア自警団の先行部隊がすでに向かっています。彼らと力を合わせてもいい。どうか……どうか、生き延びてください」
その言葉に彼方は見送られたのである。
(整備士の手袋もつけた!! 投げる前に腕に触れさせて投げれば……頼む、目眩しにはなってくれよ!!)
そんな思いを胸に彼方は夜の街道を駆けだした。
アッシュの脚力は驚異的だった。常人なら息が切れる速度を維持したまま、夜の闇を切り裂いていく。
しかし、現場に近づくにつれて聞こえてくる金属音と断末魔の叫びに、彼の心臓は嫌な音を立てて早鐘を打った。
(くそっ、間に合ってくれ!)
農村へと飛び込んだ彼方の目に飛び込んできたのは、まさに激戦の最中だった。
一体のオーガが、巨大な棍棒を振り回し、シルヴァリアの紋章が入った鎧を纏う兵士たちを薙ぎ払っている。
彼らが先行部隊の自警団だろう。しかし、オーガの圧倒的な力の前に、兵士たちが木の葉のように舞っていた。
「くそっ、退くな!! ここで食い止めろ!!」
隊長らしき男が叫んだ直後、オーガの棍棒が彼を捉えた。分厚い盾が轟音と共に砕け散り地面に叩きつけられる。
巨体が、容赦なくその兵士にトドメを刺そうと迫った。
「しまっ……!!」
(まずいまずいまずい!!)
この身体でも間に合わない状況に、彼方は焦った。
焦りのまま、革袋から魔法陣の石を掴み取ると、躊躇なくそれをオーガの顔面目掛けて思い切り投げつけた。
が、その瞬間。己のやらかしに、彼方は血の気が引いた。
(しまった! 手袋をつけたまま投げちまった!)
石に直接触れなければ、魔法は発動しないはず。ただの石つぶてが当たったところで、何の意味もない。
だが、その絶望は、予想外の形で裏切られた。
投げられた石は、見事にオーガの顔に命中した。
そして瞬間、「ボフッ!」という頼りない音と共に、石から火花が散り、オーガの眼前で小さな炎が吹き出したのである。
(え……なんで!?)
一瞬の混乱。だが、考えてる場合ではない。
彼方はその隙に兵士を抱え、安全な場所まで後退した。
「あ、あなたは……アッシュ様!」
「下がって!! 村人の避難を!!」
アッシュならばきっとこうするだろうと、彼方は兵士に指示を飛ばした。
礼をいい、即座に指示に従う兵士たちを確認した彼方の前に、視界が回復したオーガが立ちはだかった。
オーガは咆哮を上げて彼方へと突進してくる。大地が揺れ、風が唸る勢いのそれを、彼方は紙一重でかわし、すぐさま反撃の剣を振るった。
だが、ガギン!と甲高い音を立てて、剣は硬い皮膚に弾かれる。
(金属みたいに硬い!!)
想像以上のオーガの外皮の硬さに彼方の頬に冷や汗が伝った。
こちらの番とばかりに、オーガが腕を振り上げた。筋力と反射神経のおかげで、なんとか攻撃を凌ぐ彼方。
そうして大した傷を受けずに、オーガの前に立ち続けられてはいたが、彼方の戦闘経験の乏しさゆえにオーガにも有効打が与えられずにいた。
何度切りつけてもうっすらとしか傷がつかず、たちまち回復されてしまう。
(タフすぎる……! これじゃジリ貧だ……!)
いくらアッシュの身体が卓越された戦士の身体でも、消耗すればどうなるかわからない。
彼方は、一度オーガから距離をとるため大きく後方へ飛んだ。
腰にある石に、ふと意識が向く。
(もう一度顔に向けて投げたら……いや、ちゃんと当たらなかったら無駄になる。さっきので警戒されてたら避けられるかも)
なんとかして突破口を見出したい彼方を嘲笑うようにオーガは猛然と突進してくる。
「くっそ!!」
オーガの攻撃をすんでで交わした彼方は、オーガの突進の勢いのおかげか、腹に剣を突き刺すことに成功した。
が、腹に剣を突き刺されたオーガは尚も攻撃を加えようと振りかぶる。
「うわあ!!!!」
必死で避けた彼方は、剣を握ったままオーガの足の間にしゃがみ込んだ。
その動きで、剣先がオーガの体内を切り裂いたようだ。
「グォォッ!?」
腹の中心の肉を裂く生々しい感触と共に、オーガが苦痛の声を上げる。
その時、彼方の脳裏に閃きが走った。
(中からなら……!!)
彼方は剣を突き刺したまま、急いで魔法陣の石を掴み取る。
そしてオーガの傷口に、手をねじ込んだ。ぬるりとした内臓の感触と、筋肉が腕を締め付ける圧迫感に吐き気を催しながらも、必死で体内で手袋に包まれた手を開く。
痛みに暴れるオーガの攻撃が掠めながらも一度離脱した彼方。
剣を引き抜いた腹の中で「ボッ!」という鈍い音と共に、小さな火炎が生まれたのがわかった。
「ギィヤァアアアアア!!!!」
体内から発生した灼熱の痛みに、オーガが絶叫した。オーガは腹の中の異物を取り出そうと、もがき苦しむ。
が、再生力が脅威的なことが仇となった。
取り出そうにも、回復してしまった皮膚によって体内の異物が取り出せないオーガはのたうちまわる。
「いまだ!!」
彼方は力を振り絞った。
幾度となく狙っても攻撃を交わされ続けたオーガの首元。そこは今や、燃える腹に気を取られガラ空きであった。
が、オーガも一筋縄ではいかない。
彼方がこちらに向かって駆けてくるのを察して、臨戦体制をとるオーガ。
(くそっ……)
ヤケクソ混じりに、彼方は思いつきで拾った石を投げた。それはただの石だ。魔法陣も何も描かれていないただの石。
が、今のオーガにはそれが恐ろしく脅威であった。
また火が出てはたまらないと、オーガは石を払いのけた。
その一瞬……必死で手繰り寄せた好機で彼方は考えるよりも先に身体が動いた。
首ではなく、もう一度腹に剣を突き立てた。
未だに体内で燻っている火。
体液にもかき消されず燃えているその炎にめがけ、彼方はいつしかの焚き火の残りの「燃料丸」を掴み取り、またもや腹の中に押し込んだ。
瞬間、燃料を得た炎が、凄まじい勢いで燃え上がる。
「ギュアアアア———!!!!」
オーガの身体が、皮膚の内側から紅く染まり、まるで生きている炉のように激しく燃え上がった。
肉が焼ける焦げた匂いが鼻を突き、皮膚が内側から弾ける鈍い音が響き渡る。
断末魔の叫びを上げながら苦痛で暴れるオーガにとどめを刺す為、彼方は心臓目掛けて剣先の向きを変えて押し込んだ。
「倒れてくれ!!!!」
グシュリと剣先が内臓を貫く感覚が伝わった。
「ギッ………」
オーガの断末魔が途絶える。
やがて、巨体が轟音と共に地に倒れた。
静寂の中、彼方はオーガの体液と返り血に塗れ、肩で荒い息をついた。
腕には焼け付くような痛みと、生々しい感触が残っている。
「……た、倒せた……」
実感のない呟きが口からこぼれた。
まだ心臓がうるさい。アドレナリンで思考がぐちゃぐちゃだった。
だが、目の前に横たわる巨体の亡骸が、全てが終わったのだと告げている。
(できた。……ちゃんと、俺、やれたんだ……)
込み上げてきたのは、ただひたすらの安堵だった。膝から力が抜け、その場にへたり込みそうになるのを、鞘に収めた剣を杖代わりにしてなんとか堪える。
やがて、村人の避難を見届け終わった自警団が戻ってくるまでじっとオーガの亡骸を見つめ続けていた彼方はこの戦いの結果を噛み締めていた。
それは、アッシュの戦い方とは似ても似つかない、泥臭くも、彼方自身の頭脳と勇気で掴み取った、かけがえのない勝利であった。
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