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14.激昂と、私の慢心
しおりを挟む「私自身を、囮として使ってください」
私の提案が部屋の空気を凍らせた、次の瞬間だった。
「……だめだ!!」
バンッ!! と、執務机が悲鳴を上げるほど強く叩かれた。
その勢いのまま、エドヴァルトが立ち上がり私を見下ろす。
……これまで見たことがないほどに険しい顔に、たじろぎそうになるのを堪え、私は平静を装って食い下がる。
「危険性はわかっているつもりです。でも、効率を考えれば――」
「貴様、ふざけるな!!」
怒号が飛んだ。
「蒼」ではなく「貴様」と呼ばれたことに、私は思わず肩を震わせる。
怒りに満ちたエドヴァルトの耳は、後ろに伏せられ、全身からビリビリとした威圧感が放たれていた。
「たった一人を大衆に晒し、囮にするなど……そのような作戦、呑めるわけがないだろう!」
「それは……」
エドヴァルトの怒りの理由は理解できる。
それでも、私はどうしても職務を全うしたかった。
日本で待っている、依頼人のためにも早く手がかりが掴みたいのだ。
「それでも、釣り餌は大きい方がいいはずです」
そう言い返した私に、エドヴァルトが幾分か落ち着いた口調で諭してくる。
「……その後先を考えろと言っているんだ。一度大勢の前で『稀人』であると、顔と名を晒せば、どうなるか分からんのか」
彼は机を回り込み、私の目の前まで詰め寄った。
その瞳には、深い焦燥が宿っているように見えた。
「確かに、狂信者どもは稀人を害しはしない。だが、崇拝し、その言葉を絶対とするが故に、お前を一歩も逃さないよう囲い込もうと動くだろう。毎日何百という人間が、お前の言葉を求めて押し寄せることになる。……それだけではない!!」
彼は私の肩を掴み、強く言い聞かせるように続けた。
「その狂信者の力を利用しようとする輩も出てくる。お前を手に入れれば、強大な『信徒の軍隊』を手に入れるのと同じだからだ。……そうなれば、貴様は自由に外に出ることすら難しくなるかもしれんのだぞ!!」
その言葉に、私は息を呑んだ。
彼が案じてくれていたのは、目先の安全だけではなかった。
私の「その後」の人生も考えてくれていたのだ。
自分の浅はかさを理解し、萎縮すると同時に、私は「違和感」に気づいた。
確かに、私は焦っていた。
行方不明の神城さん、そして彼が探している父親の手がかりを掴みたい一心で、情報を集めることを最優先に考えていた。それは事実だ。
けれど、……少なくとも、興信所に勤めていた頃の私なら、もっとリスクを計算できていたはずだ。
自分の身の安全と、将来的なリスクをきちんと考えて動けていたはずなのだ。
なのに、今の私は……。
恐ろしい信仰だと理解していたのに、どこか他人事のように感じていたことに気がつく。
「……私……」
思わず、唇から言葉が漏れた。
「なんだ」
エドヴァルトが、鋭い視線のまま私に問う。
私は言葉に詰まりながらも、自分の中で渦巻く混乱を、正直に言うしかなかった。
「……申し訳ありません。私は……なぜか、何か起きても大丈夫な気がしてしまっていて」
口に出して、あまりに幼稚な思考に、自分でも驚いた。
心の奥底では「なんとかなる」「大丈夫だ」という、根拠のない全能感にも似た安心感があったのだ。
自分の思考の甘さに、私が困惑し、俯いた時だった。
「……我々のそばにいることで、安心感を覚えてくれていたのなら嬉しいがな」
それまで黙ってやり取りを見ていたアレクサンドラ隊長が、静かに口を開いた。
顔を上げると、隊長は穏やかな笑みを浮かべている。
「え……」
「見知らぬ土地で、頼れる者がいる。それは時に、人を大胆にもするだろう。……違うか?」
隊長の言葉が、ストンと胸に落ちる。
そうか。私は安心していたんだ。
この場所が、そして目の前の彼らが――エドヴァルトが、私を守ってくれると。無意識のうちに、絶対的な信頼を寄せてしまっていたのだろう。
それに思い至ると同時に、私は恥ずかしい気持ちになった。
あまりにも、彼の心遣いを無駄にするような発言をしてしまったのだと身に沁みたのだ。
「……そう、かも、しれません」
私が小さく頷くと、隊長はふっと笑みを深め、そして――意味ありげな視線を、エドヴァルトへと送った。
エドヴァルトは、姉のその視線に気づいたのか、あるいは私の言葉に何かを感じたのか。
ふい、と気まずそうに顔を背け、気持ちを整えるように深呼吸をした。
「……分かればいい」
その声色は、先ほどまでの激昂とは違う、静かで低いものだった。
「……申し訳ありませんでした」
私の謝罪に、エドヴァルトが一つ頷いた。
「……さて。説教は終わりだ」
隊長が、パンと手を叩いて空気を変える。
彼女はニヤリと笑い、私たちを交互に見た。
「エドヴァルトの言うことはもっともだ。蒼が矢面に立つ必要はない。……だが、蒼の『囮を使って誘き出す』というアイデア自体は悪くない」
「姉上??」
隊長の言葉に、怪訝そうに返すエドヴァルトをチラリと見た後、彼女はこう言った。
「どうせやるなら、一石二鳥を狙うべきだとは思わんか? 『あの方』だけでなく、行方不明の神城とやらも一緒に誘き出せる方が効率がいい」
隊長は楽しそうに目を細めた。
「噂を流すのだ。『憲兵隊が、新たに稀人を一人保護した』とな」
「……架空の稀人をでっち上げるのですか?」
私が尋ねると、隊長は大きく頷いた。
「ああ。ただし、その特徴に少し含みを持たせる。『保護したのは男だが、ひどく体力を消耗している。回復するまで、信者たちには騒がずそっと見守ってほしい』……とな」
男、そして体力がなく弱っている。
その特徴を聞いて、私はハッとした。
「……それなら」
神城さんが聞けば、「弱っている男の稀人」を「年老いた父親」だと思うかもしれない。
そして、あの方がきけば「新たな稀人の遺物」や「稀人の情報」を集めるために動くだろう。
だが、その為には憲兵に近づく必要がある。
信者に「そっとしておいて欲しい」と言う、稀人の意向を無視してまで、動かなくてはいけなくなるのだ。
「そういうことだ。どちらにとっても、無視できない情報になるのだ」
そう言うと、アレクサンドラ隊長は悪戯っぽく笑った。
「憲兵が『そっとしておいてくれ』と言っているにも関わらず、接触を図ろうとしたり、しつこく様子を探ってくる者がいれば……そいつが『当たり』だ」
なるほど。これなら私は表に出る必要がなく、かつターゲットをピンポイントで炙り出せる。
エドヴァルトも、この作戦には納得したようで、深く頷いた。
「……いいだろう。その噂、街の雀たちに撒くとしようか」
雀??と、私が首を傾げた時だった。
慌てた様子の憲兵が一人、部屋に走り込んで来たのだ。
「ほ、報告いたします!! 『青い薔薇』が盗まれました!!」
「なんだと!?」
アレクサンドラ隊長が、血相を変えて立ち上がった。
息を切らして報告する憲兵の言葉に、エドヴァルトもまた険しい顔になる。
「青い薔薇……??」
私の小さな疑問がこぼれ落ちる。
こうして、唐突に、新たな事件が幕を開けたのだった。
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