君に心を

河嶋 亜津希

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「なに、これ…」

志津希は自分を取り巻く環境に思わず呟いた。目の前には超高層ビル。頭を上げてもてっぺんは見えない。建物の入り口にはでかでかと〝SOWA RIDGE TOWER HOTEL 〟の金文字が嫌味のように並んでいた。実家ってこれ…?そりゃそうだと言われればそうなのだがやはり現実には信じがたい。情報量に頭が痛くなる。

「おかえりなさいませ。凪坊ちゃん。」

ロビーに入った瞬間ずらりと並んだ従業員が凪都に向かってお辞儀をする。出迎えの人の多さに志津希の目眩はひどくなるばかりだ。シャンデリア、大理石、なんだかよくわからない彫刻に絵画。ベルベットのソファが並んでいる。一眼見ただけでわかる。志津希のような庶民には一生かかっても泊まれないホテルだ。

「志津希?」

「お願いだから今話しかけないで、」

志津希を覗き込んだ凪都の顔を手で押し返す。視線が痛い。従業員の興味をこちらに向けられたらたまらない。志津希はなるべく体を小さくして凪都の背中に隠れた。居た堪れない…。

「なーーぎとっ!」

嫌な声が耳を劈く。次の瞬間には志津希の体は飛ばされすんでの所でじぃやに受け止められた。目の前には小柄な少年が凪都の背中に飛びつく光景が広がっている。

「大丈夫ですか。河嶋様。」

「はい、すいません…」

じぃやに支えられて志津希はきちんと立ち直る。一体あの細い腕にどんな力があるのか。志津希は呆れてしまう。

「志津希!大丈夫?…暁美、お前な!」

「いい!大丈夫!大丈夫だから、凪都…」

暁美を怒鳴りつけそうな剣幕の凪都を志津希は必死に声で静止する。心配そうに志津希に駆け寄って凪都は志津希の腰を抱いた。志津希は目の前の凪都の顔を見ることができない。心臓がばくはぐと嫌な脈を打っている。暁美…?凪都から出た意外な言葉が志津希の頭にこだましている。

「あぁーごめんねぇ、河嶋くん。気づかなかったっ」

悪戯っ子の様に笑う暁美。志津希のあきらかな動揺が突き飛ばされたからではないということを暁美はわかっていた。勝ち誇った笑顔。学園では凪都が暁美を苗字以外で呼ぶところを聞いたことはない。そういえばいつも放課後や昼休みに暁美が凪都を訪ねてきても志津希はふたりから逃げるばかりで直接ふたりの会話を聞いたことはなかった。志津希が思っているよりもふたりは親しげでどこかで凪都は暁美を避けていると勝手に思っていたことにたまらなく恥ずかしくなる。

「凪坊ちゃん、暁美様こちらへ。河嶋様はあちらへ。」

穏やかな笑顔を貼り付けたホテルマンが4人に近づいて軽くお辞儀をする。志津希は思わず自分の体を抱きしめた。凪都と別?

「志津希と離れるなんて聞いてないぞ、!」

咄嗟に凪都の声が飛び出して凪都は志津希の腕を掴む。志津希が安心したのも束の間今度はじぃやが凪都を静止する。凪都は目を見開いた。

「坊ちゃん、辛抱してください。河嶋様には私が付いています。」

「じぃや、」

凪都の腕の力が強くなる。志津希は凪都の腕に光るバングルを見て少しだけ息を吐き出した。心臓が飛び出しそうなぐらい嫌な予感はするが抵抗したってどうしようもない。凪都以外信じない。志津希は心の中で凪都の言葉を反芻する。

「凪都。大丈夫、行って?」

「…志津希、」

「大丈夫だから…凪都以外信じないよ。」

自分のバングルが重なるように凪都の腕を取る。一瞬だけ凪都は志津希の手を取ってその存在を確かめた。凪都の泣きそうな顔は志津希の胸を締め付ける。こんな表情見たくない。そっと志津希が凪都から離れると凪都は抵抗しなかった。暁美は自分の不満を隠すことなく思い切り眉を顰めている。

「さぁ、河嶋様。じぃが案内いたします。」

じぃやの嘘のない穏やかな表情が唯一の救いだった。志津希はもう一度心の中で大丈夫と自分に言い聞かせた。

「じゃっ凪都はこっちね!」

暁美は凪都の腕を取りぎゅっと抱きついて凪都を引っ張って行く。凪都はまだ志津希を心配そうに見つめていたが志津希は少しだけ笑顔を返しふたりに背を向けた。
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