君に心を

河嶋 亜津希

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三つ子以外の前で泣くなんて考えられないと思っていた。でも凪都と関わるようになってから涙が自然と流れてしまうようになっている。スプーンを握る志津希の手にぽちゃんと雫が落ちる。せっかくのプリンが不味くなってしまうとどこか上の空で考えてしまった。

「河嶋様。じぃやの独り言だと思って聞いていただけますか?」

じぃやはそっと白いハンカチを志津希に差し出す。志津希は戸惑いながらハンカチを受け取った。

「凪坊ちゃんは創和グループ会長のお孫様、そして家電メーカーSOWAの取締役社長のご長男にあらせられます。」

少しだけ手が震える。受け取ったハンカチをぎゅっと握る。住む世界が違うのはわかっている。どうしようもないことだとも。

「幼少期より家業を継ぐための〝教育〟を受けてまいりました。年端も行かない子供には辛く厳しいものだったと思います。坊ちゃんは辛抱強く耐え知識・教養・後継とはなんたるかを徹底的に教えられたのです。ご学友はいらっしゃいましたがお友達と呼べる方は稲瀬様とアルバート様しかおりませんでした。…河嶋様、凪坊ちゃんのパーソナリティはご存知ですか、?」

少しだけ罪悪感を抱いた表情を向けたじぃやに志津希は黙って頷く。

「あれは凪坊ちゃんが学園の中等部に上がってまもない頃でした…。とあるきっかけで本来守られるパーソナリティが凪坊ちゃんのお父様の耳に入ってしまったのです。」

「…っ、」

心臓にチクリと針が刺さる。稲瀬から聞いてはいるが気分がいい話ではない。そして凪都は家から追い出された。父親は凪都を受け入れられなかったのだ。

「後継の自覚が足りないとお父様に厳しく叱責され外出を禁じられました。学園に通うことも禁止され坊ちゃんは中等部をほぼこのホテル内で過ごし、高等部からは伊勢山家が管理する場を完全に出て学園の寮に入るようにと。昔から凪坊ちゃんは弱音も悪態も態度に出さないお子様でしたから…黙ってその言い分を受け入れました。」

胸が張り裂けそうだ。志津希はシャツの胸元をぎゅっと掴む。こんなに大きな不安両親が亡くなった時以来だった。

「ですが2年に進級した際、こちらの予想外なことが起こりました。」

「予想外、?」

「本来凪坊ちゃんは稲瀬様と同部屋になる手配だったのです。実際昨年は稲瀬様と同じ部屋でしたから。ですがそうはならなかった。もちろん異例の事態にこちらは混乱し河嶋様の身辺調査まで指示が入りました。」

つくづくお金持ちの考えることはわからない。身辺調査って…。志津希のことを調べたってなにも面白いものはない。じぃやが初対面で志津希の名前を知っていたことも納得だ。伊勢山には志津希のことなんて筒抜けのようだった。

「お父様は学園側に抗議しお部屋の変更を早急に対応するようにと…。ですが凪坊ちゃんが強く拒否したのです。聞き分けの良い坊ちゃんですからほぼ初めての反抗です。」

「そして今日君がここに呼ばれたわけだ。」

鋭い声が静かにこだまする。志津希が咄嗟に個室のドアに目をやるとグレーのスーツ姿の男が腕を組んでこちらをじっと見つめていた。穏やかな表情ではあるが獲物を狙うように鋭い視線が志津希を捕まえる。

「旦那様。おふたりとご一緒では、?」

「今のあの子と話しても埒が開かなくてね。ところでお前はぺらぺら何を話している?」

ズカズカと部屋に入ってきた男はじぃやに詰め寄った。笑っているがものすごく機嫌が悪いのが伺えた。

「申し訳ございません。旦那様。」

じぃやに旦那様と呼ばれていると言うことはこの人が凪都のお父さんだ。志津希は自分の手が少し震えているのがわかった。空間を支配するようなそんな存在感がこの男にはあった。

「まぁいいが…。河嶋志津希くん。こんばんは、凪都の父親の伊勢山 貴都いせやま たかとです。」

貴都はさっと志津希に手を差し出す。長い手足と人懐こい笑顔。似てる。志津希はぼーっと目の前の男の顔を見つめていた。数秒の沈黙の後貴都はん?と不思議そうに眉を上げる。志津希は慌てて立ち上がり貴都の握手を受け入れた。

「ごめんなさいっ、か、河嶋志津希です…」

「うん。思った通りの子だ。」

「え、?」

貴都に握られた手がじんわり熱くなる。いつまで経っても手を離してくれない貴都に今度は志津希が疑問の表情を浮かべた。不意に貴都は志津希の腕を掴み上へ持ち上げた。袖に隠れていたシルバーのバングルが夜景をきらりと反射させる。

「ちょ、」

「河嶋くん、回りくどいことは言わない。凪都を諦めてくれ。」

頭に鈍器を打ちつけたような衝撃だった。わかっていた。ここに呼ばれた時点でそう言うことなのだろうと。わかっていたのにいざその現実に直面すると体が固まってしまう。

「凪都はこの会社、グループ…伊勢山家を継ぐ役割がある。あの子は小さな頃から努力を重ねてきたんだ。それから…」

手首に光るバングルを貴都は鋭く睨んでいる。志津希の力では振り払うことはできない。このバングルに意味があることに貴都は気づいている。志津希の背中にぞっと悪寒が走る。

「伊勢山家は代々続く名家でその歴史を途絶えさせるわけにはいかないんだ。頭のいい君ならわかるよね?…私には後継が必要で、そしてそれは凪都も同じ。君には何ができる?凪都の努力を無駄にし、凪都の未来を奪う権利…君にはあるのかな?河嶋志津希くん。」

呼吸ができない。掴まれた腕は痛い。それ以上に胸が張り裂けそうだった。浅い呼吸を繰り返しながら志津希は貴都の目を黙って見つめることしかできなかった。貴都の言うことはもっともで志津希の存在は凪都にとってお荷物・不釣り合いであることは志津希のどこかに秘めていた本音だったのだ。
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