集金

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集金

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 ジリリリン……と昔懐かしい電話の音がする。
 黒いツヤツヤのダイヤル式で、白のレースのカバーの掛けられた電話。
 レースのカバーはお母様の手編み。
 ああ、あの電話はどこに行ってしまったのでしょうね、キヨ子さん。


 朝から、上司の怒鳴り声が聞こえてくる。
 ああ、嫌だ。
 テレビの視聴料の集金の下請けなんかやってると、居留守はまだ可愛いもので、怒鳴られ水を掛けられ塩を撒かれる事もある。
 だが、それより怖いのは上司だ。
 給料は歩合で、集金できた家の件数で決まる。
 勿論、ごっそりと会社に抜かれた金額だが。
 昨日までであらかた回ってない所は回ったし、ゴミリストでも引っくり返すかとボロボロになった分厚いファイルを倉庫の奥から引っ張り出した。
 とりあえず、今日は仕事をしているフリだ。
 そうそう毎日毎日行く宛が有る訳ではないし、他の連中のようにパチスロも競馬も競輪も競艇も行く気にはなれない。
 窓を開けて埃を軽く叩き、事務所のデスクへ陣取る。
 専用のデスクなぞ有るわけが無いので、端っこの誰が使っても良いデスクだ。
 パラパラと目を通すと、やはり過去に支払いが有っても現在では支払いがされていない家が出てくる。
 契約者が亡くなったか、老人ホームへ引っ越したか。
 家族が払っているなら住所に覚えがありそえなものだ。
 住んでいるかどうかだけでも確認しようと、受話器を持ち上げた。
 ピピポペパ……
「おかけになった電話番号は現在使われておりません……」
 ああ、だと思ったよ。
 こんなんでも仕事してる風に見えるので、上司に咎められる事もない。
 パチスロがバレて怒られている奴らと一括りにされない為にも、やはりパフォーマンスは大事だろう。
 めげずに次の番号を押す。
 それを何十回か繰り返した頃、電話が繋がった音がした。
 老人なら耳が遠いだろうと辛抱強く待っていると、カチャリと相手が出た音がする。
「はい……」
 老婆だ。
 弱々しい老婆の声に、俺は樮笑ほくそえんだ。
「こちら国営放送の集金係ですが、Yさまのお電話でお間違いありませんでしょうか?」
 精一杯、愛想の良い声を出す。
「はい……」
「料金のお支払をお忘れみたいですので、集金に伺いたいのですが、この後ご在宅でしょうか?」
「はい……」
 取り敢えず、一ヶ月分でも最悪一円でも払って貰えば払う意思はあるとして契約は続行されるし、集金者のメンツも何とか保てる。
 まぁ流石に一円じゃバカにされるかも知れないが……。
「集金に行ってきまーす」
「おう、もぎ取って来い!」
 上司のダミ声が背中を叩く。


 キヨ子さんキヨ子さん、あの人が帰って来ますよ。
 お電話があったのよ。
  三月みつきぶりかしら? もっとかしら?
 ああ、久方ぶりだもの随分と面変わりをしていたらどうしましょうか。
 キヨ子さん、迎える準備をしてくださいな。
 ああ、あの人の好物を用意して。
 あの人は何が好きだったかしら?
 まぁ、キヨ子さん、どこへ行ったの?
 キヨ子さん?


 果たして。
 リストの住所は更地になっていた。
 草がぼうぼうと生え、少なくとも空き地として数年は経っているのではないだろうか?
 番号を間違えたか?
 住所を間違えたか?
 ポケットからスマホを取り出し、メモした番号を眺める。
 だが、いくら眺めてもこれが正しいかどうかわからない。
 意を決して電話を掛けてみる。
 ジリリリリン……と、昔懐かしい電話の音が響く。
 音は、自由気ままに伸びきった草の中から聞こえる。
 もしかしたら、と思う。
 この昔懐かしい電話の音を携帯の着信音にしている人は一定数、居る。
 もしかしたら、自分が今掛けている電話とは別に、携帯を落とした人が居るのかもしれない。
 そう思うと、今鳴っているあの着信は、携帯を探している持ち主だろう。
 拾って警察に届けてやろう。
 迷う事無く草むらに足を突っ込んだ。
 古い電話の音は鳴り響いている。
 俺の左耳にはスマホの呼び出し音が聞こえ続けている。
 足と片手で草むらを四苦八苦しつつ掻き分けながら進むと、敷地の真ん中辺りに、崩れた段ボールがあった。
 音は、その中から聞こえる。
 足で、段ボールを蹴って退けると同時に、音が止んだ。
 そこには、古いダイヤル式の電話が、あった。
 スマホの向こうから、ガサガサと音が聞こえる。
 例の番号に繋がっていた。
「はい……」
 弱々しい老婆の声が聞こえる。
 やはり、住所を間違えたのだ。
「あー、すみません。国営放送の集金ですけれど、住所を間違えてしまったらしくて」
「はい……」
 電話の向こうに老婆ではない声が微かに聞こえる。
「確認なんですが、何か目印になるような建物とか……」
 そこまで言って、気付いた。
 電話の向こうに微かに聞こえたのは、自分の声だ。
 辺りを見回す。
 近くの家は全て空き家だ。
 それ位の調べはついている。
 だが、音の入り方から、老婆はすぐ近くに居るのではないか?
「はい……」
 だが、どこだ?
 そう、思った瞬間。
「ここに居ますよ……」
 電話越しではない声が、真後ろからした。
 咄嗟に振り返るが、何も見えない。
 何だ? 何なのだ?
 勢いでスマホの通話を切ってしまった。
 気 味 が 悪 い 。
 草むらのど真ん中に立ち尽くしている異常さに気付き、慌てて車へと駆け戻ると、無我夢中で走らせた。

 気付けば事務所の駐車場である。
 上司の怒鳴り声が今は有り難かった。
 その上司が、戻った俺を見るなり苦虫を噛み潰したような顔をする。
「おめぇ、なぁ」
 口が悪いのはいつもの事だが、これは金が取れなかったのがバレてるな。
「すみません、行ったんですけど……」
「ああ、いいから。おめぇ、ちょっと此処に行ってこい」
 上司は散らかったデスクの引き出しから、一枚のメモを取り出すと突き付けてきた。
「はぁ、集金ですか?」
 見れば、住所と電話番号、それに名前が書いてある。
「ヤマモト……」
「サンモトって読むんだ、そりゃ」
 吐き捨てるように上司が言う。
「そこに、ソレ、捨ててこい」
 上司が指差す方向に目をやる。
 俺の左手、そこにはスマホを持っている筈だった。
 だが、俺の手にしっかりと握られていたのは、古いダイヤル式の電話の受話器だった。
「うわぁ!?」
 思わず投げ捨てる。
「なん……」
 何故? とか、俺のスマホは? とか、疑問がぐるぐる回る。
「んなもん、ここに置いていくンじゃねーよ」
 上司に怒鳴られて慌てて受話器を拾う。
「いいな? 絶対持っていくんだぞ? そこに捨てるまで帰ってくんじゃねぇぞ?」

 上司に渡されたメモの住所を地図アプリに入力しようとして、スマホが無いのに気付く。
 あそこだ。
 あの草むらだ。
 極力そちらを見ないように受話器を後部座席に放り投げたのだが、見えなければ見えないで気になって仕方ない。
 コンビニへ寄り、地図を買う。
 車に乗る気になれず、駐車場で地図を広げた。
 何となく大体の場所は口頭で聞いたので、細かい場所を探す。
 そこは、寺だった。
 間違いか? と思ったものの、寺に間違いなさそうだった。
 寺なら寺と言ってくれれば良いものを。
 コンビニの公衆電話に小銭を入れる。
 プップップップッという電子音に妙に安心感を抱く。
「はい」
 電話の声は、壮年の男性だった。
「あ、私、国営放送の集金の……」
「うち、テレビ無いので」
「ああ、いやそうではなくて! キムラからの紹介でお電話をしておりまして!」
「キムラ? どちらのキムラさん?」
「国営放送の集金のキムラです!」
「……………………ああ」
 たっぷり10秒は考え込んでいただろうか。
 思い出したような「ああ」が電話の向こうの人物から出て、心底ホッとする。
 危なかった。
 危うく切られる所だった。
「何か変なもの持ち込みたいのね」
「ええ、そうなんです。そちらに置いて来いと言われてまして」
「山を目指してくれば一本道だから」
 礼を言って受話器を置くと、車の方を振り返る。
 後部座席のアレが干からびた人の手のように思えて気持ち悪い。
 アレと同じ空間に居たくない。
 だが、サンモトさんの寺に行くのにアレを長時間持ち歩きたくない。
 あと少しで解放されるのだからと、深呼吸をしてから車へ乗り込んだ。

 言われた通り、寺はあった。
 一本道とは言っても、舗装などしていない山道で、決して新しくはない自分の車のタイヤがパンクしやしないかヒヤヒヤした。
 寺の前に車を停めると、先程の電話の相手だろう背の高い剃髪の男が現れた。
「あ、サンモトさんですか?」
 車から転げ落ちそうになりながら慌てて出る。
「ええ。キムラさんの?」
「部下のシライです」
「シライさん。じゃあ、そのソレはこちらに渡して頂きますね」
 ソレと指差したのは、車ではなく俺の左手の方だった。
 後部座席に転がしてある筈の、古びた受話器が、そこにはあった。
「うわぁ!」
 慌てて放り投げる。
 投げられたソレをキャッチすると、サンモトさんは笑った。
「じゃあ、もう良いですよ」
「え?」
「帰って良いですよ」
「あ、あの! お願いがありまして」
「はい?」
「……スマホを……取りに一緒に行って貰えないでしょうか?」
 良い年をしたオッサンがと思われるかもしれないが、オッサンも怖いものは怖い。
 あの場所に一人で行くのは真っ平御免だ。
「今からは、した方が良いでしょうね」
 サンモトさんの言葉に、ふと周囲が薄暗くなってきているのに気付く。
「なら、明日の朝にしましょう。今日は泊まってください」
 嫌な顔一つせず、家に迎え入れるサンモトさんに思わず頭が下がる。
 屈強なお坊さんが味方に居てくれるとこんなにも心強いとは思わなかった。

 宿坊すくぼうとやらをやっているとかで、宿泊施設もあり、しっかり料金はとられたが、おかげでしっかり休むことができ、目覚めも爽やかだった。
 こういった飛び込みの客は珍しくないとかで、急だったにも関わらず、食事もきちんとした精進料理だった。
 現地へ向かうべく車のエンジンをかけ、助手席にサンモトさんが座る。
「アレはどうしたんですか?」
 好奇心から聞いてみる。
「箱に入れて封をして倉に入れています。今のところ、シライさんの所に戻ってないので大丈夫だと思いますが」
 サンモトさんがからかうように言う。
「やだなぁ、冗談でもやめてくださいよ」
 ややあって、例の空き地へと着いた。
 近付くにつれてサンモトさんの口数が少なくなり、表情はやや強張ってるように見える。
 車から降りた瞬間、着信音が鳴った。
 俺の、だ。
 草むらの中から聞こえるのは、俺のスマホの着信音だ。
 もしかしたら、上司かもしれない。
 ちゃんとサンモトさんに会えたのかという確認の電話だろう。
 出なければ。
 草むらを掻き分け、足を踏み出す。
 昨日、一度踏み入ったからか、昨日より楽に真ん中の段ボールまで辿り着いた。
 崩れた段ボールを蹴って退けると、俺のスマホが有った。
 拾い上げ、通話ボタンを押す。
「はい……」
 弱々しい老婆の声が、俺の口から聞こえた。
 驚いてサンモトさんを振り返る。
 サンモトさんの隣には、俺が、立っていた。
 俺とサンモトさんが、車に乗り込む。
 慌てて草を掻き分け、車へ走り寄ろうとするが、草むらから抜け出せない。
 車が、走り出す。
 遠ざかる自分の車を眺め、呆然とした。
 左手のスマホを見る。
 そこには、スマホではなく、黒い古びた受話器が握られていた。
 ああ、いつから勘違いしていたのだろう?
「おかえりなさい、あなた」
 老婆が、いや、妻が穏やかな笑顔で出迎える。
「今回は随分と長かったのですね」
「キヨコにいとまをやったのかい?」
「いいええ。いえそうだったかしら?」
 受話器を電話の本体へと置く。
 白いレースは妻の母の手編みだったか。

「おう、無事に捨てて来たか」
 上司の怒鳴り声が出迎える。
 いや、これはこの人の地声か。
「無事、なんですかねぇ?」
「おめぇ、そりゃ、俺が色々気を使ってやったんだ。無事だろうよ」
 デスクの上に出しっぱなしのゴミリストを閉じ、倉庫の奥へと戻す。
「仕事辞めようかなぁ」
「おめぇみてぇなクズに他にできる仕事があるかってんだ! ほれ! 集金行ってこい!」
 上司の怒鳴り声に押され、俺は今日も事務所を飛び出した。
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