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花なんか好きじゃなかった
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花なんか別に好きじゃなかった。
ただ家から出れない妹の為に千代紙で花を折った。
妹は歩く事も大きくなる事も無く布団の中から「おにい」と僕を呼んだ。
幼い頃に大病を患い、死の淵から戻った妹は、いくつになっても細く白くまるで人形の様だった。
長く眠らなければならず、身体に障ると言ってはねえやに追い出されるので、一日の内に面会できるのはほんの少しの時間だけだった。
体調が良くて半時、悪ければ一目見る事すら許されなかった。
ある日、妹のために花を摘んで帰ったら、妹がそれはそれは喜んだ。
が、その晩、引き付けを起こして大騒ぎになった。
「本当に余計な事ばかりして……」
と、下働き達が囁いていた。
花は、花すらも妹の身体には毒なのだとその時、母から言い含められた。
以来、千代紙で花を折っては、届けた。
全寮制である高等学校へ進学が決まり、家を出なければいけない日、妹に毎日千代紙の花を贈る事を約束した。
珍しい千代紙が手に入ったら、新しい花の折り方を学んだら、妹がどんなにか喜ぶだろうと思っていた。
その時の本心だった。
高等学校は楽しかった。
こんなに開放的なのは初めてだった。
仲の良い友人が出来、酒を覚え、恋を覚えた。
健康的で明るく肉感的な彼女は、妹とは正反対だった。
毎日が、勉強に友人との付き合いに恋人との逢瀬に忙しかった。
妹が疎ましく思え、いつしか花は折らなくなった。
妹や父母からの手紙も、開ける事無く郵便受けに溜まっていた。
三年間、盆も正月すら一度も家に帰る事なく、卒業を迎えた。
三年ぶりの我が家へ帰宅し妹の部屋へ向かう。
妹は其処に居た。
何も変わらぬ……否、少し成長した、だが細く白い人形の様な姿で、布団に横たわっていた。
「……兄様……?」
物音に目を覚ましたのか、妹の目がそうっと開かれる。
彼女の目には、硝子玉が嵌まっていた。
ささやかな光を無機質に反射し、顔ごと此方へ向ける。
つ……と此方へ手を伸ばす姿に、思わず襖を閉めていた。
父母を問い詰める。
妹は、妹の目は如何したのかと。
父母は静かに話した。
手紙を出した事。
そこには妹の病状が悪化し、目がダメになってしまった事。
手術を受けるので、帰って来て欲しい事。
妹が寂しがっていた事。
妹が義眼になった事。
今の自分の疑問が全て書いてあった。
愕然とする。
いくつかの滴が畳を音を立てて叩く。
濡れた睫毛がゆっくりと下を向いた。
就職と同時に恋人と一緒になるつもりだった。
家に帰った翌日には恋人を家族に紹介するつもりだった。
だが、駅前の喫茶店で待ち合わせた彼女に僕が切り出したのは別れの言葉だった。
家を継がねばならぬ事、病弱な妹が居る事は既に話してあった。
だが。
彼女はそれでも大丈夫だと、自分が妹の面倒を見ても良いと迄言ってくれた。
だが、宜しくない。
それでは、宜しくないのだ。
手を伸ばす先なんてどうでもよかった。
相手が彼女でなくても誰でも良かったのだ。
妹とは違って健康で
妹とは違って明るくて
妹とは違えば
誰でも良かったのだ。
それに、気付いてしまった。
気付かなければ、彼女と一緒になり、子を成し、幸せで居られたかもしれぬ。
だが、気付いてしまった。
恋人と別れ、就職までの少しの間、僕は妹の部屋に入り浸った。
妹は、その手をいつも宙に伸ばしていた。
目の見えぬ妹はそうして手に触れる感触で、その感覚で、周囲を把握するのだと、そうねえやは言った。
両目には義眼を嵌めているのに、時々見られている気がしてドキリとする。
妹は儚く美しく、まるで月の光の妖精のようで。
その感情の無い作り物の瞳でさえも、いや、それこそが彼女を『そう』させている。
精巧な美しく穢れの無い人形の様に。
「兄様……」
呼ばないでくれ。
僕をそんな風に呼ばないでくれ。
「兄様……」
妹の伸ばした手がひやりと触れる。
「兄様……」
ああ。
硝子玉に映る自分の顔に愕然とする。
このまま壊してしまおうか。
妹を。
家族を。
全てを。
ぐちゃぐちゃに壊してしまおうか。
「兄様……」
ダメだ。
この無垢な妹を穢してはいけない。
無垢な、美しく、儚い妹を。
できる事ならば、硝子箱に入れて誰の手垢もつかないように、誰の目にも触れないように、閉じ込めて鍵をかけて。
僕は、臆病で意気地無しなのだと自分に言い聞かせる。
臆病で、意気地無しで、大切な妹ですら守りきれぬのだ。
地元を離れ伯父の会社へ就職を決めた僕へ、最後の日、妹はやはり手を伸ばした。
「兄様……」
と。
その手を取って、抱き寄せたかった。
その手を取って、二人で逃げ出したかった。
けれど、僕は
身を捩って、その手をかわした。
僕を呼ぶ妹に、返事をしなかった。
一年後、妹の訃報が届いた。
事故だった。
妹は、あの儚くも美しい妹は、何処の誰とも知らない男に壊されてしまった。
目が見えていたなら、避けられたかも知れぬ。
しかし、目が見えぬからこそ、妹は美しくも可憐で月明かりのような存在だったのだ。
僕は涙した。
身勝手にも、涙した。
妹を、自分のこの手で壊したかったのだと、気付いてしまった。
妹を、永遠に喪ったのだと、気付いてしまった。
その日から、僕の部屋に妹が現れる。
「兄様……」
囁く声は切なげで
「兄様……」
囁く声は甘やかで
「兄様……」
その伸ばされる指はひんやりと冷たく
「兄様……」
その硝子の瞳は僕の劣情を暴き立てる。
「兄様……」
ああ
「兄様……」
妹が、喚んでいる……。
ただ家から出れない妹の為に千代紙で花を折った。
妹は歩く事も大きくなる事も無く布団の中から「おにい」と僕を呼んだ。
幼い頃に大病を患い、死の淵から戻った妹は、いくつになっても細く白くまるで人形の様だった。
長く眠らなければならず、身体に障ると言ってはねえやに追い出されるので、一日の内に面会できるのはほんの少しの時間だけだった。
体調が良くて半時、悪ければ一目見る事すら許されなかった。
ある日、妹のために花を摘んで帰ったら、妹がそれはそれは喜んだ。
が、その晩、引き付けを起こして大騒ぎになった。
「本当に余計な事ばかりして……」
と、下働き達が囁いていた。
花は、花すらも妹の身体には毒なのだとその時、母から言い含められた。
以来、千代紙で花を折っては、届けた。
全寮制である高等学校へ進学が決まり、家を出なければいけない日、妹に毎日千代紙の花を贈る事を約束した。
珍しい千代紙が手に入ったら、新しい花の折り方を学んだら、妹がどんなにか喜ぶだろうと思っていた。
その時の本心だった。
高等学校は楽しかった。
こんなに開放的なのは初めてだった。
仲の良い友人が出来、酒を覚え、恋を覚えた。
健康的で明るく肉感的な彼女は、妹とは正反対だった。
毎日が、勉強に友人との付き合いに恋人との逢瀬に忙しかった。
妹が疎ましく思え、いつしか花は折らなくなった。
妹や父母からの手紙も、開ける事無く郵便受けに溜まっていた。
三年間、盆も正月すら一度も家に帰る事なく、卒業を迎えた。
三年ぶりの我が家へ帰宅し妹の部屋へ向かう。
妹は其処に居た。
何も変わらぬ……否、少し成長した、だが細く白い人形の様な姿で、布団に横たわっていた。
「……兄様……?」
物音に目を覚ましたのか、妹の目がそうっと開かれる。
彼女の目には、硝子玉が嵌まっていた。
ささやかな光を無機質に反射し、顔ごと此方へ向ける。
つ……と此方へ手を伸ばす姿に、思わず襖を閉めていた。
父母を問い詰める。
妹は、妹の目は如何したのかと。
父母は静かに話した。
手紙を出した事。
そこには妹の病状が悪化し、目がダメになってしまった事。
手術を受けるので、帰って来て欲しい事。
妹が寂しがっていた事。
妹が義眼になった事。
今の自分の疑問が全て書いてあった。
愕然とする。
いくつかの滴が畳を音を立てて叩く。
濡れた睫毛がゆっくりと下を向いた。
就職と同時に恋人と一緒になるつもりだった。
家に帰った翌日には恋人を家族に紹介するつもりだった。
だが、駅前の喫茶店で待ち合わせた彼女に僕が切り出したのは別れの言葉だった。
家を継がねばならぬ事、病弱な妹が居る事は既に話してあった。
だが。
彼女はそれでも大丈夫だと、自分が妹の面倒を見ても良いと迄言ってくれた。
だが、宜しくない。
それでは、宜しくないのだ。
手を伸ばす先なんてどうでもよかった。
相手が彼女でなくても誰でも良かったのだ。
妹とは違って健康で
妹とは違って明るくて
妹とは違えば
誰でも良かったのだ。
それに、気付いてしまった。
気付かなければ、彼女と一緒になり、子を成し、幸せで居られたかもしれぬ。
だが、気付いてしまった。
恋人と別れ、就職までの少しの間、僕は妹の部屋に入り浸った。
妹は、その手をいつも宙に伸ばしていた。
目の見えぬ妹はそうして手に触れる感触で、その感覚で、周囲を把握するのだと、そうねえやは言った。
両目には義眼を嵌めているのに、時々見られている気がしてドキリとする。
妹は儚く美しく、まるで月の光の妖精のようで。
その感情の無い作り物の瞳でさえも、いや、それこそが彼女を『そう』させている。
精巧な美しく穢れの無い人形の様に。
「兄様……」
呼ばないでくれ。
僕をそんな風に呼ばないでくれ。
「兄様……」
妹の伸ばした手がひやりと触れる。
「兄様……」
ああ。
硝子玉に映る自分の顔に愕然とする。
このまま壊してしまおうか。
妹を。
家族を。
全てを。
ぐちゃぐちゃに壊してしまおうか。
「兄様……」
ダメだ。
この無垢な妹を穢してはいけない。
無垢な、美しく、儚い妹を。
できる事ならば、硝子箱に入れて誰の手垢もつかないように、誰の目にも触れないように、閉じ込めて鍵をかけて。
僕は、臆病で意気地無しなのだと自分に言い聞かせる。
臆病で、意気地無しで、大切な妹ですら守りきれぬのだ。
地元を離れ伯父の会社へ就職を決めた僕へ、最後の日、妹はやはり手を伸ばした。
「兄様……」
と。
その手を取って、抱き寄せたかった。
その手を取って、二人で逃げ出したかった。
けれど、僕は
身を捩って、その手をかわした。
僕を呼ぶ妹に、返事をしなかった。
一年後、妹の訃報が届いた。
事故だった。
妹は、あの儚くも美しい妹は、何処の誰とも知らない男に壊されてしまった。
目が見えていたなら、避けられたかも知れぬ。
しかし、目が見えぬからこそ、妹は美しくも可憐で月明かりのような存在だったのだ。
僕は涙した。
身勝手にも、涙した。
妹を、自分のこの手で壊したかったのだと、気付いてしまった。
妹を、永遠に喪ったのだと、気付いてしまった。
その日から、僕の部屋に妹が現れる。
「兄様……」
囁く声は切なげで
「兄様……」
囁く声は甘やかで
「兄様……」
その伸ばされる指はひんやりと冷たく
「兄様……」
その硝子の瞳は僕の劣情を暴き立てる。
「兄様……」
ああ
「兄様……」
妹が、喚んでいる……。
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