136 / 454
【1989/05 Salvation】
《第二週 火曜日》①
しおりを挟む
朝、いつもどおり通用口から入って職員玄関から保健室に向かう。アキくんは既に来ていて、扉を開けると「おはよう」と声をかけてくれた。机には授業で使ったと思われるプリントの束が置いてあって、アキくんはそれを体を何故か揺らしながら読んでいた。
「アキくんは、勉強好き?」
「勉強は嫌いだよ、面白いから見てるの」
普段なら、典子先生が朝から此処にいるはずなのに今日は居ない。やはりおれのことで何かまだ話し合いが続いているんだろうか。アキくんの背後に立って脇から地理のプリントを覗き見ていると、アキくんが振り返った。
「おーいしくんは勉強好き?」
「別に好きも嫌いもないなあ」
アキくんはまたちょっと首を傾げてから、目線をプリントに戻す。扉を二度ノックする音がして、アキくんのクラスの担任の先生が入ってきた。おれに「おはよう」と声をかけて、テーブルに置いたプリントは二人分あるよ、と言った。
言われて二枚ずつに重なっていることに気づいて、アキくんは自分の分とおれの分に分けて揃え直す。午前中はこのプリントとか教科書とか副教材を見ながらワークブックを進めてください、午後から答え合わせをするからやっておいてねと優しく指示して保健室を出ていった。
人の気配が遠ざかるのを確認して、アキくんは口を開いた。
「これ、かわりばんこに問題出しっこしよ」
「うん、いいよ」
一緒に過ごしていて気づいたことがいくつかあった。アキくんのフルネームの名前は藤川玲。おれと同じ2年生。クラスはD。
左利き。ペンの持ち方が変。人の気配や音に敏感で、直ぐに驚く。女性の声や気配があると動きが止まり、声を出さなくなる。やけに落ち着きがなくゆらゆら揺れたり、手足を常に動かしている。よく物を落としたり、直ぐ傍にあるのに探していたりする。自分の足に躓く。
でも、実にいろんなことを知っていて、教科書や教材がなくてもアキくんは出した問題を答えられる。昨日高校の数学や生物の教科書を見ていたくらいだから不思議はなかった。中学の勉強なんか簡単すぎて、つまらないんじゃないだろうか。
出された問題に答えるために副教材の資料集のカラーページをめくっていると、おれの体内から音が出た。乾物を齧って凌ぐと腹の中で膨れはするが、胃の負担は大きい。しかも念入りに噛んでいるとなにげに一緒に空気も飲み込んでしまうのか、そこまで空腹でなくとも内臓が大きく動く度に腹が鳴った。
「おーいしくんおなかすいた?」
「そうかもね」
ストレートに訊かれたのが恥ずかしくて、ついぶっきらぼうな言い方になってしまった。アキくんが困り顔になったのを見て「しまった」とは思ったけど、フォローするための言葉が出てこない。アキくんの横顔を見つめていると、アキくんは下を向いた。どうしよう、落ち込ませてしまった、と思った。
しかし、アキくんは床に置いていたリュックサックを持ち上げて膝に置き、チャックを少し開けて中をゴソゴソ探り始め、なにか取り出した。そして、保健室に人の気配が近づいてこないのを確認してから、おれの膝の上にラムネ菓子の容器を置いた。予想していない展開に頭が混乱した。
「あ、アキくん、学校って、お菓子持ってきちゃいけないんだよ」
「え?なんで?頭使ったらお腹すくのにおやつないの?へんなの」
続けて個包装の焼き菓子や水筒まで出して、カップになった蓋と内側に入った白いプラのカップを外してテーブルに置いて、温かい麦茶まで注いで出してくれた。
「脳はすごくエネルギー使うんだって、エネルギー全体の15~20%も使うんだよ。でも脳のエネルギーにできるのはブドウ糖だけなんだって。1日に120g必要だから、1時間あたり5gくらい要るんだけど、ラムネを1つ食べると0.9gブドウ糖摂れるからたまに食べるといいんだよ。あと炭水化物も体の中で分解されて糖になるんだよ」
説明するアキくんにはいつもの辿々しさがなく、しかもやけに熱く語るので、思わず勧められるままに焼き菓子を食べ、お茶を飲んだ。こんなバターの効いた、滋養がありそうな甘いもの、久しぶりだった。口の中で解けて、アキくんの言う通り脳まで染み渡るような感じがした。お茶を啜って、ラムネも2つ口に含んだ。あっという間に解けて消えた。
「でも、あったかい麦茶にはラムネあんまり合わないなあ」
呟くとアキくんも真似してラムネを口に入れて麦茶を啜り「ごめん、そうかも」と言って笑った。
「アキくんは、勉強好き?」
「勉強は嫌いだよ、面白いから見てるの」
普段なら、典子先生が朝から此処にいるはずなのに今日は居ない。やはりおれのことで何かまだ話し合いが続いているんだろうか。アキくんの背後に立って脇から地理のプリントを覗き見ていると、アキくんが振り返った。
「おーいしくんは勉強好き?」
「別に好きも嫌いもないなあ」
アキくんはまたちょっと首を傾げてから、目線をプリントに戻す。扉を二度ノックする音がして、アキくんのクラスの担任の先生が入ってきた。おれに「おはよう」と声をかけて、テーブルに置いたプリントは二人分あるよ、と言った。
言われて二枚ずつに重なっていることに気づいて、アキくんは自分の分とおれの分に分けて揃え直す。午前中はこのプリントとか教科書とか副教材を見ながらワークブックを進めてください、午後から答え合わせをするからやっておいてねと優しく指示して保健室を出ていった。
人の気配が遠ざかるのを確認して、アキくんは口を開いた。
「これ、かわりばんこに問題出しっこしよ」
「うん、いいよ」
一緒に過ごしていて気づいたことがいくつかあった。アキくんのフルネームの名前は藤川玲。おれと同じ2年生。クラスはD。
左利き。ペンの持ち方が変。人の気配や音に敏感で、直ぐに驚く。女性の声や気配があると動きが止まり、声を出さなくなる。やけに落ち着きがなくゆらゆら揺れたり、手足を常に動かしている。よく物を落としたり、直ぐ傍にあるのに探していたりする。自分の足に躓く。
でも、実にいろんなことを知っていて、教科書や教材がなくてもアキくんは出した問題を答えられる。昨日高校の数学や生物の教科書を見ていたくらいだから不思議はなかった。中学の勉強なんか簡単すぎて、つまらないんじゃないだろうか。
出された問題に答えるために副教材の資料集のカラーページをめくっていると、おれの体内から音が出た。乾物を齧って凌ぐと腹の中で膨れはするが、胃の負担は大きい。しかも念入りに噛んでいるとなにげに一緒に空気も飲み込んでしまうのか、そこまで空腹でなくとも内臓が大きく動く度に腹が鳴った。
「おーいしくんおなかすいた?」
「そうかもね」
ストレートに訊かれたのが恥ずかしくて、ついぶっきらぼうな言い方になってしまった。アキくんが困り顔になったのを見て「しまった」とは思ったけど、フォローするための言葉が出てこない。アキくんの横顔を見つめていると、アキくんは下を向いた。どうしよう、落ち込ませてしまった、と思った。
しかし、アキくんは床に置いていたリュックサックを持ち上げて膝に置き、チャックを少し開けて中をゴソゴソ探り始め、なにか取り出した。そして、保健室に人の気配が近づいてこないのを確認してから、おれの膝の上にラムネ菓子の容器を置いた。予想していない展開に頭が混乱した。
「あ、アキくん、学校って、お菓子持ってきちゃいけないんだよ」
「え?なんで?頭使ったらお腹すくのにおやつないの?へんなの」
続けて個包装の焼き菓子や水筒まで出して、カップになった蓋と内側に入った白いプラのカップを外してテーブルに置いて、温かい麦茶まで注いで出してくれた。
「脳はすごくエネルギー使うんだって、エネルギー全体の15~20%も使うんだよ。でも脳のエネルギーにできるのはブドウ糖だけなんだって。1日に120g必要だから、1時間あたり5gくらい要るんだけど、ラムネを1つ食べると0.9gブドウ糖摂れるからたまに食べるといいんだよ。あと炭水化物も体の中で分解されて糖になるんだよ」
説明するアキくんにはいつもの辿々しさがなく、しかもやけに熱く語るので、思わず勧められるままに焼き菓子を食べ、お茶を飲んだ。こんなバターの効いた、滋養がありそうな甘いもの、久しぶりだった。口の中で解けて、アキくんの言う通り脳まで染み渡るような感じがした。お茶を啜って、ラムネも2つ口に含んだ。あっという間に解けて消えた。
「でも、あったかい麦茶にはラムネあんまり合わないなあ」
呟くとアキくんも真似してラムネを口に入れて麦茶を啜り「ごめん、そうかも」と言って笑った。
0
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ハンターがマッサージ?で堕とされちゃう話
あずき
BL
【登場人物】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ハンター ライト(17)
???? アル(20)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
後半のキャラ崩壊は許してください;;
【完結】 男達の性宴
蔵屋
BL
僕が通う高校の学校医望月先生に
今夜8時に来るよう、青山のホテルに
誘われた。
ホテルに来れば会場に案内すると
言われ、会場案内図を渡された。
高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を
早くも社会人扱いする両親。
僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、
東京へ飛ばして行った。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる