293 / 454
【2020/05 消失】
《第3週 日曜日 朝》②
しおりを挟む
画面を切り替えて、飯野さんにメールを送る。今藤川先生のところに居ること、速報で報道されている有明の件を見たこと、何か情報は入ってきているか、「ふみ」と呼ばれている人物について知っているか、先生はこないだの件も含め直接この抗争に関係あるのか。しかし、返信はなかなか来ない。想定はしているが多分見ていないか、返信している場合ではない状況だ。
送信し終えて回答を待っている中、耳元で小さい声でおれを呼ぶのが聞こえた。そして、その唇が耳介に触れ、その唇の中の小さな尖った歯が触れた。目の前にある先生の首筋には、昨日おれが衝動的に咬み付いた痕がまだ少し赤く残っている。
「…先生?」
そっと小さく呼びかけると、先生は唇を耳に軽く触れたまま囁くように、少し震えた声で話し始めた。
「長谷は、神様って、信じる?」
話したことはないはずなのに突然、自分の中に封じていた昏い部分に触れるようなことを言われて、おれは無意識に身を固くした。
「信じてないです、おれには、今、目の前にあることだけが重要です」
宗教や神様というものに対して、おれはいい感情を持っていない。
おれの母親は、宗教とそれに対する信仰というものに振り回されていて、そのために常に不安定な状態だった。結婚当初していた【おれに信仰を強要しない】という約束は父親が家に居られる時間が減るにつれて反故にされ、おれは母親の進行する宗教の教団施設に度々連れられて通っていた。そこでおれは指導や儀式という名目を借り密室に連れ込まれては幾度となく侵襲された。
そのことを、おれは、誰にも、家族にも話したことはない。
しかし、その頃の経験によっておれも先生が起こしたようなフラッシュバックを起こしてしまったことがある。周りには適当に理由をつけて体調が悪いとかなんとか言って誤魔化していた。母親の宗教との関わりは高校進学で家を離れたとき切り離すことに成功したが、当時受けた侵害行為は俺の中で健在で、OBの佐藤さんに迫られたときも抵抗できなかった。
その後も関係が断ち切れず利用され、やがて関係が露呈しておれは学校に居られなくなった。競技に残ることも、希望の進路に進学することも難しくなった。それまで培った人間関係も損なった。母親からも激しく詰られ、忌避されるようになり、最終的に母親は病身の父親とおれを捨てて宗教に身を捧げる為出ていってしまった。
フラッシュバック自体は佐藤さんに迫られたあのとき以降、そんなには起きていない。高校生活の中で本格的に体のボリューム自体が変わったことで、安易に他の人間から性的な欲求を向けられたり、そういう欲求を満たすために狙われることが減ったからだ。
全く無くなったわけではないが、競技に取り組んだり、職務や訓練に打ち込むうちに評価されるようになり、自身の内面も強化され安定し、自分のなかに生じる好意や思慕は無視することを決められたのも大きいと思う。あとはだいたい起こる条件はわかっているので、そのうちトリガーになるものに遭遇したり接しないように先回りできるようになったというのもある。
何より、職務上知られるとまずいというリスクを負いながらも、そういう、恋愛を楽しみたいとか触れ合いたいという欲求は金銭を払って補うと割り切ることにしたこと。それによって自分が絶対的に優位な状態を作り出すことで安堵感や自己肯定感を得て意志を保たせてなんとかやってこれた。
自分の希望ではなかったがバスケができるという理由で入った機動隊時代も、父親が病に斃れその職務を離れ寮を出て介護にあたった際も、父親が身罷ったあと直接捜査に関わらなくとも刑事事件の捜査に携われる機会を探して鑑識官を目指す上でも、そういう店のスタッフやキャストの優しさにおれは救われていた。
正直、友人が居なくても、家族が居なくても、パートナーが居なくても、それで十分だった。只、実直に職務にあたり、評価される機会があればできるだけ逃さないようにして、個人的な感情や欲求は金銭で解決できるならそうして、衣食住に困らず暮らしていければそれでいいと思っていた。
送信し終えて回答を待っている中、耳元で小さい声でおれを呼ぶのが聞こえた。そして、その唇が耳介に触れ、その唇の中の小さな尖った歯が触れた。目の前にある先生の首筋には、昨日おれが衝動的に咬み付いた痕がまだ少し赤く残っている。
「…先生?」
そっと小さく呼びかけると、先生は唇を耳に軽く触れたまま囁くように、少し震えた声で話し始めた。
「長谷は、神様って、信じる?」
話したことはないはずなのに突然、自分の中に封じていた昏い部分に触れるようなことを言われて、おれは無意識に身を固くした。
「信じてないです、おれには、今、目の前にあることだけが重要です」
宗教や神様というものに対して、おれはいい感情を持っていない。
おれの母親は、宗教とそれに対する信仰というものに振り回されていて、そのために常に不安定な状態だった。結婚当初していた【おれに信仰を強要しない】という約束は父親が家に居られる時間が減るにつれて反故にされ、おれは母親の進行する宗教の教団施設に度々連れられて通っていた。そこでおれは指導や儀式という名目を借り密室に連れ込まれては幾度となく侵襲された。
そのことを、おれは、誰にも、家族にも話したことはない。
しかし、その頃の経験によっておれも先生が起こしたようなフラッシュバックを起こしてしまったことがある。周りには適当に理由をつけて体調が悪いとかなんとか言って誤魔化していた。母親の宗教との関わりは高校進学で家を離れたとき切り離すことに成功したが、当時受けた侵害行為は俺の中で健在で、OBの佐藤さんに迫られたときも抵抗できなかった。
その後も関係が断ち切れず利用され、やがて関係が露呈しておれは学校に居られなくなった。競技に残ることも、希望の進路に進学することも難しくなった。それまで培った人間関係も損なった。母親からも激しく詰られ、忌避されるようになり、最終的に母親は病身の父親とおれを捨てて宗教に身を捧げる為出ていってしまった。
フラッシュバック自体は佐藤さんに迫られたあのとき以降、そんなには起きていない。高校生活の中で本格的に体のボリューム自体が変わったことで、安易に他の人間から性的な欲求を向けられたり、そういう欲求を満たすために狙われることが減ったからだ。
全く無くなったわけではないが、競技に取り組んだり、職務や訓練に打ち込むうちに評価されるようになり、自身の内面も強化され安定し、自分のなかに生じる好意や思慕は無視することを決められたのも大きいと思う。あとはだいたい起こる条件はわかっているので、そのうちトリガーになるものに遭遇したり接しないように先回りできるようになったというのもある。
何より、職務上知られるとまずいというリスクを負いながらも、そういう、恋愛を楽しみたいとか触れ合いたいという欲求は金銭を払って補うと割り切ることにしたこと。それによって自分が絶対的に優位な状態を作り出すことで安堵感や自己肯定感を得て意志を保たせてなんとかやってこれた。
自分の希望ではなかったがバスケができるという理由で入った機動隊時代も、父親が病に斃れその職務を離れ寮を出て介護にあたった際も、父親が身罷ったあと直接捜査に関わらなくとも刑事事件の捜査に携われる機会を探して鑑識官を目指す上でも、そういう店のスタッフやキャストの優しさにおれは救われていた。
正直、友人が居なくても、家族が居なくても、パートナーが居なくても、それで十分だった。只、実直に職務にあたり、評価される機会があればできるだけ逃さないようにして、個人的な感情や欲求は金銭で解決できるならそうして、衣食住に困らず暮らしていければそれでいいと思っていた。
0
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
【完結】 男達の性宴
蔵屋
BL
僕が通う高校の学校医望月先生に
今夜8時に来るよう、青山のホテルに
誘われた。
ホテルに来れば会場に案内すると
言われ、会場案内図を渡された。
高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を
早くも社会人扱いする両親。
僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、
東京へ飛ばして行った。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる