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第二章:鶴華編
第一話:生成りに触れて
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「ただいま。」
温かい布団に包まって、部屋の主の帰りを待っていた。
部屋に入ってくるなり、ベッドの上の俺を見て、ほっと安堵するような笑みを浮かべる。
すらりと細身で、柔らかそうな癖毛の髪。
色白で、全体的に色素が薄く儚げに見える。
笑顔を浮かべれば、ほんわかした雰囲気が漂う。
しかし、普段は驚く程表情が少なく、時に冷たい印象を与える。
時々の所作に育ちの良さが現れ、真面目で賢そうだ。
「今夜は肉じゃがにしようと思って。」
学生の頃の甘さが削ぎ落され、地に足をつけた大人になっていた。
俺には決して持てなかった安定感を、当たり前のように纏って。
なのに、花のような笑顔だけは変わらない。
流れる水音と、包丁のリズム。家庭の匂いが、胸を締めつける。
温かいはずなのに、俺には居場所がない気がした。
……出所した日、俺は静華ママとの連絡を絶った。
何度も面会に来てくれて、出所後の就職の話もしてくれた。
『華籠』は店名を変えて営業しているらしい。
ママは言わなかったが、キャストから薬の売人が出たんだ。
悪い噂もたっただろう……。
噂ごと、自分を切り離すしかなかった。
深まる冬の空気の中で、そっと死んでもいいと思った。
誰にも知られず、雪に埋もれて消えてしまえたら──。
ただ、飯を食っているだけなのに、直哉は幸せそうに微笑んでいる。
こんなホームレス上がりの前科者を囲って、こいつは何が楽しいのか。
それでも、こうして屋根のある部屋で飯が食えて、温かい布団で眠れるだけで有難い。
だが、漠然とこの先どうしようかという不安がある。
つい数日前までは死んでもいいと思っていたのに、今は寒空の下に放り出されることが怖い。
この恐怖も、直哉がいるからだ。
直哉を失ったら、俺はまたあの底へ転がり落ちる。
本当に勝手だ。
今となっては、不潔なのも、寒いのも、ひもじい思いも嫌だと思う。
直哉はいつまで俺を養ってくれるのだろうか。
俺をどうしたいのか。
流れるように時間は過ぎ去り、直哉はベッドを俺へ明け渡し、床に来客用布団を敷いて眠る。
きちんとパジャマを着て寝るところが、昔も今も直哉らしい。
カーテンの隙間からは、寒々しい青いネオンの光が差し込む。
その青に照らされた寝顔は、届かない光のようで。
四年前とは違う、精悍な輪郭を見つめながら、それでも変わらず愛おしいと思った。
「……好きだよ。」
「今でも、ずっと。」
「君を失ってから、ずっと探してた。忘れられなかった。……もう、二度と見失いたくない。」
「好きだから、立ち直ってほしい。好きだから、ここで君を見捨てるなんて絶対にしない。」
「君がどんなに拒んでも、どれだけ僕を突き放しても、何度でも迎えに来る。」
「だから、僕の部屋へ来て。……お願いだ。もう一度、君と生きたい。」
あの日、公園で直哉が震えた声で叫んだ言葉が、今でもずっと耳に残っている。
嬉しかった。
例えそれが、俺を足止めするための演技やでまかせだったとしても。
こんな言葉で、四年前の気持ちへ戻される。
だから、学ばない馬鹿なんだ。
すぐにでも直哉が好きな気持ちが溢れてしまう。
垢切れて、かさつく指で、そっと直哉の柔らかそうな唇に触れる。
愛してる……いつも、こんな風に直哉の寝顔を眺めていた。
「えー、なおちゃん、寝ちゃった。」
てへっとでも言いそうな、わざとらしい笑みを麻里華は浮かべる。
ここはオカマバーだが、麻里華は昔から「心は女の子」だと公言している。
既にホルモン治療を始めていて、体つきも声も女性そのもの。
その分、時折女らしい強かさがにじむ。
「お前、アルコールが飲めないって言ったそばから、ハイボール飲ませる奴があるか?」
「えー、だって、色が同じでわからなかったんだもん。」
ぷくっと頬を膨らませ、やたら瞬きを繰り返す。
限りなく嘘くさい。……こういうところが俺は大嫌いだった。
思わず、深い溜息が漏れる。
「あらー、益江さんとまだイタリアンバーへ行く予定なのに。」
直哉を連れて来た店長と静華ママは別の店へ移動するらしい。
何も知らない直哉は、気持ち良さそうにソファーに横たえられ、スースー眠っている。
服装はもさいが、きりっとした綺麗な顔をしている。
くりんと睫毛も長い。
「やだー、かわいいっ」
年配のキャストたちは興味津々で、感嘆の声を漏らして通り過ぎる。
……このまま店内に……純真無垢丸出しの青年をここへ放置するのは危険だ。
「私が連れて帰ろっかなー。」
待っていましたと麻里華が名乗りを上げる。……いや、こいつに任せる方がよほど危ない。
「鶴華が連れて帰れば?あんた、ジャガ専だし。それに、部屋が一番近いしっ。」
静華ママの一言で、空気は決まった。
……ああ、いつものパターンだ。
冗談めかして軽く言うが、ママの判断はいつも的確だ。
結局、断る理由なんてどこにもない。
「えー、ってかジャガ専って何?」
悔しさ紛れで麻里華が絡んでくる。
「じゃがいもみたいな男が好きってこと。あー、高校球児とか、品川庄司の品川さんとか……。」
面白おかしく、笑いながら静華ママが答える。
いいだろ、人の好みのことは。
「何それ、ウケんね。」
馬鹿にしたように、アイツは指をさして笑ってきた。
マジで麻里華贔屓の客達にこの姿を見せてやりたい。
ママの決定は絶対だ。
この世界に入る際、そう教えられた。
だから、反論なんて最初から選択肢にない。
……やっぱり、こうなる。
そんな一悶着があって、結局俺が直哉を連れて帰ることになった。
ソファに沈んだ直哉は、瞼を半分だけ伏せ、意識が遠のくたびに肩へぐらりと凭れかかってきた。
その重さを支えながら顔を覗き込むと、掠れた声が漏れる。
「……つる、か……?」
名を呼ぶと同時に、再び力が抜けて沈み込んだ。
完全に寝入ったわけじゃない。
半分夢の中で、俺に縋っているんだ。
胸がちくりと痛む。
──この前『益江』で助けてもらった借りもある。
だから仕方ねぇ。
「……しゃーねぇな。」
吐き捨てるように呟き、肩を貸して立ち上がった。
直哉の体温がじんわりと腕へ移り、息苦しいほど近い。
歩きながらも、直哉は微かに呻き声を漏らし、俺の腕を掴んだ。
弱々しいその手が、酔っ払いの無防備さか、信頼の表れかはわからない。
ただ一つ言えるのは──。
俺の部屋まで無事に送り届けなきゃならないってことだけだった。
シャワーから上がると、ベッドで寝ていた直哉の身体がびくりと跳ねた。
「おー、起きた?」
思わず飛び起きると、全身を逆立てて警戒する子猫のようだった。
そりゃ、オカマバーで酔いつぶれて、お持ち帰りされたとあれば、警戒もするか……。
ってか、持って帰ったのが俺で、無事だったことに感謝してもらいたいくらいだ。
「昨日のこと、覚えている?」
半ば呆れ気味で口にすると案外、覚えていたらしい。
「……鶴華……さ……ん?」
「お、思い出してきた?麻里華がハイボールとジンジャエール間違えて渡したせいで、酔いつぶれたんだけど。大丈夫か?」
部屋の隅に置かれた、小さなレトロ冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出すと、ポイと投げた。
ペットポトルを両手で持って、コクコクと飲む仕草が同年代の男なのに、酷く幼く感じた。
「頭、痛くないか?それにしても、本当にグラス半分で酔っぱらうんだな。しかもハイボールなんかで。」
思わずその柔らかそうな髪に触れた。
その無防備さに絆されたのか、このくらい許されるだろうとゆっくり撫でると、恥じらうように耳が赤く染まる。
「『バーボン、ロックで。』とか、言いたかったですよ、僕も。実際は、一パーセントのチューハイ一缶で眠ってしまいます。」
「本当にハードボイルド引きずってる。」
これで、渋い大人の男を目指しているなんて、発想が可愛すぎる。
思わず零れた笑みに、安心したように直哉も微笑んだ。
彼の持つ、柔らかい雰囲気が広がる。
そんな中、耳障りな携帯のバイブ音が何度も響く。
俺が起こされたのも、しつこく何度も震える携帯のせいだ。
「今朝、八時ごろからずっと鳴ってる。」
「……はぁ……。」
重い溜息と共に、煩わしそうな沈んだ顔をする。
なんだ、この真面目くんもそんな顔をするんだ。
いつもの癖で、口寂しくて煙草に火を点けた。
甘い匂いと清涼感に、少しずつ頭が冴えてくる。
「誰から?彼女?」
誰からも好かれそうな柔らかい雰囲気で、見た目も悪くない。
真面目で、頭もいいらしい。
女の一人や二人いるよな。
「……お母さん。酷く過干渉で……。正直、参ってる。」
こいつもまた、順風満帆に見えているだけで悩みを抱えているんだな。
……真面目ちゃんも大変だ。
俺だったら、とっくに家を飛び出して連絡も絶ってる。
でも、こいつは絶対に逃げられない。
全部抱え込んで、勝手に擦り切れていくタイプだ。
「じゃ、俺んとこ来れば?」
軽い冗談のつもりだった。
なのに直哉は、迷いなく真剣に頷く。
……ほんと、不器用で危なっかしい。
弟分だ、弟分。そう思い込もうとする。
けれど胸の奥で、どうしようもなく痛む場所がある。
これは恋なんかじゃない。
絶対に違う。
そう言い聞かせても、直哉の柔らかい笑顔が焼き付いて離れない。
触れれば崩れてしまいそうで、怖くてたまらなかった。
ザラザラとした感情が広がって、切なく胸を締めつけた。
「心配すんなって。お前、俺のタイプじゃないから。」
想いとは裏腹な言葉が、口から零れた瞬間、胸の奥に小さな棘が刺さった。
「そ、そういうの、面と向かって言うなよ……。」
困惑と、少し傷ついた影が揺れる。
その表情が余計に痛くて、俺は自分の言葉を呪いたくなる。
「だってさ、そうじゃなきゃ怖いだろ?ほら、俺って顔もキャラもこうだし。……でも、気分転換したいときくらい、俺んち逃げてきていいよ。」
「……いいの?……本当に、来るよ……。」
ふっと、直哉の口元が緩む。
まるで警戒を解いた子どものような、無防備な笑み。
俺の胸を、強く突き刺す。
「おお、来い、来い。どうせ、寝るためだけの部屋だからさ。」
もう、やけくそだった。
喉に煙を流し込んだ瞬間、煙草はいつもより苦い。
まるで、その笑顔ごと呑み込んで誤魔化すように。
温かい布団に包まって、部屋の主の帰りを待っていた。
部屋に入ってくるなり、ベッドの上の俺を見て、ほっと安堵するような笑みを浮かべる。
すらりと細身で、柔らかそうな癖毛の髪。
色白で、全体的に色素が薄く儚げに見える。
笑顔を浮かべれば、ほんわかした雰囲気が漂う。
しかし、普段は驚く程表情が少なく、時に冷たい印象を与える。
時々の所作に育ちの良さが現れ、真面目で賢そうだ。
「今夜は肉じゃがにしようと思って。」
学生の頃の甘さが削ぎ落され、地に足をつけた大人になっていた。
俺には決して持てなかった安定感を、当たり前のように纏って。
なのに、花のような笑顔だけは変わらない。
流れる水音と、包丁のリズム。家庭の匂いが、胸を締めつける。
温かいはずなのに、俺には居場所がない気がした。
……出所した日、俺は静華ママとの連絡を絶った。
何度も面会に来てくれて、出所後の就職の話もしてくれた。
『華籠』は店名を変えて営業しているらしい。
ママは言わなかったが、キャストから薬の売人が出たんだ。
悪い噂もたっただろう……。
噂ごと、自分を切り離すしかなかった。
深まる冬の空気の中で、そっと死んでもいいと思った。
誰にも知られず、雪に埋もれて消えてしまえたら──。
ただ、飯を食っているだけなのに、直哉は幸せそうに微笑んでいる。
こんなホームレス上がりの前科者を囲って、こいつは何が楽しいのか。
それでも、こうして屋根のある部屋で飯が食えて、温かい布団で眠れるだけで有難い。
だが、漠然とこの先どうしようかという不安がある。
つい数日前までは死んでもいいと思っていたのに、今は寒空の下に放り出されることが怖い。
この恐怖も、直哉がいるからだ。
直哉を失ったら、俺はまたあの底へ転がり落ちる。
本当に勝手だ。
今となっては、不潔なのも、寒いのも、ひもじい思いも嫌だと思う。
直哉はいつまで俺を養ってくれるのだろうか。
俺をどうしたいのか。
流れるように時間は過ぎ去り、直哉はベッドを俺へ明け渡し、床に来客用布団を敷いて眠る。
きちんとパジャマを着て寝るところが、昔も今も直哉らしい。
カーテンの隙間からは、寒々しい青いネオンの光が差し込む。
その青に照らされた寝顔は、届かない光のようで。
四年前とは違う、精悍な輪郭を見つめながら、それでも変わらず愛おしいと思った。
「……好きだよ。」
「今でも、ずっと。」
「君を失ってから、ずっと探してた。忘れられなかった。……もう、二度と見失いたくない。」
「好きだから、立ち直ってほしい。好きだから、ここで君を見捨てるなんて絶対にしない。」
「君がどんなに拒んでも、どれだけ僕を突き放しても、何度でも迎えに来る。」
「だから、僕の部屋へ来て。……お願いだ。もう一度、君と生きたい。」
あの日、公園で直哉が震えた声で叫んだ言葉が、今でもずっと耳に残っている。
嬉しかった。
例えそれが、俺を足止めするための演技やでまかせだったとしても。
こんな言葉で、四年前の気持ちへ戻される。
だから、学ばない馬鹿なんだ。
すぐにでも直哉が好きな気持ちが溢れてしまう。
垢切れて、かさつく指で、そっと直哉の柔らかそうな唇に触れる。
愛してる……いつも、こんな風に直哉の寝顔を眺めていた。
「えー、なおちゃん、寝ちゃった。」
てへっとでも言いそうな、わざとらしい笑みを麻里華は浮かべる。
ここはオカマバーだが、麻里華は昔から「心は女の子」だと公言している。
既にホルモン治療を始めていて、体つきも声も女性そのもの。
その分、時折女らしい強かさがにじむ。
「お前、アルコールが飲めないって言ったそばから、ハイボール飲ませる奴があるか?」
「えー、だって、色が同じでわからなかったんだもん。」
ぷくっと頬を膨らませ、やたら瞬きを繰り返す。
限りなく嘘くさい。……こういうところが俺は大嫌いだった。
思わず、深い溜息が漏れる。
「あらー、益江さんとまだイタリアンバーへ行く予定なのに。」
直哉を連れて来た店長と静華ママは別の店へ移動するらしい。
何も知らない直哉は、気持ち良さそうにソファーに横たえられ、スースー眠っている。
服装はもさいが、きりっとした綺麗な顔をしている。
くりんと睫毛も長い。
「やだー、かわいいっ」
年配のキャストたちは興味津々で、感嘆の声を漏らして通り過ぎる。
……このまま店内に……純真無垢丸出しの青年をここへ放置するのは危険だ。
「私が連れて帰ろっかなー。」
待っていましたと麻里華が名乗りを上げる。……いや、こいつに任せる方がよほど危ない。
「鶴華が連れて帰れば?あんた、ジャガ専だし。それに、部屋が一番近いしっ。」
静華ママの一言で、空気は決まった。
……ああ、いつものパターンだ。
冗談めかして軽く言うが、ママの判断はいつも的確だ。
結局、断る理由なんてどこにもない。
「えー、ってかジャガ専って何?」
悔しさ紛れで麻里華が絡んでくる。
「じゃがいもみたいな男が好きってこと。あー、高校球児とか、品川庄司の品川さんとか……。」
面白おかしく、笑いながら静華ママが答える。
いいだろ、人の好みのことは。
「何それ、ウケんね。」
馬鹿にしたように、アイツは指をさして笑ってきた。
マジで麻里華贔屓の客達にこの姿を見せてやりたい。
ママの決定は絶対だ。
この世界に入る際、そう教えられた。
だから、反論なんて最初から選択肢にない。
……やっぱり、こうなる。
そんな一悶着があって、結局俺が直哉を連れて帰ることになった。
ソファに沈んだ直哉は、瞼を半分だけ伏せ、意識が遠のくたびに肩へぐらりと凭れかかってきた。
その重さを支えながら顔を覗き込むと、掠れた声が漏れる。
「……つる、か……?」
名を呼ぶと同時に、再び力が抜けて沈み込んだ。
完全に寝入ったわけじゃない。
半分夢の中で、俺に縋っているんだ。
胸がちくりと痛む。
──この前『益江』で助けてもらった借りもある。
だから仕方ねぇ。
「……しゃーねぇな。」
吐き捨てるように呟き、肩を貸して立ち上がった。
直哉の体温がじんわりと腕へ移り、息苦しいほど近い。
歩きながらも、直哉は微かに呻き声を漏らし、俺の腕を掴んだ。
弱々しいその手が、酔っ払いの無防備さか、信頼の表れかはわからない。
ただ一つ言えるのは──。
俺の部屋まで無事に送り届けなきゃならないってことだけだった。
シャワーから上がると、ベッドで寝ていた直哉の身体がびくりと跳ねた。
「おー、起きた?」
思わず飛び起きると、全身を逆立てて警戒する子猫のようだった。
そりゃ、オカマバーで酔いつぶれて、お持ち帰りされたとあれば、警戒もするか……。
ってか、持って帰ったのが俺で、無事だったことに感謝してもらいたいくらいだ。
「昨日のこと、覚えている?」
半ば呆れ気味で口にすると案外、覚えていたらしい。
「……鶴華……さ……ん?」
「お、思い出してきた?麻里華がハイボールとジンジャエール間違えて渡したせいで、酔いつぶれたんだけど。大丈夫か?」
部屋の隅に置かれた、小さなレトロ冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出すと、ポイと投げた。
ペットポトルを両手で持って、コクコクと飲む仕草が同年代の男なのに、酷く幼く感じた。
「頭、痛くないか?それにしても、本当にグラス半分で酔っぱらうんだな。しかもハイボールなんかで。」
思わずその柔らかそうな髪に触れた。
その無防備さに絆されたのか、このくらい許されるだろうとゆっくり撫でると、恥じらうように耳が赤く染まる。
「『バーボン、ロックで。』とか、言いたかったですよ、僕も。実際は、一パーセントのチューハイ一缶で眠ってしまいます。」
「本当にハードボイルド引きずってる。」
これで、渋い大人の男を目指しているなんて、発想が可愛すぎる。
思わず零れた笑みに、安心したように直哉も微笑んだ。
彼の持つ、柔らかい雰囲気が広がる。
そんな中、耳障りな携帯のバイブ音が何度も響く。
俺が起こされたのも、しつこく何度も震える携帯のせいだ。
「今朝、八時ごろからずっと鳴ってる。」
「……はぁ……。」
重い溜息と共に、煩わしそうな沈んだ顔をする。
なんだ、この真面目くんもそんな顔をするんだ。
いつもの癖で、口寂しくて煙草に火を点けた。
甘い匂いと清涼感に、少しずつ頭が冴えてくる。
「誰から?彼女?」
誰からも好かれそうな柔らかい雰囲気で、見た目も悪くない。
真面目で、頭もいいらしい。
女の一人や二人いるよな。
「……お母さん。酷く過干渉で……。正直、参ってる。」
こいつもまた、順風満帆に見えているだけで悩みを抱えているんだな。
……真面目ちゃんも大変だ。
俺だったら、とっくに家を飛び出して連絡も絶ってる。
でも、こいつは絶対に逃げられない。
全部抱え込んで、勝手に擦り切れていくタイプだ。
「じゃ、俺んとこ来れば?」
軽い冗談のつもりだった。
なのに直哉は、迷いなく真剣に頷く。
……ほんと、不器用で危なっかしい。
弟分だ、弟分。そう思い込もうとする。
けれど胸の奥で、どうしようもなく痛む場所がある。
これは恋なんかじゃない。
絶対に違う。
そう言い聞かせても、直哉の柔らかい笑顔が焼き付いて離れない。
触れれば崩れてしまいそうで、怖くてたまらなかった。
ザラザラとした感情が広がって、切なく胸を締めつけた。
「心配すんなって。お前、俺のタイプじゃないから。」
想いとは裏腹な言葉が、口から零れた瞬間、胸の奥に小さな棘が刺さった。
「そ、そういうの、面と向かって言うなよ……。」
困惑と、少し傷ついた影が揺れる。
その表情が余計に痛くて、俺は自分の言葉を呪いたくなる。
「だってさ、そうじゃなきゃ怖いだろ?ほら、俺って顔もキャラもこうだし。……でも、気分転換したいときくらい、俺んち逃げてきていいよ。」
「……いいの?……本当に、来るよ……。」
ふっと、直哉の口元が緩む。
まるで警戒を解いた子どものような、無防備な笑み。
俺の胸を、強く突き刺す。
「おお、来い、来い。どうせ、寝るためだけの部屋だからさ。」
もう、やけくそだった。
喉に煙を流し込んだ瞬間、煙草はいつもより苦い。
まるで、その笑顔ごと呑み込んで誤魔化すように。
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