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第一章 女王とその奴隷
04.嗜好品
しおりを挟むその日の夜の館は憂鬱でした。
久しぶりの昼仕事で疲れていたのかもしれません。
「何か良いことがあったのか?」
「え?」
「今日の君は一段とノリノリだったからね。普段の冷静な君も女王らしくて好きだが、今日のように感情が走っているのも素晴らしい」
私は嬉しそうに口元をゆるめてそう話す奴隷の顎を片手で掴みました。そのまま睨み続ければ、怯んだようにヒュッと息を吸う音が聞こえます。
「奴隷の貴方が私を語らないで」
「あっ……すまない、すみません…つい、」
「私は貴方の友人ではないわ。恋人でもない。私のことを何も知らない貴方が、私を語る資格などないの」
「申し訳…ありません……!」
ひどい言動だと思いますか?
良いのです。この男たちはこうした一方的な叱責に興奮を覚える究極のマゾヒストですから。たとえ私が勢いで灰皿を投げ付けたとしても、その痛みを喜んで受け入れるはずです。
いそいそと帰り支度を済ませて部屋を出て行く男を見送りながら、私は今日あったことを考えていました。雇い主がロカルド・ミュンヘンであった衝撃はいまだに残っています。
一緒に働くという年老いたメイドは、残念ながら少し意地悪なタイプでした。彼女はロカルドが去って私と二人きりになるや否や「若い女は使えない」と言って溜め息を吐いたのです。
べつに若さに驕っていたりはしませんが、私はその老婆よりも自分が労働の成果を発揮できる自信がありました。私は下女として何年も働いてきたのです。両親が借金を残して蒸発し、病弱な弟を学校に入れるために死ぬ気で働いてきました。
高等教育を受けていない私は、学のない女と見做されます。本当は銀行や貿易業に興味がありますが、そもそも面接すら受ける資格がないのです。
面倒を見てきた弟も、去年のはじめに家を出て行きました。毎晩のように家を空ける私を不審に思ったのか、彼は私の後をつけて姉が夜な夜ないかがわしい店で働いているらしいと突き止めたのです。
べつに構いません。
弟を無事に高等教育まで受けさせることが私の目標でしたが、最後の学費の振込はもう既に済ませていましたから。あとは落第などせずに、粛々と勉学に励んでくれれば。
(…………気晴らしがしたいわ)
過去のことを考えると少しだけ気分が塞ぎます。
そうした暗い気持ちを紛らわせてくれるのは、タバコや酒ぐらいです。アルコールの神にあまり愛されていない私の嗜好品はもっぱらタバコでした。
夜にぷかぷかと吸った煙が翌朝まで残らないよう、洗濯や口臭には人一倍気をつけています。ヤニが歯に付かない吸い方も昔教わりましたが、教えてくれた同業者は真っ黄色の歯だったので、その情報の信憑性は疑わしいかもしれません。
部屋の明かりをつけて、鏡の前でニッと笑ってみます。
目立つ汚れはないので問題ないと言えるでしょう。
ぐるぐると目の周りを黒く囲った気の強そうな女が鏡の中でぼんやりとした顔をしています。明日にはこの女が床に跪いて雑巾を掛けるなんて、誰も信じないと思います。なにぶん二人しか居ないメイドなので、どうにか老婆に嫌われないようにする必要があるのですが。
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