【完結】婚約破棄された娼婦を隣国の王子が溺愛するなんて聞いたことがありません!

おのまとぺ

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第一章 娼館セレーネ編

03.娼館セレーネ



何分走ったのか分からないが、少し眠っている間に馬車は豪勢な屋敷の前で停まった。

王宮からアストロープ家への送迎で私の持ち金は底をついていたので、仕方なくトランクからシグノーに貰った銀皿を出して手渡した。銀の含有率を示す数値を確認して、納得したように御者は頷く。捨てずに持ってきて良かったと私は胸を撫で下ろした。

「管理人に働きたいと伝えろ。そうすれば入れるはずだ」
「ここはいったい何処ですか?随分郊外のようですが…」

見渡す限り、家はないし人も歩いていない。
それにも関わらず、大きな建物に取り付けられたすべての窓には明かりが灯っている。カーテンの向こうに揺れる影が、こちらを見ている気がしてゾッとした。

「行く場所がないんだろう?行き着く先には丁度いい」
「……どういう意味?」
「そのままの意味だ」

男は笑って、再び手綱を握る。走り出した馬車はすぐに暗闇に溶けて見えなくなった。

屋敷には門番らしき人間もおらず、黒い鉄格子の門は押したら音を立てながら開いた。ところどころに設置された照明を頼りに玄関まで辿り着き、呼び鈴を鳴らした。暫くすると長い髪を後ろで一つにひっつめた年老いた女が出て来た。不機嫌そうに私を見上げるので、慌てて事情を説明する。

「こんばんは。管理人さんですか?私は紹介されてこちらに来たのですが、働くことはできますか…?」

女はまったく愛想を振り撒く気はないようで、私に「付いてきな」と言い放つと踵を返して奥へ続く廊下の方へ歩みを進めた。身体から滴る水滴が床を汚さないか気にしながら、その後を追い掛ける。

屋敷の内部は小さな部屋で区切られているようだった。外から見た部屋の明るさに比べて、廊下はどんよりと薄暗い。

「名前は?」
「リゼッタです」
「年齢は?」
「……26歳になりました」

尋問のように矢継ぎ早に繰り出される質問に答える。

「ああそう。じゃあ性交の経験もあるね?」
「え、性交…?」
「性行為。うちは金額が高い分、禁止事項はないから。嫌だったら自分で嫌だと伝えておくれ」
「………もしかして、この場所って…」
「セレーネは完全会員制の娼館だよ」

驚いて思わず立ち止まってしまう。
女は私の方をチラリと振り返ると、そのまま止まらずに歩き続けた。ここまで来て断ったとしても私に帰る場所はない。婚約破棄を言い渡したシグノーの顔、絶縁を突き付けたアストロープ子爵夫妻の顔が浮かぶ。

苦い記憶が蘇り、また発作のように咳が出た。

「どこか悪いのかい?」
「……大丈夫です。薬はありますから」
「無理はするんじゃないよ」

今まで誰かにこんな風に言葉を掛けられたことがなくて、その気遣いは心を温かくした。まさか娼館に来て人の優しさに触れるなんて。

「さっそくだけど、うちはいつも人手不足なんだ。細かい説明に入る前にシャワーを浴びておいで」

濡れてぐっしょりした革製のトランクを荷物置き場のような部屋の端に置かせてもらい、小さな鍵を受け取った。シャワールームの場所を聞いて向かう。


◇◇◇


久しぶりの温かいお湯は、雨で冷え切った身体をじんわりと包み込んだ。

疲れの余りそのまま意識を失いそうになりながら、なんとかボディーソープで身体を洗う。シグノーは私を追い出す際に娼婦に弟子入りしろなんて言っていたけれど、まさかこんな形で現実になるとは思わなかった。

柔らかなタオルで身体の水気を拭う。
こんな色気のない姿で、果たして客が取れるのだろうか。

元居た部屋に戻ると、鏡面の前に置かれた椅子に若い女が座っていた。消えた老婆のことを考えながら、頭を下げる。

「貴女がリゼッタ?私はヴィラよ」
「……はじめまして」
「シャワーが終わったなら次はお化粧ね、座って」

ヴィラと名乗る女は椅子から立ち去り、その空いた席を指差して私を呼んだ。

「娼婦にとって顔は商売道具。しっかり作り込むわよ」
「よろしくお願いします、」

ヴィラの手は魔法のような素早さでクリームやパウダーを重ねていく。グリッターが輝くアイシャドウをグラデーションになるように瞼に乗せて、黒いアイラインを目尻に思いっきり跳ね上げた。

不安そうな色白の女は、鏡の中で強気な娼婦に変わっていく。

「………すごい…」
「こう見えて一応プロだからね」

ヴィラは鏡越しに人懐っこい笑みを浮かべた。

「聞いた話によると、もうすぐノアが来るみたいよ」
「……ノア?」
「ええ。ノアはうちのお得意様で良客なんだけど、ちょっと要注意人物なのよね」
「どうしてですか?」
「ノアは甘い言葉を多用するから、本気になった娼婦が娼館から逃げてしまうのよ。それで今まで何人辞めたか…」

困ったように眉毛を寄せるヴィラを見つめた。
ノアという男は色男なのだろうか。シグノー相手に人生を投げ出すほど本気になったことがない私には、愛する人を追い掛けてリスクを侵す気持ちが分からなかった。

ヴィラは私の頬にチークをはたいて「我ながら上出来ね」と呟いた。

「初日はないと思うけれど、例えノアの相手をすることになっても絶対に惚れちゃだめよ」

釘を刺すような強い口調に何度も頷く。
26年生きて来て、誰にも明け渡さなかったこの心がそう簡単に他人になびくとも考え難い。

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