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第一章 娼館セレーネ編
13.約束
しおりを挟むお湯が溜まったので、あたたかいお風呂に浸かる。
広いバスタブは大人二人が入っても縮こまる必要はなく、私はノアの脚に挟まれてその間に座っていた。時折彼の髪から落ちてくる雫が肩の上で跳ねる。
「……もっと早くリゼッタに出会いたかったな」
チャプンという音と共に湯が波を立てる。
ノアの意味するところが分からなくて、私は首を傾げた。
「ノア様は私が娼館で働き始めた日にいらっしゃった最初のお客様です。一番乗りですよ」
「うん、そうなんだけど…」
煮え切らない返事を残して彼は黙った。
私は口の下までお湯に浸けて、その気持ち良さに目を閉じる。ノアには悪いけれど、あまりハードなプレイを要求して来ない彼との時間は自分の身体にとっては休憩時間に近かった。お金のことを考えたら申し訳ないのだが。
ふよふよと湯に浮かぶノアの腕が私を抱き寄せる。
その肩に身を任せながら、ふと目をやると真新しい生傷がいくつか腕に見られた。大きなもので10センチほど切れている。
「……こちらは、どうされたのですか?」
「あ、それね。皿割った時に破片が飛んじゃって」
「痛そうですね」
皿を割ってこんな怪我をするだろうか?
まるでナイフで切られたような深さがある傷に、私は少し心配になった。ノアは底知れない恐ろしさがあるものの、いつも人を気遣う優しさを見せてくれる。もしも、彼が困難に立ち向かっているのなら何か力になりたい。
「ノア様…私は非力ですが、何か悩みなどあれば仰ってくださいね。一人で抱え込まないで」
「リゼッタは女神様みたいなことを言うね」
おかしそうに笑うから少し恥ずかしくなった。たしかに彼のことを大して知らない自分が力になりたいと思ったところで、たかが娼婦に出る幕はないだろう。大袈裟な心配をしてしまったことを反省する。
落ち込む私の背中にノアの息が掛かった。
「でも、嬉しいな。そんな優しさを見せてくれて」
「いつもお気遣い頂いていたので返したくて…」
「返さなくていいのに」
「え?」
振り向いた私の顔に手を添えて、ノアは半開きの口を塞いだ。深い口付けに頭がクラクラして、話していた内容なんてどうでも良くなってくる。この人はどうしてこんなに狡いことをするんだろう。
ノアは止めておけとヴィラは言うけれど、彼のこんな龍愛を受けながら逃げ続けるのはなかなかに難しい。特にその端麗な容姿は女を惑わせるには十分な武器になるから。
「来週、また来るよ」
「ありがとうございます」
「リゼッタ…会えない間も君のこと考えてる」
「………っ」
こんなことを言われてどうすれば平然を装えるのか、誰か教えてほしい。どろどろに溶けたチョコレートの中に沈められるようだ。甘い甘いノアの腕の中で私は自分を見失いそうになる。
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