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第一章 娼館セレーネ編
17.闇より深く【N side】
「……どういうことかな?」
娼館セレーネの入り口で管理人として居座るナターシャに問い掛けた。時刻は夜の8時を回ったところで、すでに先客が入っているのか天井からは時折小さな物音がする。
「言った通りだよ。リゼッタは暫く店に出ない」
「どうして?」
ナターシャは老眼鏡の奥で少し眉を顰めると、諦めたように溜め息を吐いた。
「乱暴されたんだよ。散々な有り様だった。客が帰って私が部屋に入ったら、あの子はベッドの上で泣いていた。両方の頬がすごく腫れていてね、右腕は骨折してるから2ヶ月は使いものにならない」
語られる内容はあまりに現実味がなくて、冗談かと思った。事実、話を聞いている自分は半笑いだったかもしれない。ナターシャは眼鏡を頭の上に上げて、眉間に手を当てた。彼女の口から「それは嘘だ」と告げられる時を今か今かと待つ。
「冗談みたいだろう?本当だよ」
「……なんで、」
「…………」
「管理人はその間何をしていた?そんな危険な客をなぜ店に上げたんだ!?」
「ノア、言い訳になるが私は守らなかったんじゃない…守れなかったんだ」
ナターシャは小さな背中を丸めて顔を背けた。
娼館セレーネに通い出してもう長い年月が経つが、こんな暴行を受けた娼婦の話など聞いたことがなかった。第一、そのような危険人物を中に入れないために会員制というシステム取っているのだ。新規会員には既存会員による紹介がないとなることが出来ない。その厳しい客選びこそが、この娼館の安全性を保っていると思っていたのに。
「その客の名前は?」
「……ノア、」
ナターシャは目を伏せて手を振った。
「このまま終わらせるわけにはいかない」
「止めておくれ。リゼッタは報復を望んでいない」
「俺が気に食わない」
「ノア、あんたの問題じゃないんだ」
分かってくれ、と言いながらナターシャはその鋭い目を向ける。平行線になってこれ以上進まない話に気持ちは苛立つ。彼女の言い分も分かる。娼館の客同士が揉めることは店にとっても良いことではないだろう。
しかし。
「ごめん、ナターシャ…こんな話はしたくないけど」
「……なんだい?」
「この娼館の月々の運営費の半額はイーゼンハイム家から出ている。そうだよね?」
「そうだけど…」
「俺が父親に掛け合ったらそれをゼロにすることも出来る」
「あんた……」
ナターシャは絶句した顔のまま「嫌な奴だ」と悪態をついた。もともとはイーゼンハイム家のメイドとして働いていた彼女にこの娼館の経営を任せたのは、何を隠そう自分の父親だ。
アルカディア王国が国外であるカルナボーン王国内に娼館を持つなど不可解な事実であるものの、情報収集には以外と役立っている。表向きはただの娼館であるため、カルナボーンの法律さえ遵守していれば問題はない。この王国の誰もが、郊外に立つ娼館のバックにイーゼンハイム家が絡んでいるとは思わないだろう。
「……戦争はよしてくれよ」
「平和的な交渉に持ち込むから、安心して」
「リゼッタが最後に取った客は…カルナボーンの第二王子だ。まったくどこで目を付けられたんだか」
「………そうか」
笑い出しそうになる口元を手で隠した。
なるほど、そちらが先に動いてくれるなら都合がいい。婚約破棄をしたと聞いていたから、てっきり彼女の人生から退場したと思っていたが、どうやらまだ未練があったようだ。
「ナターシャ、ありがとう。お陰で最高の気分だ」
目を丸くして見返す老婆の手に数枚の紙幣を握らせた。
これから訪れる展開を考えると血が騒ぐ。赤血の君、なんて馬鹿げた愛称を誰かが自分に付けたらしいが、それは案外当たっているかもしれない。
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