【完結】婚約破棄された娼婦を隣国の王子が溺愛するなんて聞いたことがありません!

おのまとぺ

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第一章 娼館セレーネ編

18.リゼッタとドライフラワー


利き手が使えない生活はかなり不便だった。

朝起きて、夜眠るまで折れた手首は痛み続けた。ギプスで固定された手首をいっそ切り落として別の痛みに変えたい。それぐらいそのズキズキした痛みは心をむしばんだ。

シグノーが去った後、部屋に入って来たナターシャはベッドの上で涙を流す私に何も聞かなかった。何故この娼婦は第二王子にこんな乱暴をされなければいけないのか、と不思議に思っただろうに。彼女はただ腫れ上がった私の顔と右手を見るや否や「医者を呼ぶ」と言った。そうして、ナターシャが呼んだ医者は私に二ヶ月間の安静を言い渡した。

二ヶ月も働けないなんて、店にとっては私はさぞかし邪魔者になるはずだ。しかし、ナターシャは何も私を咎めなかった。それどころか、利き手が使えない私を気遣ってか、温かいタオルで汚れた身体を拭いてくれた。彼女の優しさには感謝してもしきれない。

(そんな長い期間、何をしたら良いの……)

机の上に飾られたペチュニアの花を見る。
美しい花弁が何枚か机に落下していた。

壁には薔薇のドライフラワーが飾られていて、その柔らかな花は少しずつ茶色みを増している。写真が色褪せるように花たちもゆっくりと過去のものになろうとしていた。

骨が折れて医者に診てもらえて良かったこと、それは薬の追加が手に入ったことだ。なくなりそうだった飲み薬について話すと医者は2カ月分に足りる量を次の日持って来てくれた。これで暫くは心配もしなくて良さそうだ。咳止めの効果がある薬を口に含んで水で飲み込んだ。

枕元の目覚まし時計は朝10時を過ぎたところ。娼婦たちは各々の仕事を終えて、食堂で朝食を取ったり自分の部屋で自由な時間を過ごしている頃だろう。

骨折して数日間は食事もナターシャが部屋に運んで来てくれた。トレーが両手で持てない私はきっと食堂でまともに食事を摂ることが難しいと察しての対応だと思う。ヴィラにも長い間会っていない。こんなフグみたいな顔を見たら驚かせてしまいそうだ。理由を聞かれたら困るから、もう少し部屋に篭っていようか。

そんなことを考えていると、扉がノックされた。


「………ごめん、ナターシャから話を聞いて」

申し訳なさそうにそう言うヴィラは、私の頬やギプスで固定された腕を見て泣きそうな顔になった。慌てて、部屋の中に入るように伝えながら、お茶の準備をする。食堂に降りるのは大変だろうと、私はコーヒーや紅茶のパックをナターシャから受け取っていた。

「紅茶とコーヒーどっちがいい?」
「自分でするから…リゼッタは座ってて」

私の手からヴィラはカップを取り上げて、ベッドを指差すので大人しく従って淵に腰掛けた。飲み物が置けるように小さな机をその側まで引っ張って来る。

ヴィラは湯気が立つカップを二つ持って戻って来て、私に片方を手渡した。優しいダージリンの香りが広がる。

「聞いて良いか分からないけど…誰にされたの?」
「………、」

話して良いものか一瞬迷う。
加害者の名前を口にすることはつまり、私とシグノーの関係を明かすことに繋がる。しかし、ここに住む者は皆家族だと言ってくれた彼女を前に、いつまでも隠し通すことは失礼だとも感じた。

「……驚かないでほしいんだけど、私は元々カルナボーン王国第二王子の婚約者だったの」
「え、あの顎の長い…」

あまりにもストレートかつ悪意のない言葉に私は思わず笑ってしまう。

「そうよ。シグノー様は気に入っているようだから、そんな風に言っては失礼だけれど」
「あ、ごめんなさい。でもパレードなどで貴女の姿を見た覚えはないんだけれど…」
「一年という短い婚約期間だったし、私は身体が弱かったからあまり人前に出る機会がなくて」

やはり、一般市民への私の認知度はかなり低いようだ。ノアは王室事情に詳しいと言っていたけれど、彼はいったいどんなルートで私の情報を仕入れたのだろう。

ヴィラは神妙な面持ちでカップに指を添える。

「なるほど……それで貴女を探し出したのね。婚約を破棄したことが勿体なく思ったのかしら?」
「さあ…どうだろう、自分のために私が娼婦になったと思っているみたいだったけれど」
「え、どういう思考よ?」

話すことで少し心は軽くなって行く。ヴィラの軽快な反応は、私を励ますようで「大したことない」と勇気づけてくれるようだった。

「ねえ、ノア様は娼館に来た?」
「いいえ。私が化粧した娼婦の中に、彼の相手をするなんて子は居なかったわよ」
「……なら、よかった」

ノアも用事が入ったのかもしれない。さすがに二ヶ月も店に出ないとなると、別の女や娼館に鞍替えする可能性もある。そう考えただけで、心臓が握られたようにギュッとした。

手に持ったカップの中を覗き込むと、その底では僅かな茶葉の残りが粉として舞っていた。私はこのまま、もう二度とノアに会うことはないのだろうか。

「ヴィラ……なんだか変なの」
「どうしたの?」
「私、今はこんな顔だし何も出来ないのに、彼に会いたいと思ってる。折れた手首とか頬っぺたより、ずっと心が痛い」

おかしいわよね、と小さな声でこぼす私の身体をヴィラは抱き締める。その温もりはあまりに優しくて、私はせきを切ったように涙を流した。

ノアは沼、それは本当にその通り。


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