21 / 83
第一章 娼館セレーネ編
20.赤血の君【N side】
壁に掛かった大きな置き時計が夜の9時を報せた。
もうこの部屋に入って一時間が経とうとしている。そろそろ引き上げた方が良さそうだ。もたつく時間はないと分かってはいるものの、知っておきたい情報はまだあった。
「すみません、これは個人的な質問なんですが…」
シグノーは余程怯えているのか顔を上げない。
「リゼッタは婚約する前に交際していた殿方などいましたか?それとも貴方が初めて?」
「……彼女は僕以外の男を知らなかった。だから落ちぶれた家柄の病人でも需要があったんだ」
「そうですか。それは良かったです」
落ちぶれた家柄の病人、なるほどそれは否定できない事実だろう。調査書によると幼い年で実の両親を亡くした彼女を引き取ったアストロープ子爵は酒とギャンブルに金を注ぎ込む没落貴族だ。おおよそ玉の輿目当てで教育に投資したのだと思うが、金に化けるどころか返品された娘を見て大層落ち込んだはず。彼女が娼館に行き着いたということは、勢いで勘当でもされたのかもしれない。
今となっては、どうでも良いこと。
「じゃあ、やっぱり消えてください」
「………は?」
「男はよく女の初めてになりたがり、女は男の最後になりたがる…と言いますけど、彼女の最初は貴方なわけです」
「あんな女の処女に価値などあるものか!」
「貴方の童貞よりは何倍も価値があるでしょうね」
言いながらその粗末なモノを銃で押さえ付けると、撃たれると思ったのか悲鳴を上げて飛び上がった。
「元婚約者とか、最初の男とか要らないんです。僕は貴方と兄弟になる気はないですし、貴方の記憶の中に僕の知らない彼女が生き続けることも反吐が出るほど嫌です」
シグノーが死ぬとその記憶も消えてなくなる。死人が彼女を脅かすことはもう出来ない。美しいリゼッタの純潔を知っている男がこの世から消えるというのは、自分にとってこの上ないハッピーエンドだった。
しかし、如何せん時間がない。
このままノロノロとピロートークのようにシグノーに時間を費やしている場合ではないのだ。上着のポケットに入ったロープを手で確認した。シグノーの動きなら片手で封じることが出来るだろう。
「これは僕の恨みであって、リゼッタは関係ありません。どうか憎まないであげてくださいね」
手早くロープを巻くと一気に締め上げた。初めこそ必死で喉元を掻きむしっていたシグノーの指もやがて力が抜けて床に落ちる。先進国では絞殺の時にできる引っ掻き傷で自殺と他殺を見分けるなんて論文が発表されたらしいが、カルナボーン程度の王国でそこまでの確認が入るとは思い難い。彼の自死さえ仕立て上げれば、後はその最愛の義姉が自責の念に駆られて理由を語ってくれるだろう。
伸びた大きな身体をズルズルと引きずってロープの先をドアノブに括り付けた。
もう二度と目覚めないシグノー・ド・ルーシャの顔を見下ろす。なんてことないただの男。飛び出た顎以外は目立った特徴もない。
こんな男に彼女は見捨てられた。失意の中でやっと辿り着いた娼館にまでも亡霊のように追い掛けて来て、彼女を傷付けた。それだけで万死に値するだろう。
「感謝しています、シグノー王子。貴方が婚約を破棄してくれたお陰で僕はリゼッタを手に入れることができる」
微動だにしない亡骸に頭を下げた。
体裁のためか未だに左手の薬指に嵌められている指輪を抜き取る。開いた窓から投げ捨てると、それはすぐに暗闇に消えた。
あなたにおすすめの小説
異世界に逃げたシングルマザー経理は、定時退勤だけは譲れない
木風
恋愛
DV夫から一歳の娘を抱えて逃げた鈴木優子は、光に飲まれて異世界の王宮へ転移してしまう。
生きるために差し出した武器は簿記と経理経験――崩壊寸前の王宮会計を『複式簿記』で立て直すことに。
ただし譲れない条件はひとつ、「午後五時の定時退勤」。娘の迎えが最優先だからだ。
その姿勢に、なぜか若き国王ヴィクトルが毎日経理室へ通い始めて――仕事と子育ての先に、家族の形が芽吹いていく。
死ぬまでに叶えたい十の願い
木風
恋愛
「あなたを妻として、愛することはない。おそらく、生涯抱くこともないだろう」
三年間の白い結婚——捨て置かれた王太子妃エリアーナに、側妃が『死の呪い』をかけ余命一年を宣告する。
離縁を願うも拒否され、代わりに「死ぬまでに十の願いを叶えて」と契約する——
二人きりの外出、星空、海…ささやかな願いが王太子の心をほどいていく。
地味で役に立たないと言われて捨てられましたが、王弟殿下のお相手としては最適だったようです
阿里
恋愛
「君は地味で、将来の役に立たない」
そう言われ、幼なじみの婚約者にあっさり捨てられた侯爵令嬢の私。
社交界でも忘れ去られ、同情だけを向けられる日々の中、私は王宮の文官補佐として働き始める。
そこで出会ったのは、権力争いを嫌う変わり者の王弟殿下。
過去も噂も問わず、ただ仕事だけを見て評価してくれる彼の隣で、私は静かに居場所を見つけていく。
そして暴かれる不正。転落していく元婚約者。
「君が隣にいない宮廷は退屈だ」
これは、選ばれなかった私が、必要とされる私になる物語。
幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係
紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。
顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。
※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)
【完結】婚約破棄される前に察して距離を置いていたら、幼なじみの第三王子が本気になっていました〜義妹と元婚約者? もう過去の人です〜
井上 佳
恋愛
婚約者に裏切られた侯爵令嬢は、
嘆くことも、復讐に走ることもなかった。
彼女が選んだのは、沈黙と誇り。
だがその姿は、
密かに彼女を想い続けていた第三王子の心を動かす。
「私は、国よりも君を選ぶ」
婚約破棄、王位継承、外交圧力――
すべてを越えて選び取る、正統な幸福。
これは、
強く、静かな恋の物語。
2026/02/23 完結
ANGRAECUM-Genuine
清杉悠樹
恋愛
エマ・マクリーンは城で開催される新年の祝賀行事に参加することになった。
同時に舞踏会も開催されるその行事に、若い娘なら誰もが成人となって初めて参加するなら期待でわくわくするはずが、エマは失望と絶望しか感じていなかった。
何故なら父からは今日会わせる相手と結婚するように言われたからだ。
昔から父から愛情も受けた記憶が無ければ、母が亡くなり、継母が出来たが醜い子と言われ続け、本邸の離れに年老いた侍女と2人暮らしている。
そんな父からの突然の命令だったが背けるわけがなく、どんな相手だろうが受け入れてただ大人しくすることしか出来ない。
そんな祝賀行事で、運命を変える出会いが待っていた。魔法を扱う部署のマギ課室長レナート・シルヴィオと、その義妹、ホノカ・シルヴィオと出会って。
私、こんな幸せになってもいいんですか?
聖獣というもふもふが沢山出て来て、魔法もある世界です。最初は暗いですが、途中からはほのぼのとする予定です。最後はハッピーエンドです。
関連作品として、CLOVER-Genuine(注:R18指定)があります。
ANGRAECUM-Genuineは、CLOVER-Genuineのその後という感じの流れになっています。
出来ればCLOVER-Genuineを読んだ後にこちらを読んで頂いた方が分かり易いかと思います。
アルファポリス、小説家になろう、pixivに同時公開しています。
転生したら魔王のパートナーだったので、悪役令嬢にはなりません。
Y.ひまわり
恋愛
ある日、私は殺された。
歩道橋から突き落とされた瞬間、誰かによって手が差し伸べられる。
気づいたら、そこは異世界。これは、私が読んでいた小説の中だ。
私が転生したのは、悪役令嬢ベアトリーチェだった。
しかも、私が魔王を復活させる鍵らしい。
いやいや、私は悪役令嬢になるつもりはありませんからね!
悪役令嬢にならないように必死で努力するが、宮廷魔術師と組んだヒロイン聖女に色々と邪魔されて……。
魔王を倒すために、召喚された勇者はなんと転生前の私と関わりの深い人物だった。
やがて、どんどん気になってくる魔王の存在。前世に彼と私はどんな関係にあったのか。
そして、鍵とはいったいーー。
※毎日6時と20時に更新予定。全114話(番外編含む)
★小説家になろうでも掲載しています。