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第一章 娼館セレーネ編
24.リゼッタの旅立ち
「荷物をまとめな、旅行の時間だ」
ノアに言われたことを一通り部屋の中で復習していると勢いよく扉が開いて掃除機片手にナターシャが入って来た。
「え、旅行?」
「イーゼンハイムのお坊ちゃんがあんたを二ヶ月借りたいってさ。これだから金持ちは嫌いなんだ」
ブツブツ言いながらナターシャはコンセントに掃除機を差して、すごい勢いで床を掃除し始める。機械音で何も聞こえなくなってしまい会話にならないので、慌てて近寄ってナターシャの肩を叩いた。
明らかに不機嫌な顔をナターシャはこちらに向けた。
「あの、ノアが王族であることを知っていたのですか?」
「知ってるも何も私は元々ノーゼンハイムの屋敷で働いていたんだ。ノアが赤ん坊で尻が青かった時から知ってるよ」
「……そうなんですね」
「べつにあんたに隠していたわけじゃないが、客の職業なんかは娼婦に明かさない決まりでね。驚いたかい?」
「ええ、かなり……」
驚いたどころの騒ぎではない。
私は隣国の皇太子相手に娼婦として接待をしていたわけだ。知っていたら何か変わったのかと言われると困るが、もう少し言葉遣いなどは気を配れただろう。私にとってノアは良客であり、読めない心で甘い言葉を吐く底なし沼のような男だった。好意のような感情があったことは認めるけれど、それも今となってはどう扱えば良いか分からない。
「でも…良かったかもしれません」
「?」
「少し、ノア様のことを好きになってしまいそうで怖かったので。身分差があれば冷静に抑えることが出来ます」
「………あんた」
ナターシャが口を開きかけた時、またもや扉が開いて凄まじい形相のヴィラが入って来た。
「リゼッタ!貴女屋敷を出ていくの!?」
「え?」
「食堂でだべってたら、女の子が駆け込んで来てノアが来てるって言うからさ。玄関まで行って本人に会ったの。そしたらリゼッタを連れて行くって言われたわよ!」
「……あ、あの、それは…」
「二ヶ月アルカディア王国で療養するだけさ」
答えに窮する私の隣でナターシャが助け船を出した。
「療養?」
「リゼッタは身体が弱い。カルナボーン王国より進んだアルカディアでしか受けられない治療があるんだよ」
「どうしてノアが付き添うの?」
「ノアはアルカディア王国の第一王子だ」
「………は?」
ヴィラの反応は正しい。私も絶句すると思う。
今まで足繁く娼館に通ってくれていた若い男が実は王族でした、なんて冗談にしても面白くない。もっと現実的な設定で冗談を飛ばしてくれと怒られるだろう。蟻地獄の話で射精した老人と同レベルで有り得ない話なのだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ!王子?」
「周りに広めるんじゃないよ。ヴィラ、あんたの口の軽さは知ってるけどこれは御法度だ。分かったね?」
「……ええ、気を付けるけど」
好奇心を隠さずブンブンと見えない尻尾を振るヴィラは、ナターシャからの追加の情報を待っているようだった。それに気付かないフリをしてナターシャは再度掃除機のスイッチを押そうとする。
「え、もう終わり?」
「終わりも何もこれ以上ないよ。リゼッタは今から荷造りをしなきゃいけないんだ。私はこの部屋を掃除して次の娼婦に貸せる状態にしないと」
二人のやり取りを聞きながら、急いで荷物を掻き集めてトランクに詰めた。もう使わないと思っていた革製のトランクは、シグノーに嫁入りする時に義両親が買い与えてくれたものだった。
荷物と言っても、そんなに物が増えたわけではないので必需品の薬類と、もともと持って来ていた数冊の本を詰め込んで蓋を閉めた。
「ヴィラ、このメイク道具ありがとう。助かったわ」
シグノーの屋敷に居た時はお化粧担当の者が付いていたため、自分の化粧品は持ち合わせていなかった。借りていた化粧ポーチを渡すとヴィラは手で押し返す。
「たくさん持ってるからあげる。アルカディアに行っても、新しいものを買うまで必要でしょう?」
「……ありがとう。とても助かるわ」
「二ヶ月したら帰るのよね?お土産はアルカディアの煙草と新しいブラシでお願い」
「ふふ、探してみるわね」
笑い合う私とヴィラに向かって、ナターシャが後ろから「思いっきり高いのをノアに強請ってやんな」と言うものだから、しばらく三人で土産物の話に花を咲かせた。
家族とはこんな感じなのだろうか。義両親とはあまりこういう自然体で話したことはないから、分からない。実の両親の記憶もないけれど、もしかすると生きていたら笑い合って話すこともたくさんあったのかもしれない。
「リゼッタ、大好きよ。貴女が帰るの待ってるから」
「気張って来な。ノアに舐められんじゃないよ!」
ヴィラの愛、ナターシャの叱咤激励を受けて私は部屋を出る。私をアルカディアへと連れ出してくれる、ノアの元へと向かうために。
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