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第二章 アルカディア王国編
34.曇天から奪った
しおりを挟むてんやわんやで始まったダブルデートは、夕方には終わりを迎えた。それぞれの家に帰って行くアリスとウィリアムを宮殿の入り口で見送る。
「また近いうちに来るわね、ノア」
「暫くは大人しくしていてくれ」
車の窓を開けて手を振るアリスの頭をノアが撫でる。年が近い二人だからか、その距離感は従妹の枠を超えているようにも見えた。
娼館でも周知の事実のように扱われていたけれど、やはりノアは皆にああいった優しさを見せるのだ。頭をポンポンされたり、少し耳元で甘い言葉を囁かれたぐらいで本気にして、その一挙手一投足にドキドキするようでは身体が持たない。
「ウィリアムさんもお気を付けて」
楽しそうな二人を見るのも辛いので、車に乗り込もうとするウィリアムに手を振った。彼が手を振り返すことはなかったけれど、少し頭を下げてくれたから前よりは好感度も人並みに回復したかもしれない。そう考えて前向きな気分になっていると、ウィリアムは私の袖を引っ張った。
「どうされましたか?」
「…手首の怪我は包帯を巻き直す必要がある。処置するから明日ノアと一緒に来い」
それだけ言うと早々と車に乗り込んでしまうから、思わずポカンとしてしまう。未だにギプスで固定した怪我については国王夫妻はもちろん、アリスからも問い掛けられたが、それが手首の怪我だと言い当てたのはウィリアムが初めてだった。案外、彼は人のことをよく見ているのかもしれない。
やがて、最後まで名残惜しそうに話していたアリスも宮殿を去ってノアと二人だけになる。買った服を部屋まで運ぶという運転手の申し出を断って、ノアは大きな袋を自分の両手で抱えると、私に付いてくるよう指示を出した。
今日の彼は終始、穏やかな笑みを湛えている。
ノアは両手が塞がっているからか、自分の部屋の扉を身体で押し開けた。その後に続いて部屋へ入る。大きなベッドに目が行ってしまい、慌てて顔を背けた。
床に買い物袋を置いたノアが私の方を振り返った。その笑顔は先ほどアリスやウィリアムの前で見せていたものよりもやや凄みがあって、私は息を呑む。
「今日はずっとウィリアムと一緒だったね」
「……ノアはアリスさんに付きっ切りだったので」
ノアの人差し指が私の唇に触れて、その上を滑った。
「リゼッタ、骨折した箇所はまだ痛む?」
「まだ少し痛みますが、だいぶ回復は…」
「少し無理をさせても良い?」
「……え?」
聞き返す私の身体を抱き上げて、広々としたベッドの上に転がした。訳が分からず硬直しそうになったが、慌てて上半身を起こす。
彼はいったい何をしようと言うのか。表情から感情は読み取れなくて、私は困ってしまう。ノアの場合、喜怒哀楽の基本感情のうち、ほとんど喜と楽しか私の前では見せないので、残りの感情が出た場合の対処方法が分からない。
「……ノア…?」
私を見つめる赤い瞳が揺れた。
「ごめん、自分でも結構驚いてるんだけど」
「?」
「俺やっぱり相当君に惚れ込んでる」
「……っ冗談、」
「冗談であって欲しい?」
その顔が悲しそうに少し歪んだ。
私は何と答えるべきか分からず、目を見開いてノアを見守る。この寸劇の終着地点はどこなのか。
「少しでも他の男と話してると気が散る。状況故に仕方なかったけど、君はウィリアムに笑顔を向けすぎだ」
「そんなの、ノアだってアリスさんに…」
「俺はアリスのこと何とも思ってないよ。でも、リゼッタは違うでしょう?俺の好意を受け取れない君は、ウィリアムを好きになってもおかしくない」
「………好意?」
ノアは何を言っているんだろう。恋人になりたいなんて嘘だって言ったのに。手の平で、彼の言葉を受けて、思うようにあたふたする私を見て楽しみたいのかもしれない。
それとも、偽りの恋人ごっこを現実と混同している?
「ねえ、リゼッタ。振りでも良いから受け入れて」
「………何を言ってるの…?」
「今だけは俺のこと愛してほしい」
真剣な顔で言うから、私は断るタイミングを見失ってしまう。ノアの手が私の肩を押して身体がシーツに沈む。ベッドのスプリングは二人分の体重を受けて少し軋んだ。
窓の外では、日中、あんなに晴れていた空に雲が立ち込めて雨を降らしていた。もう自分でもどこに隠したか分からない本当の気持ちを探すのを諦めて、私はノアと唇を重ねる。
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