【完結】婚約破棄された娼婦を隣国の王子が溺愛するなんて聞いたことがありません!

おのまとぺ

文字の大きさ
48 / 83
第二章 アルカディア王国編

46.本当の本当


ウィリアムが部屋を去った後、私は昨日の眠気もあって横になったら眠ってしまった。少しの昼寝のはずが、目覚めると外はもう真っ暗になっていて焦る。

床に散乱していたランプの破片は片付けられ、切れた手の平には包帯が巻かれていた。右手も左手も包帯だらけで、まるでミイラ人間のようだと思う。

シグノーの亡霊を見た。
薄暗い廊下に立ち、こちらを見つめる暗闇のような目を今でも覚えている。忘れるな、と書かれた文字は警告のようでもあった。お前だけ幸せになることなど許さないと。


「………リゼッタ?」

考え込んでいた頭に声が降ってくる。少し開いた扉の向こうに、水とタオルを持ってノアが立って居た。

「もう狩りから戻られたのですね」
「うん。ウィリアムに話を聞いて…驚いた」
「すみません、」
「謝らないで」

呟くように溢した謝罪の言葉に被せるように、ノアはきつい口調で言った。驚いて固まる私の手に大きな手が重なる。巻かれた包帯の上から握られると、切れた傷口が痛んだ。

思わず顔をしかめてノアの方を見る。動いていないと人形のようにも見えるその赤い瞳は、ずっと私の手元を見つめたままだ。瞬きすらしないから時間が止まったのかと思っていたが、やがて重たい口を開いてノアは話し始めた。

「……どうか、謝らないでほしい。これはすべて俺の責任で、リゼッタは何も悪くない」
「ノアの責任ではありません」
「いや、責任はあるんだ。君を連れ出す時にナターシャに誓った、無理はさせないし大切にすると。でも実際は見ての通り、無理をさせている上に危険に晒してる」

握られた手に力が入って包帯に少し血が滲んだ。
引っ込めようと腕を引きたいのに、ノアの力は強くて動かない。仕方がないので「痛いです」と伝えると、ハッとしたように謝られた。ようやく解放された手を膝の上に置く。

ノアが言うには、部屋にあった落書きはアリスとその友人であるロビンソンの仕業らしい。彼女曰く「ほんのイタズラのつもりだった」そうで、私が見たシグノーの幽霊はロビンソンの知り合いがカルナボーン王国の土産屋で昔購入したものを拝借したのだと説明を受ける。

なるほどそうですか、とサラッと流せるほど私は出来た人間ではなかった。「どうしてそんなことを!」と怒っても良いし、貴方の従妹は頭がおかしいと責める権利も自分にはあると思う。だけれど、結局のところアリスが放った「どうしてノアの隣に居るのか?」という質問に対して、本心を答えることが出来ない私がそんな対応を取れるはずもない。

自分でも嫌になるような、情けない笑顔を浮かべて私は曖昧に頷いた。だって、笑うしかない。怒ることも泣くことも出来ない愚かな人間は、取り繕って平気な振りををすることでしか自分を保てない。

「……そんな顔をさせたいわけじゃない」

掠れた声で悲痛な表情のノアが呟く。

いつの日か、まだ私が娼館に居た頃、彼の冗談に笑った私に対してノアは「愛想笑いよりもそっちの方が良い」と言ってくれた。自分にとって都合の悪い話、避けたい話を誤魔化すように笑っていた私は、心を見透かされたようで怖かった。

「笑うしかないんです…」

絞り出した弱音を聞いてノアが顔を上げる。

「本当のことなんて言えない…貴方相手に言えるはずがない。だって貴女はアルカディアの王子だから」
「リゼッタ、そんなこと関係ないよ」
「関係あります。この国に来て、ノアはお客さんじゃなくてアルカディアの王族になりました。私は貴方に指名された娼婦じゃなくて、婚約破棄された惨めな女という現実と嫌でも向き合うことになった…!」
「………、」

話しながらボロボロと涙が溢れて来た。
それらはずっと自分が蓋をしていた感情で、押し込んで、押し込んで、誰からも見えないように隠したつもりだった。

「どうして恋人なんて嘘を吐いたんですか?そんな風に紹介したら、みんな私に注目します。どんな人間なのか興味を持って、私の後ろに貼り付いた忘れたい過去に焦点が当たる」
「……ごめん、浅はかだった」
「謝罪なんて要らない…だからもう自由にして、馬鹿みたいな虚偽の関係で私を縛り付けないでください!」

言ってしまった。
ぐしゃぐしゃになった顔を手で覆う。

成長を続ける豊かな経済を誇るアルカディア王国、その第一王子であるノアは国を継承する立場にある。彼にとっては遊べる女なんて星の数ほど居るのだろう。だけれど、私にとってノアはただ一人。

26年間誰にも渡さなかった心を、ここまで揺さぶって、揚げ句の果てには破滅させてしまいかねない相手は、最悪なことに隣国の王子だった。

最初で最後の初恋が終わろうとしている。

「ノア、貴方のことが好きだった」

出来るだけ綺麗に、未練を残さないようにスッキリと。出来ているか分からないけれど清々しい表情を意識して、暗くなった窓の外を見ながら言葉を続けた。

「偽物でも何でも、恋人として隣に居られて嬉しかった。貴方が言ってくれた甘い言葉も、全部が嘘だとしても…それでもどうしようもなく幸せでした」

反対側から見たら、それを人は不幸だと言うのだろう。私自身、気が狂いそうな幸せと不幸せを行き来しながらノアの隣に居た。彼の立場を思って身を引かなければと思う一方で、愛されていると錯覚している間は泣きたいぐらい幸せだった。

さよならをしたらどうか、幸せな記憶だけ残りますように。

「……本当に?」

ノアの声が空気を震わせた。
絶対に今、彼の瞳を見るべきではないと分かっている。強い決心は鈍ってしまいそうで私はギュッと目を閉じた。

「リゼッタ、こっちを見て」
「……嫌です」
「お願いだから、」

ひやりとした手が頬を包んで、私は恐る恐る目を開く。ノアの赤い瞳とまともに絡まった視線はもう自分の意思で外せそうになかった。

「その言葉は信じて良いの?」
「……ノア、」
「前に言ってたよね?何のために生きているか分からないって」
「はい…そうお伝えしました」
「リゼッタ、俺は君を必要としている。君が望むなら王位だって放棄するし、べつにアルカディアを出ても良い」
「何を無茶なことを…!」

抗議のために立ち上がろうとした私の手をノアが引いた。


「だから、俺のために生きて。君の残りの人生が全部ほしい。リゼッタが生きるただ一つの理由になりたいから」

真正面から私を見据えるノアの顔は真剣で、笑い飛ばすことなんて出来ない。

どうかしている。婚約破棄された挙句に娼婦になった女に愛を誓うなんて、彼は王族としての自覚が欠けている。どうしてそこまで本気になれるのか。

ノアの愛は一途と言うには歪で、その手を取ったら私はもう戻れないと分かっていた。


感想 13

あなたにおすすめの小説

すみっこ婚約破棄同盟〜王子様による婚約破棄のすみっこで〜

まりー
恋愛
   ある夜会で王子とその側近達の婚約破棄が行われた。腕に恋人をぶら下げて。所謂、王道断罪劇である。  でもこのお話の主役は麗しのヒロインでも、キラキラ王子でも、学園一の秀才や騎士団期待のホープでもない。これは王道のすみっこで行われた、弱小貴族と商人の子息たちの婚約破棄のお話である。 _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ 「もう俺ら、恋なんてしない!」と言う小学生の息子の話を参考に書きました。登場人物の男子たちの頭は小学生レベルだと思って読んでください。    

死ぬまでに叶えたい十の願い

木風
恋愛
「あなたを妻として、愛することはない。おそらく、生涯抱くこともないだろう」 三年間の白い結婚——捨て置かれた王太子妃エリアーナに、側妃が『死の呪い』をかけ余命一年を宣告する。 離縁を願うも拒否され、代わりに「死ぬまでに十の願いを叶えて」と契約する—— 二人きりの外出、星空、海…ささやかな願いが王太子の心をほどいていく。

地味で役に立たないと言われて捨てられましたが、王弟殿下のお相手としては最適だったようです

阿里
恋愛
「君は地味で、将来の役に立たない」 そう言われ、幼なじみの婚約者にあっさり捨てられた侯爵令嬢の私。 社交界でも忘れ去られ、同情だけを向けられる日々の中、私は王宮の文官補佐として働き始める。 そこで出会ったのは、権力争いを嫌う変わり者の王弟殿下。 過去も噂も問わず、ただ仕事だけを見て評価してくれる彼の隣で、私は静かに居場所を見つけていく。 そして暴かれる不正。転落していく元婚約者。 「君が隣にいない宮廷は退屈だ」 これは、選ばれなかった私が、必要とされる私になる物語。

【完結】婚約破棄される前に察して距離を置いていたら、幼なじみの第三王子が本気になっていました〜義妹と元婚約者? もう過去の人です〜

井上 佳
恋愛
婚約者に裏切られた侯爵令嬢は、 嘆くことも、復讐に走ることもなかった。 彼女が選んだのは、沈黙と誇り。 だがその姿は、 密かに彼女を想い続けていた第三王子の心を動かす。 「私は、国よりも君を選ぶ」 婚約破棄、王位継承、外交圧力―― すべてを越えて選び取る、正統な幸福。 これは、 強く、静かな恋の物語。 2026/02/23 完結

異世界に逃げたシングルマザー経理は、定時退勤だけは譲れない

木風
恋愛
DV夫から一歳の娘を抱えて逃げた鈴木優子は、光に飲まれて異世界の王宮へ転移してしまう。 生きるために差し出した武器は簿記と経理経験――崩壊寸前の王宮会計を『複式簿記』で立て直すことに。 ただし譲れない条件はひとつ、「午後五時の定時退勤」。娘の迎えが最優先だからだ。 その姿勢に、なぜか若き国王ヴィクトルが毎日経理室へ通い始めて――仕事と子育ての先に、家族の形が芽吹いていく。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

転生したら魔王のパートナーだったので、悪役令嬢にはなりません。

Y.ひまわり
恋愛
ある日、私は殺された。 歩道橋から突き落とされた瞬間、誰かによって手が差し伸べられる。 気づいたら、そこは異世界。これは、私が読んでいた小説の中だ。 私が転生したのは、悪役令嬢ベアトリーチェだった。 しかも、私が魔王を復活させる鍵らしい。 いやいや、私は悪役令嬢になるつもりはありませんからね! 悪役令嬢にならないように必死で努力するが、宮廷魔術師と組んだヒロイン聖女に色々と邪魔されて……。 魔王を倒すために、召喚された勇者はなんと転生前の私と関わりの深い人物だった。 やがて、どんどん気になってくる魔王の存在。前世に彼と私はどんな関係にあったのか。 そして、鍵とはいったいーー。 ※毎日6時と20時に更新予定。全114話(番外編含む) ★小説家になろうでも掲載しています。

ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように

柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」 笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。 夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。 幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。 王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。