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第三章 氷の渓谷編

65.オリオンが語ること【N side】

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日がまだ昇っていないせいか、宮殿内は薄暗く冷たい空気で満たされていた。

氷の渓谷についての情報は集められる限り集めたが、果たしてそれらがどれだけ役に立つかは分からない。そもそもルネの適当な言葉に騙されている可能性もあるし、出向いていったら罠を張って待っているかもしれない。それでも、出向いた先に本当にリゼッタが居るのであれば、その罠には掛かるだけの価値がある。

荷造りを終えて息を吐いたところで、部屋のドアがノックされた。驚いて振り返ると、いつもの半裸ではなく珍しく戦争にでも赴くような武装をした父オリオンが立っていた。

「……次は猪でも狩りに行かれるのですか?」

軽い調子で問い掛けると、オリオンはその言葉を無視して近付いて来る。月明かりに照らされた顔は怒りと悲しみが混じった複雑な表情をしていた。

「ノア、お前が何をしようとしているかは分かる」

差し出されたのは幾つかの白い封筒。なるほど、自分が発見するよりも前にオリオン自身もその内容を認識していたらしい。

「隣国の娼婦を王室に迎え入れようというのか?」
「だとしたら、どうします?」
「……お前を殴ってでも止めさせる」
「それぐらいでは無理ですね。僕はリゼッタと共に生きることが出来ないなら、王位継承権を放棄します」
「何だと…!」

オリオンのこめかみに血管が浮き出るのが見て取れた。この温和な国王にも彼なりの価値観があるらしい。

わざわざそんな忠告をするために、早朝から息子の部屋に現れたのだろうか。服装からすると本当に決闘でもしようとしていたようだ。

「その手紙を送って来たのは、おそらくルネです」
「何?ルネが生きているのか!?」
「ナターシャが見たと言っていました」
「……ナターシャ?」

久しぶりに聞く、かつてメイドだった老婆の姿をオリオンは頭の中で思い出そうとしている。待つだけ無駄だと考えて話を続けることにした。

「貴方がカルナボーンで娼館の管理を任せている元使用人のナターシャですよ。リゼッタは隣国で婚約を破棄された挙句、義両親にも見捨てられて娼館に辿り着きました」

ハッとしたようにオリオンが顔を上げる。

「真面目に働いていたようですが、元婚約者である第二王子が娼館まで追って来て暴行を受けた。それで見ての通り、怪我を負っていたわけです」
「しかし、シグノー第二王子は…」
「ええ。死にましたね、自業自得でしょう」
「……ノア、まさかお前は…」

青い顔で問い掛ける父親の目を見据える。
それだけで、十分に伝わったようだった。

「ルネがリゼッタを連れ去りました。彼らは氷の渓谷に居るはずです」
「氷の渓谷?」
「覚えていますか?ルネが出て行った時のことを」
「…忘れることが出来たらどんなに良いだろうな」

苦い顔で目を逸らすオリオンを見つめた。

実の息子に命を狙われるという経験は、彼にとっても忘れ難い思い出となっているようだ。何も考えていないようなこの明るい国王がそんな過去を抱えているなんて、いったい誰が想像できるだろう。

「魔女や魔法なんて現実的ではないものを信じたくはないですが、リゼッタが居るなら僕は行きます」
「………ノア、」
「止めないでください。貴方と争いたくない」
「分かった…しかし、もしも魔女に、ジゼルに会えたら伝えてくれないか?」
「ジゼル?」
「悪かったと。誤解を解けなかったことを今でも後悔していると……」

悲痛な顔で話す父親の声に耳を傾けながら、窓の外に浮かぶ大きな月を見た。

双子なんてものが同じ感覚を共有できるのは、おそらく腹の中だけであると思っていたが、高揚するようなこの気持ちをルネも今感じているのだろうか。


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