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第三章 氷の渓谷編
75.ルネの選択
上空を見上げると、反り立つ断崖の間に僅かに光が見えた。こんな距離を一瞬に移動できるほどの力がまだ指輪に残っているのか心配になる。
見上げたノアの口元はきつく結ばれていて、彼の怪我が尋常ではない痛みを伴っていることが分かった。嫌でも目に入るのは足元に広がる赤い血。
「僕は一緒に行けない」
その右手から指輪を外してルネは呟くように言った。
「まだ十年も前のことを気にしてんのか?」
「そういう訳じゃない。ただ、ジゼルを置いて行けない」
「……正気か、お前騙されてたんだぞ?」
「例えジゼルが僕に幻想を見せていたとしても、何も持たずに王宮を出た僕を受け入れてくれたのは彼女だけだったから」
恩がある、と続けながらルネは今も建物が倒壊する音が響く魔女の屋敷の方を振り返った。
ノアは短い息を繰り返しながら頷く。赤い石が飾られた指輪はルネからノアの手へと渡った。「右手で空気に触れることで空間を移動することができる」というルネの説明を元に、ノアは目を閉じる。顔を見合わせながら、私とウィリアムもノアの腕に捕まった。
強い力で引っ張られるような感覚が身体を包んで、目を開けるとそこはもう白い雪が積もった山の上だった。
「……信じられない」
背後で呟くウィリアムの声を聞きながら、ノアに目を向けると青い顔で片足を突いていた。点々と雪の上に赤い染みが広がって行く様子を見て目を見張る。
「ノア…!?」
「大丈夫だよ、驚かなくて良いから」
「待って、ウィリアム!ノアの状態を診て、」
近寄って来たウィリアムがノアの服を捲り上げる。ノアが咳き込むと口から赤黒い血が流れ出た。その色は明らかに彼が異常事態であるということを示唆していた。
「どうして…指輪は?魔法は効かないの?」
ノアの指に嵌った指輪を握って、血が止まるように念じるも全く効果は見られない。ナイフを抜かない方が良いのか、それとも抜くべきなのかすら分からずに私はただ狼狽えてウィリアムの顔を見上げた。
「おそらく刃先が胃に到達している。胃の中に血液が溜まっているから吐血したんだ。俺がノアを背負うから君は先を歩いてくれ、この先に小さな村がある」
頷いて、吹雪く白い山の上をウィリアムの指す方角へ向かって歩き出した。ウィリアムとノアを振り返ると、彼らの後ろには赤い血の跡が続いていてゾッとする。
もし助からなかったら?
そんなことを一瞬でも考えて、大きく頭を振った。
(大丈夫…ノアならきっと大丈夫…)
自分でも何の根拠もないと分かっていても、言い聞かせるように祈り続ける。こんなところで彼が終わるわけがない。きっとノアのことだから、いつものようにへらりと笑って「少し疲れただけ」だと言ってくれる。心配しないでと抱き締めてくれる、だから大丈夫。
「リゼッタ、少し待ってくれ!」
ウィリアムの声がして私は後ろを向いた。
気付くと彼らと大きく距離が開いていて、慌てて戻る。
「ノアが…君に伝えたいことがあると」
「どうしたの?ノア、もうすぐ村に着くから…!」
我慢していたのに、握った手があまりにも冷たくて涙が溢れた。これはきっと寒さのせいだ。ノアの顔色が悪いのはきっと疲れているから。普段は軽口が多い彼が無口になっているのも全部、きっと何か他の理由があるに決まってる。
「ノア、何か喋って…お願い、」
「……聞いて、リゼッタ。ウィリアムはナイトなんだ…きっと君のことを守ってくれる」
「そんなこと言わないで、貴方が…ノアが私の生きる理由になるって言ったじゃない!約束したでしょう…?」
溢れる涙を掬い上げたノアの指先は冷え切っていた。
「リゼッタ、魔法を掛けてよ。最後は君からキスして」
病人のような白い顔で目を閉じる。嗚咽を漏らしながら、縋るようにノアの顔を包んだ。手が震えて、指先の感覚が分からない。最後なわけがない、そう思っているのに重ねた唇は微動だにしなくて、人形のように動かなくなったノアを抱き締めて私は泣いた。
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