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第四章 二つの卵と夢
70 オリアナ
「………完全に迷ったわ」
右を向いて左を向く。
どちらにも白く長い廊下が続くだけで、廊下には等間隔に扉が並んでいる。いったいここは何処、ただ開演前にお手洗いに行きたかっただけなのに。
さすがにドアを開けるわけにはいかず、とりあえず右側の道に足を踏み出してみる。上階の洗面所が混んでいたから地下一階に降りたことは覚えているけれど、まさか迷ってしまうとは。
(早く戻らないと心配させちゃう)
ハインツは今頃どうしたのかと思っていることだろう。せっかく誘ってくれた友人を待たせたままで道草を食っている場合ではない。とりあえず階段を見つけて上に上がらないと。
しかし、コレットが焦れば焦るほど、帰り道は分からなくなるようで。途方に暮れて立ち止まった瞬間、近くにあった扉の一つが内側から押し開かれた。
「うわぁっ!」
突然のことに間抜けな声が溢れ落ちる。
コレットは床に尻餅を着いた。
「あら、ごめんなさい。外に人が居ると思わなかったの。驚かせちゃったことは謝るわ、怪我はない?」
鈴の音のような耳障りの良い声はそう言って、細い腕がコレットの方へと伸びて来た。驚いて顔を上げる。そしてそのまま、コレットは固まった。
艶やかなプラチナブロンドの長い髪。
華奢な身体を覆う天使のような白いドレス。
「おっ、おり、オリアナさん……!」
「しー、静かにしないと!」
オリアナ・デ・ロサは人差し指を唇に付けて小さく微笑む。すべての所作が物語のヒロインみたいに可憐で目が離せない。弧を描く鮮やかなピンク色の唇に同性ながらドキドキした。スカートを叩いて立ち上がりながら、深呼吸を繰り返す。
初めて目にする大女優は、それはそれは美しかった。圧倒的な存在感。絶対的な主役の雰囲気。もしも病人が彼女を見れば、天国からの迎えだと見紛うぐらいには。
「すみません、道に迷ってしまって……」
「そうなのね。一般の観覧席なら、突き当たりの階段を登れば行けるはずよ。今日は家族が観に来てるから、私も気合いを入れないと!」
「あ、あの……!」
コレットは咄嗟に口を開いた。
「オリアナさんのお子さんたち……エドムくんとジェイクくんは実は私のクラスなんです!申し遅れましたが、私、プリンシパル王立魔法学校で教師をしているコレット・クラインです……!」
「まぁ……!」
オリアナは驚いたように目を見開く。
碧色の双眼が光を反射してキラキラと輝いた。
緊張して身構えるコレットの前で、オリアナはゆったりとした動作で両腕を広げる。そして息を吐く間も無く、その二本の腕はコレットを抱き締めた。芳しい花の香りに包み込まれる。
「………!」
ドッドッと高鳴る心臓の音が聞こえるのではないかと心配する傍らで、オリアナは尚もぎゅっと腕の力を強めた。初対面の人間を迷うことなく抱くことが出来るのは、きっと彼女の人柄なのだろう。
「感謝しているの」
「え?」
オリアナの表情はコレットには見えない。
ただ、静かな廊下に美しい声が響く。
「あの子たち、最近は自分たちで起きて学校へ行ってるんですって。今まではサボったり途中で帰って来たりすることが多いって聞いてたから、嬉しいのよ。楽しんでるんじゃないかって、思ってる」
「………そうだと嬉しいです」
「仕事柄、二人には寂しい思いをさせてきたわ。一週間まともに顔を見ないなんて当たり前で……」
「………、」
コレットは頭の中でデ・ロサ伯爵家の双子のことを思い浮かべる。やや斜に構えた態度、年齢にそぐわない背伸びした口ぶりは、もしかするとそういった家庭での寂しさの反動かもしれない。
だけれど、二人だって変わりつつある。
かつてノエルと歪み合っていたアストロが良い変化を遂げたように、双子も何かを乗り越えようとしているのだとコレットは期待していた。
「きっと……楽しんでると思います。彼らなりに考えて、自分たちの力で成長しながら、」
「そう。知らない間に子供って大きくなっていくのね…… 私の場合は、知ろうとしなかっただけかもしれないけれど」
「………?」
後悔するようなオリアナの言葉にコレットが首を傾げた瞬間、部屋の中からカツカツと高い音が近付いて来て、黒髪のスーツの女が姿を現した。オリアナに顔を寄せて「お時間です」とだけ伝えると、女はコレットを一瞥する。赤い瞳がスッと身体を刺すように感じた。
「もう行かないと!たくさんお話してくれてありがとうね。貴女が二人の先生なら、嫌がらずに学校に行くのもなんだか納得だわ」
そう言って軽やかに笑うとオリアナは手を振って部屋の奥へと消えて行った。コレットもまた踵を返して教えてもらった階段を目指す。
大女優の纏う花の香りが、まだ鼻腔をくすぐるようで。
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