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11.カニと鍋

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 いつからだろう、人の機嫌を伺うようになったのは。

 自分がやる事なす事すべてが、人にとってどう映っているのか気になって、徐々に下がっていった自己肯定感は私の心を蝕んだ。完全に地に落ちたのはたぶん、中原慎也に会ってから。

まことは何もできなくて可愛いね』

 初めはその言葉の意味を理解できておらず、可愛いと褒められたと勘違いして私は喜んでいた。久しぶりに出来た彼氏ということで、気持ちが浮ついていたのかもしれない。

『普通はさ、彼女だったらそういう気遣いできるでしょう?』

 彼の言う”普通“に近付きたくて、料理にも精を出した。本をたくさん買って会わない間に練習した。それが彼女としての務めだと思ったし、私が頑張ることで彼からの自分の評価が上がるなら万々歳だと考えていた。

 だんだんと要求が増えてきても、そういうものなのだろうと流していた私にも責任はある。私の拒めない性格、何事も受け入れてしまう鈍感さが余計拍車を掛けたのだろう。

『真みたいな女、俺と別れたら誰とも付き合えないよ』

 呪いのようなその言葉にも私は怒りを表さず、むしろ今そんな私と付き合ってくれている彼に感謝すらした。誰にも選ばれない私を選んでくれてありがとう、と。

 言われた言葉はどんどん心の中で蓄積されていった。私は中原慎也の顔を見るだけで、自分がまた何かしでかしていないか、気付かない内に彼の機嫌を損ねて注意を受けるのではないかと怯えた。

 そう、白秋が言い当てた通りなのだ。
 私は支配される世界を当然として受け入れていた。

 対等でないことなんて明白だった。でも、意識に蓋をして見えないようにした。そういう関係性もあるのだと自分に言い聞かせて。モラルハラスメントなんて言葉をよく聞くようになっても、自分とは無関係の話だと思っていた。

 その呪縛はひどく強くて、実は既婚だったというバッドエンドを迎えた今でも私はまだ中原慎也のことを考えているし、職場に突撃するという非常識な方法を試みるぐらいは必死だった。



「………また、眠っちゃった」

 既に太陽が沈み、薄暗くなった部屋の電気を点ける。昨日遅くまで白秋と遊んだせいか、五日目となる今日は昼過ぎに起きた。白秋はもう居なくて、私も彼と揉めた手前気まずいので少しほっとした。

 それから、いつもと同じように洗濯を回したり軽食を作ってみたりして、ひと段落付いたところでテレビを見ながら寝落ちしていた。出て行くことも考えたけれど、結局スマートフォンや貴重品は持っていないし、思い止まった。こういうところが、白秋からしたら変なのだろう。


ーーー”ピンポーン“

 まだ目覚めたばかりで呆けていた頭にチャイムの音が刺さる。出るべきか、出ないべきか悩みながら玄関まで急いで向かった。覗き穴から外を見ると、そこに居たのは黒い長髪を後ろで束ねた男。

(………あ、運転手の人だ)

 それは、須王白秋と初めて会った日、つまり私が車を衝突させた時に白秋の乗っていた車を運転していた男だった。インターホンの向こうでこちらを見ながら、手には発泡スチロールで出来た大きな箱を持っている。

 まったく知らない人ではないし、と思いながら鍵を開けると男は私を見て驚いた顔をした。


「え、白秋さんは?」
「……知りません」
「ここは白秋さんの家で合ってる?」

 白秋から聞かされていない上に、私のことを忘れているのか挙動不審に周囲を見回している。部屋番号まで確認しだすから、白秋は外出していて自分は雇われの家政婦であることを伝えた。

 男は安心したように息を吐き、白秋に頼まれた荷物を運び入れたいので家に入りたいと言った。べつに私の家ではないし、白秋と話がついているなら問題ないので承諾する。

 横幅1mはありそうなその箱の中身が気になって見ていたら、カニだと教えてくれた。どういう経緯か不明だが、白秋は今日何人か人を呼んでカニ鍋をする予定らしい。


「私はお部屋に居るので、皆さんで楽しんでください。白秋さんには宜しく伝えていただけると助かります」

 それだけ言い残して、ポニーテールの男の元を去る。どこから引っ張り出してきたのか、机の上には大きな鍋とお玉、小皿などが所狭して並べられていた。

 時間的にお腹が空いてきたけれど、邪魔するわけにはいかない。彼らの宴会が終わった頃を見計らって、余っていた白ごはんにレトルトのカレーでも掛けて食べよう。


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