5 / 123
水瀬緑風堂魔符魔道薬店
水瀬緑風堂魔符魔道薬店 5
しおりを挟む
ああ。やっぱり。
と。燈は心の中で呟いた。
この手の薬を探してここへ来る客は少なくない。
魔法薬に対する一般人の捉え方の典型だ。魔法とは不可能と思われるあらゆることを可能にしてしまうようなものだと思われているのだ。
透明になる薬。時間を止める薬。不老不死になる薬。
おとぎ話に出てくるようなそんな都合の良い薬。そんなものがあるはずがない。
そして、心を読む薬。全てを忘れる薬。惚れ薬。精神を縛ったり、曲げたりする薬。それは、存在しているけれど、禁止薬物に指定されていた。
「人の心を薬で変えることは許されない」
少し困った表情で店主が答える。それは、技術的には可能でも、倫理的に不適当とされている薬物だ。
もちろん。店主もそんな薬を作ることも、売ることもない。おそらくは、どんなに困窮したとしても、彼がそんなものを作るはずはないと、燈には断言できた。
「それに」
店主は俯いた。
頬に影が落ちる。
「形ばかり繋ぎとめても。なくなってしまったことに変わりはないんだよ」
一瞬。その頬を涙が伝ったように見えた。いや、実際はそんなものは流れてはいないし、店主の頬には微笑みさえ浮かんでいる。慈悲深い聖母のような微笑み。それでも、燈の目には確かに見えた気がした。
「でも……っ。好きなんです」
店主の表情が彼女にはどう見えたのか分からない。けれど、店主が『そんな薬はない』とは、言わなかったからだろうか。彼女は店主の優しい言葉に素直に諭されることはなかった。
どん。と、カウンターに手をついて立ち上がる。彼女の頬にこそ、涙が流れていた。一時、店内の視線が彼女に集まる。けれど、まるで、見てはいけないものを見るかのように、すぐにそれは別の場所へと散っていった。
「好きなんです。あの人がいないと。ダメなんです」
或は、彼女には薬なんかで、否、魔法なんかで人の心を繋ぎとめることができないことくらいは、分かってはいたのかもしれない。それでも諦められない。それも。それが、恋なんだろう。
俯く彼女の頬を伝った涙が、残っていたお茶の中に落ちる。
「あ」
ぴちょん。
小さな水音。ざわついている店内で、その音が聞こえたのは、多分涙を流した彼女自身と店主と燈だけだっただろう。
「……なに?」
彼女の涙が落ちたお茶の色が変わる。薄いピンクから、青に近い紫へ。それとともに、その香りも変わる。バラに似た香りから、もっと甘い果実のような香りへ。
「座って」
立ち上がったままだった彼女に店主が促す。優しく穏やかな声だったけれど、まるで催眠術にかかったかのように足から力が抜けて女子高生はすとん。と、椅子に座り込んだ。
「落ち着いて。大丈夫。よく思い出してごらん。本当にその人は誰かほかに好きな人ができたのかな?」
店主の言葉に彼女は顔をあげて、呆けたように彼を見た。頬にはまだ乾ききっていない涙の跡があるけれど、心を揺さぶられる強い感情に流されているような表情には見えなかった。
「……いいえ」
問われるままに彼女は首を横に振った。
「うん。そうだね。まだ、何もわかってないね? だから、そんなふうに独りで悲しむことはないよ」
す。と、店主は彼女にティッシュの箱を差し出した。
「涙。拭いたら、お茶飲んで落ち着いて」
箱からティッシュを数枚抜き取って彼女は頬を拭いた。それから、素直に色が変わったお茶に口をつける。ゆっくり。ゆっくり。二口ほど飲み下してから、彼女はカップに僅かに残った液体の香りを大きく吸い込んだ。
「……甘い」
ため息のような吐息を漏らしてから、彼女は呟いた。
「落ち着いた?」
彼女がお茶を飲み終わるのを待ってから、店主が声をかける。
「……はい」
彼女が答えた。本当に、落ち着いた表情をしていた。その返事に頷いてから、彼はカウンター奥の棚に向かって、迷いなく一つの缶を手に取った。そして、その缶の中身を小さな缶に移して蓋を閉め、戻ってくる。
と。燈は心の中で呟いた。
この手の薬を探してここへ来る客は少なくない。
魔法薬に対する一般人の捉え方の典型だ。魔法とは不可能と思われるあらゆることを可能にしてしまうようなものだと思われているのだ。
透明になる薬。時間を止める薬。不老不死になる薬。
おとぎ話に出てくるようなそんな都合の良い薬。そんなものがあるはずがない。
そして、心を読む薬。全てを忘れる薬。惚れ薬。精神を縛ったり、曲げたりする薬。それは、存在しているけれど、禁止薬物に指定されていた。
「人の心を薬で変えることは許されない」
少し困った表情で店主が答える。それは、技術的には可能でも、倫理的に不適当とされている薬物だ。
もちろん。店主もそんな薬を作ることも、売ることもない。おそらくは、どんなに困窮したとしても、彼がそんなものを作るはずはないと、燈には断言できた。
「それに」
店主は俯いた。
頬に影が落ちる。
「形ばかり繋ぎとめても。なくなってしまったことに変わりはないんだよ」
一瞬。その頬を涙が伝ったように見えた。いや、実際はそんなものは流れてはいないし、店主の頬には微笑みさえ浮かんでいる。慈悲深い聖母のような微笑み。それでも、燈の目には確かに見えた気がした。
「でも……っ。好きなんです」
店主の表情が彼女にはどう見えたのか分からない。けれど、店主が『そんな薬はない』とは、言わなかったからだろうか。彼女は店主の優しい言葉に素直に諭されることはなかった。
どん。と、カウンターに手をついて立ち上がる。彼女の頬にこそ、涙が流れていた。一時、店内の視線が彼女に集まる。けれど、まるで、見てはいけないものを見るかのように、すぐにそれは別の場所へと散っていった。
「好きなんです。あの人がいないと。ダメなんです」
或は、彼女には薬なんかで、否、魔法なんかで人の心を繋ぎとめることができないことくらいは、分かってはいたのかもしれない。それでも諦められない。それも。それが、恋なんだろう。
俯く彼女の頬を伝った涙が、残っていたお茶の中に落ちる。
「あ」
ぴちょん。
小さな水音。ざわついている店内で、その音が聞こえたのは、多分涙を流した彼女自身と店主と燈だけだっただろう。
「……なに?」
彼女の涙が落ちたお茶の色が変わる。薄いピンクから、青に近い紫へ。それとともに、その香りも変わる。バラに似た香りから、もっと甘い果実のような香りへ。
「座って」
立ち上がったままだった彼女に店主が促す。優しく穏やかな声だったけれど、まるで催眠術にかかったかのように足から力が抜けて女子高生はすとん。と、椅子に座り込んだ。
「落ち着いて。大丈夫。よく思い出してごらん。本当にその人は誰かほかに好きな人ができたのかな?」
店主の言葉に彼女は顔をあげて、呆けたように彼を見た。頬にはまだ乾ききっていない涙の跡があるけれど、心を揺さぶられる強い感情に流されているような表情には見えなかった。
「……いいえ」
問われるままに彼女は首を横に振った。
「うん。そうだね。まだ、何もわかってないね? だから、そんなふうに独りで悲しむことはないよ」
す。と、店主は彼女にティッシュの箱を差し出した。
「涙。拭いたら、お茶飲んで落ち着いて」
箱からティッシュを数枚抜き取って彼女は頬を拭いた。それから、素直に色が変わったお茶に口をつける。ゆっくり。ゆっくり。二口ほど飲み下してから、彼女はカップに僅かに残った液体の香りを大きく吸い込んだ。
「……甘い」
ため息のような吐息を漏らしてから、彼女は呟いた。
「落ち着いた?」
彼女がお茶を飲み終わるのを待ってから、店主が声をかける。
「……はい」
彼女が答えた。本当に、落ち着いた表情をしていた。その返事に頷いてから、彼はカウンター奥の棚に向かって、迷いなく一つの缶を手に取った。そして、その缶の中身を小さな缶に移して蓋を閉め、戻ってくる。
0
あなたにおすすめの小説
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
魔王の息子を育てることになった俺の話
お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。
「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」
現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません?
魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL
BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。
BL大賞エントリー中です。
【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
全8話
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c
優しい檻に囚われて ―俺のことを好きすぎる彼らから逃げられません―
無玄々
BL
「俺たちから、逃げられると思う?」
卑屈な少年・織理は、三人の男から同時に告白されてしまう。
一人は必死で熱く重い男、一人は常に包んでくれる優しい先輩、一人は「嫌い」と言いながら離れない奇妙な奴。
選べない織理に押し付けられる彼らの恋情――それは優しくも逃げられない檻のようで。
本作は織理と三人の関係性を描いた短編集です。
愛か、束縛か――その境界線の上で揺れる、執着ハーレムBL。
※この作品は『記憶を失うほどに【https://www.alphapolis.co.jp/novel/364672311/155993505】』のハーレムパロディです。本編未読でも雰囲気は伝わりますが、キャラクターの背景は本編を読むとさらに楽しめます。
※本作は織理受けのハーレム形式です。
※一部描写にてそれ以外のカプとも取れるような関係性・心理描写がありますが、明確なカップリング意図はありません。が、ご注意ください
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
(無自覚)妖精に転生した僕は、騎士の溺愛に気づかない。
キノア9g
BL
※主人公が傷つけられるシーンがありますので、苦手な方はご注意ください。
気がつくと、僕は見知らぬ不思議な森にいた。
木や草花どれもやけに大きく見えるし、自分の体も妙に華奢だった。
色々疑問に思いながらも、1人は寂しくて人間に会うために森をさまよい歩く。
ようやく出会えた初めての人間に思わず話しかけたものの、言葉は通じず、なぜか捕らえられてしまい、無残な目に遭うことに。
捨てられ、意識が薄れる中、僕を助けてくれたのは、優しい騎士だった。
彼の献身的な看病に心が癒される僕だけれど、彼がどんな思いで僕を守っているのかは、まだ気づかないまま。
少しずつ深まっていくこの絆が、僕にどんな運命をもたらすのか──?
騎士×妖精
「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。
キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ!
あらすじ
「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」
貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。
冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。
彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。
「旦那様は俺に無関心」
そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。
バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!?
「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」
怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。
えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの?
実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった!
「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」
「過保護すぎて冒険になりません!!」
Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。
すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる