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離縁してください
【1】
『離縁してください』
俯きながらなんとかその言葉を口にした。
震えるわたしは彼の顔すら見ることが出来なかった。
ーーーーー
夜会なんて嫌い。
一人で参加する夜会くらい惨めで虚しいものはない。わたしはほのかな明かりの点いた庭園へとゆっくり歩き出した。
特になにかを思ってここに来たわけではない。ただ、あの会場から逃げ出したかった。
だって、まさか、ここで夫が他の女性と抱き合っている姿を見るなんて思わなかったんだもの。
金髪に冷たい青い瞳、整った顔立ち、いまだに独身令嬢達からも人気のあるわたしの夫の名はアレック・シェルバン、21歳。
彼は王立騎士団の近衛騎士。この国の唯一の姫である王女殿下の護衛騎士として忙しく働いている。
侯爵家の次男で家督を継ぐことはないため、王女殿下の婿として選ばれることはなかった。殿下が降嫁されるためには公爵もしくは侯爵の地位につく者にと決められていた。
だけど二人は今も想い合っていると言うのが社交界での噂として定着している。
そんなアレックに王命で結婚したのがわたしことシルビア・ウィーバー18歳、伯爵家の次女。
陛下はこれ以上二人の悪い噂が流れ、ソニア王女殿下の婚姻に支障をきたしては困るとのお考えから、我が伯爵家に無理やりアレックとの婚姻を求めてきた。
父が断れないことをわかっていて。
ウィーバー領は荒地が多くあまり農作物が採れない土地で国からも税金を軽減されているくらい貧しい領地だった。
それなのに最近干ばつが続きさらに農作物の生産量が減少してしまった。国からの補助を受けるもなかなか回復出来ずに、領民も苦しんでいるところに、アレックとの結婚の話が舞い込んできた。
アレックと結婚すれば国からさらに援助を受けられる。これで領民も家族も苦しまなくて済む。
お父様は反対したが、結局王命で逆らうことは出来ないのだからとわたしは彼と結婚した。
二人の姿が目に入って慌てて別の場所へと向かった。
「はあ~、あんなの見せられたら彼への恋心も消えてしまうわ」
わたしは貧乏伯爵令嬢のため、王城で事務官として働いている。もちろん結婚したからと言ってやめたりしないわ。
近衛騎士とは別の王立騎士団の第二部隊の事務の方を担当している。アレックと会うことはあまりないがたまに団長に用事があるからと彼が来ることはある。
職場での彼は無口でわたしと目があっても頭を下げる程度で互いに話すことはない。
「今日の夜会では彼は殿下の護衛だったわよね」
誰もいないところで一人呟いた。
わたしは夜会に一人で参加していた。今までは貧乏でドレスを買う余裕がなくてほとんど参加することはなかったのだけど、侯爵家に連なるものとして欠席するわけにはいかなくなった。(お義母様談)
ドレスも全てお義母様が用意をしてくださる。
彼は仕事柄王宮内での夜会には参加できない。
おかげで一人で参加することにも慣れたけど……あれは、思ったよりもキツイ。
王命で愛のない結婚だとはわかっているのに傷つくなんて……
「…………シルビア……?」
聞き慣れた声に振り向くとわたしが働く騎士団のミゼルが声をかけて来た。
「あ……ミゼル……」
ーーやだ…情けないところを見られてしまった。
片手で顔を覆って反対の手で「見ないで」と言いながら向こうへ行ってと手を振る。
今声をかけられたら泣いてしまう。そばにも来ないで欲しい。
わたしが俯いて下を向いたままだまっていると「シルビア……泣くな」とわたしの背中をポンっと優しく叩いてわたしの顔を引き寄せて彼の肩に埋められた。
わたしは彼の肩を借りて声を出さずに泣いた。
もう何度目の涙だろう。
愛のない結婚のはずなのに……わたしはアレックを愛している。ずっと愛しているの。
「なあ?辛いならアレックと一度話してみたらどうだ?」
わたしは首を横に振る。
「無理だよ……彼にとっての一番はソニア殿下だもの。わたしなんて二の次だし、ヤキモチ妬いているとしか思ってもらえないわ」
「夫婦なんだから我慢する必要はないと思うけど?」
「うん、普通の夫婦ならね?わたし達は王命で結ばれただけだから、そこに愛はないの。
わたしがこんなにショックを受けること自体がおかしいの……はあー、わかってるのに……ごめんなさい。
いつもミゼルに変なところばかり見られているわね。肩を貸してくれてありがとう」
ミゼルがわたしの後ろをチラッと気にしている。
「どうしたの?」
後ろを振り返ると誰もいなかった。
「うん?いや?別に……シルビア、会場の中まで送るよ。一人で庭に出てくるのは危ないんだよ?」
「わかってるわ。だけどいつも一人だと退屈なんだもの」
「じゃあ、僕と踊っていただけますか?」
「ふふっ、もちろんよ。いつも寂しいわたしと踊ってくれてありがとう」
わたしはミゼルの手にエスコートされて会場へと戻った。ミゼルは何故か後ろを気にしていた。
二人でダンスを踊って喉が渇いたのでワインを飲んでいると、「あ、あら、あそこ」と周りから声が聞こえて来た。
みんなの視線へとわたしも目を向けるとソニア王女殿下が淡いグレーのドレスを見に纏い柔らかな笑顔で会場へと入って来た。
彼女の横にはもちろんアレックがいる。護衛をしながら殿下の手を引いて入ってきた。
「お二人はとてもお似合いだわ」
「素敵ね」
「アレック様ってご結婚されているのに奥様を放ったらかしで殿下のそばに寄り添っているのね?ふふ、噂通りなのでは?」
「え~、そうなのかしら?」
耳に入ってくる言葉に思わず顔が引き攣る。
だけどわたしがアレックの妻だと知っている人はこの会場に何人いるだろうか?
ほとんど一緒に出かけたことがない。それに貧乏貴族で田舎者のわたしのことなんて知らない人の方が多い。デビュタントすらできなかったのだもの。
わたしが固まっていると何故か目の前にたくさんの影ができた。
「えっ?」
「下ばかり見ているな」
ーーこの声は?
「団長……?それに副団長達も…」
「あいつは仕事で殿下といるんだ。シルビアは堂々としていたらいい」
団長達が周りを囲んでくれた。
これって……泣いてもいいのかしら?
「おい、シルビア、泣くなよ!向こうでわたしの妻が待ってる。あそこまで行くぞ」
団長がわたしの手を握り奥様のところへ連れて行ってくれた。
「遅いわよ!貴方!シルビアもさっさとわたし達のところへいらっしゃい!なんでいつも一人で居ようとするの?ミゼルが居たから良かったものの、あんな小煩い令嬢達の近くにどうしているの?」
夫人はミゼルを睨んで「ミゼル!助けるならもっと考えて行動しなさい!あんなところに居るなんて!ほんと、馬鹿なんだから!」
さっきいた場所は社交界では、口煩くて性格の悪いと評判の令嬢達で、さらにソニア殿下の取り巻き達だった。
わたしのことは知らないと思っていたけど……
「シルビアのことだから顔を知られていないなんて思っているのでしょう?あの令嬢達はあなたの事をしっかりわかっているから気をつけなさい」
ーーそうなんだ……だからか……あそこにいる時なんだか嫌な空気だったわ。
クスクス笑い声が聞こえたのは、やっぱりわたしを笑ってたんだ。
団長の奥様達はポツンといるわたしに優しく声をかけてくださる。
団長は国王陛下の従兄弟で公爵の地位にあるお方で、立場の弱いわたしのことも気にかけてくださる。
屋敷によく遊びに行かせていただいていたら団長の娘であるプリシラ様に気に入られ、わたしは週に一度算術を教えに行くようになった。
まだ10歳のプリシラ様は可愛らしく聡明な方で毎回お会いするのが楽しみでわたしの癒しでもある。
わたしが不甲斐ないのでいつも団長達に守られている。
同じ会場にいるのに夫のアレックはとても遠くに感じる。あの華やかな場所はアレックに似合っているのに……わたしには似合わず不釣り合いなのだ。
夜会から一人で馬車に乗り帰ってきた。
「お帰りなさいませ」
小さなお屋敷ながら執事のビル、メイドのジュリとカイラ、料理人のダン、それから通いで数人の使用人がいる。
貧乏伯爵家ではなんでも自分でこなしていたので、掃除も洗濯も料理も得意なのだけどこの屋敷では何もさせてもらえない。
「すぐに湯浴みできるように用意していますので」
そう言ってドレスを脱ぐのを手伝ってくれた。
「自分でできるわ」
「奥様、私たちの仕事です」
「そうね……なかなかこの生活には慣れないわ」
眉根を下げて謝った。
今まで他人の手を借りて湯浴みなどしたことがなかったわたしにはこの貴族の習慣がいまだに慣れずにいた。
一人で入れるのに……でもいつも仕方なく……
「じゃあ、お願いね」と言うしかなかった。
寝室でベッドに倒れ込むように横になった。
「疲れた……身も心も……」
今夜は夜勤でアレックは帰ってこない。
元々このベッドは夫婦のためのものだが、結婚してから一度も夫婦で使われたことはない。わたしのためだけのベッドなのだ。
夫は執務室に備えられているベッドで眠っている。
『白い結婚』……二年経てば離縁の申し入れを神殿にできる。一度結婚さえして仕舞えばもう王家からこれ以上口出しはできない。白い結婚の申し入れは夫婦だけの権利でこれは王家も口出しはできない。
アレックもそれを望んでいるのだろう。
わたしもこの一年、自分なりに頑張った。でもアレックとソニア殿下の仲は変わることなく続いていた。
仕事中に嫌でも見てしまう二人の寄り添う姿。
アレックとのこの屋敷での暮らしは夫婦とは言えなかった。
互いに会話も少なく顔を合わせる時間もあまりない。
愛情が育まれることもない、淡々とした日々。あとそれが一年も続くのか……
わたしはソニア殿下とアレックの仲睦まじい姿をあと一年も見続けなければいけないのか……
考えるだけで気が重く憂鬱になってしまう。
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