西の聖女は拒みたい

仙道

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第2話:獣のような剣士

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 鼻を突くのは、腐った酒と垢じみた体臭の匂いだった。  路地裏に追い詰められた私は、背中の冷たい木の壁にへばりつくようにして身構えた。目の前には、薄汚れた布をまとった三人の男たち。  彼らは黄ばんだ歯を見せて下卑た笑いを浮かべ、猫なで声のような、あるいは威嚇する獣のような言葉を投げかけてくる。

「近寄らないで! 私は貴族よ! この身に指一本でも触れたら、ただでは済まないのだから!」

 私が叫んでも、彼らの耳には届かない。言葉が通じないのだ。それどころか、私の悲鳴をさえずりか何かだと思っているのか、男の一人が面白そうに目を細め、ずいっと顔を近づけてきた。  日焼けした肌、手入れされていない無精髭。  生理的な嫌悪感に鳥肌が立つ。

「やめ……っ!」

 男の汚れた手が、私の腕を掴んだ。  絹のドレスの上からでも分かる、荒れた掌の感触。その不敬な行いに、恐怖よりも先に屈辱が込み上げる。結婚するその日まで、父上以外の男性には肌を触れさせないと神に誓っていたのに。こんな野蛮な土地の、名もなき下賤な輩に触れられるなんて。

 男たちが一斉に笑い、私を引きずり行こうとした、その時だった。

「――おい」

 頭上から、低い声が降ってきた。  男たちの動きが止まる。  視線を向けると、路地の入り口に一人の影が立っていた。  逆光で表情は見えないが、すらりと背が高い。周りの小柄な東方人とは違う、均整の取れた体躯をしている。  彼はゆったりとした紺色の衣服を着流し、腰には長い鉄の棒――刀を差していた。

 男たちが何かを喚き立てるが、その若者は動じない。  彼はふらりと、まるで散歩でもするかのような足取りで近づいてくる。その手には、どこかの店で買ったのか、小さな包みをぶら下げていた。

「……ッ、ギャ!」

 一瞬だった。  若者が手にした包みを放り投げたかと思うと、先頭にいた男の顔面に、腰の刀の鞘が叩き込まれていた。  鈍い音が響き、男が白目を剥いて崩れ落ちる。  残りの二人が慌てて腰の短刀を抜こうとするが、若者は欠伸でもしそうな気だるげな動作で、二人の手首を次々と打ち据えた。  剣を抜いてすらいない。ただの鞘による打撃だけで、彼は三人の暴漢を地面に這いつくばらせてしまったのだ。

(な、何なの……?)

 私は呆気にとられてその光景を見ていた。  西方の騎士のような、洗練された剣技ではない。もっと荒々しく、しかし無駄のない、獣の狩りのような動き。

 若者は倒れた男たちを一瞥もしないまま、私の目の前に立った。  夕日が彼の顔を照らす。  息を呑んだ。  野蛮人だと思っていたこの国の男にしては、驚くほど整った顔立ちをしていたからだ。切れ長の瞳に、筋の通った鼻梁。唇は薄く、どこか冷笑的な弧を描いている。  だが、その瞳に宿っている光は、騎士道精神などとは程遠いものだった。

 彼は私を、まるで市場に並んだ品定めをするように、上から下まで無遠慮に見つめた。

「へえ……」

 彼は感嘆の声を漏らし、私の顔を覗き込む。  その距離が近すぎる。香油のような甘い香りと、男性特有の匂いが漂い、私は思わず後ずさった。

「無礼者! 下がりなさい!」

 私が睨みつけると、彼は驚くどころか、楽しそうに喉を鳴らして笑った。そして、信じられないことに、私の顎を強引に指先で持ち上げたのだ。

「離して! 何をするの!」

 必死に抵抗するが、彼の手は鉄万力のように動かない。  彼は私の青い瞳を覗き込み、それから流れるような金の髪に指を絡ませた。

「綺麗な色だ」

 言葉は分からないが、その声の響きに含まれる熱情は理解できた。  それは、美しい花や宝石を愛でる時の声ではない。もっと粘り気のある、所有欲に満ちた男の声だ。  彼は助けに来た騎士ではない。  別の種類の、もっと危険な獣だ。

 若者――カズマは、私の抵抗など意に介さず、強引に私の手首を掴んだ。そして、ズルズルと歩き出す。

「ちょっと! どこへ連れて行く気!?」

 私は足を突っ張って踏ん張ったが、彼の腕力には敵わない。まるで仔猫か何かのように、簡単に引きずられていく。  通りに出ると、人々が私たちを見て道を空けた。  誰か助けてくれる人はいないかと視線で訴えるが、誰もがカズマの姿を見ると、畏敬と諦めが入り混じったような顔で目を伏せてしまう。  彼はこの辺りの顔役か、あるいは有力な貴族の息子なのだろうか。

「離してと言っているでしょう! 野蛮人! 女を無理やり連れ回すなんて、紳士のすることじゃないわ!」

 喚き散らす私を振り返り、カズマはニヤリと笑った。  その笑顔は、獲物を巣に持ち帰る肉食獣そのものだった。  美しい顔立ちをしている分、その底知れない瞳の暗さが恐ろしい。

 私は悟った。  路地裏のならず者たちのほうが、まだマシだったかもしれないと。  少なくとも彼らはただの無法者だったが、この男は違う。  私という存在そのものを、骨の髄までしゃぶり尽くそうとするような、強烈な意思を感じるのだ。

 石畳ではない土の道を、私はなすすべなく引かれていく。  西の空に沈む太陽が、まるで私の運命を暗示するように、赤黒く燃えていた。
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