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今日夢に出た女の話を聞いてください

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その日、私は酷い頭痛に悩まされていた。気圧の変化に伴い、頭蓋骨を左右から挟まれ強くプレスされているかのように痛みが続いていた。

なんだか部屋がとても寒い。
「まだ10月だぞ」
カーディガンを羽織ってみるがそれでも尚冷える。冬にはまだ程遠いというのに、ホットカーペットの電源を入れる。
「流石に「中」位にしとこ」
暖かさのレベルは五段階だ。この時期から一番暖かくしていたら冬を越せないかもしれない、と中レベルに設定した。

昨日から収納ケースの片付けと称して漫画本を読み耽っている。寒いと言いつつ、強い頭痛で意識が散漫になる。これでは漫画の内容も頭に上手く入ってこない、と扇風機の風を頭部に当てていた。

お腹の下でカーペットが暖かくなっていくのを感じながら、頭痛を少しでも紛らわそうと深く息を吐き出した。
我ながら扇風機とホットカーペットの併用はどうだろうかとも思うのだが、寒い空の下食べるたこ焼きだとか、こたつで食べるアイスクリームだとかが美味しいのだ。まぁそういうことだ。

「やっと19巻か……次のはー、どれだ」
本の群れから目当ての巻数の物を探す。
20冊目の漫画本を取り出し開いたその時、頭痛に加えて猛烈な吐き気に襲われる。
文字一つ一つを視界に入れれば入れる程具合が悪くなってくる。
文字の情報が上手く頭に入って来ない。

ああ。もう限界か。
頭の中は「痛い痛い痛い痛い吐く気持ち悪いもう無理しんど無理ぽ死ぬ」もう痛いとか気持ち悪いとかそんな言葉でいっぱいだった。
せめて切りの良い20巻まで読み終わりたかったが、この調子では難しいだろう。
私は諦めて本を閉じた。

私は常服している二種類の睡眠薬をぬるい水で流し込んだ。
部屋の明かりを消し、テレビを消した。スマホをサイレントモードに設定し、扇風機を止めた。

明日も起きてすぐ漫画本を読み漁りたい。今日はこの暖かいカーペットの上で寝るぞ、と誰にとも無く誓った。
共に暮らしている猫も腹を伸ばしてその暖かさを喜んでいるようだった。

「寝るよー、おいで」
「ナァー」
寝転び、猫に呼び掛けると返事をしてやって来る。
私の頭の周りをぐるりと周り、何故かお尻の方から私の顔に接近し、そこに丸々。
これは彼が寝る前のルーティンだ。

目を閉じていた。
外は静かで、たまにアパートの他の部屋から誰かが動く音がする。
まだ起きている人がいるんだな。

「ナァーウ」
「なにー……」
これから寝ようかという時に猫がすっくと四本足で立ち上がる。猫様というのはいつもこのような調子で、飼い主下僕の予定など気にしてはいない。
「僕はまだ寝ないぞ」そんな風に考えているのかもしれない。

私が寝たい時に猫が活発になる、これは珍しい事ではなくこちらとしても「絶対に寝るぞ」と目を閉じたままにしていた。

目を閉じてどれくらいが経っただろう。
そういえば猫がいつまでもこちらへ戻って来ない。普段ならしばらく遊んでまた首元へと戻ってくる猫がいつまでも経っても戻らないことに暫くして気が付いた。

目を閉じたまま猫の名を呼んだ。
返事はない。
猫が返事をしない事など今始まった事ではないのだが。

なんとなく気になって部屋を見渡す。
すると猫が真っ暗なテレビの前でじっと座っている。何を見ているのか。何か見えているのか。

「……おいで?」
そっと声を掛ける。しかし猫がテレビの前を離れる様子はない。
一体なんだというのか。
暗闇の中、テレビをじっと見つめている猫の姿に良からぬ事を連想させられてしまう。

猫は人の世とあの世を自由に行き来出来るとか、亡者を見る事が出来るとか。幽霊が居ると人より先に猫が気付くだとか、そんな事ばかりが私の脳内を過ぎる。
まさか私に見えないモノをテレビを介して見ているのではないか。そんな事を考えてしまう。

最初に目を閉じてからどれくらいの時間が経っただろうか。
この部屋には時計がない。
今時スマートフォンさえあれば時間は分かるし、それが出来ない時はテレビをつけたら良い。そういった理由で時計は置いておらず、スマートフォンを手に持った。

"明かりをつけて、何か見えてしまったら"

一瞬そんな考えが過ぎる。
そんな訳はない。私は霊という類のものを見たことがない。
霊感が欲しくて真冬に水を浴びた日もあった。
霊感が欲しくて常に視界の端を気にしたこともあった。
霊感が欲しくて神社に行きまくったこともあった。
だが見えなかった。心の何処かに「ごめんなさい、怖いから寄って来ないでください」という思いがあるからだろう。

霊感は欲しいが、怖いものは見たくない。
つまり可能性が過ぎった以上、スマートフォンの時計は見られない。
部屋にうっすら明かりが灯った瞬間に私を見下ろす誰かの姿を想像してしまい強く目を閉じた。

早く寝てしまいたい。
明日になれば、明るくなれば、怖くなんかない。朝が来い。早く。

しかしこんな時に限って全然眠れない。それどころか俄然目が覚めてきた。
おかしい。私は寝る前に睡眠薬を飲んだのに。いつもなら長くても30分あれば意識を手放せるのに。
どれくらい眠れてない?
こういう時は、時の流れが体感出来ない。本当はまだ30分も経っていないのかもしれない。

猫が戻って来ないまま、おそらくまだテレビの前に陣取ったまま、どれくらいだったかずっと目を開けられずにいた。
目を閉じていても恐ろしい妄想ばかりが浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。
そうしている内に自分でも気付かぬまま意識が朦朧としてきた。

二時間程寝ていただろうか。
そんな感覚があった。
やたらな暑さにまた目が覚めてくる。
ホットカーペットのせいだろうか。体中にびっしょりと汗をかいていた。顔にも滴る程汗をかいている。

「あっつ、」
あんなに寒かったのに、どうしたというのだろう。
目を閉じたまま手探りで扇風機のスイッチを探す。
あったあったとスイッチを入れた。
風が私に直撃し火照った体の温度をじわじわと下げていく。

仰向けに眠る私の左下にふさっと猫の毛が当たるのを感じた。
そんな所にいるなんて珍しいな、と手を伸ばしてゆっくり撫でる。
撫でられたのが嬉しかったのか、段々と顔に近寄ってきた。

その時頭の右上の方から何かが私に触れた。
「うわっ」
驚いてビクッと体を跳ねさせた。
「ナァー」
何かが触れた方に顔を向けると、猫が擦り寄ってきた。

猫?

うちには猫が一匹いる。
一匹しかいない。

では左手で撫でているコレ・・は?

段々と顔に近寄ってきていたそれはもうちらりとでも左に目を向ければはっきりと目視できるであろう。
手にはまだ何かを撫でている感覚がある。

見ずにはいられなかった。
自然と目が引き寄せられる。見ちゃだめだと本能が叫んでいる。それでもゆっくりとそちらを顔を向けてしまった。

私のすぐ傍らに髪の長い見知らぬ女が、居る。
バッと手を離した。
這うように私に寄り添う女はただ黙ってこちらを向いていた。髪に隠れて目は見えない。

どうしよう、どうしよう。
顔を反らして目を閉じる。女がより体を近付けてくる。じっと見ている。絶対に見ている。目を閉じていても分かる。彼女は今、絶対に私を見ている。

普段けして信心深い方ではない。
最後に本尊に手を合わせたのは何年前のことだろうか。
しかし、形振り構ってなどいられなかった。
そうだ!と思うより先に強く「南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経」と何度も何度も唱えた。

何度も唱えているといきなり頭の中が真っ暗になって、何も考えられない。何故かこんな時にぼうっとしてしまった。
ハッとして体を起こそうとするが、胸の上が重くてすぐに起き上がることは出来なかった。

「お、お前か……」
「ンニャニャウ」
胸の上で丸まる猫が突如動いた私に文句を言った。
そうか、あれは夢だったのか。怖い夢を見てしまったのか。
怖い夢を見るのは何もこれが初めてではないが、随分リアルだったな。

手のひらで額を拭う。
うっすらと汗をかいてはいるものの、夢で見た程びしょ濡れにはなっていなかった。
「はぁ、怖かったーー」
脱力し、扇風機の風に心を落ち着かせる。

ゴロゴロと喉を鳴らす猫を「はいはい」と撫でながら、何時だろうと今度は躊躇うことなくスマートフォンのボタンを押しディスプレイの明かりを灯す。

「は、1時半?」
思わず声が出る。
私が寝ようと部屋の電気を消したのは、つい一時間前の事だ。
まだそれだけしか経っていないというのか。
「全然眠れてないじゃん」
ぶつくさと文句を言いながらツイツイとスマートフォンの画面に指を滑らせた。

そしてふと気が付く。
「扇風機、なんで……」
扇風機は寝る時に消した。
次にスイッチを入れたのは、汗でびしょびしょになったから。つまりあの夢の中での出来事だったはず。

どこからどこまでが夢だった?
私が寝たのはいつで、目を覚ましたのはいつ?
サーッと血の気が引くのを感じた。

部屋を見渡そうとする自分を必死に引き止める。
嫌な予感がする時、普段目に見えない彼らが部屋の隅にいるだとか天井にいるだとかそういう話はよく見掛ける。
意識してスマートフォンの画面だけを見た。

「ナァー」
猫の鳴き声に驚いて、顔にスマートフォンを落とす。
「っ、たぁー」

顔に直撃したスマートフォンを退けると、眼前で髪の長い女が口元に弧を描いていた。

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