五年越しのかくれんぼ

綺羅 なみま

文字の大きさ
上 下
6 / 7

五年越しのかくれんぼ

しおりを挟む
 祠からひんやりとしたものを感じ、りまの体がぞくりと震えます。それを見守るかのように、注連縄の巻かれた大木も変わらずそこにありました。
 祠は記憶の中にあったより小さくなっていました。りまが大きくなっていただけなのですが、彼女は「こんなに小さかったっけ」と最初にそう思ったのです。

 祠は新しく御札が貼られているようでした。暗くてよく見えなくても、手探りでたくさんの御札か貼られていること、あの時よりも厳重に戸が閉まっていることが分かります。
 祠に触れていると、あの時のことがより一層はっきりと思い出されました。りまはあの晩を忘れたことなど一日もありません。ですがこんなにも鮮明に思い出せたのは、この日が初めてでした。

「あんなこと、したから」

 ぽつりと落ちた言葉が夜風に飲み込まれます。風は色んな音を運んできました。あちこちで虫が会話をする音。木から離れた葉が地面に休む音。何かが今夜の寝床を探す音。地下にいる間に音に敏感になったのでしょうか。りまは目を閉じ、じっと耳を澄ませます。救急車のサイレンのような音が遠くで聞こえた気がしました。サイレンのわんわんとした音は遠くから聞こえただけで、りまを不安な気持ちにさせました。

 腰を上げようとしたその時です。辺りが一瞬何かによって照らされ、直後山が真っ二つに割れたのかと疑うような大きな音が近くで轟きました。雷です。もう一度光ると、暗雲を纏った天空では機会を伺うようにゴロゴロと鳴り続けています。
 ぱらぱらと小さな雨粒が降ってきて、早くみんなを見つけないと、と焦燥感に駆られます。

 幸いと言うのか、先程の雷に驚いたのでしょう。みちるのけたたましい叫び声が負けじと響き、彼女のいる方角だけは分かりました。
 三人が一緒にいますようにと、声のした方向へ歩を進めました。

 霧吹きのような小さな雨でも、降り続ければ服も体も、地面もぐっしょりと濡れてしまいます。段々と水分量の増えていく洋服が体に張り付く感触にイライラしつつも、周りの音に耳を澄ませて三人を探します。注意深く耳を澄ませているとまだ少し遠いですが、揉めるような声が聞こえてきました。
 喧嘩でもしているのだろうか。りまはバレないようそっと近付いていきます。

 三人がそこにいる、と分かるような距離まで近付き、ようやく会話の内容がりまの耳にも届きます。

「そんなんやってみんと分からんやろ!」
「分かるっ! こんなの意味ない!」
「みちるの頭で何が分かるん! この弱虫っ」
「やめて二人ともっ」

 しほとみちるがこのかくれんぼのことで揉めているようでした。

「二人も見たやろ! りま、もうガリガリで、目の焦点も合っとらん……こんなんしたって」
「なん言う気!? じゃああんまましとくんか。ババ様もおらんのに、次誰が襲われるかわからんやろが!」
「しずかに! ねえ、しずかに! りまに聞こえるから!」
「聞こえてるよ」
「ひゃああああっ」

 ひそひそ声のきっかの制止さえよく聞こえる距離まで、りまは三人に気付かれることなく近付きました。しっとりと濡れた髪が痩せこけた頬に張り付き、虚ろな目でぼうっと立つぼろぼろの薄汚い姿が月明かりに浮かびあがり余計に恐ろしく見えたのかもしれません。暗闇の中から突如返ってきたがらがらの声に三人は揃って飛び上がりました。

「ほらっ! ほらぁ!」
「閉まっとった牢から出てきたってこと!? やっぱ夢のまんまやん!」
「手! 手も自由になっとる! 口もや」

 三人はパニックに陥りキーキーと騒ぎ立てます。りまが一歩、また一歩と近付くにつれその混乱ぶりは激しくなっていきました。

「は、はやくっ、逃げなきゃっ」
「えっ、みちるっ、待って!」
「だめ、きっか! こっち!」

 みちるはいち早くその場から駆け出しました。それを追おうとしたきっかの腕をしほが掴みます。二人が動き出す前にりまが動き出したことを察したのでしょうか。
 りまはみちるが駆けていく方へどんどんと近付いていきます。靴が滑り、邪魔だと脱ぎ捨てました。パシャパシャと接地のたびにぬかるみに足が取られます。

 みちるがその音に気が付き走りながら後ろを振り向きました。一際大きな声で叫びます。その声で彼女が泣いていることは容易に判りました。まだしほときっかがどうにか見える距離です。二人が懸命にみちるの名と、りまの名を呼んでいます。

「来ないでえっ、りまぁ……目を覚ましてよ」
「うごかないで」
「ひっ! お願い、助け」

 りまが空を切るように腕を伸ばします。その瞬間ーー驚きに目を見開いた表情のままみちるの体は、すぐ後ろの切り立つような急斜面に吸い込まれていきました。
 りまはフラフラと斜面の淵まで歩き、斜面を見下ろします。
 しばらく葉っぱを巻き込みながらゴロゴロと転がり落ちて行く音が遠退いたのち、「ぐぇ」と絞り出た声と共にガッンと重い打撃音のようなものが耳に届きます。大きな岩でもあったのでしょうか。

「みちるーーっ! いやぁぁぁっ」

 しほの狂ったような絶叫の声が遠くから耳をつんざきます。りまはフラフラと覚束ない足取りで、それでも二人を追おうとしていました。

「ぎゃぁぁぁーーー! 来る! こっち来る!」
「みちる、みちるっ、ううぅ」
「しほ! 良いから立って!」
「うっ、ううっ」

 もう小声で話すこともやめたきっかはショックで崩れ落ちてしまったらしいしほを無理やり立たせると、りまに背を向け走り出しました。

「隠れなきゃ! 隠れなきゃ!」
「こんなっ、山の中で、どこに」
「何弱気になってんの! あんたがここでかくれんぼするって言い出したんでしょ!」
「こどものときにね! こどものとき!」

 そんな会話が遠ざかっていきます。山の中で隠れる場所は少ないですが、逃げられると中々見つからないのです。りまは逃すまいと体力の残らない体に鞭打ちます。二人の足音や会話より、自分の呼吸の音がぜえぜえと騒がしく聞こえました。
 ついに足が縺れ、りまは地面に転げました。びしゃっと泥水の跳ねる音が響きます。ひんやりとした泥水はどこか気持ちよく、りまは首を捻り横を向くと頬の冷たさに心を落ち着かせたのでした。

 急上昇した体温が落ち着くまでそうしていました。やがてむくりと立ち上がり、口に入ったわずかな泥を吐き出します。
 二人を見失いましたが、向かった方向は分かります。歩いていけばいつかは見つかるだろう、と歩き出しました。走ったら逃げられてしまう、そう思って敢えて歩き出したのですが、気持ちが急き自然と早歩きのようになります。

 随分離れてしまったのか、歩けども歩けども二人とは中々鉢合わせません。
 りまにとっては、久しぶりに出た空の下、空腹の体で体育をさせられているようなものです。時折意識が遠退いては、ハッと目を覚まします。頭がぐわんぐわんと、いもしない大男に振り回されているようでした。足ももうがくがくと震え、立っているだけで精一杯だったのです。後から聞いた話だと、あの状況で動けただけでも奇跡に等しいのだそうです。
 
 力の入らない足を一歩一歩と動かします。もう気持ちが急くだけで足を早く動かせないほど歩き回りました。二人と離れてしまった地点よりもずっと遠くまで歩いた気がしました。冷えた指先の感覚は既になく、途中刺さった木の枝でできた傷もすっかり痛みを失う程でした。

 歩いて、歩いて、転んでは歩いて、そうしてやっと見つけました。自分の足が地面に着くたびに息を呑む二つの音を。
 気付いたと悟られないよう足は止めず、ですが息を殺して周囲の音に集中します。見渡しても姿は見えません。それでも二人はすぐ近くにいるのです。

 二人は大きめの岩の影で恐怖からか目を閉じ、鬼の足音に体を震わせながらお互いの手をぎゅっと握っていました。
 やがて辺りが静かになったことで、二人は握った手をより強く握り締めました。
 しばらく動きが取れずにいましたが、足音が聞こえなくなりどちらからともなくフーっと息を吐き出しました。
 そろりと目を開けます。ぎぎぎとゆっくり横を向きお互いの顔を見ると、強張った表情からほっとしたものへと変わり、お互いに安堵の声を漏らしました。

「はーっ、怖かった。行った? 行ったよね?」
「あー、もう無理かと思った」
「もうここで夜を明かそう」
「うん。ああっ、疲れたぁ」

 緊張を解すかのように大きく息を吸ったしほが、吐き出しながらぐーっと背を伸ばし空を見上げます。
 そうして岩に張り付き二人を見下ろすりまと目が合いました。しほの表情が凍りつき、それとは反対にりまの瞳と唇はゆっくりと弧を描いたのです。
 
 





しおりを挟む

処理中です...