「真白」〜〜雪と蛇の女〜〜

まへまへ

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エピローグ 18年後の夏 第1話

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朝の山あかりロッジには、夏の風が吹き抜けていた。

木立の葉がそよぎ、窓から入り込む陽光が床の上に揺れる。

玄関先で陽子が声を上げる。

「真白ー! 聞こえてる? ちょっと来てー!」

奥の部屋から、少し面倒くさそうな声が返ってきた。

「なにー? 朝からそんなに元気出さなくても……」

ロッジの廊下を素足でとことこと歩いてくる少女――

18歳になった真白は、まだ寝癖のついた髪を手で直しながら顔を出した。



「なに? 朝ごはんまだ食べてないんだけど」

「ごはんはおばあちゃんが作ってくれてるでしょ。それよりお願いがあるの」

陽子はエプロンのポケットから手帳を出して、軽やかに言う。

「これから父さんと食材の仕入れに行ってくるの。少し遠くの市場までね。だからその間に、物置の片付けお願いね!」

「えぇぇ~! またぁ?」

真白が眉をひそめる。

「この前も私が片付けたじゃん! あそこ、父さんの荷物ばっかりなんだから」

玄関で靴を履いていた一朗が、苦笑いしながら顔を上げた。

「そう言うなよ、真白。父さんが帰ってくる頃には、あの物置もスッキリしてると信じてる」

「……信じてる、って言われてもなぁ」

真白は呆れたように肩をすくめた。

陽子はそんな娘の様子を見て、くすっと笑う。

「お願いね。あなた、力持ちだし、整理上手なんだから」

「もう、人使い荒いんだから!」

「はいはい、ありがと。終わったら町まで髪切りに行ってきていいから」

「最初からそう言ってよ! 今日、そのつもりだったんだから!」

真白は腰に手を当て、やれやれと息をついた。

一朗がトラックのエンジンをかける。

「じゃあ行ってくる。留守番頼むぞ」

「いってらっしゃい!」

ロッジの前で二人を見送る真白。

父と母を乗せた軽トラックがゆっくりと坂道を下りていく。

真白は風に髪をなびかせながら、小さく呟いた。

「まったく……もう!…」

そう言いつつも、口もとには笑みが浮かんでいた。

どこか誇らしく、そして温かい笑みだった。

――山あかりロッジの一日は、今日も変わらず始まっていた。

ロッジの台所から、味噌汁の香りが漂ってくる。

真白は廊下をドタドタと歩きながら、声を張り上げた。

「ばあちゃーん! お腹減ったー!」

奥から、落ち着いた声が返ってくる。

「はいはい、わかってるよ。朝から元気だねぇ、真白は」

鍋の蓋を少し持ち上げながら、美佐子が笑った。

その顔には、年月を重ねた穏やかな皺と、変わらぬ優しさがある。

「作ってあげるから、その間に片付けしなさい」

「えぇーっ!」

真白は、思いきり顔をしかめる。

「お腹ペコペコなのに、動けるわけないじゃん!」

美佐子はお玉を手にしたまま、軽くため息をついた。

「働かざるもの食うべからず、って昔から言うでしょ」

「うわ、それ出たー。ばあちゃんの口癖!」

「はいはい、文句言ってないで、さっさとやりなさい」

「むぅ……」

真白は頬をぷくっと膨らませ、渋々廊下を歩いていく。

外の光が差し込む物置の前で、真白はしぶしぶドアノブを握った。

「もぉ~……どうせ父さんの古い工具とか、使わないガラクタばっかりなのに」

ギィ……。

扉がゆっくり開くと、ほこりっぽい空気と木の匂いがふわりと漂った。

「ふぅ……じゃあ、さっさと終わらせて、ご飯食べよ」

小さく呟きながら、真白は腕まくりをして中へ入っていった。

「この間整理したばっかりなのに……」

真白は腰に手を当てて、物置の中をぐるりと見渡した。

棚の上には、ロッジ用の食器やキャンプ用品。

奥の壁際には、きっちりと真空パックされた布団がいくつも積み重なっている。

透明のビニールが陽の光を反射して、わずかにきらめいていた。

「ま、まぁ……せっかくだし、今日はこの布団の山を整理して、スペース広げよっか」



真白は気を取り直して、袖をまくった。

「えいっ……!」

一つひとつ布団を引き出しては、きれいに重ね直していく。

新品のように圧縮された袋を抱えるたび、パリッとした音が響いた。

「それにしても、ばあちゃんって片付け上手だよね。……って、私が言うことじゃないか」

ブツブツと独りごとをこぼしながら、真白は奥へと手を伸ばす。

その時だった。

「あれ……?」

一番奥の壁際――整然と並ぶ布団の陰に、ひとつだけ真空パックされた不自然な黒い塊が見えた。

他の真空パックと違い、形がいびつで、少し歪んでいる。

「なにこれ……?」

真白は身をかがめ、慎重にその袋を引き寄せた。

手のひらに伝わる感触が妙に硬く、冷たい。

ビニールの内側に、うっすらと何かの形が見える――

「……布団じゃない……」

胸の奥で、なにかがざわめいた。

真白は息をのんで、その黒い真空パックをじっと見つめた。

「な、なんだろ……これ……」

奥に押し込まれていた黒い真空パックを両手でつかみ、ずるずると引っ張り出す。

袋の表面には長い年月の埃がびっしりと積もり、灰色にくすんでいた。

指先でなぞると、白い線がすっと浮かび上がる。

「すご……。いつからここに……」

近くに置いてあった古びた雑巾を取り、真白は表面を丁寧に拭き取った。

埃が取れるにつれて、黒い艶が現れる――まるで鏡のように光を返す、異様な質感。

「これ……ウェットスーツ? なんかちょっと違うような……」

袋越しに見えるシルエットは、人の形にぴったり沿っていて、どこか不気味なほど滑らかだった。

真白はなぜか、心の奥がざわりと揺れるのを感じた。

「……開けてみようか」

慎重に真空パックの口を探り、隙間を作って空気を入れる。

「プシューッ」と小さな音とともに、袋が少しずつ膨らみ始めた。

中の黒い物体が、ゆっくりと本来の形を取り戻していく。

真白は袋を切り開き、中からその物を取り出した。

重く、しっとりとした感触。

掌に伝わるラバー特有の匂い。

「これ……ラバースーツ……?」

黒光りする全身スーツが、真白の腕の中で静かに伸びる。

ぴったりとした人型。

それはまるで、誰かがそこに立っていたかのような存在感を放っていた。

真白が広げようと両腕を伸ばしたその瞬間――

足元に何かが「コトン」と落ちた。

真白はハッとしてしゃがみこみ、それを拾い上げた。

「……本? いや、これ……写真集?」

表紙には美しい金髪の女性が雪山を背にポーズを取っている。

白い息を吐きながら、黒いラバースーツに身を包んだその女性は、どこか神秘的で、目を離せないほどの存在感を放っていた。

タイトルには大きく、金色の文字でこう記されていた。

『MIKI – White Mirage』

真白は思わず息をのんだ。

ページをめくるたびに、冷たい雪と黒いラバーが織りなす異世界のような風景が広がる。



雪の中、光を反射するスーツの艶、モデルのしなやかな体のライン――どれも完璧で、見惚れるほど美しい。

「すごい……。この人、海外のモデルさんかな……?」

だが、ページを進めるほどに胸の奥がざわつく。

視線の向け方、笑ったときの口元、頬の線……何かが引っかかる。

真白はふと、手にしていたラバースーツに目を向けた。

その質感――光の反射、チャックの位置、胸元のライン。

「……同じだ……」

写真の中の女性が着ているスーツと、今、自分の手の中にあるそれはまったく同じだった。

まるで、このスーツこそが撮影に使われた“本物”であるかのように。

胸の鼓動が速くなる。

もう一度、写真集の表紙を見つめる。

金髪の女性がカメラに微笑む――その顔を凝視した瞬間、真白の手が止まった。

「……え……?」

その目の形、笑ったときに少しだけ下がる眉尻、唇のカーブ。

何度も見てきた顔。

毎日、一緒に暮らしている人の顔。

「……母さん……?」

声が震えた。

もう一度、確かめるようにページをめくる。

雪の中で笑うその女性――

間違いなく、今の“母さん”と同じ顔をしていた。

真白は信じられない思いで、何度も何度もページを行き来した。

写真集の片隅に印刷された小さな文字が目に入る。

――Model:MIKI

「ミキ……?」

頭の中が真っ白になる。

手の中のラバースーツが、ずしりと重く感じられた。

真白は息を詰めたまま、目の前に開かれた写真の中の“母”を、ただ呆然と見つめ続けていた。

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