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エピローグ 18年後の夏 最終話
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夕暮れがすっかり夜へと変わるころ、山あかりロッジの外には静かな虫の声が響いていた。
厨房からは香ばしい匂いが漂い、湯気の立つ料理が食卓に並んでいく。
「いやぁ、今日の仕入れは疲れたなぁ……」
一朗が腕を伸ばして大きく伸びをする。
「一朗、今日は遠くまで行ったんでしょ。お疲れさま」
美佐子が微笑みながら、大皿をテーブルの中央に置いた。煮込みハンバーグの香りがふわりと広がる。
「真白の好きなやつ作っといたからね」
「ありがとう、ばあちゃん」
陽子は笑いながら箸を並べて、ふと時計を見る。
「もう七時半か……真白、まだ部屋?」
「夕方に帰ってきたと思うけどな」
一朗は首をかしげながら、味噌汁をよそいはじめた。
「髪、切るって言ってたろ。鏡の前で気にしてんじゃないのか?」
陽子は少し笑って、「あの子ねぇ、身だしなみにはうるさいんだから」と言いながら、階段の方へ声をかけた。
「真白!早く出てきなさい!夕食食べるわよー!」
……返事はない。
「おーい、真白?聞こえてるか?」
一朗も笑いながら声を張るが、やはり静かだった。
陽子がため息をついて立ち上がろうとした、そのとき――
階段の上から、「……いま行くー」と、かすかに声がした。
そして、ゆっくりと足音が響いてくる。
コツ、コツ――と、ひとつひとつ確かめるような足取り。
最初に見えたのは黒光りする長いブーツ。
次に、光沢を帯びた漆黒のラバー。
体のラインにぴったりと張りつくスーツは、照明の明かりを柔らかく反射している。
階段を降りてきた真白は――まるで写真集の中から抜け出してきたようだった。
腰を絞るラバーコルセット、金色に輝く瞳、そして短く切り揃えられた黒髪が、彼女の白い肌を一層際立たせている。
陽子は、椅子から立ち上がった。
息が止まる。
それは、かつて見た“彼女”の姿――。
あの夜、光に包まれて消えていった真白。
一朗を守るために自らの命を差し出した、あの白蛇の少女。
目の前の娘が、まるでその“真白”と重なって見えた。
「……ま、しろ……?」
陽子の声は震えていた。
一朗も同じように呆然と立ち尽くしている。
手の中の箸がわずかに震え、テーブルに当たって小さな音を立てた。
「どうしたの? 二人とも」
真白は小首を傾げ、まるで写真集のポーズのように微笑む。
その笑顔――かつて、あの病室で消えていった真白が見せた最後の笑みと、まったく同じだった。
一瞬、空気が止まったようだった。
美佐子でさえ、手にしたお玉を握ったまま動けない。
「……真白、あんた……」
陽子が震える声で言う。
「その格好……どこで……」
真白は屈託のない笑顔で答えた。
「ねぇ、母さん。この服、物置にあったんだよ。すごいでしょ? ピッタリなの!」
しかし――陽子の目からは、ぽろりと涙が落ちた。
目の前の娘が、まるで“もう一度帰ってきた”真白のように見えて仕方がなかった。
一朗は、無意識のうちに拳を握りしめ、声を震わせた。
「……真白……お前……どうして、その姿を……」
真白はきょとんとしながらも、どこか不思議そうに首を傾げた。
「なんでそんな顔してるの? ただ、びっくりさせようと思って……」
食卓の上に、静寂が落ちた。
湯気を立てていた味噌汁も、煮込みハンバーグの香りも、今はまるで遠い世界のもののように感じられる。
真白は椅子に座ると、そっと持ってきた写真集をテーブルの中央に置いた。
その表紙には、ラバースーツに身を包んだ金髪の女性――若かりし頃の「ミキ」が微笑んでいた。
「母さん、父さん」
真白の声は静かだが、どこか張りつめていた。
「さっきの反応……どうしてそんな顔したの?」
一朗も陽子も言葉を失っていた。
真白は続ける。
「この写真集、物置にあったの。母さんが写ってるんでしょ? “ミキ”って名前で。私に内緒にしてたのはなぜ? 社会現象を起こした人気モデルだったって、すごいことなのに。……それに――」
真白はページを開く。
震える指で、最後の一枚を指さした。
「この写真。最後のページの、この人。私にそっくりなこの人は……誰なの?」
部屋の空気が止まった。
時計の秒針の音だけが、カチ、カチ、と響く。
陽子は、ゆっくりと息を吸い込んで、写真を見つめた。
その瞳が少しずつ潤んでいく。
「……そうね。もう話さなきゃいけない時が来たんだと思う」
「陽子……」
一朗が静かに頷く。
陽子は写真集をそっと撫でながら、真白に向き直った。
「真白。この写真に写っているのは、あなたじゃない。でも……あなたの“中にいる人”なの」
「……中に?」
真白が目を瞬かせる。
一朗がゆっくりと言葉を継いだ。
「その女性の名前は“真白”だ。俺たちの命を救ってくれた、白蛇の神様の化身だったんだ。母さん――陽子を守るために、そしてお前の命を繋ぐために、自分のすべてを差し出した」
真白の唇がわずかに震えた。
「白蛇……? 神様……? そんな……」
陽子は静かに頷いた。
「あなたがお腹の中にいた頃……私は事故で下半身が動かなくなった。でも入院していた病室で、“真白ちゃん”が現れて、彼女は言ったの。『私にしかできないことがある』って。そして……彼女は光に包まれて消えていった…。その後急に私はもう歩けるようになっていた。あなたは、そのときお腹にいた命――“真白ちゃん”が守った命なのよ」
真白は、信じられないという顔で二人を見つめた。
「……じゃあ、私の名前は……」
「彼女の名前をつけたの。あなたに…」
陽子が微笑んだ。
「『真白』。純粋で、清らかで、そして強い。あの子が残していった“希望”の名前よ」
真白は膝の上で手を握りしめた。
心臓の鼓動が耳に響く。
それは、自分の奥深くで何かが目を覚ますような感覚だった。
「……だから、母さんは“ミキ”だったことも、“真白ちゃん”のことも、私には話さなかったの?」
陽子は涙をこぼしながら頷いた。
「あなたには、あなたの人生を歩んでほしかったの。過去の影じゃなく、あなた自身として」
真白はゆっくりと立ち上がる。
写真集を胸に抱きしめると、小さく呟いた。
「……私の中に“真白ちゃん”がいるなら、きっと、ずっと見守ってくれてたんだね……」
その瞬間、どこからともなく、やわらかな風が吹き抜けた。
窓辺のカーテンがふわりと揺れる。
陽子と一朗は思わず顔を見合わせた。
まるで“彼女”が、そっと微笑んでいるように――。
「真白」~~雪と蛇の女~~ 完結
ご愛読ありがとうございました。これにて真白の物語は幕を閉じます。また次作でお会いしましょう!
作者 まへまへ
厨房からは香ばしい匂いが漂い、湯気の立つ料理が食卓に並んでいく。
「いやぁ、今日の仕入れは疲れたなぁ……」
一朗が腕を伸ばして大きく伸びをする。
「一朗、今日は遠くまで行ったんでしょ。お疲れさま」
美佐子が微笑みながら、大皿をテーブルの中央に置いた。煮込みハンバーグの香りがふわりと広がる。
「真白の好きなやつ作っといたからね」
「ありがとう、ばあちゃん」
陽子は笑いながら箸を並べて、ふと時計を見る。
「もう七時半か……真白、まだ部屋?」
「夕方に帰ってきたと思うけどな」
一朗は首をかしげながら、味噌汁をよそいはじめた。
「髪、切るって言ってたろ。鏡の前で気にしてんじゃないのか?」
陽子は少し笑って、「あの子ねぇ、身だしなみにはうるさいんだから」と言いながら、階段の方へ声をかけた。
「真白!早く出てきなさい!夕食食べるわよー!」
……返事はない。
「おーい、真白?聞こえてるか?」
一朗も笑いながら声を張るが、やはり静かだった。
陽子がため息をついて立ち上がろうとした、そのとき――
階段の上から、「……いま行くー」と、かすかに声がした。
そして、ゆっくりと足音が響いてくる。
コツ、コツ――と、ひとつひとつ確かめるような足取り。
最初に見えたのは黒光りする長いブーツ。
次に、光沢を帯びた漆黒のラバー。
体のラインにぴったりと張りつくスーツは、照明の明かりを柔らかく反射している。
階段を降りてきた真白は――まるで写真集の中から抜け出してきたようだった。
腰を絞るラバーコルセット、金色に輝く瞳、そして短く切り揃えられた黒髪が、彼女の白い肌を一層際立たせている。
陽子は、椅子から立ち上がった。
息が止まる。
それは、かつて見た“彼女”の姿――。
あの夜、光に包まれて消えていった真白。
一朗を守るために自らの命を差し出した、あの白蛇の少女。
目の前の娘が、まるでその“真白”と重なって見えた。
「……ま、しろ……?」
陽子の声は震えていた。
一朗も同じように呆然と立ち尽くしている。
手の中の箸がわずかに震え、テーブルに当たって小さな音を立てた。
「どうしたの? 二人とも」
真白は小首を傾げ、まるで写真集のポーズのように微笑む。
その笑顔――かつて、あの病室で消えていった真白が見せた最後の笑みと、まったく同じだった。
一瞬、空気が止まったようだった。
美佐子でさえ、手にしたお玉を握ったまま動けない。
「……真白、あんた……」
陽子が震える声で言う。
「その格好……どこで……」
真白は屈託のない笑顔で答えた。
「ねぇ、母さん。この服、物置にあったんだよ。すごいでしょ? ピッタリなの!」
しかし――陽子の目からは、ぽろりと涙が落ちた。
目の前の娘が、まるで“もう一度帰ってきた”真白のように見えて仕方がなかった。
一朗は、無意識のうちに拳を握りしめ、声を震わせた。
「……真白……お前……どうして、その姿を……」
真白はきょとんとしながらも、どこか不思議そうに首を傾げた。
「なんでそんな顔してるの? ただ、びっくりさせようと思って……」
食卓の上に、静寂が落ちた。
湯気を立てていた味噌汁も、煮込みハンバーグの香りも、今はまるで遠い世界のもののように感じられる。
真白は椅子に座ると、そっと持ってきた写真集をテーブルの中央に置いた。
その表紙には、ラバースーツに身を包んだ金髪の女性――若かりし頃の「ミキ」が微笑んでいた。
「母さん、父さん」
真白の声は静かだが、どこか張りつめていた。
「さっきの反応……どうしてそんな顔したの?」
一朗も陽子も言葉を失っていた。
真白は続ける。
「この写真集、物置にあったの。母さんが写ってるんでしょ? “ミキ”って名前で。私に内緒にしてたのはなぜ? 社会現象を起こした人気モデルだったって、すごいことなのに。……それに――」
真白はページを開く。
震える指で、最後の一枚を指さした。
「この写真。最後のページの、この人。私にそっくりなこの人は……誰なの?」
部屋の空気が止まった。
時計の秒針の音だけが、カチ、カチ、と響く。
陽子は、ゆっくりと息を吸い込んで、写真を見つめた。
その瞳が少しずつ潤んでいく。
「……そうね。もう話さなきゃいけない時が来たんだと思う」
「陽子……」
一朗が静かに頷く。
陽子は写真集をそっと撫でながら、真白に向き直った。
「真白。この写真に写っているのは、あなたじゃない。でも……あなたの“中にいる人”なの」
「……中に?」
真白が目を瞬かせる。
一朗がゆっくりと言葉を継いだ。
「その女性の名前は“真白”だ。俺たちの命を救ってくれた、白蛇の神様の化身だったんだ。母さん――陽子を守るために、そしてお前の命を繋ぐために、自分のすべてを差し出した」
真白の唇がわずかに震えた。
「白蛇……? 神様……? そんな……」
陽子は静かに頷いた。
「あなたがお腹の中にいた頃……私は事故で下半身が動かなくなった。でも入院していた病室で、“真白ちゃん”が現れて、彼女は言ったの。『私にしかできないことがある』って。そして……彼女は光に包まれて消えていった…。その後急に私はもう歩けるようになっていた。あなたは、そのときお腹にいた命――“真白ちゃん”が守った命なのよ」
真白は、信じられないという顔で二人を見つめた。
「……じゃあ、私の名前は……」
「彼女の名前をつけたの。あなたに…」
陽子が微笑んだ。
「『真白』。純粋で、清らかで、そして強い。あの子が残していった“希望”の名前よ」
真白は膝の上で手を握りしめた。
心臓の鼓動が耳に響く。
それは、自分の奥深くで何かが目を覚ますような感覚だった。
「……だから、母さんは“ミキ”だったことも、“真白ちゃん”のことも、私には話さなかったの?」
陽子は涙をこぼしながら頷いた。
「あなたには、あなたの人生を歩んでほしかったの。過去の影じゃなく、あなた自身として」
真白はゆっくりと立ち上がる。
写真集を胸に抱きしめると、小さく呟いた。
「……私の中に“真白ちゃん”がいるなら、きっと、ずっと見守ってくれてたんだね……」
その瞬間、どこからともなく、やわらかな風が吹き抜けた。
窓辺のカーテンがふわりと揺れる。
陽子と一朗は思わず顔を見合わせた。
まるで“彼女”が、そっと微笑んでいるように――。
「真白」~~雪と蛇の女~~ 完結
ご愛読ありがとうございました。これにて真白の物語は幕を閉じます。また次作でお会いしましょう!
作者 まへまへ
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