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クリスマスの贈り物 前編
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冬の朝。
空気はきりっと冷たく、吐く息が白くなる。
家の玄関の前には、小さなスーツケースが一つ置かれていた。
青い子ども用のキャリーケース。
横には赤いリュック。
リュックには、少し大きめのぬいぐるみが顔を出している。
その持ち主、紅平は、もう待ちきれない様子だった。
「ねえパパ!」
玄関でくるくる回りながら言う。
「雪すごいかな!?」
一平は靴を履きながら笑う。
「東北だからな」
「大阪よりはすごいだろ」
紅平の目がきらきらする。
「雪だるま作れる!?」
「作れると思うぞ」
「やった!」
その横で麗子がマフラーを整えている。
「紅平、落ち着きなさい」
そう言いながらも、口元は笑っている。
今日は特別な日だった。
紅平が小学校に入って、初めての冬休み。
そして紅平にとって、初めての“ひとり旅”。
もちろん完全に一人ではない。
玄関の外には、もう一人待っている。
麗子の母、つまり紅平のおばあちゃんだ。
東北からわざわざ迎えに来てくれた。
「紅平ー」
外から優しい声がする。
紅平はぱっと玄関のドアを開けた。
「おばあちゃーん!」
外の空気が流れ込む。
門の前には、厚いコートを着た女性が立っていた。
白い息を吐きながら笑っている。
「そんなに元気だと、雪国でも平気だねえ」
紅平は駆け寄る。
「ぼくね!」
「雪いっぱい見たい!」
おばあちゃんは笑って頷く。
「うんうん、いっぱいあるよ」
「嫌になるくらいね」
紅平はさらに嬉しそうになる。
その様子を玄関から一平と麗子が見ていた。
麗子は少しだけしみじみした顔になる。
「ほんとに一人で行くのね」
一平は腕を組む。
「もう小学生だからな」
「そうだけど」
少し寂しそうに笑う。
「まだ赤ちゃんみたいな気がするのよ」
そのとき、紅平がくるっと振り向いた。
「パパ!ママ!」
小さな手を大きく振る。
「行ってきます!」
その顔は、もう完全に冒険者だった。
一平は思わず笑う。
「ちゃんとおばあちゃんの言うこと聞けよ」
「はーい!」
麗子はしゃがんで、紅平のマフラーを直す。
「寒かったらちゃんと手袋するのよ」
「あと、夜はちゃんと歯磨きして」
紅平は少し照れながら言う。
「わかってるよー」
麗子は頭をなでる。
柔らかい髪。
少し赤い色の髪。
生まれたときから変わらない色。
麗子はその髪を見ながら、優しく言った。
「楽しんできて」
紅平は大きく頷く。
「うん!」
おばあちゃんがスーツケースを持ち上げる。
「じゃあ行こうか」
紅平は一歩踏み出す。
それからまた振り向いた。
「パパ!」
「ん?」
「ぼく」
胸を張る。
「いっぱい写真撮る!」
一平は少し驚いて笑う。
「そうか」
「いいな」
紅平は誇らしそうに頷く。
「先に行って向こうで待ってるから!」
麗子は手を振る。
「お正月にはパパとママもそっちに行くからね!」
紅平とおばあちゃんは歩き出す。
少し小さな背中、でも足取りは軽い。
何度も振り向きながら、紅平は手を振る。
「パパー!」
「ママー!」
その声が遠くなる。
やがて角を曲がり、姿が見えなくなった。
静かになった玄関。
麗子がぽつりと言う。
「行っちゃった」
そして一平は少し笑う。
「でもあいつ」
「本当に冒険みたいな顔してたな」
麗子も笑った。
ーーーーーーーーーーー
紅平が東北の麗子の実家へ向かってから、家の中は少し静かになった。
さっきまで玄関の前で元気に走り回っていた足音も、今はもうない。
リビングの窓から見える冬の空は、どこか透き通っていて、街の音も少し遠く感じる。
麗子はソファに腰を下ろした。
「……静かね」
一平はキッチンでコーヒーを淹れている。
「だな」
湯気の立つカップを二つ持ってきて、テーブルに置く。
「紅平いないと、急に広く感じる」
麗子はカップを手に取って、ふっと笑った。
二人はしばらく、そんな話をしながら静かにコーヒーを飲んでいた。
そして麗子がふと思いついたように言った。
「ねえ」
「ん?」
「久しぶりに柴崎さんところ行かない?」
一平はカップを持ったまま顔を上げる。
「柴崎さん?」
麗子は頷く。
「うん。ケーキ持って」
そう言って少し笑う。
一平も思い出したように頷いた。
「そうだな。クリスマスだしな」
柴崎さんの児童施設。
麗子の出産の場所。危機を救ってくれた場所だった。
「子ども達も喜ぶだろ」
一平はそう言ってから少し肩をすくめる。
「命を祝う場所だったな…児童施設の子ども達のところにも行かないとな」
「でも…今年はせっかく二人きりのクリスマスなんだけどな…」
その言い方が少し真面目すぎて、麗子はくすっと笑った。
「ふふ」
「なんだよ」
麗子は楽しそうな顔で言う。
「何言ってんの?」
そして指を二本立てる。
「両方とも楽しむに決まってるじゃない」
一平は少し首をかしげる。
「両方?」
麗子は少し身を乗り出した。
「そう!まず柴崎さんのところに行く」
指を一本折る。
「ケーキ持って…子ども達に配る」
そしてもう一本の指を折る。
「そのあと」
少し言葉を止める。
麗子の顔がほんの少し赤くなる。
一平が不思議そうに見る。
「そのあと?」
麗子は視線を少し逸らしながら、小さく言った。
「……昔行った…ラブホ?」
一平は一瞬きょとんとする。
記憶の引き出しを、ゆっくり開けるような顔。
「え?」
麗子は少し肩をすくめて、くすっと笑った。
「覚えてない?」
「いや……」
頭をかきながら考える。
「行ったのは覚えてるけど…なんで今それが出てくるんだ?」
麗子はソファの背にもたれて、少し遠くを見るような目をした。
そして静かに言った。
「私の癌の浄化で、一晩泊まったじゃない」
一平の表情がふっと変わる。
「ああ……」
思い出した。
忘れるはずのない夜。
麗子は少し笑う。
「しかも赤い髪の化け物の姿でね」
一平は思わず吹き出す。
「そうだったな…あれはすごかった」
麗子も笑う。
「黒い肌で赤い髪で牙まで生えてて…」
「完全に人間じゃなかった」
一平は腕を組んで天井を見上げる。
そして麗子は指を軽く立てた。
「それに…その前も行ったでしょ?」
「前?」
「うん」
「一平の命を救うために」
少し静かになる。
あの夜、朝まで過ごした時間。
麗子は言った。
「そのときは」
一平を見る。
「一平があの化け物だった」
一平は苦笑する。
「赤い髪で…黒い肌で…」
麗子が続ける。
「完全に怪物」
二人は顔を見合わせて同時に笑った。
「たしかに」
「ね?」
麗子は少し身を乗り出して言う。
「つまり」
指を二本立てる。
「二回とも」
「どっちかは人間じゃない姿だった…」
一平は頷く。
「そうだな」
麗子は小さく笑った。
「だから気づいたのよ」
「何を?」
麗子は少し照れた顔をして言う。
「私たち一緒に人間の姿であそこ行ったことない」
一平は一瞬黙る。
それからゆっくり笑う。
「ほんとだ」
「普通のカップルみたいに行ったことないな」
麗子は頷く。
「でしょ?」
そして少しだけ顔を赤くして言った。
「だから行きたいの」
その言い方は、昔と少しも変わっていなかった。
少し照れていて、でも楽しそうで。
一平はその顔を見て、優しく笑った。
「なるほど!それは確かに」
「でもさ」
麗子を見る。
「思い出すとやっぱり衝撃的だったな」
麗子は首をかしげる。
「どっち?」
一平はすぐに答える。
「両方」
思わず二人で笑う。
一平は指を一本立てる。
「まず一回目」
少し肩をすくめる。
「俺が化け物の女だった」
麗子は吹き出す。
「言い方!」
一平も笑う。
「でも事実だろ。赤い髪で黒い肌で完全に別の生き物だった」
麗子は当時を思い出すように目を細める。
「あのとき一平、すごく混乱してたわね」
一平は苦笑する。
「当たり前だよ」
「男だった俺が急に女だぞ。しかも化け物」
麗子は静かに頷く。
「そしてあの夜…あなたに女性の体を知ってもらった…」
言葉は静かだが、どこか真剣だった。
一平もゆっくり頷く。
「……ああ…女性のオーガズムの感覚ってやつを体験させてもらった」
少しだけ照れくさそうに笑う。
「人生で一番、奇妙で一番、不思議な夜だった」
麗子も小さく笑った。
「実は私も…」
「理性のブレーキが外れっちゃって…」
一平は思わず笑う。
「赤い髪のあの化け物の姿に好意をもった…」
麗子は肩をすくめる。
「そうだね…すごく興奮しちゃった…」
そして一平は二本目の指を立てる。
「二回目」
少し声を落とす。
「あのときは…麗子が化け物だった」
麗子は静かに頷く。
「そうね」
一平は遠くを見るような目になる。
「それで…俺はあの姿の麗子を抱いた…」
その言葉は、静かだった。
誇らしさにも似た優しさが混じっている。
麗子は少しだけ目を伏せた。
一平は続ける。
「あの夜…朝まで一緒にいて」
「そして」
ゆっくり麗子を見る。
「そのときに授かったのが紅平だ」
リビングに少し静かな空気が流れる。
二人とも同じことを思い出していた。
奇跡のような夜。
麗子は小さく笑った。
「ほんと…不思議な夫婦よね」
一平は頷く。
「普通じゃない」
それから少し冗談めかして言う。
「じゃあ…今度はどうなる?」
「三回目…今度は普通か?」
麗子は一瞬きょとんとした。
それから顔がほんのり赤くなる。
「……もう」
少し照れながら視線を逸らす。
そして小さく言った。
「普通かどうかは」
「うん?」
麗子は口元を押さえて笑う。
「趣味研究発表の場にしましょう」
一平は一瞬黙る。
その言い方があまりにも真面目で、そしてどこか楽しそうだったからだ。
それから、ふっと肩を揺らして笑った。
「また研究ですか!」
麗子は胸を張る。
「当然よ!私たちの人生、ほとんど趣味研究みたいなものじゃない」
一平はコートを腕にかけながら苦笑する。
「それは否定できないな」
玄関に向かいながら、ふと振り返る。
「でも研究発表って?そんな大げさなものか?」
麗子は少し考えるような顔をした。
それから、どこかいたずらを思いついた子どものような表情になる。
「実はね」
声を少し落として言う。
「…新しいサンタのコスチューム買っちゃったの…」
一平は足を止める。
「サンタ?」
麗子は頷く。
「…うん」
「柴崎さんのところに行くなら前回みたいに、ちゃんとクリスマスっぽくしたいでしょ?」
一平は感心したように笑う。
「なるほど…麗子サンタ新バーションだな」
麗子は少し照れながらも、でもどこか誇らしげだ。
「そう…でもね……」
そこで少し言葉を止める。
指先でマグカップの縁をなぞるようにしながら、少しだけ困った顔をした。
「ちょっと…問題があって」
「問題?」
麗子は小さく頷く。
「…うん…子ども達に見せていいかどうか」
少し視線を泳がせる。
「わからないの」
一平は首をかしげる。
「どういう意味だ?」
麗子は一瞬迷う。
それから、一平の方を見て少し笑った。
「一平……」
声が少しだけ柔らかくなる。
「今夜着てみるから見てくれない?」
一平はぽかんとする。
頭の中で言葉を組み立てようとしているような顔。
「……?」
意味がうまくつながらない。
サンタ。
研究発表。
ラブホテル。
全部が一つの話になっている。
一平は少し考えてから、結局肩をすくめて笑った。
「まあいいよ…見ればわかるんだろ?」
麗子の顔がぱっと明るくなる。
「ほんと?」
「おう!趣味研究なんだろ?」
麗子は嬉しそうに頷いた。
「うん!ちゃんと評価してね」
一平は玄関のドアを開けながら言う。
「審査員は俺一人か」
麗子はくすっと笑った。
「最高の審査員よ」
麗子は楽しそうに手を叩いた。
「じゃあ」
くるっと向きを変える。
「着替えてくるね!」
振り返って指をさす。
「ちゃんと審査してよ!」
一平は苦笑しながら手を上げる。
「わかった!わかった!ちゃんと見るよ!」
麗子は満足そうに頷くと、そのまま寝室の方へ向かった。
ーーーーーーーーーーー
廊下の奥。
クローゼットの扉が開く音がする。
ガサガサ。
ハンガーが揺れる音。
一平はリビングのソファに腰を下ろした。
「サンタのコスチュームって言ってたよな……」
腕を組みながら考える。
「でも子どもに見せていいか迷うって……」
嫌な予感というより、妙な予感がしてくる。
「麗子のことだからなあ」
少し笑う。
時間が過ぎる。
10分。
まだ出てこない。
一平は壁の時計を見る。
「長いな」
さらに数分。
クローゼットの方から、また衣擦れの音、何かを整える気配。
「そんなに大掛かりな衣装なのか?」
独り言をつぶやく。
そして約20分後。
寝室の扉が、ゆっくり開いた。
コツ。
ゆっくりとした足音が廊下から近づく。
一平は何気なく顔を上げた。
そして…固まった…。
リビングの入り口に立っていたのは――
赤。
全身が鮮やかな赤に包まれている。
長いコート。
光沢のある素材が、部屋の光を受けて静かに艶めいている。
ラバー。
滑らかな赤いラバーのロングコートが、麗子の体を頭から足元まで覆っていた。
腰のラインはコルセットのように締められ、コートのシルエットは細く長く、美しく整えられている。
袖は手首までぴったり。
手には赤いラバーのグローブ。
ブーツも同じ素材で統一されている。
そして顔。
顔も完全に覆われていた。
赤いラバーマスク。
ぴったりと肌に密着した滑らかな表面。
目の部分だけが形に沿って浮き上がり、艶やかな赤が光を反射している。
さらに頭の上には―ーーサンタ帽。
だがそれも布ではない。
同じ赤いラバーで作られた先の丸いサンタ帽子。
白い縁取りまでラバーで再現されている。
その姿はサンタというより、まるで赤いラバーの女王。
一平はしばらく言葉が出なかった。
ただ目の前の完成度を見つめていた。
光沢。
シルエット。
細部。
完全に作り込まれている。
麗子はゆっくり一歩前に出た。
ラバーコートが静かにきしむ。
そして両手を少し広げて見せる。
マスク越しの声が柔らかく響く。
「どうかな?」
一平はまだ少し呆然としていた。
それからようやく口を開く。
「……すごいな」
目を細めてもう一度全身を見る。
「完成度が高すぎる」
麗子は少し嬉しそうに肩を揺らした。
「でしょ?」
ラバーのサンタ帽が小さく揺れる。
「だから迷ってるの」
少し首をかしげる。
「子ども達に見せていいかどうか」
その言い方がどこか真剣で、そして少し楽しそうでもあった。
一平は腕を組みながら、改めて“審査員”の顔になる。
「なるほど」
ゆっくり頷く。
「これは確かに審査が必要だな」
赤いラバーサンタは、静かに一平の答えを待っていた。
赤いラバーコートに身を包んだ麗子は、リビングの中央で静かに立っていた。
光沢のある赤が、部屋の灯りを受けてやわらかく反射している。
ラバーのサンタ帽の先がわずかに揺れる。
一平は腕を組んだまま、しばらくその姿を見ていた。
審査員のような顔。
そして、ゆっくり口を開く。
「正直に言うぞ」
麗子は小さく頷く。
「うん」
マスク越しでも、期待している雰囲気が伝わってくる。
一平はソファから立ち上がった。
麗子の周りを少し歩いて、衣装を観察する。
「完成度はすごい…本当にすごい」
麗子の肩が少し嬉しそうに動く。
一平は続けた。
「でも‥」
少し真面目な声になる。
「子ども達はびっくりすると思う」
麗子は小さく首を傾ける。
「びっくり?」
一平は頷く。
「うん」
「かなり」
赤いラバーのコートを指さす。
「場合によっては…怖がる子もいるかもしれない…」
その言葉に、麗子は少し考えるように静かになる。
確かに普通の赤いサンタ服ではない。
光沢のある赤。
顔まで覆われたマスク。
小さな子どもなら驚いて怖がる可能性はある。
麗子は腕を軽く組んだ。
ラバーの手袋がきゅっと音を立てる。
「なるほど……」
一平はそこで、ぱっと表情を変えた。
少し楽しそうな顔になる。
「だから…コンセプトが必要だ」
「コンセプト?」
一平は頷く。
「登場する前に子ども達に説明するんだ」
手振りをつけながら話す。
「今日のサンタは普通のサンタじゃない」
少し声色を変える。
「未来から来た!」
さらに身振りを大きくする。
「スーパーレディーサンタだ!」
麗子は思わず笑いそうになる。
マスクの下で肩が揺れる。
一平は続ける。
「つまり未来型サンタの特別仕様」
赤い衣装をもう一度見て頷く。
「この衣装なら、むしろヒーローっぽい」
麗子は少し感心した声になる。
「なるほど」
一平は胸を叩く。
「司会は俺がやる」
「最初に子ども達に説明する」
それから麗子を見た。
「でも‥そのあとが大事だ」
「あと?」
一平は真剣な顔で言う。
「麗子にも演技力が求められる」
麗子は一瞬きょとんとする。
一平は続ける。
「未来から来たスーパーレディーサンタ」
「その設定で登場する!ヒーローっぽく!」
「堂々とカッコよく!」
そして最後に聞いた。
「できる?」
リビングに少し静かな空気が流れる。
麗子はゆっくり歩き出した。
ヒールの音。
コツ。
コツ。
ラバーコートが静かに揺れる。
赤いサンタ帽の先が、わずかに動く。
麗子は部屋の端まで歩き、少し考える。
腕を組み、顎に手を当てる仕草。
コツ。
また一歩。
ヒールの音が床に響く。
一平はその様子を見守っている。
やがて麗子は足を止めた。
ゆっくり振り向く。
赤いマスクの奥の視線が、一平に向く。
そして短く言った。
「やる!」
一平は腕をぱん、と軽く叩いた。
「よし!」
声が少し弾む。
「決まりだな!」
麗子はその言葉を聞くと、思わず両手をぐっと握った。
赤いラバーの手袋がきゅっと音を立てる。
そして小さく―ーガッツポーズ。
「やった!」
ヒールの先が床を軽く叩き、コツッと音が響く。
サンタ帽の先も、ぴょこんと揺れた。
一平はその様子を見て思わず笑う。
「ずいぶん嬉しそうだな」
麗子は肩をすくめる。
「だって…面白そうじゃない」
その言い方は、研究の実験が成功しそうなときの麗子の声に似ていた。
一平は少し歩いて麗子の前に立つ。
それから、ふと首をかしげた。
「でもさ」
「うん?」
一平は素直な疑問を口にする。
「なんで秘密の趣味を」
赤い衣装を指さす。
「子ども達に見せるんだ?」
麗子はその場で静かに立っている。
赤いラバーマスクのせいで表情は見えない。
目元の形だけが、わずかに柔らかく動いたように見える。
少しの沈黙。
それから麗子はゆっくり言った。
「……見られたいの」
一平は瞬きをする。
麗子は続けた。
声は静かだが、どこかはっきりしている。
「もう…ラバーは…」
胸に手を当てる。
「…自分を隠す服じゃなくなったから…」
部屋の空気が少し落ち着く。
麗子はゆっくり歩きながら話す。
コツ。
コツ。
ヒールの音が静かに響く。
「昔はね…隠れるためのものだったの‥」
赤い手袋の指先でコートの袖を軽くなぞる。
「誰にも見られないように‥自分を閉じ込めるみたいな感じ…」
一平は黙って聞いている。
麗子は小さく首を振った。
「でも…そう思えるようになったら…」
一平を見る。
「今度は」
少し声が柔らかくなる。
「見せたい…見られたいって…思うようになった」
一平は静かに頷いた。
麗子は続ける。
「そうなったきっかけは」
少し笑う気配。
「ずっと前に一平に言ったけど」
「……?」
麗子は一歩近づいた。
赤いラバーコートがわずかに光る。
「私が…一平に見せたいって思って…ラバー女王の衣装を着たとき」
一平の記憶がゆっくりよみがえる。
あの夜…麗子が自分から見せた姿。
麗子は静かに言った。
「覚えてる?」
一平は小さく笑った。
「ああ…忘れるわけない」
麗子は軽く肩を揺らす。
「でしょ?」
「だから」
両手を少し広げる。
赤いサンタの姿。
「その延長で隠すんじゃなくて…」
「見せる」
一平はしばらく麗子を見つめていた。
そして、ふっと笑う。
「なるほどな」
腕を組みながら軽くうなずく。
「未来型スーパーレディーサンタ」
「そして自己表現としてのラバー」
少しおどけた口調で続ける。
「なかなか深いテーマだ」
その言い方に、麗子は一瞬うれしそうに背筋を伸ばした。
……が!次の瞬間。
急に、ばっと手を振った。
「でもね!」
声が急に慌てた声色になる。
一平は思わず目をぱちぱちさせる。
麗子は慌てたように両手を動かして続ける。
「見せたいって言っても!」
「誰でもいいわけじゃなくて!」
赤いラバーの手袋がばたばたと動く。
コートの袖が光を反射してきらりと揺れる。
「その、あの……!」
言葉がうまくまとまらないらしく、麗子はヒールでその場を小さく歩き回り始めた。
コツ。
コツ。
赤いラバーコートが揺れる。
「だって!」
振り向いて一平を見る。
「見ようによっては」
自分の体を指さす。
「この姿……」
少し声が小さくなる。
「エロい男性の視線を…集めそうじゃない?」
一平は思わず笑いそうになるのをこらえる。
麗子は慌ててさらに言葉を重ねる。
「そういうんじゃないの!」
両手をぶんぶん振る。
ラバー手袋がきゅっきゅっと音を立てる。
「ほんとに!」
「そういう意味じゃなくて!」
「誰もそこまで」
「違うの!」
遮るように言う。
「露出とかじゃ決して!」
赤いマスクの下で、きっと顔はかなり赤くなっている。
「ほら!」
コートの前を軽く引っ張る。
「ちゃんと全部覆ってるし!」
「むしろ露出ゼロだし!」
一平はとうとう笑ってしまう。
「誰もそこ聞いてないぞ」
麗子は一瞬止まる。
それから…ぴたりと動きが止まった。
赤いマスクがゆっくり一平を向く。
「……あ」
一平は肩を揺らして笑う。
「急に弁解始めたから何の話かと思った」
麗子は少しだけうつむく。
ラバーのサンタ帽の先がしょんぼり垂れる。
「だって……誤解されたくないし」
麗子は小さく呟く。
一平は優しく言う。
「わかってるよ」
麗子を見る。
「麗子は自分の表現として着てるんだろ」
麗子はゆっくり顔を上げた。
赤いマスク越しでも、ほっとした雰囲気が伝わってくる。
一平はにやっと笑う。
「それに未来型スーパーレディーサンタだしな」
麗子の肩がふっと揺れ、そして小さく笑った。
「そう!ヒーローサンタ」
ヒールの音を立てて一歩近づく。
「だから変な目で見たら」
少しおどけた声になる。
「未来パワーでやっつけるわ」
一平は吹き出した。
「それは怖いな」
冬の夜のリビングに、二人の笑い声がやわらかく広がった。
ーーーーーーーーーーーーーー
クリスマスイブの夕方。
空はすっかり冬の色になり、街の灯りが少しずつともり始めていた。
吐く息は白く、空気はひんやりしている。
一台の車が、児童施設の前にゆっくりと停まった。
エンジンが止まり、静けさが戻る。
運転席の一平は、ハンドルに手を置いたまま隣を見る。
助手席。
そこには、赤い光沢をまとった人物が座っていた。
ラバーのロングコート。
赤いラバーグローブ。
赤いブーツ。
そして顔を覆うラバーマスク。
頭には、同じ素材で作られたサンタ帽。
未来型スーパーレディーサンタ。
麗子は両手をぎゅっと握る。
「どう?」
マスク越しの声が少し弾んでいる。
「完璧?」
一平はしばらくその姿を見て、にやりと笑った。
「完璧すぎる」
それからケーキの箱を持ち上げる。
「じゃあ…司会者、先に行ってくる」
麗子は背筋を伸ばす。
「了解!ヒーローはタイミングを待つ」
一平は車のドアを開けた。
冷たい空気が流れ込む。
「派手に頼むぞ」
麗子は胸を軽く叩く。
ラバーがきゅっと音を立てた。
「任せて」
一平はケーキの箱を抱え、施設の玄関へ歩く。
中からは、子ども達の賑やかな声が聞こえていた。
ドアを開ける。
「あっ、一平さん!」
職員の一人が気づく。
奥では子ども達がテーブルの周りでわいわい騒いでいる。
「ケーキだー!」
「クリスマスだ!」
一平は笑いながら箱を掲げる。
「メリークリスマス!」
子ども達が歓声を上げる。
そのとき奥から一人の男性が歩いてきた。
柴崎だ。
「来てくれたか」
一平は小さく頷く。
「外で待機中」
柴崎は少し笑った。
「例のサンタか」
一平も笑う。
「かなり未来的です…。。」
柴崎は肩をすくめる。
「楽しみだ」
やがて子ども達がホールに集められる。
椅子が並び、ざわざわした空気。
一平は前に立った。
軽く手を叩く。
「みんなー!」
子ども達が一斉に見る。
「今日は特別なクリスマスだ!」
「ケーキもある!」
歓声。
「でも!」
一平は声を少し大きくする。
「今日は普通のサンタじゃない!」
子ども達がざわつく。
「え?どういうこと?」
一平は大げさに手を広げる。
「なんと!!今日のサンタは!!」
少し間を置く。
「未来から来た!」
子ども達
「えーーー!」
一平
「未来型!」
「スーパーレディーサンタだ!」
ホールが一気に盛り上がる。
「ほんと!?」
「未来!?」
一平は玄関の方を見る。
「呼んでみよう!」
大きく叫ぶ。
「未来型スーパーレディーサンタ!」
「登場だーー!!」
その瞬間…玄関のドアがゆっくり開いた。
コツ。コツ。
ヒールの音が廊下に響く。
赤い光沢が姿を現す。
長いラバーコート。
輝く赤。
未来型サンタ。
麗子は両手を広げた。
「メリークリスマース!!」
声はいつもよりかなり高く、元気いっぱい。
子ども達
「うわあああ!!」
「すげー!!」
「かっこいい!!」
麗子はヒーローのように歩く。
コツ。コツ。
コートがきらりと光る。
「私は未来から来た!」
「スーパーレディーサンタ!」
子ども達
「未来ー!!ほんとに!?」
麗子は胸を張る。
「未来では!サンタもパワーアップしている!」
腕をぐっと上げる。
「プレゼントも!ケーキも!」
「笑顔も!三倍だーー!!」
子ども達は大爆笑。
「三倍!!すげー!!」
一平は横で腕を組みながら笑っていた。
(完璧だな…)
麗子はさらにヒーロー風にポーズを取る。
ラバーのサンタ帽が揺れる。
「みんな!元気かー!」
子供達は答える。
「元気ー!!」
「よし!未来パワー全開だ!」
子ども達はすっかり夢中だった。
怖がる子は一人もいない。
むしろ目を輝かせている。
一平は小さく笑った。
未来型スーパーレディーサンタ。
その作戦は――大成功だった。
空気はきりっと冷たく、吐く息が白くなる。
家の玄関の前には、小さなスーツケースが一つ置かれていた。
青い子ども用のキャリーケース。
横には赤いリュック。
リュックには、少し大きめのぬいぐるみが顔を出している。
その持ち主、紅平は、もう待ちきれない様子だった。
「ねえパパ!」
玄関でくるくる回りながら言う。
「雪すごいかな!?」
一平は靴を履きながら笑う。
「東北だからな」
「大阪よりはすごいだろ」
紅平の目がきらきらする。
「雪だるま作れる!?」
「作れると思うぞ」
「やった!」
その横で麗子がマフラーを整えている。
「紅平、落ち着きなさい」
そう言いながらも、口元は笑っている。
今日は特別な日だった。
紅平が小学校に入って、初めての冬休み。
そして紅平にとって、初めての“ひとり旅”。
もちろん完全に一人ではない。
玄関の外には、もう一人待っている。
麗子の母、つまり紅平のおばあちゃんだ。
東北からわざわざ迎えに来てくれた。
「紅平ー」
外から優しい声がする。
紅平はぱっと玄関のドアを開けた。
「おばあちゃーん!」
外の空気が流れ込む。
門の前には、厚いコートを着た女性が立っていた。
白い息を吐きながら笑っている。
「そんなに元気だと、雪国でも平気だねえ」
紅平は駆け寄る。
「ぼくね!」
「雪いっぱい見たい!」
おばあちゃんは笑って頷く。
「うんうん、いっぱいあるよ」
「嫌になるくらいね」
紅平はさらに嬉しそうになる。
その様子を玄関から一平と麗子が見ていた。
麗子は少しだけしみじみした顔になる。
「ほんとに一人で行くのね」
一平は腕を組む。
「もう小学生だからな」
「そうだけど」
少し寂しそうに笑う。
「まだ赤ちゃんみたいな気がするのよ」
そのとき、紅平がくるっと振り向いた。
「パパ!ママ!」
小さな手を大きく振る。
「行ってきます!」
その顔は、もう完全に冒険者だった。
一平は思わず笑う。
「ちゃんとおばあちゃんの言うこと聞けよ」
「はーい!」
麗子はしゃがんで、紅平のマフラーを直す。
「寒かったらちゃんと手袋するのよ」
「あと、夜はちゃんと歯磨きして」
紅平は少し照れながら言う。
「わかってるよー」
麗子は頭をなでる。
柔らかい髪。
少し赤い色の髪。
生まれたときから変わらない色。
麗子はその髪を見ながら、優しく言った。
「楽しんできて」
紅平は大きく頷く。
「うん!」
おばあちゃんがスーツケースを持ち上げる。
「じゃあ行こうか」
紅平は一歩踏み出す。
それからまた振り向いた。
「パパ!」
「ん?」
「ぼく」
胸を張る。
「いっぱい写真撮る!」
一平は少し驚いて笑う。
「そうか」
「いいな」
紅平は誇らしそうに頷く。
「先に行って向こうで待ってるから!」
麗子は手を振る。
「お正月にはパパとママもそっちに行くからね!」
紅平とおばあちゃんは歩き出す。
少し小さな背中、でも足取りは軽い。
何度も振り向きながら、紅平は手を振る。
「パパー!」
「ママー!」
その声が遠くなる。
やがて角を曲がり、姿が見えなくなった。
静かになった玄関。
麗子がぽつりと言う。
「行っちゃった」
そして一平は少し笑う。
「でもあいつ」
「本当に冒険みたいな顔してたな」
麗子も笑った。
ーーーーーーーーーーー
紅平が東北の麗子の実家へ向かってから、家の中は少し静かになった。
さっきまで玄関の前で元気に走り回っていた足音も、今はもうない。
リビングの窓から見える冬の空は、どこか透き通っていて、街の音も少し遠く感じる。
麗子はソファに腰を下ろした。
「……静かね」
一平はキッチンでコーヒーを淹れている。
「だな」
湯気の立つカップを二つ持ってきて、テーブルに置く。
「紅平いないと、急に広く感じる」
麗子はカップを手に取って、ふっと笑った。
二人はしばらく、そんな話をしながら静かにコーヒーを飲んでいた。
そして麗子がふと思いついたように言った。
「ねえ」
「ん?」
「久しぶりに柴崎さんところ行かない?」
一平はカップを持ったまま顔を上げる。
「柴崎さん?」
麗子は頷く。
「うん。ケーキ持って」
そう言って少し笑う。
一平も思い出したように頷いた。
「そうだな。クリスマスだしな」
柴崎さんの児童施設。
麗子の出産の場所。危機を救ってくれた場所だった。
「子ども達も喜ぶだろ」
一平はそう言ってから少し肩をすくめる。
「命を祝う場所だったな…児童施設の子ども達のところにも行かないとな」
「でも…今年はせっかく二人きりのクリスマスなんだけどな…」
その言い方が少し真面目すぎて、麗子はくすっと笑った。
「ふふ」
「なんだよ」
麗子は楽しそうな顔で言う。
「何言ってんの?」
そして指を二本立てる。
「両方とも楽しむに決まってるじゃない」
一平は少し首をかしげる。
「両方?」
麗子は少し身を乗り出した。
「そう!まず柴崎さんのところに行く」
指を一本折る。
「ケーキ持って…子ども達に配る」
そしてもう一本の指を折る。
「そのあと」
少し言葉を止める。
麗子の顔がほんの少し赤くなる。
一平が不思議そうに見る。
「そのあと?」
麗子は視線を少し逸らしながら、小さく言った。
「……昔行った…ラブホ?」
一平は一瞬きょとんとする。
記憶の引き出しを、ゆっくり開けるような顔。
「え?」
麗子は少し肩をすくめて、くすっと笑った。
「覚えてない?」
「いや……」
頭をかきながら考える。
「行ったのは覚えてるけど…なんで今それが出てくるんだ?」
麗子はソファの背にもたれて、少し遠くを見るような目をした。
そして静かに言った。
「私の癌の浄化で、一晩泊まったじゃない」
一平の表情がふっと変わる。
「ああ……」
思い出した。
忘れるはずのない夜。
麗子は少し笑う。
「しかも赤い髪の化け物の姿でね」
一平は思わず吹き出す。
「そうだったな…あれはすごかった」
麗子も笑う。
「黒い肌で赤い髪で牙まで生えてて…」
「完全に人間じゃなかった」
一平は腕を組んで天井を見上げる。
そして麗子は指を軽く立てた。
「それに…その前も行ったでしょ?」
「前?」
「うん」
「一平の命を救うために」
少し静かになる。
あの夜、朝まで過ごした時間。
麗子は言った。
「そのときは」
一平を見る。
「一平があの化け物だった」
一平は苦笑する。
「赤い髪で…黒い肌で…」
麗子が続ける。
「完全に怪物」
二人は顔を見合わせて同時に笑った。
「たしかに」
「ね?」
麗子は少し身を乗り出して言う。
「つまり」
指を二本立てる。
「二回とも」
「どっちかは人間じゃない姿だった…」
一平は頷く。
「そうだな」
麗子は小さく笑った。
「だから気づいたのよ」
「何を?」
麗子は少し照れた顔をして言う。
「私たち一緒に人間の姿であそこ行ったことない」
一平は一瞬黙る。
それからゆっくり笑う。
「ほんとだ」
「普通のカップルみたいに行ったことないな」
麗子は頷く。
「でしょ?」
そして少しだけ顔を赤くして言った。
「だから行きたいの」
その言い方は、昔と少しも変わっていなかった。
少し照れていて、でも楽しそうで。
一平はその顔を見て、優しく笑った。
「なるほど!それは確かに」
「でもさ」
麗子を見る。
「思い出すとやっぱり衝撃的だったな」
麗子は首をかしげる。
「どっち?」
一平はすぐに答える。
「両方」
思わず二人で笑う。
一平は指を一本立てる。
「まず一回目」
少し肩をすくめる。
「俺が化け物の女だった」
麗子は吹き出す。
「言い方!」
一平も笑う。
「でも事実だろ。赤い髪で黒い肌で完全に別の生き物だった」
麗子は当時を思い出すように目を細める。
「あのとき一平、すごく混乱してたわね」
一平は苦笑する。
「当たり前だよ」
「男だった俺が急に女だぞ。しかも化け物」
麗子は静かに頷く。
「そしてあの夜…あなたに女性の体を知ってもらった…」
言葉は静かだが、どこか真剣だった。
一平もゆっくり頷く。
「……ああ…女性のオーガズムの感覚ってやつを体験させてもらった」
少しだけ照れくさそうに笑う。
「人生で一番、奇妙で一番、不思議な夜だった」
麗子も小さく笑った。
「実は私も…」
「理性のブレーキが外れっちゃって…」
一平は思わず笑う。
「赤い髪のあの化け物の姿に好意をもった…」
麗子は肩をすくめる。
「そうだね…すごく興奮しちゃった…」
そして一平は二本目の指を立てる。
「二回目」
少し声を落とす。
「あのときは…麗子が化け物だった」
麗子は静かに頷く。
「そうね」
一平は遠くを見るような目になる。
「それで…俺はあの姿の麗子を抱いた…」
その言葉は、静かだった。
誇らしさにも似た優しさが混じっている。
麗子は少しだけ目を伏せた。
一平は続ける。
「あの夜…朝まで一緒にいて」
「そして」
ゆっくり麗子を見る。
「そのときに授かったのが紅平だ」
リビングに少し静かな空気が流れる。
二人とも同じことを思い出していた。
奇跡のような夜。
麗子は小さく笑った。
「ほんと…不思議な夫婦よね」
一平は頷く。
「普通じゃない」
それから少し冗談めかして言う。
「じゃあ…今度はどうなる?」
「三回目…今度は普通か?」
麗子は一瞬きょとんとした。
それから顔がほんのり赤くなる。
「……もう」
少し照れながら視線を逸らす。
そして小さく言った。
「普通かどうかは」
「うん?」
麗子は口元を押さえて笑う。
「趣味研究発表の場にしましょう」
一平は一瞬黙る。
その言い方があまりにも真面目で、そしてどこか楽しそうだったからだ。
それから、ふっと肩を揺らして笑った。
「また研究ですか!」
麗子は胸を張る。
「当然よ!私たちの人生、ほとんど趣味研究みたいなものじゃない」
一平はコートを腕にかけながら苦笑する。
「それは否定できないな」
玄関に向かいながら、ふと振り返る。
「でも研究発表って?そんな大げさなものか?」
麗子は少し考えるような顔をした。
それから、どこかいたずらを思いついた子どものような表情になる。
「実はね」
声を少し落として言う。
「…新しいサンタのコスチューム買っちゃったの…」
一平は足を止める。
「サンタ?」
麗子は頷く。
「…うん」
「柴崎さんのところに行くなら前回みたいに、ちゃんとクリスマスっぽくしたいでしょ?」
一平は感心したように笑う。
「なるほど…麗子サンタ新バーションだな」
麗子は少し照れながらも、でもどこか誇らしげだ。
「そう…でもね……」
そこで少し言葉を止める。
指先でマグカップの縁をなぞるようにしながら、少しだけ困った顔をした。
「ちょっと…問題があって」
「問題?」
麗子は小さく頷く。
「…うん…子ども達に見せていいかどうか」
少し視線を泳がせる。
「わからないの」
一平は首をかしげる。
「どういう意味だ?」
麗子は一瞬迷う。
それから、一平の方を見て少し笑った。
「一平……」
声が少しだけ柔らかくなる。
「今夜着てみるから見てくれない?」
一平はぽかんとする。
頭の中で言葉を組み立てようとしているような顔。
「……?」
意味がうまくつながらない。
サンタ。
研究発表。
ラブホテル。
全部が一つの話になっている。
一平は少し考えてから、結局肩をすくめて笑った。
「まあいいよ…見ればわかるんだろ?」
麗子の顔がぱっと明るくなる。
「ほんと?」
「おう!趣味研究なんだろ?」
麗子は嬉しそうに頷いた。
「うん!ちゃんと評価してね」
一平は玄関のドアを開けながら言う。
「審査員は俺一人か」
麗子はくすっと笑った。
「最高の審査員よ」
麗子は楽しそうに手を叩いた。
「じゃあ」
くるっと向きを変える。
「着替えてくるね!」
振り返って指をさす。
「ちゃんと審査してよ!」
一平は苦笑しながら手を上げる。
「わかった!わかった!ちゃんと見るよ!」
麗子は満足そうに頷くと、そのまま寝室の方へ向かった。
ーーーーーーーーーーー
廊下の奥。
クローゼットの扉が開く音がする。
ガサガサ。
ハンガーが揺れる音。
一平はリビングのソファに腰を下ろした。
「サンタのコスチュームって言ってたよな……」
腕を組みながら考える。
「でも子どもに見せていいか迷うって……」
嫌な予感というより、妙な予感がしてくる。
「麗子のことだからなあ」
少し笑う。
時間が過ぎる。
10分。
まだ出てこない。
一平は壁の時計を見る。
「長いな」
さらに数分。
クローゼットの方から、また衣擦れの音、何かを整える気配。
「そんなに大掛かりな衣装なのか?」
独り言をつぶやく。
そして約20分後。
寝室の扉が、ゆっくり開いた。
コツ。
ゆっくりとした足音が廊下から近づく。
一平は何気なく顔を上げた。
そして…固まった…。
リビングの入り口に立っていたのは――
赤。
全身が鮮やかな赤に包まれている。
長いコート。
光沢のある素材が、部屋の光を受けて静かに艶めいている。
ラバー。
滑らかな赤いラバーのロングコートが、麗子の体を頭から足元まで覆っていた。
腰のラインはコルセットのように締められ、コートのシルエットは細く長く、美しく整えられている。
袖は手首までぴったり。
手には赤いラバーのグローブ。
ブーツも同じ素材で統一されている。
そして顔。
顔も完全に覆われていた。
赤いラバーマスク。
ぴったりと肌に密着した滑らかな表面。
目の部分だけが形に沿って浮き上がり、艶やかな赤が光を反射している。
さらに頭の上には―ーーサンタ帽。
だがそれも布ではない。
同じ赤いラバーで作られた先の丸いサンタ帽子。
白い縁取りまでラバーで再現されている。
その姿はサンタというより、まるで赤いラバーの女王。
一平はしばらく言葉が出なかった。
ただ目の前の完成度を見つめていた。
光沢。
シルエット。
細部。
完全に作り込まれている。
麗子はゆっくり一歩前に出た。
ラバーコートが静かにきしむ。
そして両手を少し広げて見せる。
マスク越しの声が柔らかく響く。
「どうかな?」
一平はまだ少し呆然としていた。
それからようやく口を開く。
「……すごいな」
目を細めてもう一度全身を見る。
「完成度が高すぎる」
麗子は少し嬉しそうに肩を揺らした。
「でしょ?」
ラバーのサンタ帽が小さく揺れる。
「だから迷ってるの」
少し首をかしげる。
「子ども達に見せていいかどうか」
その言い方がどこか真剣で、そして少し楽しそうでもあった。
一平は腕を組みながら、改めて“審査員”の顔になる。
「なるほど」
ゆっくり頷く。
「これは確かに審査が必要だな」
赤いラバーサンタは、静かに一平の答えを待っていた。
赤いラバーコートに身を包んだ麗子は、リビングの中央で静かに立っていた。
光沢のある赤が、部屋の灯りを受けてやわらかく反射している。
ラバーのサンタ帽の先がわずかに揺れる。
一平は腕を組んだまま、しばらくその姿を見ていた。
審査員のような顔。
そして、ゆっくり口を開く。
「正直に言うぞ」
麗子は小さく頷く。
「うん」
マスク越しでも、期待している雰囲気が伝わってくる。
一平はソファから立ち上がった。
麗子の周りを少し歩いて、衣装を観察する。
「完成度はすごい…本当にすごい」
麗子の肩が少し嬉しそうに動く。
一平は続けた。
「でも‥」
少し真面目な声になる。
「子ども達はびっくりすると思う」
麗子は小さく首を傾ける。
「びっくり?」
一平は頷く。
「うん」
「かなり」
赤いラバーのコートを指さす。
「場合によっては…怖がる子もいるかもしれない…」
その言葉に、麗子は少し考えるように静かになる。
確かに普通の赤いサンタ服ではない。
光沢のある赤。
顔まで覆われたマスク。
小さな子どもなら驚いて怖がる可能性はある。
麗子は腕を軽く組んだ。
ラバーの手袋がきゅっと音を立てる。
「なるほど……」
一平はそこで、ぱっと表情を変えた。
少し楽しそうな顔になる。
「だから…コンセプトが必要だ」
「コンセプト?」
一平は頷く。
「登場する前に子ども達に説明するんだ」
手振りをつけながら話す。
「今日のサンタは普通のサンタじゃない」
少し声色を変える。
「未来から来た!」
さらに身振りを大きくする。
「スーパーレディーサンタだ!」
麗子は思わず笑いそうになる。
マスクの下で肩が揺れる。
一平は続ける。
「つまり未来型サンタの特別仕様」
赤い衣装をもう一度見て頷く。
「この衣装なら、むしろヒーローっぽい」
麗子は少し感心した声になる。
「なるほど」
一平は胸を叩く。
「司会は俺がやる」
「最初に子ども達に説明する」
それから麗子を見た。
「でも‥そのあとが大事だ」
「あと?」
一平は真剣な顔で言う。
「麗子にも演技力が求められる」
麗子は一瞬きょとんとする。
一平は続ける。
「未来から来たスーパーレディーサンタ」
「その設定で登場する!ヒーローっぽく!」
「堂々とカッコよく!」
そして最後に聞いた。
「できる?」
リビングに少し静かな空気が流れる。
麗子はゆっくり歩き出した。
ヒールの音。
コツ。
コツ。
ラバーコートが静かに揺れる。
赤いサンタ帽の先が、わずかに動く。
麗子は部屋の端まで歩き、少し考える。
腕を組み、顎に手を当てる仕草。
コツ。
また一歩。
ヒールの音が床に響く。
一平はその様子を見守っている。
やがて麗子は足を止めた。
ゆっくり振り向く。
赤いマスクの奥の視線が、一平に向く。
そして短く言った。
「やる!」
一平は腕をぱん、と軽く叩いた。
「よし!」
声が少し弾む。
「決まりだな!」
麗子はその言葉を聞くと、思わず両手をぐっと握った。
赤いラバーの手袋がきゅっと音を立てる。
そして小さく―ーガッツポーズ。
「やった!」
ヒールの先が床を軽く叩き、コツッと音が響く。
サンタ帽の先も、ぴょこんと揺れた。
一平はその様子を見て思わず笑う。
「ずいぶん嬉しそうだな」
麗子は肩をすくめる。
「だって…面白そうじゃない」
その言い方は、研究の実験が成功しそうなときの麗子の声に似ていた。
一平は少し歩いて麗子の前に立つ。
それから、ふと首をかしげた。
「でもさ」
「うん?」
一平は素直な疑問を口にする。
「なんで秘密の趣味を」
赤い衣装を指さす。
「子ども達に見せるんだ?」
麗子はその場で静かに立っている。
赤いラバーマスクのせいで表情は見えない。
目元の形だけが、わずかに柔らかく動いたように見える。
少しの沈黙。
それから麗子はゆっくり言った。
「……見られたいの」
一平は瞬きをする。
麗子は続けた。
声は静かだが、どこかはっきりしている。
「もう…ラバーは…」
胸に手を当てる。
「…自分を隠す服じゃなくなったから…」
部屋の空気が少し落ち着く。
麗子はゆっくり歩きながら話す。
コツ。
コツ。
ヒールの音が静かに響く。
「昔はね…隠れるためのものだったの‥」
赤い手袋の指先でコートの袖を軽くなぞる。
「誰にも見られないように‥自分を閉じ込めるみたいな感じ…」
一平は黙って聞いている。
麗子は小さく首を振った。
「でも…そう思えるようになったら…」
一平を見る。
「今度は」
少し声が柔らかくなる。
「見せたい…見られたいって…思うようになった」
一平は静かに頷いた。
麗子は続ける。
「そうなったきっかけは」
少し笑う気配。
「ずっと前に一平に言ったけど」
「……?」
麗子は一歩近づいた。
赤いラバーコートがわずかに光る。
「私が…一平に見せたいって思って…ラバー女王の衣装を着たとき」
一平の記憶がゆっくりよみがえる。
あの夜…麗子が自分から見せた姿。
麗子は静かに言った。
「覚えてる?」
一平は小さく笑った。
「ああ…忘れるわけない」
麗子は軽く肩を揺らす。
「でしょ?」
「だから」
両手を少し広げる。
赤いサンタの姿。
「その延長で隠すんじゃなくて…」
「見せる」
一平はしばらく麗子を見つめていた。
そして、ふっと笑う。
「なるほどな」
腕を組みながら軽くうなずく。
「未来型スーパーレディーサンタ」
「そして自己表現としてのラバー」
少しおどけた口調で続ける。
「なかなか深いテーマだ」
その言い方に、麗子は一瞬うれしそうに背筋を伸ばした。
……が!次の瞬間。
急に、ばっと手を振った。
「でもね!」
声が急に慌てた声色になる。
一平は思わず目をぱちぱちさせる。
麗子は慌てたように両手を動かして続ける。
「見せたいって言っても!」
「誰でもいいわけじゃなくて!」
赤いラバーの手袋がばたばたと動く。
コートの袖が光を反射してきらりと揺れる。
「その、あの……!」
言葉がうまくまとまらないらしく、麗子はヒールでその場を小さく歩き回り始めた。
コツ。
コツ。
赤いラバーコートが揺れる。
「だって!」
振り向いて一平を見る。
「見ようによっては」
自分の体を指さす。
「この姿……」
少し声が小さくなる。
「エロい男性の視線を…集めそうじゃない?」
一平は思わず笑いそうになるのをこらえる。
麗子は慌ててさらに言葉を重ねる。
「そういうんじゃないの!」
両手をぶんぶん振る。
ラバー手袋がきゅっきゅっと音を立てる。
「ほんとに!」
「そういう意味じゃなくて!」
「誰もそこまで」
「違うの!」
遮るように言う。
「露出とかじゃ決して!」
赤いマスクの下で、きっと顔はかなり赤くなっている。
「ほら!」
コートの前を軽く引っ張る。
「ちゃんと全部覆ってるし!」
「むしろ露出ゼロだし!」
一平はとうとう笑ってしまう。
「誰もそこ聞いてないぞ」
麗子は一瞬止まる。
それから…ぴたりと動きが止まった。
赤いマスクがゆっくり一平を向く。
「……あ」
一平は肩を揺らして笑う。
「急に弁解始めたから何の話かと思った」
麗子は少しだけうつむく。
ラバーのサンタ帽の先がしょんぼり垂れる。
「だって……誤解されたくないし」
麗子は小さく呟く。
一平は優しく言う。
「わかってるよ」
麗子を見る。
「麗子は自分の表現として着てるんだろ」
麗子はゆっくり顔を上げた。
赤いマスク越しでも、ほっとした雰囲気が伝わってくる。
一平はにやっと笑う。
「それに未来型スーパーレディーサンタだしな」
麗子の肩がふっと揺れ、そして小さく笑った。
「そう!ヒーローサンタ」
ヒールの音を立てて一歩近づく。
「だから変な目で見たら」
少しおどけた声になる。
「未来パワーでやっつけるわ」
一平は吹き出した。
「それは怖いな」
冬の夜のリビングに、二人の笑い声がやわらかく広がった。
ーーーーーーーーーーーーーー
クリスマスイブの夕方。
空はすっかり冬の色になり、街の灯りが少しずつともり始めていた。
吐く息は白く、空気はひんやりしている。
一台の車が、児童施設の前にゆっくりと停まった。
エンジンが止まり、静けさが戻る。
運転席の一平は、ハンドルに手を置いたまま隣を見る。
助手席。
そこには、赤い光沢をまとった人物が座っていた。
ラバーのロングコート。
赤いラバーグローブ。
赤いブーツ。
そして顔を覆うラバーマスク。
頭には、同じ素材で作られたサンタ帽。
未来型スーパーレディーサンタ。
麗子は両手をぎゅっと握る。
「どう?」
マスク越しの声が少し弾んでいる。
「完璧?」
一平はしばらくその姿を見て、にやりと笑った。
「完璧すぎる」
それからケーキの箱を持ち上げる。
「じゃあ…司会者、先に行ってくる」
麗子は背筋を伸ばす。
「了解!ヒーローはタイミングを待つ」
一平は車のドアを開けた。
冷たい空気が流れ込む。
「派手に頼むぞ」
麗子は胸を軽く叩く。
ラバーがきゅっと音を立てた。
「任せて」
一平はケーキの箱を抱え、施設の玄関へ歩く。
中からは、子ども達の賑やかな声が聞こえていた。
ドアを開ける。
「あっ、一平さん!」
職員の一人が気づく。
奥では子ども達がテーブルの周りでわいわい騒いでいる。
「ケーキだー!」
「クリスマスだ!」
一平は笑いながら箱を掲げる。
「メリークリスマス!」
子ども達が歓声を上げる。
そのとき奥から一人の男性が歩いてきた。
柴崎だ。
「来てくれたか」
一平は小さく頷く。
「外で待機中」
柴崎は少し笑った。
「例のサンタか」
一平も笑う。
「かなり未来的です…。。」
柴崎は肩をすくめる。
「楽しみだ」
やがて子ども達がホールに集められる。
椅子が並び、ざわざわした空気。
一平は前に立った。
軽く手を叩く。
「みんなー!」
子ども達が一斉に見る。
「今日は特別なクリスマスだ!」
「ケーキもある!」
歓声。
「でも!」
一平は声を少し大きくする。
「今日は普通のサンタじゃない!」
子ども達がざわつく。
「え?どういうこと?」
一平は大げさに手を広げる。
「なんと!!今日のサンタは!!」
少し間を置く。
「未来から来た!」
子ども達
「えーーー!」
一平
「未来型!」
「スーパーレディーサンタだ!」
ホールが一気に盛り上がる。
「ほんと!?」
「未来!?」
一平は玄関の方を見る。
「呼んでみよう!」
大きく叫ぶ。
「未来型スーパーレディーサンタ!」
「登場だーー!!」
その瞬間…玄関のドアがゆっくり開いた。
コツ。コツ。
ヒールの音が廊下に響く。
赤い光沢が姿を現す。
長いラバーコート。
輝く赤。
未来型サンタ。
麗子は両手を広げた。
「メリークリスマース!!」
声はいつもよりかなり高く、元気いっぱい。
子ども達
「うわあああ!!」
「すげー!!」
「かっこいい!!」
麗子はヒーローのように歩く。
コツ。コツ。
コートがきらりと光る。
「私は未来から来た!」
「スーパーレディーサンタ!」
子ども達
「未来ー!!ほんとに!?」
麗子は胸を張る。
「未来では!サンタもパワーアップしている!」
腕をぐっと上げる。
「プレゼントも!ケーキも!」
「笑顔も!三倍だーー!!」
子ども達は大爆笑。
「三倍!!すげー!!」
一平は横で腕を組みながら笑っていた。
(完璧だな…)
麗子はさらにヒーロー風にポーズを取る。
ラバーのサンタ帽が揺れる。
「みんな!元気かー!」
子供達は答える。
「元気ー!!」
「よし!未来パワー全開だ!」
子ども達はすっかり夢中だった。
怖がる子は一人もいない。
むしろ目を輝かせている。
一平は小さく笑った。
未来型スーパーレディーサンタ。
その作戦は――大成功だった。
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