しまなみブルー ー風のSHIFTー 〜中型で挫折した元バイク女子が原付二種に乗ったら仲間と出会って友情も恋も人生も全部シフトアップしてた件〜
通りすがりのしまなみライダーTAKA☆
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第1話 『風の入り口――ジスペケとの出会い』
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Scene.01 無気力な日常
「……はぁ」
何度目かわからないため息が、喉から漏れる。
制服の上にパーカーを羽織り、自転車を漕ぐ瀬戸 結。前カゴには社食で食べ損ねたパンとコンビニのカフェオレ、それに小さな擦り傷のあるスマートフォン。
夕方の今治市。のんびりとした港町の風景の中、彼女だけが取り残されたような気持ちでペダルを踏んでいた。
「今日も、怒られてばっかりだったなぁ……」
書類の順番を間違えた。チェック表の転記をミスった。朝礼での返事が小さすぎたと注意された。積み重なる「うっかり」と「失敗」に、自分でも嫌気がさしていた。
(東京での短大時代は、もうちょっと前向きだったはずなのに)
ふと、カゴの中のスマホに貼られたバイクメーカーのステッカーが目に入る。
――そう、彼女は昔、一度だけバイクに乗ったことがあった。
友人に勧められて取得した普通二輪免許。勢いで購入したCB400スーパーボルドール。しかしその車重とパワーに圧倒され、立ちゴケと取り回しの難しさにすぐさま心が折れ、数ヶ月で売却。以来、バイクという存在は、結の中で「憧れだったけど諦めたもの」として封印されていた。
その風は、遠い過去の話だった。
⸻
Scene.02 風のような出会い
下り坂を抜け、結が駅前のコンビニに差しかかったその瞬間だった。
――風を切る音。
シュウゥゥン……と、まるで空気そのものを引き裂くような切れ味のあるエンジン音。
次の瞬間、マットシルバーのバイクが一閃のように駐車スペースへ滑り込んだ。美しく研ぎ澄まされたフォルムと、しなやかに傾く車体の挙動に、思わず息を呑む。
(……CB125R? でも、それ以上に――)
見とれていた。
それは、バイクという機械の美しさを超えて――まるで何かを纏っているような、風そのものだった。
やがてヘルメットを脱いだライダーは、170cmを超える長身に漆黒のロングヘア。陽射しを弾く瞳と、端正な顔立ちに、結は一瞬で心を奪われた。
その視線が、こちらを捉える。
「……何、見てんの?」
凛とした声に、我に返った結は慌てて頭を下げる。
「ひゃっ、ご、ごめんなさいっ!」
しかしライダーは、ふっと口元を緩めて笑った。
「別に怒ってないよ。……あんた、面白いね」
「え……?」
「CB125R、気になる?」
「……はい。すごく、かっこよくて……」
「ふーん。試しに、跨がってみる?」
「えっ!? いいんですかっ!?」
興奮を隠しきれない結が近づき、恐る恐るシートに跨がる。だが――
「……うっ」
両足とも、つま先がかろうじて地面に触れるか触れないか。そもそもそれは身長155cmの彼女には大きすぎた。
「やっぱり、無理……ですね」
悔しそうに笑う結に、ライダーは目を細めて優しく言った。
「だったらさ。うちの店、来てみない? “今治オートセンター”ってバイク屋。うちの実家なんだ」
「……あの、そのバイクも?」
「そう。うちでも扱ってる、私の愛車。……あたしは、橘凛。あんたは?」
「瀬戸 結……です。……ありがとうございます」
「場所、教えるよ。興味あるなら、明日でもおいで」
⸻
Scene.03 再会と運命の出会い
翌日、結は地図を手に今治オートセンターへ向かった。
鉄骨とガレージの匂いが漂う工場風の店舗。駐車場には整備途中の車両が並び、バイクとオイルの匂いが空気を満たしている。
「来たんだ。待ってたよ、結」
作業着姿の凛が工具を手に笑った。
「……本当に、来てよかったのかなって……ちょっと不安で」
「うちは誰でもウェルカムだよ。さ、見てみなよ」
二人で並んで展示車を見ていく。スポーツタイプ、ネイキッド、スクーター、オフ車……それぞれが独特の個性を放っていた。
すると、ガレージの奥に立つひときわ存在感のある男に気づく。
つなぎ姿で、工具を手にエンジンと向き合うその背中。
振り返った瞬間、鋭くもどこか温かな眼差しが結を射抜いた。
「兄貴ー! こっち来て!」
凛が手を挙げると、男が近づいてくる。
「初めまして。橘隼人です。整備士してます。ゆっくり見てってください」
「……あ、あの……瀬戸 結です。よろしくお願いします」
(かっこいい……)
声も上ずりそうな結に、隼人は一つ頷いた。
「……ちょっと、見てほしいバイクがある。君に見せたいんだ」
⸻
Scene.04 ブルーの目覚め
ガレージの奥、隼人が無言のまま立ち止まり、奥まったコーナーに置かれた一台のバイクへと歩み寄った。
結の前で、彼はゆっくりとバイクカバーをめくる。
……そこに現れたのは、蒼。
目が覚めるような、深く鮮やかなメタリックブルー。
まるで陽光を浴びた海面のように、塗装が静かにきらめいていた。
「これは……」
結の声がかすれた。バイクの名前も、メーカーも、今はどうでもよかった。ただその“色”に、心が強く揺さぶられた。
――一瞬、景色が、揺らいだ。
鼓動が、跳ねた。
視界の片隅に、記憶のフィルムが焼き付いたかのように、青いバイクが滑るように坂道へ現れる。
フルフェイスのライダー。声も、顔も、今となっては思い出せない。
けれど、あの時の――必死に声をかけてくれた、やさしい言葉。大きな手。
助けてくれた後、去り際に言ったあの言葉。
『それじゃまた、どこかの道で』
そして、この青。
(……まさか……)
結の中にあった、時間の止まった一瞬が、今、静かに動き出す。
「あの……このバイク、なんていうんですか?」
掠れた声で尋ねると、隼人が工具を拭いながら応えた。
「GSX-S125。スズキの原付二種。見た目はスポーツだけど、扱いやすくて軽快なバイクだ」
「……すごく綺麗。なんだか……この子に呼ばれた気がして」
バイクに手を伸ばす。指先がタンクに触れると、静電気のようにじんと熱が伝わる。その瞬間、結は確信した。
――この子に乗りたい。
それは、ただの衝動ではなかった。
「……このバイク、今は誰のものなんですか?」
言葉を選ぶように問いかけると、隼人は少し目を伏せ、静かに語りはじめた。
「……俺の親友が乗ってた。優斗って名前だ。けど、もういない。肺がんで、四年前に亡くなった」
「えっ……」
「バイクを始めたばかりだったけど、すげえ努力家で。どこまでも走って、風になりたいって言ってた」
言葉には力がこもっていた。隼人にとって、その“優斗”がどれほど大切な存在だったのか、痛いほど伝わってくる。
「こいつは……その形見みたいなもんだな」
形見。
その言葉が、静かに胸に落ちた。
(……あの時、私を助けてくれたのも、このバイクだったのかな)
(今となっては分からない。けど……だけど!)
確証はなかった。でも、心の奥で何かが繋がる音がした。
「……私、この子に……乗りたいです!」
思わず、叫ぶように言っていた。
凛がバタバタと駆け寄ってきて、叫ぶ。
「ちょっと兄貴! 本気で出す気!? その子は優斗君の形見でしょ!」
「……ああ。でもな」
隼人は、ゆっくりと結の方を見る。その視線は、どこか試すようで、それでいてあたたかかった。
「この子は……優斗と同じ目をしてる。あいつが見せてくれた、“走りたい”っていう目だ」
「……勘かもしれない。でも、なぜか託してもいいって、思ったんだ」
「……兄貴……」
凛が言葉を失い、目を伏せた。
結は、そっとバイクのタンクに手を置いた。自分の鼓動が、青い鉄に伝わっていく気がした。
(……ありがとう。きっと、あなたが見つけてくれたんだよね)
今は名前も知らない、あの青いライダーに向けて――心の中でそっと呟いた。
⸻
Scene.05 走り出す風
納車日。
夕方の今治オートセンター、舗装された駐車場の上で白と青のボディが夕陽にきらめく。SUZUKIのロゴが誇らしげなジスペケ――GSX-S125。その隣には、すでにエンジンを始動してアイドリング音を響かせるホンダ・CB125Rが控えていた。
そのCBの前に立つ凛が、ヘルメット越しに微笑む。
「やっとお披露目だね、結のジスペケ」
「……うん。ありがとう、凛さん。今日が来るの、ずっと楽しみにしてた」
「……普通に凛で良いわよ。あんたの方が年上だから」
「そうなの?じゃあ凛ちゃんで」
凛は思わず苦笑しながら応える。
「"ちゃん"か。まぁ良いけどね」
結はCB400SBに乗っていたときに使っていたヘルメットを手に取り、しっかりと被った。内蔵されたインカムの存在を思い出して、ふと凛を見る。
「ね、これ……前のときのインカム、まだ使えると思うんだけど。登録、できる?」
「もちろん。ペアリングしよっか」
二人はバイクを並べ、ナビ音声のような短い案内に従ってインカムを同期させた。接続音が重なった瞬間、ヘルメット越しに凛の声がクリアに響く。
『よし、つながった。じゃ、給油してから走ろっか。海沿い、いい道あるよ』
CB125Rにまたがる凛がクラッチを握るのを見て、結もジスペケのシートに腰を落とす。足つきこそ結の身長だとつま先がようやく付く位だが、何より軽い。CB400とはまるで別の乗り物のようだった。
結がミラーを確認して、慎重に発進する。その動きにはまだぎこちなさが残っていたが、初めて自分のバイクとして手にしたジスペケは、まるで寄り添うように素直に応えてくれる。
給油を終え、二台のバイクは並んで国道196号線を南へ向かう。
潮の香り、風の音、そして新しいエンジンの響き。
そのすべてが、結の胸を震わせた。
『ねぇ、結。ちょっとだけジスペケの乗り方、話していい?』
『うん、お願い! まだ慣れてないから……助かるよ』
走りながら凛の声が続く。
『このジスペケの最大出力は15馬力。10000回転でそのパワーが出るようになってるんだ』
『一万……? そんなに回すの?』
『うん、でも最初はそこまで意識しなくて大丈夫。まずは自分のペースでいいよ。でも、ちょっとずつ慣れてきたら――そうだな、7000くらいまで引っ張ってからシフトチェンジしてみると、バイクがすごく気持ちよく加速するよ』
『……うん、やってみる!』
結はギアをひとつ落とし、アクセルを開けた。ジスペケが軽快に吹け上がり、凛のCBに追いつくように加速していく。
『――わっ! 速い! でも、楽しい!!』
『その調子! 上手いよ、結』
その一言が、胸の奥に柔らかく響いた。400とは違う、小さなエンジン。でも、この軽さ、この素直さ――この子には、この子だけの世界がある。
CB125Rのリアタイヤを追いながら、結は風を切って走っていた。
ジスペケは軽やかにエンジンを回し、加速のたびにスロットルの応えが素直に返ってくる。400ccの頃のような重厚なトルクではない。けれど、どこまでも自分に寄り添ってくれるような、この軽快な走りが心地よかった。
アクセルをほんの少し開けると、風景が一気に後ろへ流れた。
(この子と一緒なら――もっと遠くへ、もっと自由に走っていける)
広がる海。その彼方で、太陽がゆっくりと傾き始めていた。
空の青はじわじわと赤みを帯び、雲の端が金色に縁取られる。
瀬戸内海の穏やかな水面が、まるで絵の具をにじませたキャンバスのように、赤と橙のグラデーションで染まっていく。
潮の香りがふっと鼻をかすめ、結は無意識に視線を上げた。
ジスペケのタンクに映り込んだ夕陽は、波打つ金属の上で淡く揺れていた。
「……わぁ……」
ヘルメットの中で、呟くように声がこぼれる。
前を走る凛が、バックミラー越しに小さく手を振った。太陽を背負ったその姿は、どこか映画のワンシーンのようだった。
ふと、結はスロットルを少しだけ緩めてみた。
走る速度がほんの少しだけ落ちる。
それでも、風は変わらず頬を撫でてくれるし、夕陽は胸いっぱいに広がっていた。
インカム越しに凛の声がふわりと届く。
『きれいでしょ、この時間の海。……結との最初のツーリング、こんな景色で始めたかったんだ』
『……うん。すごく、きれい。夢みたい』
走っているのに、まるで時が止まったような錯覚。
胸がいっぱいになって、言葉が出てこない。
燃えるような橙色の陽光が、波に反射してきらきらと踊る。
ジスペケのメーターランプが、夕陽の色を柔らかく受け止めて淡く光る。
まるで――バイクまでもが、この景色に感動しているかのようだった。
(私、バイクで走ってる。風を感じてる。凛ちゃんと一緒に……)
心の奥で、何かがほどけるような感覚があった。
この一瞬を、ずっと覚えていたいと思った。
エンジンの音、風の音、凛の声、そしてこの光。
すべてが混ざり合って、胸の奥を優しく満たしていく。
(ありがとう、ジスペケ。――連れてきてくれて)
⸻
――止まっていた風が、少女の中を再び駆け抜ける。
ここから、“私”の物語が始まった。
⸻
To be continued...
「……はぁ」
何度目かわからないため息が、喉から漏れる。
制服の上にパーカーを羽織り、自転車を漕ぐ瀬戸 結。前カゴには社食で食べ損ねたパンとコンビニのカフェオレ、それに小さな擦り傷のあるスマートフォン。
夕方の今治市。のんびりとした港町の風景の中、彼女だけが取り残されたような気持ちでペダルを踏んでいた。
「今日も、怒られてばっかりだったなぁ……」
書類の順番を間違えた。チェック表の転記をミスった。朝礼での返事が小さすぎたと注意された。積み重なる「うっかり」と「失敗」に、自分でも嫌気がさしていた。
(東京での短大時代は、もうちょっと前向きだったはずなのに)
ふと、カゴの中のスマホに貼られたバイクメーカーのステッカーが目に入る。
――そう、彼女は昔、一度だけバイクに乗ったことがあった。
友人に勧められて取得した普通二輪免許。勢いで購入したCB400スーパーボルドール。しかしその車重とパワーに圧倒され、立ちゴケと取り回しの難しさにすぐさま心が折れ、数ヶ月で売却。以来、バイクという存在は、結の中で「憧れだったけど諦めたもの」として封印されていた。
その風は、遠い過去の話だった。
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Scene.02 風のような出会い
下り坂を抜け、結が駅前のコンビニに差しかかったその瞬間だった。
――風を切る音。
シュウゥゥン……と、まるで空気そのものを引き裂くような切れ味のあるエンジン音。
次の瞬間、マットシルバーのバイクが一閃のように駐車スペースへ滑り込んだ。美しく研ぎ澄まされたフォルムと、しなやかに傾く車体の挙動に、思わず息を呑む。
(……CB125R? でも、それ以上に――)
見とれていた。
それは、バイクという機械の美しさを超えて――まるで何かを纏っているような、風そのものだった。
やがてヘルメットを脱いだライダーは、170cmを超える長身に漆黒のロングヘア。陽射しを弾く瞳と、端正な顔立ちに、結は一瞬で心を奪われた。
その視線が、こちらを捉える。
「……何、見てんの?」
凛とした声に、我に返った結は慌てて頭を下げる。
「ひゃっ、ご、ごめんなさいっ!」
しかしライダーは、ふっと口元を緩めて笑った。
「別に怒ってないよ。……あんた、面白いね」
「え……?」
「CB125R、気になる?」
「……はい。すごく、かっこよくて……」
「ふーん。試しに、跨がってみる?」
「えっ!? いいんですかっ!?」
興奮を隠しきれない結が近づき、恐る恐るシートに跨がる。だが――
「……うっ」
両足とも、つま先がかろうじて地面に触れるか触れないか。そもそもそれは身長155cmの彼女には大きすぎた。
「やっぱり、無理……ですね」
悔しそうに笑う結に、ライダーは目を細めて優しく言った。
「だったらさ。うちの店、来てみない? “今治オートセンター”ってバイク屋。うちの実家なんだ」
「……あの、そのバイクも?」
「そう。うちでも扱ってる、私の愛車。……あたしは、橘凛。あんたは?」
「瀬戸 結……です。……ありがとうございます」
「場所、教えるよ。興味あるなら、明日でもおいで」
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Scene.03 再会と運命の出会い
翌日、結は地図を手に今治オートセンターへ向かった。
鉄骨とガレージの匂いが漂う工場風の店舗。駐車場には整備途中の車両が並び、バイクとオイルの匂いが空気を満たしている。
「来たんだ。待ってたよ、結」
作業着姿の凛が工具を手に笑った。
「……本当に、来てよかったのかなって……ちょっと不安で」
「うちは誰でもウェルカムだよ。さ、見てみなよ」
二人で並んで展示車を見ていく。スポーツタイプ、ネイキッド、スクーター、オフ車……それぞれが独特の個性を放っていた。
すると、ガレージの奥に立つひときわ存在感のある男に気づく。
つなぎ姿で、工具を手にエンジンと向き合うその背中。
振り返った瞬間、鋭くもどこか温かな眼差しが結を射抜いた。
「兄貴ー! こっち来て!」
凛が手を挙げると、男が近づいてくる。
「初めまして。橘隼人です。整備士してます。ゆっくり見てってください」
「……あ、あの……瀬戸 結です。よろしくお願いします」
(かっこいい……)
声も上ずりそうな結に、隼人は一つ頷いた。
「……ちょっと、見てほしいバイクがある。君に見せたいんだ」
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Scene.04 ブルーの目覚め
ガレージの奥、隼人が無言のまま立ち止まり、奥まったコーナーに置かれた一台のバイクへと歩み寄った。
結の前で、彼はゆっくりとバイクカバーをめくる。
……そこに現れたのは、蒼。
目が覚めるような、深く鮮やかなメタリックブルー。
まるで陽光を浴びた海面のように、塗装が静かにきらめいていた。
「これは……」
結の声がかすれた。バイクの名前も、メーカーも、今はどうでもよかった。ただその“色”に、心が強く揺さぶられた。
――一瞬、景色が、揺らいだ。
鼓動が、跳ねた。
視界の片隅に、記憶のフィルムが焼き付いたかのように、青いバイクが滑るように坂道へ現れる。
フルフェイスのライダー。声も、顔も、今となっては思い出せない。
けれど、あの時の――必死に声をかけてくれた、やさしい言葉。大きな手。
助けてくれた後、去り際に言ったあの言葉。
『それじゃまた、どこかの道で』
そして、この青。
(……まさか……)
結の中にあった、時間の止まった一瞬が、今、静かに動き出す。
「あの……このバイク、なんていうんですか?」
掠れた声で尋ねると、隼人が工具を拭いながら応えた。
「GSX-S125。スズキの原付二種。見た目はスポーツだけど、扱いやすくて軽快なバイクだ」
「……すごく綺麗。なんだか……この子に呼ばれた気がして」
バイクに手を伸ばす。指先がタンクに触れると、静電気のようにじんと熱が伝わる。その瞬間、結は確信した。
――この子に乗りたい。
それは、ただの衝動ではなかった。
「……このバイク、今は誰のものなんですか?」
言葉を選ぶように問いかけると、隼人は少し目を伏せ、静かに語りはじめた。
「……俺の親友が乗ってた。優斗って名前だ。けど、もういない。肺がんで、四年前に亡くなった」
「えっ……」
「バイクを始めたばかりだったけど、すげえ努力家で。どこまでも走って、風になりたいって言ってた」
言葉には力がこもっていた。隼人にとって、その“優斗”がどれほど大切な存在だったのか、痛いほど伝わってくる。
「こいつは……その形見みたいなもんだな」
形見。
その言葉が、静かに胸に落ちた。
(……あの時、私を助けてくれたのも、このバイクだったのかな)
(今となっては分からない。けど……だけど!)
確証はなかった。でも、心の奥で何かが繋がる音がした。
「……私、この子に……乗りたいです!」
思わず、叫ぶように言っていた。
凛がバタバタと駆け寄ってきて、叫ぶ。
「ちょっと兄貴! 本気で出す気!? その子は優斗君の形見でしょ!」
「……ああ。でもな」
隼人は、ゆっくりと結の方を見る。その視線は、どこか試すようで、それでいてあたたかかった。
「この子は……優斗と同じ目をしてる。あいつが見せてくれた、“走りたい”っていう目だ」
「……勘かもしれない。でも、なぜか託してもいいって、思ったんだ」
「……兄貴……」
凛が言葉を失い、目を伏せた。
結は、そっとバイクのタンクに手を置いた。自分の鼓動が、青い鉄に伝わっていく気がした。
(……ありがとう。きっと、あなたが見つけてくれたんだよね)
今は名前も知らない、あの青いライダーに向けて――心の中でそっと呟いた。
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Scene.05 走り出す風
納車日。
夕方の今治オートセンター、舗装された駐車場の上で白と青のボディが夕陽にきらめく。SUZUKIのロゴが誇らしげなジスペケ――GSX-S125。その隣には、すでにエンジンを始動してアイドリング音を響かせるホンダ・CB125Rが控えていた。
そのCBの前に立つ凛が、ヘルメット越しに微笑む。
「やっとお披露目だね、結のジスペケ」
「……うん。ありがとう、凛さん。今日が来るの、ずっと楽しみにしてた」
「……普通に凛で良いわよ。あんたの方が年上だから」
「そうなの?じゃあ凛ちゃんで」
凛は思わず苦笑しながら応える。
「"ちゃん"か。まぁ良いけどね」
結はCB400SBに乗っていたときに使っていたヘルメットを手に取り、しっかりと被った。内蔵されたインカムの存在を思い出して、ふと凛を見る。
「ね、これ……前のときのインカム、まだ使えると思うんだけど。登録、できる?」
「もちろん。ペアリングしよっか」
二人はバイクを並べ、ナビ音声のような短い案内に従ってインカムを同期させた。接続音が重なった瞬間、ヘルメット越しに凛の声がクリアに響く。
『よし、つながった。じゃ、給油してから走ろっか。海沿い、いい道あるよ』
CB125Rにまたがる凛がクラッチを握るのを見て、結もジスペケのシートに腰を落とす。足つきこそ結の身長だとつま先がようやく付く位だが、何より軽い。CB400とはまるで別の乗り物のようだった。
結がミラーを確認して、慎重に発進する。その動きにはまだぎこちなさが残っていたが、初めて自分のバイクとして手にしたジスペケは、まるで寄り添うように素直に応えてくれる。
給油を終え、二台のバイクは並んで国道196号線を南へ向かう。
潮の香り、風の音、そして新しいエンジンの響き。
そのすべてが、結の胸を震わせた。
『ねぇ、結。ちょっとだけジスペケの乗り方、話していい?』
『うん、お願い! まだ慣れてないから……助かるよ』
走りながら凛の声が続く。
『このジスペケの最大出力は15馬力。10000回転でそのパワーが出るようになってるんだ』
『一万……? そんなに回すの?』
『うん、でも最初はそこまで意識しなくて大丈夫。まずは自分のペースでいいよ。でも、ちょっとずつ慣れてきたら――そうだな、7000くらいまで引っ張ってからシフトチェンジしてみると、バイクがすごく気持ちよく加速するよ』
『……うん、やってみる!』
結はギアをひとつ落とし、アクセルを開けた。ジスペケが軽快に吹け上がり、凛のCBに追いつくように加速していく。
『――わっ! 速い! でも、楽しい!!』
『その調子! 上手いよ、結』
その一言が、胸の奥に柔らかく響いた。400とは違う、小さなエンジン。でも、この軽さ、この素直さ――この子には、この子だけの世界がある。
CB125Rのリアタイヤを追いながら、結は風を切って走っていた。
ジスペケは軽やかにエンジンを回し、加速のたびにスロットルの応えが素直に返ってくる。400ccの頃のような重厚なトルクではない。けれど、どこまでも自分に寄り添ってくれるような、この軽快な走りが心地よかった。
アクセルをほんの少し開けると、風景が一気に後ろへ流れた。
(この子と一緒なら――もっと遠くへ、もっと自由に走っていける)
広がる海。その彼方で、太陽がゆっくりと傾き始めていた。
空の青はじわじわと赤みを帯び、雲の端が金色に縁取られる。
瀬戸内海の穏やかな水面が、まるで絵の具をにじませたキャンバスのように、赤と橙のグラデーションで染まっていく。
潮の香りがふっと鼻をかすめ、結は無意識に視線を上げた。
ジスペケのタンクに映り込んだ夕陽は、波打つ金属の上で淡く揺れていた。
「……わぁ……」
ヘルメットの中で、呟くように声がこぼれる。
前を走る凛が、バックミラー越しに小さく手を振った。太陽を背負ったその姿は、どこか映画のワンシーンのようだった。
ふと、結はスロットルを少しだけ緩めてみた。
走る速度がほんの少しだけ落ちる。
それでも、風は変わらず頬を撫でてくれるし、夕陽は胸いっぱいに広がっていた。
インカム越しに凛の声がふわりと届く。
『きれいでしょ、この時間の海。……結との最初のツーリング、こんな景色で始めたかったんだ』
『……うん。すごく、きれい。夢みたい』
走っているのに、まるで時が止まったような錯覚。
胸がいっぱいになって、言葉が出てこない。
燃えるような橙色の陽光が、波に反射してきらきらと踊る。
ジスペケのメーターランプが、夕陽の色を柔らかく受け止めて淡く光る。
まるで――バイクまでもが、この景色に感動しているかのようだった。
(私、バイクで走ってる。風を感じてる。凛ちゃんと一緒に……)
心の奥で、何かがほどけるような感覚があった。
この一瞬を、ずっと覚えていたいと思った。
エンジンの音、風の音、凛の声、そしてこの光。
すべてが混ざり合って、胸の奥を優しく満たしていく。
(ありがとう、ジスペケ。――連れてきてくれて)
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――止まっていた風が、少女の中を再び駆け抜ける。
ここから、“私”の物語が始まった。
⸻
To be continued...
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三矢さくら
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【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
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