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第83話 『結と凛のしまなみタンデムツーリング PART6』

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Scene.34 尾道大橋から向島へ

 西日に縁取られた尾道大橋を、CB125Rは軽やかに渡っていく。潮の匂いを含んだ風がシールドを叩き、タンデムシートの結の頬を冷やす。背中越しに伝わる凛の体温と、単気筒の鼓動。リズムに合わせて胸の高鳴りが落ち着き、代わりに不意のざわめきがよぎった。

 「帰りは暗くなっちゃうね~。そういえば向島には巨大イノシシが…」

 ひとつ、喉が鳴る。あの夜の話。双海で聞いた、闇から現れた黒い影。

 「あんなの、そう滅多に出てこないから大丈夫でしょ! それにあの時は夜間で真っ暗だったし、イノシシは夜行性だから。まだ日のあるうちだったら大丈夫」

 凛の声には、妙な確かさがある。ハンドルを握る手の角度、シフトダウンのタイミング、視線の配り方——全部が頼もしい。

 「そ、そう? なら良かった」

 短い返事の裏で、結は胸の奥を撫で下ろす。凛と走る帰り道は、怖いより、心強いが勝つ。



Scene.35 暮色の段取り

 向島の海沿いを抜け、島々の稜線が濃く染まりはじめる。路肩のガードレールが、点々と光を跳ね返す。

 「今日はわざと遅く回ってたんだ。最終目的地は大島の亀老山の展望台。その頃には日も落ちてるから、良い物が見られるよ!」

 “わざと遅く”。その言葉に、結の胸がじんわり熱を帯びる。自分のために、今日の一日を丁寧に組んでくれていた——そう思うと、視界が柔らかくにじんだ。

 「そうなの? 良い物って何だろ?」

 「それは着いてのお楽しみ! フフフ」

 「え~っ!!」

 おどけた声の裏で、結は想像する。海と橋と、島影と、オレンジの空。…それだけじゃない気がして、胸がそわそわと落ち着かない。

 スロットルがわずかに開く。暮色の道を、二人だけの速度で駆けていく。



Scene.36 伯方・大島大橋 広場

 広場に着くと、風はほんの少し冷たくなっていた。橋桁の向こうで、赤と金のグラデーションが水平線を満たし、吊り橋のケーブルが弧を描く。バイクを止めた凛が先に降り、結はタンデムシートに腰を下ろしたまま、額のシールドを上げる。

 「凛ちゃんって、やっぱり王子様だね」

 夕焼けの反射が、凛の頬の線をやわらかくなぞる。

 「何よ藪から棒に」

 照れ隠しのトーン。けれど目尻は、少しだけ笑ってる。

 「ここまで私を楽しませようと、昨日から沢山考えてくれたんだよね。私、今日凛ちゃんとデート出来て本当に幸せだった」

 「結…」

 呼ばれた名前に、胸の奥がきゅっと鳴る。言葉にしなければ溢れてしまう。だけど、言葉にしたら戻れない地点があることも知っている。

 「もし隼人くんを好きにならなかったら、凛ちゃんが女の子でも落ちちゃってたかも知れないね、私」

 「そういう言い方って、ズルい」

 凛の声が少し震え、視線が宙に泳ぐ。夕日がヘルメットのシールドに映り込み、橙が揺れた。

 「そうだよ。私はズルい大人なんだ。だから凛ちゃんには、私なんかには目もくれず悠真ちゃん一筋でいてほしいな」

 自嘲の笑み。言いながら、どこかで祈っている。——それでも、あなたの気持ちが真っ直ぐであってくれたら、と。

 「…やだ」

 短い否定が、夕風よりはっきりと結の耳に届く。顔を上げると、結を見る凛の目の奥に光が滲んでいた。

 「凛ちゃん…」

 「あたしね。兄貴も結も大好き。だから今でも二人の事を応援したいって思ってる。だけど、だけどね。結は悠真やあたしの事を一生懸命助けてくれた。結に対する気持ちに蓋をしようと思ってたのに。あたしは悠真も好きだからこれで諦められる、諦めようって思ってたのに・・・助けられちゃったから、諦めが付かなくなった」

 「……」

 「今のあたしの気持ちは…多分悠真と同じ。あたしは悠真のことが大好きで特別だけど、結も同じくらい大好きで特別なんだ」

 「凛ちゃん…それは」

 言葉のたびに、胸の中心で何かがほどけていく。逃げ場のない真剣さに、視界がまたぼやける。

 凛は涙声で訴える。

 「だから…だからね。悠真と一緒であたしも結のこと、ずっと好きでいていい? 今以上のことは望まない。これからも、たまには二人でこうやってデートしたりしてくれたら、それだけでいいの。ダメ?」

 “望まない”と言いながら、震える声はたしかに望んでいる。手袋の指先が、そっと結の袖口をつまむ。

 「……凛ちゃんって欲しがりさんだなぁ、もう」

 「結…」

 「まさか夕日をバックに、こんなに熱烈なラブコールされるなんて思いもしなかったよ。まるで映画のワンシーンみたいだよね」

 おどけて間をつくる。張り詰めた空気に、二人だけの笑いを混ぜる。

 凛は涙を拭き、微笑みながら話す。

 「…本当にね」

 「…良いよ。ずっと好きでいてくれて。悠真ちゃんにそう言ったのに凛ちゃんにはって、そんなの筋が通らないもんね」

 「結!!」

 その瞬間、凛の腕が回ってきて、結はシートの上で抱きしめられる。胸板にヘルメットが押し当てられ、革ジャケットの匂いと、昼の残り香が混じる。

 「本当に、本当にありがとう! 大好き!」

 「私も大好きだよ。私は凛ちゃん、今でも大事な親友で妹だと思ってるけど、たまには今日みたいに恋人ごっこしよ? 私、今日とっても幸せだったから。多分、隼人くんと走ってる時と同じくらい」

 「あたしも幸せだった。だから、これからもよろしくね。結」

 「…うん!!」

 二人はヘルメットを外す。夕風が汗ばむ額を撫で、髪を揺らす。見つめ合う瞳の色が、落日の色を映し替える。

 そっと距離が、ゼロになる。



 伯方・大島大橋のケーブルが鳴らす低い風音だけが、ふたりの時間を見守っていた。



Scene.37 夕暮れの水野邸

 台所からはお茶の香り。居間では、二日酔いがやっと明けた伊吹姉妹が、毛布に包まれてごろり。

 「結さんと凛さんが夕日をバックにキス…というのも良いかも。ウフフ…」

 「またかいな~、もうこの子は~」

 彩花のツッコミは柔らかい。笑い声に、ソファの端でストローをくわえた悠真が目線だけ上げる。

 「…何か琴音ちゃんのは妄想が妄想に聞こえないよね」

 傍らでは志保が笑って応える。

 「本当ね~、琴音さんには私達に見えてない何かが見えてそうねぇ、うふふ」

 カーテンの隙間から差し込む光は、すでに夕の色。ここでもまた、静かな“幸せ”が、何気なく続いていた。

To be Continued...
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