教祖様と贄

阿良々木五男

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5, 黄梅の香り

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 甘い花の香りがする。桜でもないし、金木犀のような強い香りでもない。これは黄梅の香りだ。やわらかな花の香りで、少しずつ意識が浮上する。 

 頭がクラクラする。どうしてだろう? 私はいつものように仕事をして、それから帰りにホストクラブに行った。そういえばしこたま酒を飲んだんだっけ。きっとそのせいだ。でも、何か大事なことを忘れている気がする。借金? 確かにお金の話は大事だが、それ以外に何か、大切な事――。

「ん……」

 首のあたりがくすぐったい。柔らかい何かが触れている。それは少しずつ下に降りていき、今は鎖骨を優しく噛んだ。――噛んだ?

「え、えっ!?」

 良子は驚いて目を見開いた。目の前には真っ白な髪に赤い眼という風貌の若い男の顔があった。男はそっと良子に顔を近づけると、その唇に軽く口付けを落とす。

「ちょちょちょ!! ちょっと待って!」

 彼女は慌てて男を押しのけると、体を翻してそこから逃げ出そうとした。だが足がもつれて上手く立ち上がれず、そのまま床に膝をついた。膝と両手をついた時に気が付いたのは、下が地面ではなく畳であるということ。それから、ここがどこかの家の一室であるということ。もしかしたら旅館かもしれないが、旅館だったら目の前の男は一体誰なのか。

「ああ、完全に目が覚めたんだ。おはよう。いや、こんばんは、かな」

 男は静かにそう言った。暗がりの中で目を凝らしてみると、男は青い浴衣を着て、羽織りを肩にかけている。今どき家の中でまで浴衣で過ごすなんて珍しい。おまけに白い髪と赤い眼という風変わりな風貌。

「えっと、どなたですか……?」

「僕のことが分からない?」

「もしかしてホストの人ですか? 私、本指名以外はあんまり覚えてなくて……」

「ああ、そういえば良子ちゃんは物覚えが悪かった。そういうところ、変わらないんだね」

 男は嬉しそうに笑う。なんだか馬鹿にされた気がしたが、良子は何も言わないでおいた。

「ここ、どこですか? 私たしかホストクラブの帰りで、酔っぱらって家まで帰って、そのあと――そう、借金取りに追いかけられて……」

「怖かったでしょう、可哀想に。でももう大丈夫。お金は心配いらないよ」

「……へ?」

「だから、借金はもうありません。僕が返しておいたから」

「えっ。赤の他人なのに?」

「赤の他人じゃ、無いんだけどね。まぁそれは追々」

「ちょっと良く分からないんだけど……とりあえず、代わりに返済してくれたのはありがとうございます。でも、それは必ず返します。だから、名前と連絡先だけいただけますか?」

「三百万もすぐに返せるの? 返す目途も無いのに、返せるなんて言っちゃ駄目だよ」

「うっ」

「まあ、それも心配ないけど。別に返してもらおうとは思ってないよ。その代わり、ここでちょっとした仕事をして欲しい」

「ちょっとした、仕事?」

「うん。詳しくはまた明日話すから、今日はゆっくり寝るといい。じゃあ、また明日。ああ、お手洗いに行きたければ、ここを出てすぐの角を右に曲がってね」

「えっ、ちょっ」

「じゃあ、おやすみ」

 そう言って男は立ち上がると、襖を引いて部屋を出た。部屋の外には虎が座っていて、男が部屋を出た後に静かに襖を閉めた。虎と男の足音は次第に遠ざかり、しばらくすると聞こえなくなった。
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