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【番外編3】同棲後の修羅場(5.根拠のない自信)

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サラと会ったのは、三年ぶりだった。多波さんと暮らす決心をし、FS会を休止に持ち込んだとき以来だ。

彼女が早足で、病室の入り口から私達に近づいてくると、多波さんは驚いたように口を開いた。

「どうして、ここに・・・」

サラは返事の代わりに、持っていたバッグを高々と持ち上げ、力任せに振り下ろした。

ゴン!

「ぐっ!」

バッグが多波さんの頭に直撃。彼はよろめいたけれど、バッグを両手でキャッチした。

「多波、ジャマ!!どきなさい!!」

サラは、彼の頭頂部にバッグを置き去りにすると、両手を翼のようにふわりと広げて、私に飛びついた。華奢な腕で、私の背中を優しく抱き寄せ、怒ったように声を荒げる。

「何やってんのよ!馬鹿!」

「・・・サラさん、どうして」

「アナタの無様な姿を、見に来たのよ・・・」

「全力で笑ってくれるんじゃ、ないんですか?」

私の肩に美しい顔をうずめて、サラは震えていた。

「笑ってる・・・わよ・・・」

冷たい。肩が。彼女が顔をうずめている方の肩だ。どんどん濡れていく。水分をたっぷり含んで、しっとりと肌に吸い付く病院着の質感に、私は口元を緩めた。ずっと気になっていた事を、サラに尋ねた。

「多波さんと三年間、一緒に暮らした人って、サラさんでしょ?」

サラは驚いたように目をパチクリさせ、私から抱擁を解いた。

「ちょ!?ちがうわよ!」

「そうだ、合ってる」

彼女の答えを、多波さんがサラリと訂正する。

「ちょっと、多波!!このっ!後で覚えていらっしゃい!!」

多波さんは、ニヤリと片頬を上げた。Sっぽい多波さんを久々に見た。サラは諦めたようにため息をついて、

「はぁ・・・もういいわ。そうよ、私よ。アンタは、すぐ根を上げると思ってた。なのに、全然連絡は来ないし、多波も何も言ってこないし、だから・・・ちょっと安心してたのに・・・何日か前に・・・その・・・たまたま!たまたまよ!!多波のアパートを通りかかったら・・・様子がおかしかったから・・・なんなの!!この無様な姿は!!やめてよ・・・私、もう・・・こんなの見たくない」

「・・・サラさん」

サラは、ひっく、ひっく、と声を漏らし、整った目鼻が潰れてしまいそうなくらい、両手を顔に押し付けて泣いていた。そんな彼女を、私はベッドの上からそっと抱きしめた。

「知ってましたよ。私を心配してくれていたこと。ありがとうございます」

「別に・・・大したことないわ。いい!望!よく聞きなさい!」

サラは手の甲で何度も涙を拭いた後、私の鼻の前に、ビシッと人差し指を突き出した。

「これからは・・・その!私になんでも言うといいわ!そうよ、これは命令よ!!勝手に死ぬようなマネは許さないわ!死ぬ前に、私に言いなさい!この私が、力になってあげる!ありがたいと思いなさいよ!このバカ!」

「ありがとうございます」

笑顔でそう言うと、サラは満足そうにニッとした。彼女はベッドの私に背を向けて、今度は多波さんを睨みつける。

「多波も、多波よ!アンタ何やってんのよ!ふざけんじゃないわよ!!何回、同じこと繰り返すつもり!?望が離れないからって、いい気になってんじゃないわよ!今度同じマネをしたら、股にぶら下がってるモノ、切り落とすわよ!!」

そう言いながら、サラは手でハサミの形を作り、素早く水平に動かした。サーっと青ざめる多波さん。

この人なら、やりかねない・・・。

でも、なんだか嬉しかった。私の身体が動かない分、サラが盛大に怒ってくれた。

「多波、バッグ」

サラにそう言われて、多波さんは頭頂部からバッグを下ろし、彼女に渡した。バッグの中から数冊のノートが取り出され、私の手元に置かれる。

「私が多波と暮らしていた時のノート。病気の経過が書いてあるの。何年も前のだから、参考になるか分からないけれど。それからコレ」

サラは、私の掌に小さな鍵をのせた。

「FS本部の鍵よ。マンション、前に行ったことあるでしょ?あそこに残りのノートが置いてあるから、必要だったら持って行って。それから、応接間の本も、あげる。あの本は、コイツの病気を調べるために買ったモノなの。返さなくて、いいから」

「・・・ありがとうございます」

「なんでも、力になってあげる。困った時は夜中だって、連絡しなさい。ありがたいと思いなさいよ!」

「はい・・・」

私のこと、こんなに思ってくれてたんだ・・・

胸が熱い。小さな鍵と薄い数冊のノートが、ずっしりと重く感じる。

今なら・・・

私は、サラに頼んでみようと思った。三年前、断られた事を。もう一度。

「サラさん、一つお願いがあります」

「なに?いいわ、特別に聞いてあげる」

「FS会を解散してください」

「な!?このタイミングで、それを言うの!?」

「私、やっぱり、多波さんと離れられません。彼のいない人生なんて、もうないんです。私、もう絶対に死にません。多波さんも死にません。だって、いつか多波さんと、本当の幸せを手に入れるんです。死ぬなんて勿体無いです」

心の底から湧き上がる笑顔を、サラに向ける。

「望・・・」

サラは、呆然と私を見つめていた。しばらくして、多波さんに向き直ると、恐ろしい剣幕で彼を怒鳴りつけた。

「多波!このろくでなし!望を幸せにする自信はあるの?アンタにそれができるの?はっきり言って、今のアンタは、私と暮らしていた時と同じよ。何も変わってない。泥沼の状況を脱出できるの!?」

難点を一突きにした問いだった。

多波さんは、いつものしかめっ面のまま、サラの言葉に耳を傾けていた。そして彼女が話し終わると、何も言わずに目を閉じた。やがて、ゆっくりと瞼を開き、サラを通り越して、ベッドに座っている私の前にやって来た。大きな体をかがめ、病室の白い床に片膝をつき、跪く。

彼の背は、私より小さくなってしまったけれど、ピンと伸びている。まるで中世の騎士のような佇まい。凛とした空気が張り詰めている。多波さんは私の手を取り、そっとキスを贈ると、力強い口調で誓った。

「必ず、幸せにする」

「・・・多波さん」

なんの根拠もない誓いだった。正直なところ、今の私達は、この状況から抜け出す策なんて、全く持ち合わせていない。未来の保証なんて何もない。こんな誓い、他人から見たら茶番だろう。何もかも不確かだ。でも、多波さんの思いだけは確かだった。

彼を信じたい。そう、強く思った。

それと同時に、心で自分を笑った。なんて馬鹿なんだろう。また同じ事を繰り返して、傷つくかもしれないのに、もう散々傷つけられてきたのに。それでも、まだ彼を信じるなんて。

でも、そんな自分が妙に誇らしかった。

馬鹿でも、それが正しい。

そう訴えている。私の本能が、全身の細胞が。でも、これは希望じゃない。そんな綺麗なものじゃない。

執着、盲信、呪縛――

彼と初めて会った時に、私の体内に潜り込み、根を下ろし、体中に生い茂り、もはや血肉となってしまった、醜い感情。

未来への不安より、私はそれを信じたかった。どうしようもなく純粋で醜い、この感情を。

多波さんの「必ず幸せにする」という言葉と共に、信じていきたい。

これから先、ずっと、ずっと――

それだけが、私の思いだった。

私は、跪く多波さんに微笑みを返し、彼の誓いに言葉を添えた。

「一緒に幸せになろう」

多波さんは潤んだ目を細くした後、愛おしそうに私を抱き寄せた。嬉しくて、私も大きな背中に背を回す。それを見て、サラは深々とため息をついた。

「はぁ・・・こんな無様な状況で、よくそんな自信が持てるわね。根拠のない自信ほど、バカなものはないわ。立派なバカが二人、バカ同士でお似合いよ・・・」

サラがそこまで言うと、多波さんは強い口調で彼女に詰め寄った。

「望と同棲する前も話だが、俺はもう、あの会には頼らない。会員にも有り得ない期待を、持って欲しくない。今はこんな状況だが、きっと別の道がある。だから・・・」

話の途中で、サラは噛み付いた。

「いつもトロイのに、なんでこういう時は、口が早いのかしらね。やっぱり望と同類ね!バカね!バカ!私は話している途中だったのよ!いい!二人とも、最後まで聞きなさい!!」

そこまで言うと、すごい剣幕だったサラの顔は、スッと波が引いたように真面目になった。彼女の声は淡々としていたけれど、静かに揺れていた。

「アンタはまだ諦めないのね、望・・・。私は、ここまでだったのに。はぁ・・・やっぱり・・・馬鹿同士だからかしら・・・」

サラは、声の震えを鎮めるように、俯いて唇を噛み締めた。私が思わずサラの頬に手を伸ばすと、彼女は静かにその手を握り、力強い目線をこちらに投げかけた。

「根拠のない自信を大切にしなさい。二人とも絶対に無くしちゃダメよ。その自信が、未来を切り開くんだから・・・」

サラは私の手をゆっくり離し、僅かに微笑むと、スマホを取り出して、どこかに電話をかけ始めた。

「ナノハ、久しぶり。急だけどFS会を解散するわ。幹部を集めて頂戴。私も後で向かうから」

「わぁ!」

嬉しさのあまり、私は歓声を上げた。両手で、多波さんの手を力一杯握りしめる。

まだ、何も変わってない。最悪な状況に私達はいる。でも、きっと大丈夫。

変わろう、これから。全部、全部、変わるんだ。

きっとどこかにある、二人で幸せになれる道が。
だから、探そう。その道を。何十回でも、何百回でも。見つかるまで、ずっと、ずっと。

多波さんと、そう誓い合った。
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