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【番外編3】同棲後の修羅場(6.離さない思い)

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それからしばらくして、私は退院した。

入院中、多波さんはサラに拘束してもらい、なんとかやり過ごしていた。二人して啖呵を切ったくせに、早速彼女のお世話になってしまった。

サラから多波さんを引き取った時、彼の意識は混濁していて、体もボロキレのようだった。以前の私なら、辛くて見ていられなかったけれど、今は違う。ボロボロの彼を優しく抱きしめた後「頑張ってくれて、ありがとう」と、言えるようになった。

アパートに帰ってきて早々、弱りきった多波さんから、あるモノを渡された。黒くて、細長い棒。スタンガンだ。グリップにあるボタンを押すと伸縮ができ、最大1メートルほどの長さになる。

私が入院している間、多波さんが市販のものを改造して作ったそうだ。普通のスタンガンは護身グッズだけど、このスタンガンは武器。彼が作った、彼をねじ伏せるための武器だ。因みに、三年前にサラがFS会の応接間で私にくれたスタンガンも、彼が作ったものだった。

同棲が始まってから、スタンガンを使うように何度も多波さんに言われたが、私は頑なに拒否し続けていた。多波さん自身が使うことにも、反対だった。普通に考えたら、身の危険が迫った時くらい使って当然なのだろう。でも、私はそういう考えが欠落していた。

私が傷ついても、彼を傷つけることは何があっても許せなかった。彼が自殺を図る前から、ずっとそうだった。多波さんが暴走した時、縛ったり、どこかに閉じ込めたりしたことはあるけれど、積極的に傷つけることは、できなかった。

今回、私はスタンガンを受け取った。何の躊躇いもなく。あっさりと。やっと、分かったから。不可能だって。多波さんを傷つけないこと自体が。どう頑張ったって二人で一緒にいれば、傷つけ合わずにはいられない。だから、彼を傷つける道を選んでもいい。この先ずっと一緒にいられるなら、それでいい。一番大切なのは、そこだった。

スタンガンを使いはじめて間もない頃、私はいつもしゃくり上げていた。涙で前が見えなかった。けれど、何回か使ううちに視界がはっきりしてきて、今では、理性を失った多波さんに応戦できるようになった。うまくすると無力化もできる。

私の肉体的ダメージは激減した。今まで彼の暴力で、生傷が絶えなかったのに、見違えるくらい綺麗になった。健康的な私の肌を見て、多波さんは暇さえあれば、昼でも夜でも、愛おしそうに腕や首を撫でていた。たまに消えない古傷を見つけると、ズズッと大きな鼻を啜りながら、労わるようにさすっていた。

私とサラは、頻繁に連絡を取るようになった。普通、元カノと今カノなんて、仲が悪くて当たり前なのに、私達はどんどん仲良くなっていった。彼女は、いつでも力になってくれた。朝でも昼でも夜中でも。

サラがいてくれる。そう思うだけで、どんなに絶望的な状況でも、希望が湧いた。

多波さんが他の女と寝ていることは、やっぱりあった。私はそれを見つけると、音を立てないようにアパートを出て、フラフラと夜道を彷徨う。誰もいない路地を見つけると、うずくまり、両手で顔を押しつぶしながら、声を殺して泣く。

そのうちバッグのスマホが震える。多波さんからの電話だ。迷わず電源オフ。やがて背後に弾んだ息遣いが聞こえてくる。多波さんが走って、私の元にやってくる。うずくまる私に、大きな手を差し伸べる。私はその手を振り払う。断固拒否。

私がアパートに向かって走り出すと、多波さんも走り出す。そして私を追い越して、先にアパートに到着。玄関ドアを開けたところで待っている。眉間に深いシワを刻んだ泣きそうな顔で。両手を広げて。

それを見ていると、いよいよ私はムカついてきて、汚い言葉を浴びせながら、分厚い胸板をめちゃくちゃに叩きまくる。

「クズ!」「浮気ヤロウ!」「偽善者!」

彼は静かに涙をこぼしながら、私の怒りを体に刻んでいく。私が落ち着いてくると彼は言う。

「話はつけた。すまない」

その声に弾かれるように、多波さんの頬に平手打ちをかます。

パァン!

すごくいい音。

その後は作戦会議。ノートや本を部屋中に広げて、どうすれば女を連れ込まないで済むか、打開策を考える。

これが、多波さんがやらかした後のルーチンワーク。

「次は、きっと大丈夫」

なんだかんだ、いつもこの言葉でトラブルは幕を閉じた。

多波さんに自分の気持ちをぶつけるようになってから、私のメンタルは以前より落ち着いていた。けれど、心の傷は思っていたより深刻だった。それに気がついたのは、ある晩の事だ。

「わああああ!!!」

眠っていたら突然、古いアパートに絶叫が響いた。驚いて飛び起きると、目の前に信じられない光景が広がっていた。私は多波さんのみぞおち蹴り上げ、彼の目に指を突き立てていた。彼は目に指を受けながら、そんな私を深々と抱きしめていた。

私は慌てて、指を引き抜いて「ごめんね」と謝ったけれど、自分のしていた事が信じられなかった。彼はボロボロ涙をこぼしながら「大丈夫」と微笑み、私の頭を優しく撫でてくれた。

状況が飲み込めず、多波さんに尋ねると、一瞬ためらった後、話してくれた。

あの絶叫は、私のモノだった。恐ろしいことに、私は夜な夜な、無意識のうちに暴れていたらしい。それも、同棲を始めて間もない頃から、ずっと。

多波さんは暴れる私を、ただひたすら抱きしめてくれていた。暴れて、怪我をしないように。蹴飛ばされても、殴られても、目に指を入れられても、彼は離れなかった。私が自殺未遂を起こした晩、彼の右瞼に傷があったけれど、あれは、私が付けた傷だった。

多波さんは、ずっと前から、私を癒そうと必死になっていた。知らないところで、全身で私を受け止めてくれていた。この話を聞いた時、彼の献身的な行動にひどく驚いて、泣き出さずにはいられなかった。私が泣くと、多波さんまで泣き出してしまって、深夜の真っ暗闇の中、小さなベッドの上で、抱き合って静かに泣いた。

相変わらず、多波さんとの生活は地獄だった。こんなに必死になっているのに、彼の病状は、やっぱり良くならなかった。

でも。

それでも。

私達は離さなかった。根拠のない自信を。

いつか本当の幸せを手に入れる。

それだけは、離さなかった。
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