0110.

緋崎辰也

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第一章 士草澪

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    七年が経ち、澪は二十歳になった。

    庭で摘んだ花を束ねる手が冷たく、温めようと吐く息も白くなる。何度かそうしながら、納得出来る花束が完成した。

    ひかえめな柄の和紙に、蝶々結びのリボン。プレゼントにしては小ぶりだが、受け取ってもらえればそれだけでいいのだ。

    澪は深呼吸して、縁側に座り庭をながめるリンドウに声をかける。緊張して、声が震えてしまう。

「あの、リンドウさん⋯⋯相談があります」

「ん?  なにかな」

    リンドウの側に、着物が崩れないよう正座し、澪は彼の目を見た。いつもおだやかに見守ってくれていたその瞳に、自分が映っている。

「わたし、い、一度⋯⋯実家に行ってみます」

    リンドウの表情がすこし険しくなる。澪は震える両手を握りしめ、上ずった声で続ける。

「でも、またここに帰ってきます!  かならず──」

「⋯⋯今日、行くのか」

「はい」

「⋯⋯かならず、帰ってくるんだよ」

    澪は不安げなリンドウを安心させるように微笑み、家を出た。




    *    *    *




    七年ぶりに森を抜けた澪は辺りを見渡し、記憶をたどりながら歩き出す。

「たしか、こっち⋯⋯」

    あの夜のことを一日中思い出さなかった日もあった。弟や妹といたときよりも、リンドウといたほうが安らかな気持ちにもなれた。

    それなのに、まるで一秒前の出来事のように思い出される、母の罵声。弟と妹の悲鳴。自分の息切れの音──

    真冬の空気で、とっくに塞がっている傷痕が痛む。震えるのは寒いから?  それだけじゃない。

    怖くて、痛くて、かなしくて──

「あ⋯⋯ここだ」

    ついに家が見えた。澪は立ち止まり、胸の前に持った花束を見つめ、意を決してゆっくりと歩み寄る。

    家の周囲はあまり変わっていないようだ。

    一階のリビングが見える窓にそっと近づき、仲を窺う。

    そこには、成長した弟と妹と、すこし太った母の背中があった。弟は十八歳で、年子の妹も高校生だ。二人ともすっきりとした顔立ちで大人びているが、ちゃんと澪が憶えている面影がある。

    ふと妹が笑い、次いで弟も笑った。母の背も小刻みに震える。

    ──よかった⋯⋯。二人とも無事だ。

    澪は自身が成人し、思ったのだ。もうすぐ弟たちは高校を卒業する。自分は学生生活なんてものなかったけれど、二人はどうだろう、と。

    人生の節目に、会ってみよう──そして、この家まで戻ってきたのだ。

    澪は音を立てないよう玄関口へ行き、二度深呼吸してチャイムを押した。

「はーい」

    出てきたのは、母だった。

    澪を見てすぐに誰かわかったようで、母はすっと無表情になる。

    澪の心臓は爆発しそうなほど速い鼓動を打っていた。

「⋯⋯お母さん」

    なんとか出した声はかすれて、先を続けることができないほど口が渇いていた。母は、いまだ澪の精神を蝕む、恐怖の塊だったのだ。そしてそれは、七年経っても何ひとつ変わっていない。

「あんたを、一年間も探したよ」

    座った目のままじっと澪を睨む母は、いままで溜めていたものすべてを吐き出すように話し出した。

「探したワケはねぇ、あんたを捕まえて、また殴るためだよ。気持ちがいいからね。
    下の子たちとくらべて、あんたはお姉ちゃんだからって私にまでえらそうに口きいてさ、すっごくストレス溜まってたわ。
    その分をあんた自身にぶつけてたってわけ。あんたがいなくなったらそのストレスもなくなったのよ。
    ──いまは平和そのもの。だってあんたがいないんだもん!  あんた、もういらないから。
    ずっと行方不明でいてよね」

    鼻で笑ってドアを閉めようとする母に、澪は視界を滲ませながら訊く。

水斗みなとしずくには、ひどいこと⋯⋯してないよね?」

    母はうれしそうに笑って答えた。

「当たり前でしょ。あの子たちはあんたと違って生意気なこと言わないからね」

「そっか⋯⋯安心した」

    澪は背に隠していた花束を差し出す。

「これ、わたしが育てた花。きれいだから、花束にしたの。⋯⋯受け取って、くれる?」

「⋯⋯いらない。知らないひとの物には手を出さないように、ってあの子たちに教えておくわ」

    乱暴にドアが閉められる。

    澪は花束をそっとポーチに置き、ドアに一礼して立ち去った。
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