0110.

緋崎辰也

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第二章 東常真心

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「朝だよ。もう起きて支度をしないと」

    肩を叩かれ、森ヲ噛零一モリヲガミレイイチは仕方なく二度寝をやめ、もそもそと布団から出る。
    夜のうちに雨が降っていたのか、春を告げる庭の花たちが、朝日にあたりキラキラと光っていた。土のかおりがここまで届き、零一はあくびと一緒に吸い込んだ。

「ご飯できているからね」

「はーい」

    毎日の習慣である草むしりのため、“かぁさん”は草履をつっかけて縁側から庭へおりる。
    零一は寝巻きから用意されていた服に着替え、布団を押し入れにしまう。
    側に置かれたランドセルはかぁさんが用意してくれたもので、今日からこれを背負って小学校という所に通うのだ。

    リビングのテーブルには、けして上手とは言えないが、バランスのいい食事が1人分揃っていた。

「いただきまーす」

    食べながら、かぁさんの姿を目で追う。
    一通り草を抜いたら、花壇から花を1本刈り、丁寧に余分な葉を落とす。それを持って家に戻ってきたら、柱の影にあるちいさい壺に入れた。
    零一からしてみれば、そこがどう特別なのかわからないが、かぁさんにとってはとても大切らしい。

    かぁさんは壺の前で正座し、ふと零一を見てきた。口の中がいっぱいなので、零一は「なに?」と首を傾げた。
    かぁさんはほほ笑んで、また花をながめる。毎日の光景だ。
    零一は残さず食べ、ごちそうさまをして支度に取りかかった。



    風のない森は静かで、零一とかぁさんの2人分の足音しか聞こえない。
    森を抜けると、舗装されていない林道に出る。ここからは零一ひとりで行かなくてはならない。

「······まだ一緒に行ってほしいかい?」

    零一はかぁさんを見上げ首を振る。

「かぁさんそう言って、結局学校までついてきちゃうんでしょ?    だめだよ、また女の人に囲まれちゃう。かぁさん困っちゃうじゃん」

    だからひとりで行く、と零一はつないでいた手を離した。

「零一の言うとおりだ。───それじゃあ、行ってらっしゃい」

「いってきまーす」

    零一はかぁさんに手を振って歩き出す。ひとけはなく、草や樹の若芽のかおりが辺りを包んでいる。ちいさい羽虫の虫柱があり、避けて通った。

    舗装されている道まで出た。そこで振り返ってみると、かぁさんが林のなかにいた。

「え、まだいる」

    零一は苦笑いしながら大きく手を振った。かぁさんも肩の位置で振り返してくれた。

「心配性だなぁ」

    丁字路を曲がり、学校へ向かう。

    零一とかぁさんの住む家は町外れの森にあり、学校まで行くとなると結構な時間が掛かる。
    バスはなく、自転車も許可されていないので、地道に歩くしかないのだ。しかし零一はそれを苦と思わず、町の散策に丁度いいと思っていた。

    学校に着いた頃には、もう数人のクラスメイトがいた。初日からすでに仲良さそうに話している子もいれば、ぽつんとただ席に座っているだけの子もいる。

    零一は先日の説明会で言われていたとおり、自分の席を探す。

「───あった」

    ランドセルをおろし、早速座ってみる。ちょっと高い机に、お道具箱が身を潜めていた。引っ張り出してみる。

「何に使うんだろ、これ」

    よくわからないのでしまう。
    筆箱と下敷きを取り出し、えんぴつをいじる。が、すぐに飽きた。

    窓のほうを見れば、くせ毛なのかボサボサ頭の子がいたり、“してはいけないこと”に書いてあった黒板に落書きしている子もいる。また教室に知らない子が来た。

    零一は家庭の事情というやつで、保育園や幼稚園に通わなかった。小学校が義務教育というもので、6歳になったらそこに通って色んなことを学ぶんだよ、とかぁさんが教えてくれたので、零一は興味を示し、行くことになったのだ。
    なので、当然知らない子ばかり。

    先生が来るまでまだ時間がある。

「ん~、ひま」

    誰か話し相手になってくれないだろうか。
    教室の端から端まで見渡す。しかしこれといった人はいない。

「·········」

    ふと、零一は後ろの席を見た。

    眼鏡が大きいのか顔が小さいのか、その男の子は本を読みながら何度もずれる眼鏡をなおしていた。

    机のすみにある名前を確認する。漢字に平仮名のふりがなで、「東常真心    とうじょうまなか」とある。

「とうじょう、まなか······」

    零一のつぶやきが聞こえたのか、男の子が顔を上げた。目が合うと、驚いて「あ」と口を開けた。
    零一はかぁさんに言われたとおり、にかっと笑って挨拶をする。

「まなかくんだね。わたし、れいいち。男の子みたいな名前だけど、女の子だからね。これからよろしく!」

    男の子は数秒固まり、「あ、えっと」とおろおろし、また零一に向き直る。

「れ、れいいちちゃん。よろしく」

「あ、“ちゃん”ってつけないで。名前だけでいいから」

「じゃあ······れいいち。ぼくのことも名前だけで呼んでよ」

「うん、いいよー。ねえねえ、なに読んでるの?」

「えっと、これはね───」

    こうして彼、東常真心が零一の友人第1号となった。
    真心は自分から話しかけることが苦手な性格で、話しかけてもらわないとずっとひとりで読書をしている。零一以外の子も話しかけるのだか、長く会話が続いたことはない。

    興味本位と話しやすさで、零一は真心とばかり一緒にいることが多く、家に帰ってかぁさんに「今日あったこと」を報告するときも、真心のことばかりだった。

    小学校がはじまって1ヶ月ほどたった頃、零一は真心以外の子とあまり仲良くなっていないことを自覚した。むしろ避けられている。
    こっそり机に虫の死骸が入れられていたりするが、これはクラスの誰かがしているようだった。

「あ、モンシロチョウ······」

    今日入っていたのは、羽がボロボロになってしまった蝶々。

「かわいそう······」

    零一はポケットティッシュを取り出す。そこに真心が登校してきた。

「おはよう、零一。······また入ってたの?」

「うん。もう死んじゃってる」

    そっとティッシュにくるみ、ランドセルにしまう。帰ったら庭のすみに埋めてあげよう。

「······零一は、こんなことされて嫌じゃないの?」

「どうして?    虫たちはかわいそうだけど、わたしは気にしてないよ。机も汚れたらきれいにすればいいだけだし」

「そっか······零一はつよいね。ぼくなんか、“モナカ”って言われてすごく嫌な気持ちになるのに」

「え、モナカ?    モナカっておいしいよね。真心は食べたことある?」

「な、ないよ。嫌いだから」

「どうして?」

「名前、それに似てるって言われるから」

「ふーん。真心って、食わず嫌いなんだね」

「······まぁ、食べたことないのに嫌いって言うのはおかしいかもしれないけど······」

    続々とクラスメイトが登校し、仲良く話している2人をちらちらと見ては、影で内緒話する子たちもいた。しかし当の本人たちはまったく気づいていないのであった。

    零一への嫌がらせは、月日が経つにつれ悪質になっていった。
    毎日上履きがゴミ箱に入れられ、お道具箱は土まみれになり、机の名前には「零一くん」と書き足される。だがやはり、零一は気にしていなかった。
    ただ、犠牲になる虫たちがかわいそうで、心が痛くなるのだ。
    ある日の放課後、そんな様子の零一に、真心が提案した。

「零一、コンビニ行こう」

「いまから?    1回家に帰ってからじゃないとだめじゃないっけ」

「いいから。ランドセルは近くの公園に置いていけばいいんだしさ。ちゃんとお母さんからおこづかいもらってるし、大丈夫。ね、行こう」

「······うん」

    真心からなにかしようと言うのは珍しく、零一はいつになく元気な彼にしたがうことにした。



    公園の、人目のつかないところにランドセルを隠し、2人はコンビニに向かった。
    入店すると、店員がだるそうに「いらっしゃーませー」と言った。零一はコンビニに来ること自体がはじめてで、テーマパークに来たようにキョロキョロする。

「真心、なにか買うの?」

「うん。チャレンジだよ」

「チャレンジ······?」

    真心が店の奥に進む。零一もついていく。

「あった」

    真心がアイスコーナーから取り出したのは、「モナカアイス」だった。

「あっ、モナカ!    しかもアイス!」

「そうだよ。零一の分もあるよ」

    真心はアイスを2つ抱えレジに向かう。カウンターに置いたら、緊張した声でだるそうにしている店員に声をかけた。

「す、すみません。これと、あとぴ、ピザまんも2つください!」

「はぁい、少々お待ちくださぁい」

    店員は眠そうに目をしょぼつかせながらピザまんをケースから取り出し、アイスとは別の袋に入れてくれた。

    真心はお金を出し、おつりを受け取る。

「ありがとうございます!」

    真心が律儀に頭を下げるので、店員もぎこちなく「あ、ありがとごあまぁーす」と頭を下げた。

    袋を2つ持ち、2人はコンビニを出る。

    駆け足で公園まで戻ってくると、木陰に座り込んだ。

「き、緊張したーっ」

    真心は額から汗を流し、笑った。

「大丈夫?    わたしの分まで······」

「うん。お母さんもいいよって言ってくれてたから。───はい、どうぞ」

    差し出された袋。温かいのと冷たいのがある。

「溶けちゃうから、アイスから食べよう」

    零一はアイスを1つ取り、真心に袋を返した。
    アイスの袋を開けると、モナカの香ばしいかおりがふわっと鼻に来た。

「「いただきまーす」」

    そろって言ったが、いざ食べたのは真心だけで、零一はそんな彼を見てずっと思っていた疑問を口にする。

「······真心、どうして急にコンビニ行こうって言ったの?」

「ん?    んぁ、いっへななっはね」

    アイスを飲み込んでから真心は答えた。

「虫のことで落ち込んでたんじゃないかなって思って。それで、零一言ってたじゃん、モナカおいしいよって。だからそれ食べたら、零一が元気になれるかなって考えたんだ。
    ぼくも零一に言われてから、ずっと食べてみたいなって思ってたんだ。でもなかなか勇気が出なくて······」

    ピザまんもコンビニに来る度に気になっていたのだ。

「でも、零一が一緒だから買えたよ!    ───ほんと、零一が言ったとおりだ、モナカっておいしいね!」

    真心が口端にモナカのかけらを付けたまま笑うので、なんだか零一もおかしくなって吹き出すように笑った。そしてアイスにかじりついた。

「ん、つめたぁ!」

    緊張で火照った体に、アイスの冷たさは丁度よかった。

    ピザまんも食べ終えた2人は、昨日の好きなアニメの話をして、帰る支度をする。
    そこで真心はランドセルに入れっぱなしだったものを思い出し、零一に声をかけた。

「零一、ちょっと見てほしいんだけど」

「なに?」

    ランドセルを背負い、真心の側に行く。

「これ、今日の時計の勉強で使うために、お母さんにかりてきたものなんだけど」

    真心が見せたのは、シンプルな腕時計だった。

「これがどうかしたの?」

「うん、見つけたんだ」

「······なにを?」

    真心が時計を逆さにし、文字盤を指さす。

「ここ。ほら、10時のとこ。“レイイチ”になってるでしょ」

「あ、ほんとだ」

「授業してるときに気づいたんだ。零一がいるって」

「わたし、全然気づかなかった。真心すごいね」

    照れてほほを赤くする真心は、逆さにしたままで時計を腕につける。

「ぼく、これから腕時計をつけるときは、こうやってつけるね。それから───」

    真心はつま先立ちになり、零一の額にそっとキスをした。

「······お母さんが、痛いところにこうやってすると、痛いのがなくなるんだって」

    おまじないだよ、と真心はさらに赤くなる。
    零一はなんだかくすぐったい気持ちになり、ほほをゆるめた。

「あははっ。うん、ありがと真心。元気でた!」
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