0110.

緋崎辰也

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第二章 東常真心

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    零一の反応が、いじめる側としては面白くなかったようで、2年生になったタイミングで標的は真心になった。
    零一のときは遠回しに行われていたが、真心に対しては直接的なものばかりだった。
    面と向かってクラスの男の子たちに脅されたり、真心が仲良くしている零一の悪口まで言ってくる。

「女なのに“レイイチ”ってさ、親が性別間違えちゃったのかって!」

「バカじゃんそんな親。ぶふふっ」

「───でも母ちゃんが言ってたけど、あいつの親って説明会に来てた人だけみたいだぜ」

「え?    あのゴキブリみたいなやつ?    うわあ、俺んちのババアがカッコイイって言ってたやつだ」

「もしかして連れ子ってやつ?    森ヲ噛の親ってほんとはいないんじゃね?」

「かわいそぉーぅ!    わはははは!」

    真心を壁に追いやり、そんなやりとりが目の前で行われていた。

    真心は多勢に無勢で、内心で反論することしかできず、ずっと無言を続けている。

「実際あいつって目の色変だよな。なんつーか、ガイジン?    黒くないもんな」

    真心は零一にはじめて話しかけられたとき、その目の色に驚いて、釘付けになった。晴れた夜のような、キレイな紺色だったのだ。

「名前もそうだし、変なやつー」

「───変って言うな」

    真心は小声で反撃する。零一のことを言われたら、もう黙っていられなくなったのだ。

「ん?    なんだよ、黙ってろよ」

    リーダーのやつの拳が腹にぶつかってくる。

「うぁっ」

    真心は殴られた痛みでうめき、うずくまってしまう。
    そこに、担任が来た。

「なにしてる、授業はじまるぞ」

    と、真心を囲んでいた男の子たちは声色を変えた。

「せんせー、とーじょーくんがお腹痛いってー」

「俺たち心配でー」

「わかったから、みんなは教室に戻りなさい」

「はーい」

    男の子たちは真心を残し、振り返ることなく、くすくすと笑いながら廊下の先に消えていった。

「とりあえず保健室で休ませてもらいなさい。回復したら教室に戻ってくること。いいな」

    担任はそれだけ言って立ち去った。

「·········」

    真心は痛みと涙をこらえながら立ち上がり、何事もなかったように教室へ戻った。




    *    *    *




    2年生になって1ヶ月。零一は放課後、真心を探していた。真心はここのところずっと元気がなく、「どうしたの?」と訊いても「なんでもないよ」とつらそうに笑うだけで、原因を話してくれない。

    なんでもないならそれでいいけど、なにもないのにどうして元気がないんだろう。そう零一は思っていた。

    今日、彼はお昼休みから保健室で休み、午後の授業には一度も顔を出さなかった。
    それから真心の姿を見たのは帰りの会のときで、一通りのことが終わったらいなくなっていたのだ。
    零一は日直で、帰りの会が終わったら黒板をきれいにし、日直表を記入して先生に渡さなければいけない。
    ペアの子と分担してひとつひとつこなしていたら、真心を探す時間がなくなっていた。

「おそくなっちゃった」

    もう下校しなければいけない。ペアの女の子にさようならを言い、零一は帰路につく。

    真心の家には何度か遊びに行き、彼の母親と弟とも仲良しになっているのだが、父親がいない家庭だというので母親は忙しくしている。
    真心も弟がまだ幼いので、帰ったら世話をしながら、自分の勉強と母親の手伝いをしている。

「こんな時間に行ったら、迷惑になっちゃうかな······」

    真心を探そうとしていたのは、帰りの会で見た彼の表情があまりに暗く、抜け殻のようになっていたからだ。零一は心配になり、しかし声をかけるタイミングを失っていた。

    日が傾いていく。東常家へ続く曲がり角で、立ちつくす零一の影も、ゆっくりと伸びていく。

「······明日、学校で会ったら話してみよう······」

    零一は、今日は帰ることにした。
    帰ってかぁさんに相談しよう、と───。




    *    *    *




    翌日。
    真心が登校しないまま授業は進み、お昼休みが終わって、5時間目がはじまる直前に、先生がいつもより早く教壇にあがった。

「みんな、これからの授業は中止にする」

    なんでー?    やったー、との声が、先生の注意で止む。

「······みんなに、伝えなければいけないことがある」

    零一は先生の顔色が悪いことに気づいた。変に汗をかいていて、みんなを見ているようで、どこも見ていない目つきだ。

「今日、東常が登校していないが······東常のお母さんからさっき、学校に電話があったんだ」

    先生は考えながら話しているのか、言葉が途切れ途切れになる。

「じつは、東常は昨晩、家を出てから······行方不明になっていたんだ」

    ───え。
    零一は一瞬心臓が止まるのを感じた。

    みんなもわけが分からず、黙って先生が続けるのを待っている。

「それが、昼に······さっき、見つかった。川で······───亡くなっていたそうだ」

    先生は最後のほうはうつむいて、声もくぐもっていた。
    クラスの誰もが言葉を失うなか、先生の嗚咽だけが零一の耳に届いていた。




    *    *    *




    森とちがって、町には雨が降っていた。

    蛇の目傘の下、黒い服を着た零一は、かぁさんの手をつないだまま式場の前で立ちつくす。

〈故    東常真心    葬儀〉

    白地に、黒の文字。
    次々に会場へ入っていく黒服の人たち。学校のクラスメイトもいる。

    中の受付に、真心の母親がいた。うつむいていたがふいに顔を上げ、泣き腫らした目でじっとこちらを見てきた。隣でかぁさんが会釈したが、零一はすこしも動けない。

    “葬儀”というものに、言い知れぬ恐怖を感じていたのだ。
    この会場に真心はいるのだろう。だが、それは自分の知っている東常真心なのか。

    ここに来る前に、かぁさんに訊いていた。「死ぬ」とはなにか。どうなるのか。
    ───もう会えないと知っても、別れの言葉は何一つ思い浮かばない。

    雨が降り続けるなか、かぁさんが言った。

「最後に、会わなくていいのかい?」

    零一は静かに聞き返す。

「······最後って、どうして?    真心、生きてないけど、あそこで眠ってるんでしょ?」

「うん······会わないのかい?」

    零一はそれに答えず、何も言わないで踵を返した。




    目まぐるしく季節が変わっていく間にも、零一は彼が死んでから一度も家や墓に行くことをしなかった。
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