0110.

緋崎辰也

文字の大きさ
7 / 18
第二章 東常真心

3

しおりを挟む
    虐待をうけているんじゃないかしら、心配でね。と通報を受け、児童相談所の新人である鈴木飛鳥は、ペアの男性の先輩とともに、現場である家を訪ねた。
    飛鳥がチャイムを鳴らす。内部と会話ができるタイプのものではないので、家主が出てくるまでギュッと鞄を握り、緊張を紛らわす。

「来るぞ」

    先輩のちいさい声も強ばっている。

    足音が聞こえてきて、控えめに扉が開いた。隙間から迷惑そうな顔した婦人が半身だけ出てくる。

「······なんですか?」

「突然すみません。児童相談所です。お電話がありまして───」

「電話?    なに、誰から?    なんて言ってたの」

    先輩はつとめて冷静に対応する。

「お電話をくれた方のことはお教えできません。こちらのお宅にお子様はいらっしゃいますか?」

「え?    いないけど。───なんなら見ていってもいいよ」

    飛鳥は思わず先輩を見る。家の中を見せてくれることはなかなかないので、一度目の訪問からこれは上々ではないか。
    しかし先輩は、女性が中に入っていったのを確認し、飛鳥に忠告する。

「夫がいるかもしれない。暴行を受けたりする可能性もある、気をつけろ」

「は、はい」

    飛鳥は生唾を無理やり飲み込む。先輩や他の職員が、訪問した先で住人に暴行された、軟禁されたということが実際に報告されている。
    それが自分にも起きるかもしれないのだ。

    先輩が先に入り、飛鳥も続く。玄関をあがり、すぐ右手にキッチンとリビングがある。薄暗くカビ臭いが、ゴミのようなものはなく、散らかってもいない。

    飾り気のない、普通の家だ。

    リビングの2人掛けソファーに、男性の後ろ姿があった。音の大きいテレビを見ている。
    先輩と飛鳥の足音で、こちらを向いた。角度的に睨むような目つき。
    二人が会釈すると男性もすこし頭を下げ、またテレビを見はじめる。

「こっちも見てく?」

    先輩が女性の案内で廊下の奥へ進む。飛鳥は異常がないか、二人以外に誰もいないのか、見落としがないよう素早く視線を走らせる。

    重なった食器、冷蔵庫、ゴミ箱、半分閉じられたカーテン。

「───ぁ」

    ふと見た冷蔵庫と壁の隙間に、なにかある。透明で厚いプレートのようなもの。しかし確認する前に男性が側に来て、怪訝な顔をしたので、飛鳥はペコッと頭を下げ逃げるようにして先輩の後を追った。

(······さっきの、どこかで見た気がする───)

    透明のプレートはごく身近なところにある。だがどこなのか思い出せない。
    気になるが、住人の癪に障ってもいけないので、次の部屋に意識を向けた。

    一番奥の部屋は、なにも置かれていなかった。

「ここ、むっとしますね······」

    先に来ていた先輩の背中に話しかける。彼は肩越しに窓が閉まっているからだろうと教えてくれた。
    窓はきっちり紺のカーテンで隠され、電飾のひとつも無いので、暗く空気がこもっている。

    ぐるりと部屋を端から端まで確認するが、アラビアン柄の壁紙が四方にあるだけで、床のフローリングにもとくになにもなかった。

「全部見ていくの?」

    部屋を出ていく女性と入れ違いで飛鳥は踏み込んだ。
    隅をしゃがんで見ると、ホコリがたまっている。カーテンを開ける。締め切られた窓には見慣れない鍵があり、すこしいじると外側からも鍵が掛けられると分かった。

「変な部屋······」

    飛鳥は住人が来る前に鞄からタップを取り出し、素早くコンセントに差し込む。出る前に一度振り返り、ちゃんと刺さっていることを見届けて部屋を出た。

    ひと通り中をまわり、しかし子供の姿は確認できないまま、家を後にすることとなった。




    仕事を終えた飛鳥は自車に乗り込み、昼間訪ねた家の近くまで走らせる。
    道の脇に停車し、盗聴器を準備する。
    ───イヤホンからすぐに声が聞こえてきた。が、それはあの女性でも男性でもなく、か細い子供の声だった。

「やっぱりいたんだ」

    誰かと話している。女性だろうか······。家主の女性の声はもっとしゃがれていたが、イヤホンから聞こえてくる声はずっと若い。

〚あなたは······だれ〛

    子供の声はずいぶんかすれていて、いまにも息が止まってしまいそうなほど弱々しい。

〚······私は、レイイチといいます〛

〚れ······いち、さん〛

〚あなたの声を聞いて、ここへ来ました。───生きたいですか?    死にたいですか?〛

「な───!」

    飛鳥は驚いた。そこにいるならなぜそんなことを訊くのか。助けて当然だろうに、こいつはなにを言っているんだ。

「変なこと言ってないで、助けてよ!」

    飛鳥はイヤホンに懇願するが、こちらの声がむこうに届く機能はついていない。

〚レイイチさん······ころして〛

    ノイズ混じりの子供の声が、そんなことを言った。

「ど、とうして」

    飛鳥は通信機を握りしめる。

〚もう、しにたい······でも、くるしいのに、どうやってしねば、いいか······わからない〛

〚······───わかりました。殺します〛

「えっ」

    なにか、カチリと音がした。

(なに、いまの音······まさか、本当に殺すつもり?!)

「うそ、待っておねが······っ!」

    パンッ

    車内に響く飛鳥の悲痛な叫びは、盗聴器から聞こえてきた乾いた音によって止められる。

    その音が銃声だと分かるまで、ずいぶん時間が掛かった。

    飛鳥は呼吸をするのも忘れ、イヤホンに集中する。

〚······来世で······しあわせになって······〛

    それきり静かになる。もうあの部屋には誰もいない。いや、あの子が······あの子の体が、ある······。

    助けられなかった───。

    もうどうすることもできないのだと悟った瞬間、飛鳥は泣き出した。




    *    *    *




    はじめての現場で少年を助けられなかった飛鳥は、ショックで仕事を休みがちになっていた。
    あの日ひそかにつけた盗聴器のことは、誰にも話していない。

    飛鳥はとても正義感が強かった。ニュースで虐待死のことを知る度に、私なら何としてでも子供を助けるのに、と憤りを感じていた。
    だから、禁止されている盗聴器まで用意したのだ。こうまでしなければ助けられない。むしろここまですれば助けられるだろう、そう思っていた。

    だが、助けられなかった。

    少年は部屋の扉にも窓にも鍵が掛けられた状態で死んでいた。頭を銃のようなもので撃ちぬかれ、即死だったという。ニュースではそれだけだった。

    飛鳥が先輩と訪問したとき、少年は冷蔵庫の中に隠されていたと、後に気がついた。
    冷蔵庫と壁の間にあったプレートは、冷蔵庫の間仕切りだったのだ。すべて外せば、子供ひとりは入れる。
    なぜもっとはやく、それこそプレートを怪しんだ時点で気づくことができなかったのか。
    子供を隠していたあの女と男への怒りよりも、助けられなかったという変えようのない事実が、時間を追うごとに絶望となって飛鳥の脳を支配していく。

    上司から職場に来るよう言われ、一週間ぶりに出勤する。スーツを着て、適当に身形を整える。車を運転しているとき、あの子は死んだのに、どうして自分は生きているんだろうと思った。

    職場について早々に、上司はスマートフォンの画面を見せてきた。そこには、見覚えのあるタップが、袋に入っている画像だった。

「これから君の指紋が見つかった。あの家に盗聴器を仕掛けたのは鈴木さんだね。······何としても助けたい気持ちはわかるが、それはしてはいけないんだよ。だから、三ヶ月の謹慎処分とする───」

    帰り際、あのとき一緒だった先輩が不思議な話をしてきた。

「鈴木が休んでる間に、ちょっとしたミステリーがあったんだよ」

    ───耳の聞こえない女の子が殺された。
    その子の物と思われるノートには、死ぬ直前に書いたらしいメッセージが残されていた。

〚レイイチさん、ありがとう〛

    飛鳥はその名前にはっとする。あの子が言っていた名前だ。
    先輩は顎に手を当て、探偵のように目をつむって続ける。

「その子は頭を撃たれていた。誰かがいたのは確かなのに、女の子以外が部屋にいた形跡は無かったんだ。その家の住人以外の指紋は見つからなかったようだし。
    なによりそこは、密室になっていたんだ───」

    あの子を殺したやつと同一人物だ。“レイイチさん”はいる。存在する。

    飛鳥は確信した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

✿ 私は彼のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい 

設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀ 結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。 結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。 それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて しなかった。 呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。 それなのに、私と別れたくないなんて信じられない 世迷言を言ってくる夫。 だめだめ、信用できないからね~。 さようなら。 *******.✿..✿.******* ◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才   会社員 ◇ 日比野ひまり 32才 ◇ 石田唯    29才          滉星の同僚 ◇新堂冬也    25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社) 2025.4.11 完結 25649字 

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
 ☘ 累計ポイント/ 190万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

不倫の味

麻実
恋愛
夫に裏切られた妻。彼女は家族を大事にしていて見失っていたものに気付く・・・。

処理中です...