10 / 18
第三章 東井マナカ
3
しおりを挟む
曲の終わりと同じくして秋風が強く吹き、零一はゆっくり顔を上げる。
すこし伸びた髪が乱れる。
両耳のイヤホンを外すと、周囲の木々がゆれる音と、そして絶え間なく流れる川の音が世界に満ちた。
たった数秒前まで聞いていた曲も耳からかき消されるほど、水の量は多く流れが激しい。
台風が過ぎ去ってから二日経つが、まだまだ山は貯水しているようだ。
「······今日は、晴れてよかった」
十一月二十日。それは零一にとって一番大切な日だった。
家の庭でつんできた友禅菊の花束を、川岸から川面へ真横に伸びた太い一本の樹の幹に置く。この樹はこんな生え方でも、ちゃんと生きているようだ。
そっと皮をなで、一部はげている部分を指でなぞる。
丁度零一の目の高さだが、『君』にとってはなんとか手が届くほどだったのだろう。
ここへ来れるようになったのは、近年になってからだ。
「······まだ、どうすればいいのかわからない。なにも見つからないよ······」
風で花束が落ちる。零一が拾い上げると、そこに足音が近づいてきた。
軽快にこちらへ来るそれはひとり分のもの。およそ想像がつき、零一はそっとため息を吐いた。
「───あ、いた」
零一の顔を見るなりパッと笑顔になる彼、東井マナカとは、久しぶりに会った。彼の髪も伸び、さわやかにゆれている。
「ごめん、高山教授に聞いたんだ。ここにいるんじゃないかって」
まず謝罪したのにはちゃんと自覚があるようだ、無関係のやつが無闇に立ち入っていい場所ではないと。
「まだ川の水、多いだろうから。心配になってね」
「·········」
「何日······何週間ぶりか。生きててよかった」
冗談のつもりか本気なのか、まっすぐに零一を見てそんなことを言った。
彼の調子は以前と変わらないようだが、すこしほほがこけている。
「······痩せたみたいだな」
「ああ、ちょっと気ぃ抜いてた。人の心配する前に自分のこともちゃんとしないといけないのにな。───ずっと探してたんだよ、零一······」
眼鏡越しの彼の目が細くなる。東井がいま、自分にどんな感情を向けているのかわかってしまう気がして、零一は目を逸らす。
「教授は······なんて言ってた? ここのこと」
濁った川を、一本の流木が流れていく。川上の方で土砂崩れがあったのかもしれない。
「零一にとっての、大切な人······───東常真心くんが、ここで亡くなった、と。それから、これも。零一の好物だってきいて」
差し出されたビニール袋を受け取る。中にはピザまんがひとつ鎮座していた。とてもいい香りがする。
「······それだけ?」
「うん。俺と、同じ名前だったんだな。だから俺のこと避けてたの?」
「······名前だけじゃない。見た目も似てるんだ。そのまま大きくなったみたいで」
「眼鏡掛けてたんだ」
「······そう。小柄で······かっこいいというよりは、中性的でかわいい感じだ」
かわいいという要素も、成長したらかっこいいになっていたかもしれない。ここにいる東井のように───。
「俺の子供のときも、そんな感じだったな」
東井は隣県の実家から大学に通っているという。こちらの方へは滅多に来ず、東常家のことはもちろん知る由もない。『君』とは赤の他人なのだ。
「······勝手に、大切な人と東井を重ねて見ていた。それで東井と距離を置いていた。自分のことばかりで、ごめん」
花束を幹の窪みに置き直し、零一は川辺を歩き出す。
「零一、いまから紅葉見にドライブ行こうよ!」
努めて明るく誘ってくれているのだろうが、零一は肩越しに振り返り言った。
「もう限界なんだ。ひとりにさせてほしい」
「······限界って、なにが───」
零一の姿が林に消える。東井はすぐに追いかけたが、もう彼女の姿はなかった。
すこし伸びた髪が乱れる。
両耳のイヤホンを外すと、周囲の木々がゆれる音と、そして絶え間なく流れる川の音が世界に満ちた。
たった数秒前まで聞いていた曲も耳からかき消されるほど、水の量は多く流れが激しい。
台風が過ぎ去ってから二日経つが、まだまだ山は貯水しているようだ。
「······今日は、晴れてよかった」
十一月二十日。それは零一にとって一番大切な日だった。
家の庭でつんできた友禅菊の花束を、川岸から川面へ真横に伸びた太い一本の樹の幹に置く。この樹はこんな生え方でも、ちゃんと生きているようだ。
そっと皮をなで、一部はげている部分を指でなぞる。
丁度零一の目の高さだが、『君』にとってはなんとか手が届くほどだったのだろう。
ここへ来れるようになったのは、近年になってからだ。
「······まだ、どうすればいいのかわからない。なにも見つからないよ······」
風で花束が落ちる。零一が拾い上げると、そこに足音が近づいてきた。
軽快にこちらへ来るそれはひとり分のもの。およそ想像がつき、零一はそっとため息を吐いた。
「───あ、いた」
零一の顔を見るなりパッと笑顔になる彼、東井マナカとは、久しぶりに会った。彼の髪も伸び、さわやかにゆれている。
「ごめん、高山教授に聞いたんだ。ここにいるんじゃないかって」
まず謝罪したのにはちゃんと自覚があるようだ、無関係のやつが無闇に立ち入っていい場所ではないと。
「まだ川の水、多いだろうから。心配になってね」
「·········」
「何日······何週間ぶりか。生きててよかった」
冗談のつもりか本気なのか、まっすぐに零一を見てそんなことを言った。
彼の調子は以前と変わらないようだが、すこしほほがこけている。
「······痩せたみたいだな」
「ああ、ちょっと気ぃ抜いてた。人の心配する前に自分のこともちゃんとしないといけないのにな。───ずっと探してたんだよ、零一······」
眼鏡越しの彼の目が細くなる。東井がいま、自分にどんな感情を向けているのかわかってしまう気がして、零一は目を逸らす。
「教授は······なんて言ってた? ここのこと」
濁った川を、一本の流木が流れていく。川上の方で土砂崩れがあったのかもしれない。
「零一にとっての、大切な人······───東常真心くんが、ここで亡くなった、と。それから、これも。零一の好物だってきいて」
差し出されたビニール袋を受け取る。中にはピザまんがひとつ鎮座していた。とてもいい香りがする。
「······それだけ?」
「うん。俺と、同じ名前だったんだな。だから俺のこと避けてたの?」
「······名前だけじゃない。見た目も似てるんだ。そのまま大きくなったみたいで」
「眼鏡掛けてたんだ」
「······そう。小柄で······かっこいいというよりは、中性的でかわいい感じだ」
かわいいという要素も、成長したらかっこいいになっていたかもしれない。ここにいる東井のように───。
「俺の子供のときも、そんな感じだったな」
東井は隣県の実家から大学に通っているという。こちらの方へは滅多に来ず、東常家のことはもちろん知る由もない。『君』とは赤の他人なのだ。
「······勝手に、大切な人と東井を重ねて見ていた。それで東井と距離を置いていた。自分のことばかりで、ごめん」
花束を幹の窪みに置き直し、零一は川辺を歩き出す。
「零一、いまから紅葉見にドライブ行こうよ!」
努めて明るく誘ってくれているのだろうが、零一は肩越しに振り返り言った。
「もう限界なんだ。ひとりにさせてほしい」
「······限界って、なにが───」
零一の姿が林に消える。東井はすぐに追いかけたが、もう彼女の姿はなかった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
✿ 私は彼のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい
設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀
結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。
結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。
それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて
しなかった。
呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。
それなのに、私と別れたくないなんて信じられない
世迷言を言ってくる夫。
だめだめ、信用できないからね~。
さようなら。
*******.✿..✿.*******
◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才 会社員
◇ 日比野ひまり 32才
◇ 石田唯 29才 滉星の同僚
◇新堂冬也 25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社)
2025.4.11 完結 25649字
🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。
設楽理沙
ライト文芸
☘ 累計ポイント/ 190万pt 超えました。ありがとうございます。
―― 備忘録 ――
第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。 最高 57,392 pt
〃 24h/pt-1位ではじまり2位で終了。 最高 89,034 pt
◇ ◇ ◇ ◇
紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる
素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。
隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が
始まる。
苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・
消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように
大きな声で泣いた。
泣きながらも、よろけながらも、気がつけば
大地をしっかりと踏みしめていた。
そう、立ち止まってなんていられない。
☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★
2025.4.19☑~
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる