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緋崎辰也

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第三章 東井マナカ

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    検査結果は、目蓋を切っただけだったので縫合だけで済み、左目を覆うアイパッドを貼ってもらった。

    ひと気のない待合室の一角で長椅子に座り、高山教授は話しはじめた。

「わかりやすく言えば、森ヲ噛さんは瞬間移動ができるんだ。だけど制限があって、大きなものや重たいものに拘束されてしまうと、その力も使えなくなってしまう。
    俺は、ずっと心配だったんだ······いつか“死望者”にだまされて、危害を加えられてしまうんじゃないかと」

「今日、“レイイチさん”が捕まったこと知ってたんですね」

「東井さんとケンカする前に、本人から聞いたんだ。前は彼女、襲われそうになったら殺しますって言ってた。二人がケンカしてるとき俺は、東井さんが撃たれるんじゃないかってハラハラしてたんだよ。
    ───森ヲ噛さんが銃を持っていることはわかっているでしょ?」

    教授に言われてはっとする。

「そういえば。いや、忘れてました、“レイイチさん”なんだもんな······」

    ───それならなぜ、零一は俺からすぐに逃げなかった?    俺は大きくて重たいものに該当するのか?
    銃を向ける素振りもしなかったのは、意味があるのだろうか······。
    瞬間移動のことは、この目で見てしまったので、認めざるを得ないな。

「でも、銃を持っているようには見えませんでしたよ」

「まぁ······あれは持っているようで持っていないからな······」

「なぞなぞですか?」

「それも自分の目で確かめるといいよ。ちゃんと会いに行ってね」

「はい」

    通行人を三人ほど見送ってから、話は核心部分になる。

「零一は、人を殺したんですよね?」

「······うん。でも、無差別にやっていたわけじゃない。ちゃんと目的がある。······言うなれば彼女は、扉を探しているんだ」

「と、扉?」

「もちろんそこら辺にある行き来のためのドアのことじゃないよ。いろんな扉だ。
    それは重なっている世界の扉。この世ではない扉。未来への扉。
    でも、森ヲ噛さんが一番追い求めている扉は、来世への扉なんだ」

「もしかして、東常······くんの、ために」

「そう。だけど彼のためだけじゃない。これまで殺めてきた人たちのためにもなんだ。
    “死望者”という造語を耳にしたことはあるかな?」

「はい······」

    その単語は“レイイチさん”のウワサが出はじめてすこし経った頃に作られたものらしい。
    出処は不明だが、死にたいと思っている人のことをわかりやすく、かつ短く表したもので、ネット上では定着してしまっている。

「“死望者”という言葉が物語っている。森ヲ噛さんは自殺願望を持つ人の嘱託殺人を行っているんだ。
    死にたいけれどどうしても死ねない人や、苦しまずに楽に死にたい人のために」

「それは······ですが、犯罪ですよ。人としてやっちゃいけないことです」

“レイイチさん”がやったことを否定するが、しかし東井は思い出す。
    彼女が時折見せていた疲れた顔。悲しそうで、泣きそうで、苦しそうだった。
    ───俺の血を見たときも、そうだった。
    零一はやさしいのだ。

「東井さんの言うことはもっともだと思う。でもそれで終わらせちゃいけないんだ。話を続けよう。
    ───最初は、聞こえてくる声をきいて、そこへ向かい、殺していた。
    森ヲ噛さんはね、人が死ぬというのは思っている以上にとんでもない事なんじゃないか、と考えたんだ。人ひとりの世界が丸ごと消える。その瞬間、世界にとってなにかしらの影響があるんだろう、と。
    人の数ほど世界があることになるけど、ほら。誰も死なない日なんてないじゃない。
    少なからず何かが起こることを期待して、彼女は殺した」

「死という鍵で、扉を開ける······」

    そういうこと、と教授は二度たてに頭をゆらす。

「でも、一度目では開かなくて、二度目三度目と数を増やすごとに、目的がもうひとつ増えた。
    それは“死望者”の幸せ······。死んだらどうなるかなんて誰にもわからないのに、もしかしたら自分という存在自体が消えてしまうかもしれないのに、それでも死にたいと願うのは、その人にとってこの世は死ぬことよりもつらいということなんだ。
    森ヲ噛さんは“死望者”たちの苦しみを消して、そして来世での幸せを願うようになった」

「······誰も助けてくれない、どこにも行けない、どうすることもできないとなったら、死ぬしか······ないんですかね」

    文明の発達した現代では、二十四時間電話対応している相談所や、SNS上で匿名で相談できるところもある。
    それなのに自殺者数がゼロにならないのは、どうしてなのか───。

「知っていたかな?    “レイイチさん”の手によって亡くなった人たちは皆、頭部を撃たれているんだ。顔じゃなくて、側頭部を。
    報道とかだと、頭を撃つなんて人間のすることじゃないとか言ってるけど、そうじゃないんだよな」

    しっかり狙って撃てば、頭なら即死だ。痛みも苦しみもなく殺すために、そうしていたのだ。

    嘱託殺人に関してはすべて納得したわけじゃない。
    けれど───。

「······手首、まだ痛かったかもしれないのに、かなり強く掴んじゃったな······。事情もなにも知らないで、怒鳴っちゃったし······」

「頭突きされても文句は言えないよねえ」

「そうですね。眼鏡壊れましたけど」

「あとピザまん忘れてるよね?」

「───あ」




    *    *    *




    大学に戻るとすぐに、教授がなにか書きはじめる。

    東井は落としてそのままだった袋と眼鏡を回収し、一応彼女を探す。

「······やっぱ、いないか」

    あんなにひどいことをした後で、零一を傷つけてなお、それでも会いたい気持ちが抑えられない。
    まずは謝らなければ。どういう言葉ならいいだろう······悩む。

「東井さん」

    教授が紙をよこした。受け取って確認すると、実に簡単すぎる地図だった。

「いちおう森ヲ噛さんの家の住所と、家があると思われる場所の地図を渡しておくよ。
    簡単すぎるって思っただろうけど、本当にそのくらいなんにもないんだ」

「はあ。町とか村じゃないんですね」

    地図には山と二ヶ所の神社と、山と「森ノ噛」「ここらへん?↓」とだけある。

「住所は彼女から聞いたものだから合ってるはずなんだけど、どうにもたどり着けなくてね。
    森のなかを歩くことになるんだけど、もう道なんてなくてさ。俺迷子になりかけたんだ。
    なんとか森からは出られたけど、結局彼女の家に行くことはできなかったよ」

    あそこは迷いの森だなぁと呟く教授に、東井は引っかかるものを感じた。

「······教授、どうして零一の家に行こうとしたんですか?」

「ああ、それは森ヲ噛さんが父親?    に会ってほしいって言ってきてね。お父さんすごい引きこもりらしくて、俺の方が行くことになったんだ」

「なんですか、父親のあとのハテナは。というか、父親に会ってほしいって───まさか!」

「え、なに」

「教授と零一って······つ、付き合ってるんですかぁぁぁぁ?」

    ボサっと袋を落とした東井の顔は青い。

「二回も落としたけど大丈夫?    それ」

「俺の知らない零一のことあんなに知ってたし、零一も教授のこと頼りにしてるみたいだし、父親に紹介されるような間柄であってもおかしくないですよね。
    俺、なんか、その、勘違いしてたみたいです······」

    わかりやすく落ち込む東井に、教授はあっさりと告白する。

「そのままの東井さんは面倒臭いから言っておくけど、俺と森ヲ噛さんは付き合ってないよ」

「えっ」

「戦友のようなものだ」

「じゃあ、なんで家に」

「んー父親?    に会わせたかった理由はわからないけど、森ヲ噛さんが人間じゃないってことと関係しているのかもしれないな」

「······───は?」

    東井は我が耳を疑った。いまこの教授はなんて言っただろうか?
    正直、“レイイチさん”と零一が同一人物だと知ったときよりも頭が真っ白だ。ニンゲンジャナイ?

「た、たしかに姿を消すなんてこと、信じられないけど。でもほら、あれじゃないですか、実は未来人とか」

「───それは禁句だ。過去に行けるんだったら、森ヲ噛さんはとっくに東常真心くんを助けただろう」

「あ······すみません」

「······俺はたどり着けなかったけど、東井さんならもしかしたら彼女の家に行けるかもしれない。
    俺から話せることは大体話したから、あとは本人に聞くといい」

「───はい。ありがとうございました」

    東井は教授に一礼し、大学を出た。

    ───零一はきっとあそこにいる。

    ここから目的地までは遠い。
    俺も彼女のもとへ一瞬で行ける力があれば。そう思いながら東井は車を走らせた。




    *    *    *




    彼女はやはり、あの河原にいた。ほどよい岩に体育座りをして、膝に顔を埋めている。
    月明かりが彼女をやさしく照らしていて、それだけなのに不思議と神秘的だった。

    東井が側に行っても気づかないのは、耳にイヤホンが入っているからのようだ。

「······また、『君』の好きな歌か」

    以前、勝手にウォークマンを見たとき一曲しかないことに驚いたが、それが東常真心の好きな歌だと知ったとき納得した。
    それは東井も幼い頃に観ていたアニメの曲で、たしかにいい曲である。

    そっと隣に腰を下ろすと、零一がバッと顔を上げた。

「───ぁ」

    東井の顔を見るなりおびえたように立ち上がり、後ずさる。イヤホンを取ると、「ごめんなさい」と消えそうな声で言った。

「目は、目蓋を切っただけだから。大丈夫。───話がしたいから、こっちにおいで」

    隣に来るよううながすと、零一はすこし考え、恐る恐る戻ってきた。
    ウォークマンをポケットにしまった手を、東井はやさしく握る。細く、冷たい手。手首の擦れた痕が痛々しい。

「······俺も、ごめん。零一が考えていることなにも知らないのに、一方的に怒って······」

    零一がゆるく首を振る。

「高山教授から、大体のことは聞いたよ。零一が“死望者”を殺している理由、扉を探す理由、それから人間じゃないことも。信じるの難しいけど、本当······なんだよな」

「······全部、本当だよ。教授にはウソついてないから。一瞬で遠くまで移動できるし、声だって聞くことができる」

「声?」

    たしか、教授も言っていた。聞こえてくる声、と。
    それはやはり物理的に空気の振動で伝わってくるものとは違うものだった。

「意識すれば聞こえてくる。私の周りでたくさんの人が「たすけて」って泣き叫んでる。いまも······」

    暗闇の川をじっと見つめる零一。その目に自分が映っていないのではと不安になり、東井は握る手を引き寄せる。

「だめだ。殺人なんてもうするな」

「······誰も助けてくれない絶望のなかを、どう生きていけばいいんだ」

「それは······」

    ───俺にはわからない。
    専門家でも医者でもなく、当事者でもない。死のうと思っている人にまだ頑張れよなんて、きっと言えないけれど······ほかの言葉も見つからない。

「······なら、君のために言うよ。また危ない目に遭うかもしれない。“レイイチさん”に危害を加えようと企んでいるやつらが、もう二度と現れないとは限らないだろ。
    だから、もう“レイイチさん”にはならないでほしい」

    ウソでも綺麗事でもなく、東井の本心だった。もう彼女が傷つく姿を見たくないのだ。

    しかし、零一は頷かなかった。

「───それはできない」

    そう言った瞬間あの黒い光が現れ、彼女を隠した。
    つないでいた手がいつの間にか離れてしまう。

    東井が立ち上がったとき、零一は川辺にいた。

「零一!」

    岩を下りた東井に、零一は銃を構えた。

「!    どこから」

    赤黒い銃口はまっすぐ東井に向いている。距離にしてみれば十メートル弱。

    彼女は、あきらめたような表情をしていた。
    銃に構わず、東井は歩み寄る。

「来るな」

    力無くそう言い、零一が川のなかへ下がっていく。

「俺を撃ったあと、零一はどうするんだ」

「······わからない」

「また扉を探すために、人を殺してしまうだろ」

「そうかもしれない······───でも」

    川底の石に足をとられ、零一がよろける。その隙に東井は駆け寄り、銃を奪った。

    だが。

「───え」

    銃を持っていた感触がなくなり、気づけば再び零一が持っていた。
    ただの銃ではないようだ。

    零一が銃口を自分のこめかみに向ける。

「零一───」

    彼女の顔は青ざめている。
    そして、震えながら笑った。

「君が死んで、私も死んだら······もう二度と会えないね」

    零一が一歩下がるとそこは深みだったのか───
    引き金に指を掛ける彼女が水のなかへ倒れる。

「───!!」

    東井は必死で手を伸ばし、自らも川へ飛び込んだ。
    暗く闇のような水中で、彼女の白い肌が辛うじて見える。
    きつく抱き寄せ、水面に顔を出した。

「はぁっ」

    なんとか足は着く。零一が咳き込み、身を震わせて二度東井の胸を叩いた。
    もう銃は持っていない。

「───死ねなかった······っ、恐かった······!」

「零一······」

    零一は泣いている。子供のようにしゃくりを上げ、涙を流して。

    はじめて泣いている姿を見て、東井の心も引き裂かれているようだった。
    いま、零一は「たすけて」と叫んでいる。死にたくない、生きていたい、死にたい、どうやって生きればいいのか、わからない───と。

    ここに零一にとっての“レイイチさん”はいないのだ。

    東井は呼吸を落ち着かせ、彼女のほほを撫でる。その自分の手も震えていた。

「······扉は、俺たちが生きている間には、見つからないかもしれない」

    それはきっと、零一とってつらい言葉だろう。しかし言わなければ、と東井は思ったのだ。

    零一は「わかってる」と言い東井の言葉を否定しなかった。

「わかってるよ、だけど······過去もいまも未来にも時間が流れているなら、いまも真心は死のうとしているんだ。春が来る度に、何度も───この場所で······。
    ───たとえ神様の力を失っても、もう二度といまの時間に戻って来れなくてもいい!    過去に行きたい······っ!
    ───真心に、会いたい······っ」

    泣き叫ぶ零一を、東井は強く抱きしめる。

    ───俺はこれまで生きてきたなかで、大切な人を喪っていない。
    でも、大切な人はいる。とても大切で愛しくて、愛している人。

    零一がいなくなってしまったとき、俺も同じように過去へ行きたいと願うだろう。
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