0110.

緋崎辰也

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第四章 森ヲ噛零一

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    零一は、ふいに目覚めた。
    夢を見た感じもなく、唐突に意識が戻ったのだ。

    ひどく重い目蓋に、全身がだるい。
    ゆっくり自分の体に感覚を張り巡らせてゆき、ようやくどういう状況なのか把握できた。

    痛いところはない。心臓もちゃんと動いているし、左半身、右半身、ともに感覚がある。

    ───大丈夫。私は、生きてる。

    見慣れた天井、空気はとても現実味を帯びていて、ここが「あの世」でないとわかる。

    空の夕焼け色が反射し、赤くなっている庭。ちらほらと彼岸花が咲いていて、眠っている間に季節は秋になっていたようだ。
    そういえば、すこし空気が冷たい。

「───」

    誰かの呼吸が側で聞こえてきて、零一は首を動かし見た。彼が横で寝ていた。

    なつかしい顔。もう眼帯はなく、傷跡だけが目蓋に残っている。

「······ぁ、か」

    よく眠っているところ悪いのだが、ちょっと起きてほしい。しかし声が上手く出ず、せっかく彼の名前を呼びたいのに、下が回らない。
    くぐもった言葉になっていない音も、まるで自分ではない。

    なぜかほかの三人は見当たらず、家の中は静かだ。

「ん、ま······」

    肺にも口にも力が入らず、ただモゴモゴするだけ。

    ───ちょっと、起きたんですけど。こっちは寝すぎてもう眠くないから、二度寝とかできないんですけど───

「·········」

    起きない!
    仕方ないので、観察する。

    また髪が長くなっている。中性的な顔立ちも相まって、見ようによってはきれいな女性のようだ。
    音楽を聴いていたのか、いまも流れているのか、髪の間からイヤホンが覗いていて、それはまだ新しいウォークマンにつながっている。
    これでは声を掛けても無駄であった。聞きっぱなしで寝てしまっては、バッテリーがもったいないぞ。

    と、突然ビクッと彼の肩が跳ね、うっすら目が開いた。
    高いところから落ちた夢でも見たのだろうか。

「ん······寝ちゃってたな······」

    のろのろと遅い動作で起き上がった彼は、イヤホンを取り目をこすった。
    夕焼け色の髪がさらさらと肩から落ち、きれいだ。

    あくびを一つし、そしてぼんやりする顔で、こっちを見た。
    目が合う。───三秒ほど微動だにせず、そして。

「れい、いち───」

    驚いた顔になり、また名前を言った。

「零一───俺のこと、わかるか······?」

「んん······ま、か」

    必死に口を動かすと、彼は破顔し、そしてぽろぽろ泣きだした。

「零一っ······ぅ、よかった······───目が覚めてよかった······っ」

    初めて見る彼の泣き顔に、胸が締めつけられる。
    ───泣かないで。でも、泣くほど心配してくれたのは、うれしい。

「ま······な、か」

「!    零一······!」

    たどたどしく、しかし確かに呼んだ声は、ちゃんと届いた。
    マナカが手を握ってきて、手のひらに彼の体温が伝わってくる。できるだけの力で、零一も握り返す。
    彼にふれて、生きているという確証を得られたようだった。

「零一······おかえり」

「······た、だい、ま」

    零一は笑った。




    *    *    *




    リンドウ、水斗、雫の三人が畑や山へ行っては、体に良い山菜や川魚を取ってきて、食べやすいように調理してくれる。
    目覚めたばかりの零一は体力と筋力がなく、長い時間起きていられなかった。
    三人と、そしてマナカ。誰かしら必ずひとりは側にいて、リハビリをサポートしてくれる。

    零一も少しずつ、一歩ずつやれることを増やしていき、家の中を歩き回れるくらいには回復した。

    夜も深くなり、いつものように縁側にマナカと並んで座る。

「寒くない?」

「うん、平気」

    と言ったのだか、マナカが「風邪引かないように」と自分が羽織っていたどてらを肩に掛けてくれた。

    季節は冬。あと数週間後には年が明ける。
    実家が忙しいだろうに、マナカは零一が起きてからもずっと、毎日ここにいてくれる。
    さすがに年末年始は帰ったほうがいいだろうから、うまいこと説得しなければ。

「静岡って、あんまり雪降らないんだっけ?」

    マナカが夜空を見上げる。星々が煌めく、よく晴れた空だ。

「山奥の方はたまに降るけど、ここらへんは降ったことないな」

「そっか。じゃあ、年が明けたら見に行こう」

「······どこに?」

「俺の実家。零一も一緒にね」

「うん······雪、見てみたいな」

    素直にうなずくと、なぜか彼は「あれ?」と怪訝な顔をした。

「もしかして、どういう意味か分かってない?」

「え?    なにが」

    本当に分かっていない零一に、マナカは苦笑いし「まあいいか」と言った。

「······ふふ」

    零一はうれしくなってちいさく笑う。

「ん?    どうかした」

「うん、マナカと未来の約束してるから、うれしくて」

「······そっか。いままでどっか行こうって言っても断られてたもんな」

「ごめん」

「いいよ。これからは色んなとこ行こう。あ、零一が疲れないように、時間に余裕もってさ」

    あそこ行きたいな、テレビでやってたとこもいいよな、と彼はさっそくスマホの“メモ機能”とかいうやつに記録しはじめる。ここは圏外らしいが、その機能は使えるのか。

    私が行きたいところは······考えても思い浮かばなかった。マナカが行こうと言ったところに、一緒に行くことができればそれでいいのだ。
    それだけでも十分しあわせだと思う。

    零一は時々、死を感じた瞬間を思い出す。
    銃弾を受けた腹が熱くて、痛くて、血液が体から流れ出ていってしまう感覚。
    遠くなっていく現実にしがみつきたいのに、意識はどんどん薄くなっていく。
    永遠に続く真っ暗な崖下に、突き落とされたようだった。
    そこで記憶は途切れ、次に見たのは我が家の天井。つまり、いわゆる死後の世界には行っていないのだ。殺した人も、真心もいなかった。

    なにもなかった───。

    そのまま目が覚めないで死んでいたら、私はどうなっていただろう。
    意識のないまま暗闇を落ち続けていたのか?
    そもそも意識なんて無くなるのか?
    誰もいないところなら、私を観測するものもいない。そんなもの、まったく無意味だ。

    零一は自分の胸に手を当てた。
    とん、とん、と脈打つ心臓。
    澪として一度死んだ心臓も、今こうして死にあらがって動いているのは、私の意志の表れだ。

    生きたいという、願いの───。




    *    *    *




    全国に指名手配されている士草澪は、いまだ捕まっていない。

    また、3Dプリンターで違法に銃を製造していた、鈴木飛鳥の殺害以降、“レイイチさん”も現れることはなくなった。

    自殺者数は年ごとに増減を繰り返し、誰も死ななかった日など存在しない。



「命のある星に生まれたのなら······

    死とともに生きよう」



    それが、零一の答えだった。





    ───了
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