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十五章
開戦
しおりを挟むマシロ達の住む草原のはずれから、さらに少し離れた場所。
普段から人通りの少ない所ではあったが、今では元々生息していたであろう動植物達ですらその姿を一切見せず、怪しいまでの静けさを纏っていた。
その理由は、単純明快。
「…………」
瞼を閉じ、剥き出しになった岩の上に寝転がる着物姿の少女。
見た目は高校生くらいであるのにも関わらず、なぜだか艶やかな色気を醸し出していた。
その原因の一つであろう零れ落ちそうな胸に手を添え、ゆっくりと瞼を開く。
淡い月明かりを反射してきらりと輝くアメジストの瞳は、しばしの間ぼーっと夜空を見つめ、それは不意に夜空に浮かぶ月へと移る。
かつてあの鳥居の上から見ていた月と、何ら変わらぬ美しい満月。
満天の星空は昔に比べ格段と澄んで見えるものの、月だけは変わらず悠然と浮かんでいる。
どれだけ時が経とうと普遍の明かりを地上に落とすその姿に、九尾の狐の口元がふっと緩んだ。
彼女がこうしてただゆるりと過ごしているだけでも、その圧倒的な存在感はまるで隠せていない。
いや、むしろあえて隠していないのだろうか。
辺りの静けさは、九尾の狐の異常な気配に怯えた魔物達が逃げていったことによって発生したのだ。
────三日。
彼と交わした約束を思い返し、九尾の狐は舌なめずりをする。
「くふふ、待ち遠しいのぅ……!」
仰向けに寝転んだまま、九尾の狐は楽しみで仕方ないと言った様子でほぅ……とため息を漏らす。
一体どれほどの強さに至るのか……。
今から楽しみで楽しみでしょうがないのだ。
九尾の狐は、マシロなら確実に死の淵から舞い戻ると確信していた。
だから、本当なら数km離れた場所の気配さえも補足できる〈気配感知〉、及び妖力による索敵の一切を、わざわざオフにしていた。
それも全て、復活したマシロとの戦いを楽しむため。
事前情報無しで臨む方が、そうでない方に比べ楽しいに決まっている。
要は現代で言う、一部のゲーマーと同じような思考という訳だ。
実に戦闘狂な九尾の狐らしい。
また、彼の魂魄も楽しみの一つだ。
ただでさえ今まで口にした事がなかったほど美味であったのに、それがさらに昇華されてしまったら………。
一度味わえば、他の魂魄では満足出来ない体になってしまうかもしれない。
そんな期待に思考の大半を独占させていたら、きっと三日なんてすぐ経ってしまうに違いない。
いやはや、時の流れとはまったく恐ろしいものである。
─────そうそう、時の流れと言えば。
「確か………妾が封印されて千年と少しじゃったか?それほどの時が経ってもなお、これほど強靭な肉体に生まれるとは………。"器の一族"とやらは不思議じゃのぅ」
"器の一族"。
かつて大妖怪達と力を合わせ、九尾の狐をその身に封じた守り人の一族。
災禍が世界を見舞う時、それと呼応するかのように"器"の素質を持つ者が生まれ落ちるという不思議な種族だ。
九尾の狐も封印前より何度か耳にしたことがあり、真偽はさておき少し興味を惹かれていた。
まさか自分が封印されることによって、その存在が証明されるとは思ってもいなかったが。
イナリは当時、九尾の狐をその身に宿し封印した狐人族の少女、"セツナ"の遠い子孫であった。
さて。
ここで問題となるのは、もはや何代前か遡ることさえ不可能なほどの年月が経っても尚、"器"が引き継がれ、九尾の狐をその身に宿し続けたこと。
これの一体なにが問題なのか。
実は"器"の存在意義にも関わる重大な事なのだ。
と言うのも"器"とは「災禍をその身に宿し、世に平和をもたらす」。
そんな誰も不幸にならない、都合の良いヒーローのような存在ではない。
誰かが幸せになれば、必ず誰かがその代償を背負い不幸にならなければならない。
いわゆる世の中が前者で、"器の一族"………とりわけ"器"の資格を持つ人物は後者に当てはまる。
"器"が「災禍をその身に宿し、世に平和をもたらす」。
ここまでは世に生きる他者からの視点にすぎない。
"器"の真価にして、与えられた真の使命。
それは、「災禍と共に朽ち果てる」ことにある。
"器"はあくまで封印に特化した存在だ。
決して、災禍を滅せなどしない。
災禍は、存在しているだけで何らかの形で現世に影響を及ぼすような規格外の存在ばかり。
だからこそ災禍と呼ばれる訳だが、そんな存在を永久に封印するなど不可能に等しい行為である。
時が経てば経つほど封印の効力が弱まり、終いには抜け出されてしまう。
だから、"器"の寿命は極端に短い。
何が言いたいかお分かり頂けるだろうか。
簡単に言おう。
"器"の使命は、「災禍をその身に封じ、世の平和と引き換えに死ぬことにある」。
災禍を封印した瞬間から、災禍と"器"は一心同体のような状態となる。
そもそも"器"が"器"たる要因として一番重要なのは、魂の"器"が圧倒的に大きいことだ。
通常では一人分の魂しか乗らぬ器のはずが、かの存在だけはその何倍もの大きさを誇る。
器の空いたスペースに、災禍を魂魄に変換し押し込み、"命の楔"で二つの魂魄を縛り、強制的に同居させる。
────では、その片方………もっと言うと肉体の主である方が消滅したらどうなるか。
言わずもがな、楔で繋がれたままの災禍もそっちに引っ張られる。
つまり、消滅するのだ。
これが"器"の存在意義。
災禍を道連れに死ぬことこそ、"器"の本懐なのである。
ちなみに何らかの原因で"器"が寿命より先に死亡しても、結果は同じである。
…………さて、そう考えると一つ疑問が湧いてくる。
では、九尾の狐は?
彼女を封印したのは、遠い先祖であるセツナのはず。
それがなぜ、現代のイナリまで脈々と受け継がれているのか。
それはひとえに、九尾の狐の規格外っぷりのせいなのだ。
先程述べた通り、封印された災禍は普通であれば"器"と運命を共にする。
しかし九尾の狐の場合、封印の仕方がそもそも特殊だった。
なんと九尾の狐、"器"を持ってしても抑えきれないほど、巨大かつ恐ろしいまでに純粋な魂魄に進化していたのだ。
そのため、"器"一人ではキャパオーバー。
封印するには、どうしてもそのキャパを広げるか、九尾の狐の魂魄の方を何とかして圧縮なり削るなりしなければならなかった。
大妖怪達と"セツナ"が取ったのは、その中間とも言うべきか………。
大妖怪達は、それぞれ己の魂の一部を切り離し、九尾の狐の魂魄と共に"器"ことセツナに押し込んだ。
事前の儀式によりセツナの魂魄及び魂の器と共鳴したそれは、九尾の狐の魂魄を圧迫しつつ器自体の拡張にも成功した。
言わば水で溢れそうなコップの下に、粘土で作った即興の桶を置いたような感じ。
材質も違えば形状も違う。
けれど、九尾の狐の魂を一時的に抑えるには十分だった。
さて、前置きが長くなって申し訳ないが、本題はここからだ。
"一時的に"。
これが一番の問題点。
"器"に大妖怪の魂を足しても尚、九尾の狐を永久に抑えることは出来なかったのだ。
コップは水がどれだけ注がれたところで、溢れはすれど壊れはしない。
セツナもそうだ。
セツナの魂の器が壊れることは無い。
だが大妖怪達の魂によって拡張された部分はどうだろう。
粘土は、長く水に浸かっていれば溶けてしまうだろうし、次第に形も崩れる。
もし完全に決壊してしまったら、その時が九尾の狐復活の時である。
そうなることは是非阻止したい。
──────では、その前にさっさとセツナが命を落とせば良いではないか。
そんな「人の心とかないんか?」と疑わずには居られないような意見もあるだろう。
倫理的にどうかは置いておくとして、合理的ではある。
従来とおり"器"と運命を共にするのであれば、それが一番の解決方法だろう。
…………そう、従来通りなら。
九尾の狐は、どこまでも規格外なのである。
"始まりと終わりを司る"その能力と、異物である大妖怪達の魂を上乗せした代償として。
本来機能するはずの"命の楔"が、その役目を全うすることが出来なくなっていたのだ。
道連れ戦法は、二つの魂魄が"命の楔"で繋がれている前提の話。
それが無いのであれば、実践する前からあっさり破綻が確定してしまう。
セツナ達は様々な策を案じたが、全てやはり九尾の狐の前では通用しないものばかり。
"器"の寿命は短い。
なるべく早く策を練らなければならなかった。
さらに、そんな状態のセツナを襲った問題なのかがもう一つ。
子孫だ。
"器の一族"の家系を、決して絶やしてはならない。
そのためセツナは人々の命のかかった九尾の狐に対するものと、子供を作ることという両極端な事態を、ほぼ同時に向かい合わされていたのだ。
そんな中、生まれたセツナの子供"ヤクモ"に驚くべき事実が発覚した。
腹に、九尾の狐の魂魄が同居していたのだ。
生まれる寸前まではセツナの中に居たにも関わらず、ヤクモが生まれた瞬間に、宿主がすり変わっていたのだ。
初め、彼女達は九尾の狐仕業であると考えていた。
しかし、それは間違いであった。
九尾の狐ですら全く意図していない、偶然の出来事。
しばらくして、それが都合の良いものと都合の悪いものを併せ持っていると分かった。
まず都合の良いものとしては、封印が子に移るのはたった一度限りの奇跡ではなく、九尾の狐をその身に封じた女性から子供が生まれる度、子に移るということ。
子供が、都合良く女の子しか生まれないということ。
都合良く、子に封印が移る度、大妖怪達の切り離された魂の強度がリセットされること。
前者二つはまだ"器の一族"としての遺伝子が作用した、なんて理由で納得出来るかもしれないが、最後の一つはいくらなんでも都合が良すぎるというもの。
明らかに何者かによるご都合的な干渉である気がしてならない。
そして都合の悪い点だが、封印の維持と引き換えに"器"としての機能をほとんど失ったこと。
つまりは九尾の狐がずっと居座っているせいで、"器"本来の役割である「災禍の封印及び道連れ」が出来なくなってしまったのだ。
にもかかわらず短い寿命もそのまま。
これからどれだけ続くか分からない子孫達全員に、過酷な人生を強要するような結果となってしまった。
唯一の救いは、聖魔戦争の終わりから現代まで、これと言った目立った災禍もなく、平和な世が続いていたことだろう。
それも、九尾の狐によって再び脅かされる訳だが。
本来ならばまだまだ十全であったはずの封印を解いてしまったのは、"原初の────"。
どんな術なのか、どう言った経緯でそれを手に入れたのか、全ては例の術を開発した国がすでに滅んでしまっているため、判明させることは難しい。
けれど効力は本物だ。
何重にも入り組んだ封印を見事に解き、押さえつけていた九尾の狐の魂を解放した。
爆発的に膨張し本来の大きさと純度を取り戻した魂魄によって、今度は逆に"器"たるイナリの魂魄が圧迫。
主導権争いに負け、消滅を余儀なくされた。
これが事の経緯。
九尾の狐が口にした肉体の強度とは、九尾の狐の魂魄を支えるだけの魂の器を、外敵から守るために構築される肉壁のようなもの。
歴代の"器"に共通して見られる特徴だ。
イナリのフィジカルの強さは、その種族ゆえであったのだ。
ちなみに九尾の狐がここまで興味を示しているのは、イナリの肉体はフィジカルオバケな歴代の"器"の中でも、特に頭一つ飛び抜けた強靭さを発揮しているからだ。
肉体だけならば、九尾の狐本体を上回ると言っても過言では無い…………かもしれない。
素の肉体ならイナリの方が上。
しかし妖力による身体強化まで含めると、どうしても総量の多いかつ操作の上手い九尾の狐の方が勝るだろう。
この肉体で、以前の力を百パーセント発揮できるようになったら。
それこそまさに化け物の誕生である。
とは言え、借り物の肉体ではすぐに全盛期の力は扱えまい。
どうしても体の慣らしが必要だ。
やはり他人の体ともなると、扱いも違ければ妖力の運用もまるで異なる。
まともに戦うには、まずそれに慣れるのが先決。
そのためこの三日間は、実は九尾の狐のためでもあったのだ。
万全の状態で戦いを楽しむため。
しかしそんな状態にもかかわらず、簡単にマシロをボコボコにしたのだから恐ろしい。
────体の主導権を完全に握るには、その肉体の元の主を消滅させるのが一番確実な方法だ。
肉体に宿る魂が一つになってしまえば、そもそも争いなど起きないのだから器を独占できる。
しかし先程も述べた通り、"器"の肉体は特別で唯一無二。
二つの魂が同居する前提の作りである上に、そこに大妖怪の魂まで干渉しているのだ。
通例どおりとは行くまいて。
九尾の狐は、マシロに既にイナリの魂は消滅したと言った。
だがあれは、半分本当で半分嘘。
正確にはまだ完全な消滅は免れている。
しかし、その機能はほぼ停止したと言っても過言では無い。
九尾の狐の中々にえげつない手によって、イナリの抵抗はもはや意味を成していないのだ。
これを機に、九尾の狐は一気に肉体の核心を掴みにかかる。
仮にイナリの魂がここに復活したとしても、主導権争いで遅れを取る事はまずないと断言出来るレベルには、肉体の核心を掴む必要がある。
「…………」
九尾の狐は無言のまま手の甲とその奥の月をしばらく見つめる。
事態は非常に順調だ。
あやつらの作戦に便乗するようで些か気が引けんでもないが、それでもやはり久々の現世というのは感慨深いものがある。
…………だが、なんだろう。
別に不調である訳でもないのに、不思議と釈然としない不快感が時折腹部を中心に感じる…………気が、しないでもない。
普段なら気のせいと断じても仕方がないくらいの、些細な感覚だ。
けれどこの肉体は、九尾の狐ですら知識のない"器の一族"のもの。
油断は禁物だろう。
数分の間ぼーっと夜空を眺めてから、九尾の狐はやがて再び目を閉じ、意識の深層へと潜って行った。
◇◆◇◆◇◆
暗い、暗い………光の一切が遮られた真っ暗の空間に、少女は浮かんでいた。
どうやら気を失っているらしい少女の口からはポコポコと小さい気泡が漏れ出ており、衣服や頭上の狐耳やしっぽなども何かに煽られゆらゆらと揺れている。
あの揺れ方は風などではなく、水中で見られるようなのっそりした揺れ方だ。
─────少女の瞳が、ゆっくりと開く。
まだ寝起きなためか細められた緑色の瞳は、しばらくの間、焦点が合わないままぼーっと遠くを見つめていた。
明かりも何もない空間のため、何かを見ていたと言うよりは、単純に状況を理解出来ていなかったがための放心状態と言った感じだろう。
そんな少女の視界に、小さな気泡が映り込む。
しばしの間それを何となしに見つめていた瞳が、突然驚きのあまりギョッと見開かれる。
『っ!?』
ほぼ同時に「ガボボボッ!?」と大量の気泡が上昇して行った。
やっとこさ、今自分の置かれた状況を理解したのだ。
一気に意識を覚醒させられた少女は、慌てて口元を抑え必死にじたばたともがく。
が、どれだけ足をばたつかせようが、一切体が浮上する気配が無かった。
『~~~ッ!?』
もがいてもがいて、ひたすらにもがき続ける。
で、「あ、もうダメですぅ………」と死を覚悟した時に、はてと気がついた。
─────あれ、全然苦しくなくね?と
ふむ…………そう言えば、さっきからどれだけバタ足をしていても息が詰まるような感覚がなかった。
普通これだけ動いていれば、いくらフィジカルモンスターの彼女と言えど、気泡として空気が抜けている状態ではキツい。
まさか………。
恐る恐る、少女は口を覆っていた手のひらを外し、口を若干開いてみる。
するとどうだろう。
水中と同じく小さな気泡は漏れるものの、その影響で息が苦しくなるようなことは無かった。
『…………』
つまりここは、一見水中であるように見えるが、実際は全く違った性質の空間なのである。
先程まで必死に足掻いていた姿を思い出し、少女はなんとも言えない微妙な気持ちになった。
生きててよかったと思う反面、しかしこう………なんだか釈然としない。
『まぁ、それは一旦置いておくとして………。ここは一体────アッ!?』
水の中でないならば、ここは一体どこなのか。
適当にじたばたしたり、クロールで進めるかどうかなど色々と試してみる。
大抵はその場から動けず、虚しく終わるだけなのだが………不意に、ペイッと吐き出された。
どこから?
もちろん、水中(のようなもの)から。
肌に感じていた液体の感触が遠ざかり、代わりに頬を撫でるのは乾いた空気の気配。
少女の頬が引き攣る。
まず水中のような場所と、通常と同じ大気が占める空間が隣り合わせになっていたことにも驚きだが、何より一切進んだり降下したりしていないのに、その境界に遭遇したことの方が恐ろしい。
まるで邪魔者をポイッと捨てるかのように雑であんまりな仕打ちだ。
昔の漫画のごとく空中でシャカシャカもがき、しかし当然のように意味は無いので、そのまま暗闇の底へと落下していく少女。
そもそもこの空間に"底"という概念があるかどうかすら怪しいところだが。
『きゃああああああべんぬッ!?』
グシャッと、立ててはいけない音を立てて少女は顔面から暗闇に墜落した。
全体が等しく暗いことから、どこが地面かすら分からず受身を取り損ねたのだ。
女の子が出しちゃいけない悲鳴を捻り出しながら、あまりの痛さに顔面を抑え転げ回る。
なんて残念な少女なのだろう。
『~~~ッ!?もうっ、何なんですかぁ!』
ペタンと女の子座りしたまま、少女は片腕を振り上げ猛然と抗議の意を示す。
未だ状況を飲み込めていないにも関わらずこの仕打ち。
少女はぷんすか怒りを露わにするが、この暗闇の空間においてそれに応える気配は一切無い。
──────孤独
少女の胸の内に、この二文字の言葉が知らずのうちに浮かび上がった。
孤独。
確かに孤独だ。
今のところこの空間には少女しか見当たらないのだから、孤独なのは当たり前。
『…………?』
だけどおかしい。
何かを忘れているような………?
────恐怖
恐怖?
一体何に恐怖すると言うのだろう。
この闇しかない空間に?
確かに普通なら恐怖するだろう。
視界を奪われたも同然の世界で、しかも出る方法が一切分からない。
長時間いれば、発狂してしまってもおかしくない。
だが、何となく………この恐怖とは別な気がする。
─────忘却
『………っ!』
頭がズキンと痛む。
なんだ?
一体、何を忘れてる?
思わず痛む側頭部を抑えながら、少女は自問自答を繰り返す。
頭痛が酷い。
脂汗が滲み、目眩もしてきた。
────コツン
足音。
そちらに向いた少女のぼやける視界が、呆然と見開かれる。
そこに佇んでいた少年を目にして、驚きのあまり息が詰まってしまった。
『─────ご主人様………』
全て思い出した。
自分の身に何が起こったのか、そしてここがどこなのかも。
大方見当がついた。
だからこそ信じられない。
なぜここに、ご主人様が居るのか。
もしかして、私を助けに─────。
そんな少女の………イナリの希望は、次の瞬間、容易く打ち砕かれた。
マシロは自分へと手を伸ばそうとするイナリを興味無さげに一瞥すると、そのままくるりと踵を返してしまったのだ。
どんどんと、二人の距離が広がっていく。
『えっ、ご主人様……!?なんで………。あ、ああ、もしかして怒ってるんですか?それはそのぅ………大変申し訳ありませんでしたぁ!ご主人様に嫌われちゃうかもって思うと、どうしても言い出せなくて………。責任はちゃんと取ります!私が何とかします!二度とご主人様に迷惑をかけないようにもしますし、もうわがままも言いません!だから…………だからお願いします………私を、置いていかないでください………!!』
『…………』
いつの間にか、イナリの瞳からは大粒の涙が溢れていた。
なぜだか胸の内に溢れる悲しみの感情は限界を知らず、マシロとの距離が離れる度、不安感だけが募っていく。
しかしどれだけ謝罪の言葉を口にしようと、彼が止まることは無い。
『ご主人様………ご主人様……!ごめんなさい、私のせいで………でも──────ッ!?』
聞く耳を持たない彼に対してそれでも何度でも言葉を募ろうとするイナリを遮ったのは、新しくマシロの横に現れた少女の存在だった。
『………クロさん……』
『……………』
クロもまた、イナリを見つめるだけで言葉を返してはこない。
しかし追いかけようとしていたイナリを止めるには、それで十分だった。
クロの眼差しに射抜かれたイナリは、思わず言葉を詰まらせ数歩後ずさってしまう。
ふと、振り返ったマシロもクロと同じ目をしていた。
あれは家族や仲間に向けるようなものでは無い。
拒絶と失望の入り交じった、乾いた瞳。
イナリの胸がキュッと締め付けられ、過呼吸のように息がしづらくて仕方がない。
ペタンと座り込んだイナリをよそに、二人は平然と歩みを再開した。
どんどん離れていく背を前に、イナリは己の心が砕けるのを感じた。
『……いや、いやです………!ごめんなさい………ご主人様、見捨てないで………。何でもします、だから………嫌いにならないで…………』
大粒の涙が頬を伝って太ももに落ちる。
しかしいつまで経っても、それに答える声は現れなかった。
◇◆◇◆◇◆
「ご主人様………ここで待っていますから、絶対に帰ってきてくださいね?」
「シロ様、九尾の狐なんてぶっ飛ばして、またイナリも混ぜて一緒にお菓子作りしよう?」
「………主、クロは行けない。だからクロの分までイナリをお願い」
「ふふっ、主様ならきっとどうにかしてしまう………私はそう思っていますよ」
「まぁ………飲みに行くって約束しちゃったし。マシロは約束を絶対に破らないから大丈夫よ、きっと」
「マシロ………帰ってきたら皆でベットインなのだ」
─────じゃ、ちょっとイナリを叩き起してくるわ。
皆の言葉に背中を押され、俺は草原を抜けた場所に続く道をさらに進む。
本来ならしばらく歩いていれば魔物に遭遇してもおかしくないような場所であるにも関わらず、今日だけは………と言うか、ここ数日は見る影もなかったのだろう。
不自然なまでの静けさの中、俺の足音だけが耳を打つ。
…………一度は完膚なきまでに叩きのめされた。
絶望を味わい、諦めかけた。
けれどレイに救われ、力を手にする機会を与えられた。
家に帰れば皆が必死に看病してくれていて、家族の温かさを再認識した。
皆………皆が、心配してるんだ。
だから戻ってきてもらわなくては困る。
戻ってきて、またいつもの調子で………。
そのためには、まず俺がやり遂げなければならない。
相手が理不尽なまでに強いと知っていても、それは家族の命を諦める理由にはならないのだから。
風に攫われ砂煙の舞う荒野にて、俺は足を止める。
パタパタと舞う上着の裾を払い、携えた黒い片手剣を引き抜くと。
「くふふ、待ちわびたぞマシロ……!」
紫と漆黒。
二色の圧倒的な力が、荒野のど真ん中で衝突した。
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