ち○○で楽しむ異世界生活

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96 代償

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 「さてと・・・そろそろ本題に入るか。アラヒト殿は我々夫婦を救った代償になにを求める?」
 お互いに向き合わず、同じ方向を見るように座るのも交渉の技術のひとつだ。ラドヴィッツの方が立場は上であり、さらにこの佇まいか。既に主導権は向こうにあると思った方がいいな。
 しかし・・・要望までは考えていなかった。なにか苦情や困りごとでもあるのかな程度に考えていたからなぁ。
 アゴに手を当てて、最適なものを考えてみる。
 「正直なところ、なにかをいただけるということは考えていませんでした」
 「こちらも手紙も出さず、使いに言付けもさせなかったからな。お前が屋敷に帰ってから護衛に伝言させてもいいぞ」
 いや・・・機は逃したくないな。大きい約束事ができるとすれば今だ。
 しかし、だ。どうにも俺はラドヴィッツ家の力を測りかねている。彼がリーベリとの国境間で戦争にならない程度の統治能力があることは分かっていたが、大きな国家間の変化に対応できるものなのだろうか?
 「なにかをお願いする前に、明日にでもラドヴィッツ家の領地を案内していただけないでしょうか?」
 「うむ。最初からそのつもりだ。誇らしい我が領地を客人に見ていただきたいからな」
 あとは酒の勢いもあってか、床の技術の話で盛り上がってしまった。幼いころから知っている奥方はラドヴィッツと双璧を成すペテルグ南部の名家出身であり、主人に新しい顔を見せることなど信じられなかったそうだ。
 まさか性の技術と知識でお偉いさんと談笑することになるとは思ってもいなかったなぁ。

 よく整備された畑に樹木。水車に風車。
 それに人だ。
 やっていることは重労働に見えるのに、あまり辛そうには見えないな。
 「多くの労役を課しているように見えるか?」
 「ええ。王城周辺よりは多そうですね」
 王城周辺の人間は、なにを生業としているのか分からないことが多い。ここでは効率的に仕事が割り振られているように見える。
 「その分だけ食えて、安全に暮らせている」
 「なるほど。そういう考え方もあるのですね」
 統治の仕方というのは各家が独自に行えるもののようだ。だが南部ではラドヴィッツ家の方法が多く模倣されていると説明を受けた。
 「あくまで試験としてだが、アラヒト殿が提案された種まきの方法も試している」
 カラシフが教えたのだろうな。ペテルグの農業は原始農業に近く、種の蒔き方自体がいい加減だった。畝を作ってきちんと等間隔で植えてやり、葉や茎をよく観察して剪定をすれば、ペテルグの農業は一気に近代化できる。物理法則が同じであれば化学法則も同じだろうし、たぶん肥料も使える。
 そういえばペテルグでは肥え汲みがひとつの仕事として俺が来る前から存在していた。枯れ葉などと混ぜて有機肥料として用いるのだろう。化学肥料の方が安くて効果的になるのは、化学と流通が発達したからだと思い知らされるな。

 ラドヴィッツと領地を回っていると、たまに武器を装備した人間が挨拶をしてきた。
 彼らはラドヴィッツに仕える兵隊だ。なにも起きていない時は警察活動を行い、国や領土の有事となると軍隊として活動する。裁判は基本的にはラドヴィッツ家が慣習に従って処罰を決定し、家同士の係争は火種が大きくなる前に王家が裁判をする。
 警察活動と軍隊が同居できているのは、この世界では戦争がよく起きるからだろう。平和な時代が長く続けば軍と警察は分離せざるを得なくなるし、犯罪も専門職ではないと解決できないほど複雑になる。
 巡回している兵の装備を見て気づいたが、ラドヴィッツは王家を滅ぼそうと思えば滅ぼせた。王家直下の兵はチュノスの捕虜となって少なかったし、兵数も疲弊した王家とそこまでの差は無かったと聞いている。俺が装備を作る前であったなら王になれたはずだ。
 それでも内戦を起こさなかったのは、リーベリとの緩衝地を維持しながら、預言者様を守り、国家全体を防衛するだけの余力がラドヴィッツには無かったのだろうな。表現を変えると、国を統治するだけの力は無かったとも言える。仮に王になろうとしたら内戦を他国に付け込まれ、ラドヴィッツ家も滅びていただろう。
 重要なのは王家を倒すのに十分だったその軍事力ではない。
 王家を倒したあとの展望までが正確だったことにある。
 今の王家の装備であるならば、ラドヴィッツがわざわざ王座のために戦うという選択はしないだろう。

 チュノス王城まで王家直轄軍が遠征したとしても、南部の蜂起は無いな。仮に守備兵を突破して王家を滅ぼしたところで、わざわざ他国に食われるのがオチだ。これを自分の目で確かめられただけでも、南部にまで出向いた甲斐というものがある。褒美として十分だ。
 だが・・・
 「ラドヴィッツ様。代償は王家から小さくないものが要求されると思います」
 「王家から・・・アラヒト殿自身が求めないのか?」
 「小さくない、とだけ言わせていただきます。王家からの小さくない要求を、ペテルグの安定のために呑んでいただきたいのです。私自身が求めるものとおそらく同じものです」
 具体性がなく、しかも要求は王家からやって来ると聞いて、ラドヴィッツは少し警戒したようだ。
 しかしこういう表現しかできないな。通貨戦争について説明できる状況でも立場でもタイミングでも無いし、具体的に燃料の輸出を制限しろなどと言ったらラドヴィッツが納得しても、リーベリが警戒する。
 「王家からか・・・なかなか厳しい要求になりそうだな・・・」
 「大きな損失が出るようでしたら、ラドヴィッツ領への補償も私から王家へ嘆願してみます。そういう事態になりましたら、私への褒美と思って受けていただきたい」
 「あい分かった。もともと我が妻から、アラヒト殿の要求は可能な限り応えよと言われていたのだ。領民を痛めつけるものでない限り応じよう」
 威厳のある顔だちだというのに、細君に尻に敷かれているのかな。
 ・・・いや・・・あれ?なんか冬に見た時と顔付きが違うな。ちょっとだけだが、わずかにだらしなく、気が緩んでいるように見える。余裕ができたというか、気が大きくなったというか・・・
 ・・・あー。
 道理で昨晩はやたら床の話ばかりが多くなったはずだ。細君がご機嫌だったはずだ。
 夜の寝床であの奥方の新たな側面を愉しめるようになったら、今度はその奥方に夢中になったのだな。男を自分の要求する方向へと持って行くラドヴィッツの細君が凄いのか、この大陸の女性が凄いのか、はたまた女性そのものが凄いのか。
 どうにも分からないし、考えても答えが出るような話じゃないな、これ。
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