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夏の終わりに
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「そんなことが……」
フローラとエドワードから話を聞いた東郷塾長 東郷一刀は絶句した。
「貴殿の息子、エミリアン・ギョー・東郷殿は私たちの命の恩人です」
突然の皇太子と婚約者の来園、何事かと騒然とした中で皇太子婚約者バロネス・フローラ・ムートンから語られたのはエミーが関わったムートンの森の魔獣騒動の結末。
まだ一月ほど前の事だ、若い二人の顔には憔悴の跡が残る。
「それにしても似ている、声までそっくりだ」
「彼と出会ったのは偶然でした、ただ似ているというだけで命を懸けてまで私達を、いえムートンの地を救ってくれたエミーは英雄です」
「彼の確かな洞察と判断、剣の技量、人を思いやる心、素晴らしい人間です」
エドの鼻が赤い。
「あの子は……自分が通常の人が持っている心を持っていない事に早くから気付いていた、しかしそれを嘆くでも悲しむでもなく努力を続けていたのです、環の外から誰かと関り生きていくことを望んでいた、もしもエミーが役にたったならどうか悲しまないでやってください、それがエミーの本懐でしょう」
白髪の目立つ東郷の眉間の皺が深い。
「東郷殿、私たちはエミーが死んだとは思えないのです、魔猿ヤーグルの死骸は翌日直ぐに発見することが出来ました、しかしその胸に刺さっているはずの刀はありませんでした」
「濁流に揉まれて抜け落ちたのでは?」
「可能性はあります、でも我が隊の弓兵が射抜いた矢はそのまま残っていた、それに私は最後の瞬間、柄近くまで刀がヤーグルの胸に埋まったのを見ています」
「後から誰かが刀を抜いたというわけですか」
「そうです、以前にエミーは言っていました、この国に皇太子妃となる女の顔を持った人殺しはいらない、この顔は二人いてはいけないと」
「エミーらしい」
「エミーはこの騒動が終わったら東郷塾に一度帰ると言っていました、もし戻ったらぜひ私共にも連絡を頂きたいのです」
焦燥は隠せないが二人は諦めてはいない。
「なるほど、承知いたしました」
「それから本日はエミーとの約束で参りました」
「約束?」
「私の代役に対する対価、東郷塾に対する支援を約束しておりました」
「支援とはどういうことでしょうか」
師父東郷は少し戸惑った顔で応える。
「現金ではありません、それでは師父は受け取らないから施設の子供たちの仕事を斡旋してほしいと頼まれています」
「エミー……」
「彼は自分への報償はいらないと固辞して……ですからどうか師父東郷殿、エミーの気持ちを受けてやってください」
次期国王となる皇太子エドワードと婚約者フローラが椅子から立ち上がり頭を下げた。
ムートンのマナーハウス、当主フローラがエドワードと東郷塾に向かった午後、出かけた筈のフローラが単騎で戻ってきた。
ロゼが待ち構えていたように馬を預かるとフローラはアンヌからジグロの鞘を受け取る、そしてフローラは黒いシルクの服をアンヌに渡すと幾つか言葉を交わし二人と抱き合い直ぐに馬に乗ると来た道を帰っていった。
「フローラ様が戻られたのですか?」
給仕のひとりが見かけてロゼに声をかけた。
「……」ロゼはなぜか俯いたまま嗚咽を堪えていたが答えずに走り出した。
「あっ、あれ、どうしたのさ?」
給仕は怪訝そうに後ろ姿を見送った。
「ごめんね、ロゼも年頃なの、フローラ様は忘れ物を取りに戻ったのよ」
「はあ、皇太子妃候補が護衛もつけずに、相変わらずですね、フローラ様は」
「本当にね……彼らしいわ」
赤銅の髪は少し伸びて午後の日差しに金色を反射している、ムートンの森へと駆け抜けていく華奢な背中を見送るアンヌの目からも大粒の涙が止めどなく流れ落ちた。
「もう、バレたら私とロゼはどうしたらいいのよ、責任とってほしいわ……」
アンヌの独り言は蝉の鳴く声にかき消された。
ミストレスの描いた夢は終わった、一見すれば完璧な道だったがムートンの森の僅かな解れから完全に崩壊した。
今やミストレスは王家に囚われて幽閉され、公爵の領地は周囲の貴族に分割移譲されることで調整が進んでいるらしい。
生き残ったはずのマンバとシファの行方は知れなかった、片手を失くしているマンバは戦力とはならない、追っても仕方ない。
ミストレスの為に一矢は報いたい、せめてバロネス・フローラの暗殺だけは成し遂げる、暗い森に一月潜んでいた、狂戦士として調教したマンドリルは死に部下としていた猿の群れは夏の暑さもあり北部へ移動したようだ、森は元の静寂を取り戻している。
バクラリは残ったシファの花火爆弾とダガーナイフを手に朝靄が立ち込める日の出前の青い世界をマナーハウスに向けて森を進む。
ここ数日マナーハウスを観察してバロネスの部屋は特定してある、作戦は簡単だ、暗殺が露見してもその後の逃亡計画はいらない、バロネスを殺せさえできればいい。
一発目の爆弾で窓を吹き飛ばし、二発目に釘爆弾を部屋に投げ込む、ベッドは血の海に変わるだろう、個人的にムートンには何の怨みも無いがミストレスの邪魔をした報いは受けてもらう。
ガサッガサッ パキッ 朝靄と日の出前の森は蒼く滲んで視界がほとんどない、聴覚が過敏になったように周囲の音が大きくなる。
虫の声、騒めく木々の音、小動物の動き回る音、遠くから一定のリズムで聞こえるのは川を流れる水の音だ。
キィイィンッ どの音にも似ていない金属が擦れる音が近くで聞こえた。
「この森に何の御用ですか?」
「!?」
ギョッとして後ろに飛びのいた、まったく気配に気づかなかった。
「何者だ!」
「私はムートンの森を守護する者、あなたは殺気が強すぎる」
ヒラヒラとワイルドシルクから孵化した蝶がその美しい羽根を羽搏かせて舞い上がった。
霧の中にぼんやりと女の顔が浮かんで見えた、手にはサーベル状の細い剣が見える。
「お前は……バロネス・フローラの影武者の女か?生きていたのか!」
ジャッ 言い終わる前にダガーナイフを突き刺すが手ごたえは無い、ザザザッ一瞬激しく木々が揺れた、マンバの手を落とした手際は下方向からの一撃、反撃を予測してダガーナイフを下方向に向けて構えた。
ヒタッ 首筋に冷たい感触。
「欺く技は一つじゃない」声は上からだった。
スパッ 冷たい感触が一瞬熱く感じた、数秒後には無感となりバクラリは真の闇へと落ちていった。
王都を流れる水路、舞踏会の日にフローラが飛び込んだ橋が見える。
この日街には花火が上がり祝賀ムードに包まれている。
皇太子エドワードとムートン男爵家令嬢フローラの正式な婚約披露パーティーが催されていた。
水路をゆっくりと下る新型の蒸気船の甲板に着飾ったエドとフローラは川岸に並んだ市民に手を振っている。
「まったく蒸気船というのは臭くてたまらないわ」
「石炭を燃やして蒸気を作っているからな、黒煙は必ず付いてきてしまう」
「風の向きが変わったら私達煤だらけよ、ドレスもダメになってしまうわ」
「ドレスなんて幾らでも用意するさ、でも君の顔が汚れるのは嫌だ、その時は僕がマントで庇ってあげる」
「あー、違う違う、顔なんて洗えばいいだけ、このドレス一着幾らするか知っているの、庶民の年収じゃ買えないのよ、どうせ川岸からは見えないのだから安物に着替えようかな」
「やはり変わらないな貴方は、でもそんな貴方が好きなんだ」
エドは顔を近づけて頬にキスをする。
おおーっ きゃー それを見た観客たちが歓声を上げた。
「ちょっ、ちょっと止めてよ、恥ずかしいよ」
「彼も何処かで見ているだろうか」
エドが周囲に目を凝らした。
「もちろん、きっと見てくれているわ」
「だけど黙って行っちゃうなんて許せない」
「あんまりアンヌさんとロゼを叱るなよ、エミーの指示だったのだ」
「わかっているわ、でも……一言ありがとうを言いたかった」
「あの後ミストレスの参謀だった男の死体が森で見つかった、エミーは分かっていたのだろうな」
「そうね……いつかまた会えるよね」
「ああ、彼はきっとまた誰かを演じている、その舞台を俺も見てみたい」
飾られた甲板の上で手を繋ぎ祝賀に湧く民衆に手を振りながら夏と共に船は水路を下る。
その列の外側の高台の丘に、フードを頭から被り細い剣を腰に下げた華奢な冒険者がパレードの船列を見送っていた。
「……」
夏の終わりを惜しむ風が彼のフードを開かせる、覗いた顔は少し日に焼けているが薄く綻んだ笑顔は優しかった。
「おめでとうフローラ、エド……」
水路を囲んだ人の列が花のように揺れている。
急かす風が髪を煽るのを細い指で押さえて彼は丘を降りていく、向かう先は分からない。
次の舞台が演者を、彼を待っている。
fin
フローラとエドワードから話を聞いた東郷塾長 東郷一刀は絶句した。
「貴殿の息子、エミリアン・ギョー・東郷殿は私たちの命の恩人です」
突然の皇太子と婚約者の来園、何事かと騒然とした中で皇太子婚約者バロネス・フローラ・ムートンから語られたのはエミーが関わったムートンの森の魔獣騒動の結末。
まだ一月ほど前の事だ、若い二人の顔には憔悴の跡が残る。
「それにしても似ている、声までそっくりだ」
「彼と出会ったのは偶然でした、ただ似ているというだけで命を懸けてまで私達を、いえムートンの地を救ってくれたエミーは英雄です」
「彼の確かな洞察と判断、剣の技量、人を思いやる心、素晴らしい人間です」
エドの鼻が赤い。
「あの子は……自分が通常の人が持っている心を持っていない事に早くから気付いていた、しかしそれを嘆くでも悲しむでもなく努力を続けていたのです、環の外から誰かと関り生きていくことを望んでいた、もしもエミーが役にたったならどうか悲しまないでやってください、それがエミーの本懐でしょう」
白髪の目立つ東郷の眉間の皺が深い。
「東郷殿、私たちはエミーが死んだとは思えないのです、魔猿ヤーグルの死骸は翌日直ぐに発見することが出来ました、しかしその胸に刺さっているはずの刀はありませんでした」
「濁流に揉まれて抜け落ちたのでは?」
「可能性はあります、でも我が隊の弓兵が射抜いた矢はそのまま残っていた、それに私は最後の瞬間、柄近くまで刀がヤーグルの胸に埋まったのを見ています」
「後から誰かが刀を抜いたというわけですか」
「そうです、以前にエミーは言っていました、この国に皇太子妃となる女の顔を持った人殺しはいらない、この顔は二人いてはいけないと」
「エミーらしい」
「エミーはこの騒動が終わったら東郷塾に一度帰ると言っていました、もし戻ったらぜひ私共にも連絡を頂きたいのです」
焦燥は隠せないが二人は諦めてはいない。
「なるほど、承知いたしました」
「それから本日はエミーとの約束で参りました」
「約束?」
「私の代役に対する対価、東郷塾に対する支援を約束しておりました」
「支援とはどういうことでしょうか」
師父東郷は少し戸惑った顔で応える。
「現金ではありません、それでは師父は受け取らないから施設の子供たちの仕事を斡旋してほしいと頼まれています」
「エミー……」
「彼は自分への報償はいらないと固辞して……ですからどうか師父東郷殿、エミーの気持ちを受けてやってください」
次期国王となる皇太子エドワードと婚約者フローラが椅子から立ち上がり頭を下げた。
ムートンのマナーハウス、当主フローラがエドワードと東郷塾に向かった午後、出かけた筈のフローラが単騎で戻ってきた。
ロゼが待ち構えていたように馬を預かるとフローラはアンヌからジグロの鞘を受け取る、そしてフローラは黒いシルクの服をアンヌに渡すと幾つか言葉を交わし二人と抱き合い直ぐに馬に乗ると来た道を帰っていった。
「フローラ様が戻られたのですか?」
給仕のひとりが見かけてロゼに声をかけた。
「……」ロゼはなぜか俯いたまま嗚咽を堪えていたが答えずに走り出した。
「あっ、あれ、どうしたのさ?」
給仕は怪訝そうに後ろ姿を見送った。
「ごめんね、ロゼも年頃なの、フローラ様は忘れ物を取りに戻ったのよ」
「はあ、皇太子妃候補が護衛もつけずに、相変わらずですね、フローラ様は」
「本当にね……彼らしいわ」
赤銅の髪は少し伸びて午後の日差しに金色を反射している、ムートンの森へと駆け抜けていく華奢な背中を見送るアンヌの目からも大粒の涙が止めどなく流れ落ちた。
「もう、バレたら私とロゼはどうしたらいいのよ、責任とってほしいわ……」
アンヌの独り言は蝉の鳴く声にかき消された。
ミストレスの描いた夢は終わった、一見すれば完璧な道だったがムートンの森の僅かな解れから完全に崩壊した。
今やミストレスは王家に囚われて幽閉され、公爵の領地は周囲の貴族に分割移譲されることで調整が進んでいるらしい。
生き残ったはずのマンバとシファの行方は知れなかった、片手を失くしているマンバは戦力とはならない、追っても仕方ない。
ミストレスの為に一矢は報いたい、せめてバロネス・フローラの暗殺だけは成し遂げる、暗い森に一月潜んでいた、狂戦士として調教したマンドリルは死に部下としていた猿の群れは夏の暑さもあり北部へ移動したようだ、森は元の静寂を取り戻している。
バクラリは残ったシファの花火爆弾とダガーナイフを手に朝靄が立ち込める日の出前の青い世界をマナーハウスに向けて森を進む。
ここ数日マナーハウスを観察してバロネスの部屋は特定してある、作戦は簡単だ、暗殺が露見してもその後の逃亡計画はいらない、バロネスを殺せさえできればいい。
一発目の爆弾で窓を吹き飛ばし、二発目に釘爆弾を部屋に投げ込む、ベッドは血の海に変わるだろう、個人的にムートンには何の怨みも無いがミストレスの邪魔をした報いは受けてもらう。
ガサッガサッ パキッ 朝靄と日の出前の森は蒼く滲んで視界がほとんどない、聴覚が過敏になったように周囲の音が大きくなる。
虫の声、騒めく木々の音、小動物の動き回る音、遠くから一定のリズムで聞こえるのは川を流れる水の音だ。
キィイィンッ どの音にも似ていない金属が擦れる音が近くで聞こえた。
「この森に何の御用ですか?」
「!?」
ギョッとして後ろに飛びのいた、まったく気配に気づかなかった。
「何者だ!」
「私はムートンの森を守護する者、あなたは殺気が強すぎる」
ヒラヒラとワイルドシルクから孵化した蝶がその美しい羽根を羽搏かせて舞い上がった。
霧の中にぼんやりと女の顔が浮かんで見えた、手にはサーベル状の細い剣が見える。
「お前は……バロネス・フローラの影武者の女か?生きていたのか!」
ジャッ 言い終わる前にダガーナイフを突き刺すが手ごたえは無い、ザザザッ一瞬激しく木々が揺れた、マンバの手を落とした手際は下方向からの一撃、反撃を予測してダガーナイフを下方向に向けて構えた。
ヒタッ 首筋に冷たい感触。
「欺く技は一つじゃない」声は上からだった。
スパッ 冷たい感触が一瞬熱く感じた、数秒後には無感となりバクラリは真の闇へと落ちていった。
王都を流れる水路、舞踏会の日にフローラが飛び込んだ橋が見える。
この日街には花火が上がり祝賀ムードに包まれている。
皇太子エドワードとムートン男爵家令嬢フローラの正式な婚約披露パーティーが催されていた。
水路をゆっくりと下る新型の蒸気船の甲板に着飾ったエドとフローラは川岸に並んだ市民に手を振っている。
「まったく蒸気船というのは臭くてたまらないわ」
「石炭を燃やして蒸気を作っているからな、黒煙は必ず付いてきてしまう」
「風の向きが変わったら私達煤だらけよ、ドレスもダメになってしまうわ」
「ドレスなんて幾らでも用意するさ、でも君の顔が汚れるのは嫌だ、その時は僕がマントで庇ってあげる」
「あー、違う違う、顔なんて洗えばいいだけ、このドレス一着幾らするか知っているの、庶民の年収じゃ買えないのよ、どうせ川岸からは見えないのだから安物に着替えようかな」
「やはり変わらないな貴方は、でもそんな貴方が好きなんだ」
エドは顔を近づけて頬にキスをする。
おおーっ きゃー それを見た観客たちが歓声を上げた。
「ちょっ、ちょっと止めてよ、恥ずかしいよ」
「彼も何処かで見ているだろうか」
エドが周囲に目を凝らした。
「もちろん、きっと見てくれているわ」
「だけど黙って行っちゃうなんて許せない」
「あんまりアンヌさんとロゼを叱るなよ、エミーの指示だったのだ」
「わかっているわ、でも……一言ありがとうを言いたかった」
「あの後ミストレスの参謀だった男の死体が森で見つかった、エミーは分かっていたのだろうな」
「そうね……いつかまた会えるよね」
「ああ、彼はきっとまた誰かを演じている、その舞台を俺も見てみたい」
飾られた甲板の上で手を繋ぎ祝賀に湧く民衆に手を振りながら夏と共に船は水路を下る。
その列の外側の高台の丘に、フードを頭から被り細い剣を腰に下げた華奢な冒険者がパレードの船列を見送っていた。
「……」
夏の終わりを惜しむ風が彼のフードを開かせる、覗いた顔は少し日に焼けているが薄く綻んだ笑顔は優しかった。
「おめでとうフローラ、エド……」
水路を囲んだ人の列が花のように揺れている。
急かす風が髪を煽るのを細い指で押さえて彼は丘を降りていく、向かう先は分からない。
次の舞台が演者を、彼を待っている。
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