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16.……無いわぁ

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 部屋に戻ってもイスに座る気分になれなくてひとりでお茶を淹れていると、少し冷静になってきた。

 ……友人達と話してから『プロポーズされるかもぉ、きゃっ』って盛り上がってたけど、よく考えたらエイデン様が人目の多い学園で公開プロポーズ!なんてするわけないわよね。そうよ、そうなのよ。

 うんうんと頷きながらカップにお茶をそそいでいると、扉をノックする音がした。
 開けると扉の前にはアンナが立っていた。きっと気になって来てくれたのね。アンナの予想に反して落ち着いた様子の私を見て、少し意外そうに首をひねった。

 …………アンナは一見冷静そうだけど、婚約者が年上の研究馬鹿で一度認めた愛を隠さない人だから、エイデン様の焦らしプレイが理解できないのよね。うんうんと心の中で頷く。

「いらっしゃい。……エイデン様にはきちんとお祝いは言えたわ。いつも通りだったわ。浮ついたりしない方だから」

 私はアンナを招き入れながら聞かれる前に話しだし、カップをもうひとつ用意する。

「そう……。けど婚約の話を進めるなら卒業前にするわよね。忙しくなるわね」

 カップを受け取りながらのアンナの言葉に私の耳がピクリと反応する。それまで落ち着き払っていた私が目を極限まで見開くと、アンナが何故かたじろいだ。

 ――忙しくなる。

 エイデン様も『暫く忙しくなる』って言ってたわ。登用試験を受ける必要が無くなったのに忙しくなるなんて……、そうよね!そのためよね!?

「ふふふ……」

 私がひとり笑みを漏らしているのを暫く眺めてから、アンナは小首を傾げて「楽しみね」と微笑んだ。




 それなのに、それから変わったことはこれと言って起こらなかった。
 宣言通りエイデン様を図書館で見かけることは少なくなったけど、会えてもいつも通りだし、ココに会う名目で伯爵家へ行ってもみんな変わりはない。

 緊張していたから拍子抜けしたわ……。

 すっかり居心地良くなっている伯爵家のサンルームで傍らにいるココを撫でながら、私の好みに合わせてくれた美味しいお茶に口をつける。
 生徒会役員のエイデン様は卒業準備もあるし忙しいんだわ。うんうんとひとりで頷いた。




 そんな日々が続いたある日、寮に帰ると父から手紙が届いていた。お母様とは手紙のやり取りをしているけど珍しいわ。手紙にオルセン子爵の印璽が押された封蝋を見ながら、私そっくりの薄茶色のふわふわしたの父を思い浮かべる。

「何かしら?」

 ペーパーナイフで封を切り中身を確認する。

「……………………え?」

 そこには父にしては角張った文字で、『ウェスティン伯爵子息エイデン殿との婚約が整った。婚約式は冬にウェスティン領で行う』と書かれていた。

「…………………………………………っ!」

 声も出せずその場で崩れ落ちた。両手を床について考えてみる。

 ……こんなのありなのかしら?いえ、嬉しいのよ?エイデン様と婚約できるのは本当に嬉しいのよ?けどその第一報がお父様からの事務的な手紙だなんて……。

 親同士が決めた政略結婚ならありかも知れないけど、話を進めてる間も結構顔を合わせてたわよね?それなのに、何も言われなかったわ…………。

 言葉足らずなところがあっても、いつもならちょっと微笑んだ顔が可愛いとか、頭を撫でてくれる手が優しいとか舞い上がって誤魔化されてたわ。……けど、ちょっと素っ気ないで済ませるレベルじゃないわよね?
 こんなのさすがに、

「無いわ…………」

 私は生まれて初めてエイデン様に怒りに似た感情を覚えた。




 冬休みになり帰省すると、いつも通りの笑顔の母と珍しく顰めっ面の父が待っていた。こんな顔をして手紙を書いてたからあんなに角張った字だったのね……。苦笑いしてしまう。

「メリッサ、おかえりなさい。いよいよエイデン様と婚約できるのね。おめでとう」

 母が優しく抱きしめてくれた。エイデン様との婚約を本当に許してくれたんだと実感して目頭がじんわりと熱くなる。

「新しいドレスも用意したのよ」

 私の手をとって母が楽しげに開けた扉の向こうにはオフホワイトのドレスが掛けられていた。柔らかそうな生地に、黒のリボンが品良く飾り付けられている。

 エイデン様の色だわ……。

「素敵……」

 私がぽつりと言うと、母は「気に入った?」と優しく私の肩に触れながら聞いてきた。

「勿論よ!ありがとう!お母様」

 満面の笑みで言うと、母も嬉しそうに微笑んでからお茶にしましょうと部屋を出ていった。ひとりになった私はあらためてドレスを見つめる。



 私は子供の頃からエイデン様が大好きだった。

 他の人と何が違うのかはわからないけど、私の中にはずっとずっと彼だけだった。

 父に婚約できないと言われても、後でその意味を理解しても、一緒にいることを諦めることはできなかった。貴族じゃなくなっても頑張るからって思い続けた。

 エイデン様は恋物語に出てくる男性達のようにわかりやすい優しさを見せてはくれない。けど、側にいると何故か心がほかほかする。

 素っ気なくても優しい黒い瞳が好きだった。たまに見せてくれる笑顔がご褒美だった。短くても丁寧な文字で書かれた手紙を手にするたび、嬉しくて仕方なかった。

 エイデン様が王宮事務官を目指すのは私のためではと言われたときは天にも昇る心地だった。もしかしたらエイデン様も私を望んでくれてるのかもって期待した。

 けど確証は持てないから、ずっと不安を抱えながら彼の後を追いかけ続けた。勉強の邪魔はしないように。いつか心がこちらに向いてくれるように……。

 王宮事務官に決まって直ぐに父に婚約を申し込んでくれたのだから、私を好いてくれてたのだと思う。

 学園で毎日のように努力していた彼の目標のひとつに、私との結婚もあったのだと思うととても嬉しい。


 とても嬉しい。



 けど、





 ひと言ぐらいあっても良かったわよね。





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