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婚約者編

〈閑話〉隣国の公爵令嬢視点 ③

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 日当たりの良い部屋に場所を変え、彼が来るのを待つ。何を話したらいいかしら……。緊張して震える指先を隠すように扇を握りしめる。

 メイに案内されてきた彼は、家族とともにわたくしに腰を折った。本当はそんなことせずに、さっきのように微笑んでほしい。

 近くで見る彼と家族は纏っている空気がとても柔らかい。彼によく似たお義父様、彼と同じ瞳の色のお義母様、それから彼に似た可愛らしい妹。
 もし彼との間に子供が生まれたら、紅い瞳でふわふわとした髪の可愛らしい子なのかしら……?湧き上がる妄想に崩れそうな表情をぐっと堪える。

 挨拶を済ませ席につくと、メイが果物の優しい香りのするお茶を淹れてくれた。ずっと前に「ウィル様が好みそう」と言っていたわ。緊張が少しだけ解れ、口元が綻ぶ。
 まずは謝罪をしなくては。

「婚約解消に協力していただき助かりましたわ」

 ……無意識にお礼を言ってしまったわ。

「いえ、私は偶々通り掛かっただけなので、感謝していただくようなことは何もありません」

 彼がおっとりと微笑む。声もとても優しい。頬が染まってしまいそうなのを奥歯に力を入れて耐えていると、お義父様の咳払いが聞こえた。彼に似た優しげな顔。歳を重ねても素敵な方だわ。

「それではどのように対処致しますか。理由は国に婚約予定の者がいるとでも致しましょうか?」

 ――――何ですって?!!!

「……そのような相手がいるのかしら?」

「いえ、おりませんが、……明確な理由が必要であればと考えた次第です」

 お義父様の言葉に少しだけほっとする。けれど、婚約は望んでいないのかしら……。動揺する気持ちを扇で隠す。わたくしとの婚約を妨げるものは何……?

「虚偽はいけませんわ。我が公爵家は清廉であることを是とします。……ワイアット様はオルセン子爵の後継予定ですわね。婚約者などはいない」

「そうでございます」

 やはり一番は彼が嫡男であることね。それならば……。妹であるメリッサ様に目を向ける。

「それでメリッサ様は伯爵家子息と婚約されている」

「はい」

 メリッサ様は嬉しそうにこたえた。きっと婚約者との仲が良いのね。羨ましい。
 彼の心を動かすにはどうすればいい……?あのモグラ王子のようなお姿になってしまうほど、研究がお好きなのだとしたら……。
 
「ワイアット様は古代史研究の為に留学中で期間は残り三ヶ月と聞いたけど、満足のいく結果は得られて?」

「いえ、奥深い学問なのでまだまだです」

 彼が視線をそらし苦笑した。まだ研究に満足していないのだわ。それならば……。
 わたくしは勝負に出る。

「わたくしの婚約者となれば研究は続けられますわよ?」

 彼も家族もぽかんと口を開けた。……間違えたかしら。なんとか挽回するために言葉を続ける。

「当然研究費用などはこちらで補助しますわ。他国の遺跡などを廻りたいならそれも叶えましょう。公爵家へ入ったあとも義務を果たしてくださるなら存分に研究に没頭してくださって結構よ」

 イケない。公爵家の者にここまで言われたら、彼は断り難くなってしまう。訂正しようと彼を見ると、青色の瞳がキラキラと輝いている。
 ……これは、喜んでいるの?困惑して涙目なの?どっち?

 判断を迷っていると、彼が口を開いた。

「身に余る光栄なご提案ありがとうございます。ですが、私には父のあとを継ぐ役目がありますので」

 …………断られてしまったわ。
 公爵家の者からの申し入れにも毅然とした態度。優しいだけの方ではないのね。短い時間なのに彼の魅力は増す一方。
 けれど彼は隣国の方。今日を逃したらきっともう会えない。形振り構わず婚約の障害を取り除きにでる。

「メリッサ様の婚約者は伯爵家の三子と聞きましたわ。……伯爵家の者を婿とするのに不都合があるならば昇爵できるよう働きかけますが」

 わたくしの言葉に沈黙が降りる。強引過ぎたかしら……。背中に冷や汗が流れる。
 お義父様が首を横に振った。

「いいえ。当方は領地を持たない子爵家です。分相応な身分で十分なのです」

 やはり断られてしまったわ。もう、これ以上はダメね。嫌われてしまう。
 諦めかけた時、お義父様が居住まいを正してこちらを見た。

「……此度の件では王子殿下のご進言を聞き入れなくても良いと伺いました。それでも、息子との婚約を望むと言うのですか?」

 …………!!!

 どうこたえれば良いのかしら?これはもう、ご子息に一目惚れしましたとでも言ってしまう?そんな、恥ずかしくて言えないわ!正解は何?!!


「――その通りだ」

 混乱して言葉に詰まっていると、父の声が響いた。部屋の入り口に立つ父の姿を見てほっと息を吐く。
 そんなわたくしに父は微笑んだ。

「少々調べさせて貰ったが、貴家のワイアット殿は能力、人柄ともに非常に好ましい。……当家としては始まりは扠置き、この良縁を繋げたいと願っている」

 父がわたくしの気持ちを代弁してくれる。少し言葉を交わしたあと、彼が「私でよろしければ喜んで」と微笑んで礼をした。

 ……これで良かったのかしら?
 父の登場でそれまで躊躇っていた彼らの態度が一変されたわ。……これでは王命で婚約をさせた王族と変わりないのではないかしら。無理をして従っているのだとしたら、こんな不幸なことは無い……。

 彼は今どんな表情をしてるの……?ちらりと視線を向ける。それに気づいたお義母様が「ふたりで庭を歩いてきたら」と勧めてくださった。
 そうね、婚約してしまう前に本心を聞きたい……。

 彼が立ち上がり静かに近づいてくる。差し出された手のひらは男性的だけど細く美しかった。
 本当に、この手をとっても良いのかしら……?不安を隠して見上げると、彼の優しい青色の瞳がわたくしを見つめていた。

 ――ああ、わたくしはこの方が好きなのだわ。

 ストンと落ちてきた気持ちに勇気を出してそっと手を乗せる。彼は嬉しそうに微笑んで軽く引いてくれた。立ち上がったわたくしと視線が近づく。

 優しい青色がわたくしの心を色づけていく。色褪せて見えていた現実が鮮やかに彩りだすのを感じるわ。空想の世界でもないのに足元がふわふわする。
 こんな幸福がわたくしにもあるなんて。

 もう後には引けない。次期公爵として誓う。



 ワイアット様に後悔はさせない。絶対に。





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