幽霊居酒屋『ゆう』のお品書き~ほっこり・じんわり大賞受賞作~

及川 輝新

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9品目:あなたのためのチキン南蛮(550円)

(9-6)旅立ち

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 もも肉は、箸で持つと垂れてしまうほどに大ぶりだ。どっさりかかったタルタルソースが零れ落ちる前に、素早く食べる。一口では入りきらず、半分だけでも口の中がいっぱいだ。

「あ、はっはぁ……」

 意味不明な声が出た。

 肉汁溢れるジューシーな身、プリッとした歯ごたえ、揚げてカリカリになった鳥皮。

 粗微塵のゆで卵とタマネギ、濃厚なマヨネーズ、かすかにレモンとパセリの香り。

 甘酢だれが鶏肉とタルタルソースを結び付け、酸味とともに各々のポテンシャルを何倍にも引き上げる。

「ほふっ、あつっ」

 残り半分を詰め込み、ぐいっとビール。

「~~っ!」

 うまい。

 うますぎる。

「タルタルおいしい~。具材が大きめだから、ソースなのにおかずみたい。衣のカリカリ感とのコントラストが最高~。同じ鳥もも肉なのに、から揚げとは味も食感も全然違うね。口の中が濃くなったところで、ウーロンハイで洗い流すのが気持ちいい~」

 望海さんはこれまで見た中でも、文句なしに一番の笑顔だった。マナも、おいしさと興奮のあまり言葉が出てこないようだった。無心にチキン南蛮とビールのコンビネーションを継続している。

「あぁ、幸せ……」

 思わず零れたであろう望海さんの言葉は、僕の気持ちを満たしてくれた。

 死は悲しい。別れは辛い。誰でも知っていることだ。でもそう簡単に割り切れるものじゃない。根本的な解決策はなく、乗り越えなければならないのはいつだって遺された方だ。それは当たり前のことで、決して忘れてはならない。だって死も別れも、まったく特別ではないのだから。

 だから僕が今すべきなのは、この瞬間の幸せを、望海さんと一緒に全身で体感すること。

 居酒屋とは本来そういう場所のはずだ。うまい酒にうまい飯、気心の知れた仲間、あるいは出会い。いつも変わらなくて、新しい発見もあって、安らげるところ。

 安寧。
 混沌。
 転換。
 充足。
 渇望。
 成長。
 休息。

 人生のすべてがそこにある。

 僕は居酒屋が、『ゆう』が、大好きだ。





 大皿のチキン南蛮をあっという間に完食し、僕らはドリンクをあおった。

「満足まんぞく……」
 
 ふにゃっとした顔でお腹をぽんぽんと叩く望海さんは、まるで小さな子どものようだ。



「さて、そろそろ行こうかな」



 おしぼりで口元を拭き、決意のように告げる。

 この言葉の意味が単なる「お会計」ではないことを、僕は知っている。

「……ここは僕が出しますよ」
「そう? 私、遠慮しないよ?」
「むしろおごらせてください。この程度じゃ恩返しにもなりませんけど」
「本当に、大人になったんだねぇ」
「もう二十二歳ですから。一人でも頑張れます」
「そっか。でも本当に辛い時は、周りに頼るんだよ」
「はい」
「……」
「……」

 望海さんはそっと目元を拭って、立ち上がる。

「ずっと応援してるからね。本当に、応援してるから」

 僕はカウンター席から華奢な背中を見送る。

 出入り口のドアを閉じてしまえば、もう二度と会うことはできない。

 だから言うべきなのだ。たとえ意味がなかったとしても。


 僕らが次に進むために。新しい世界へ旅立つために。



「望海さん!」

 僕は立ち上がり、左胸に手を当てる。

 心臓がやかましい。アルコールの摂り過ぎだ。

 いや、言い訳はしない。

 これは緊張だ。

 でも、言う。最後のチャンスだから。

「僕はっ! ずっと!」

 望海さんがドアノブに手をかけたまま、足を止める。けれど振り向かない。



「僕はずっと、望海さんのことが好きでした! 大好きでした! ずっとずっと、大好きでした! あなたのことを、敬愛しています!」



 店内が静まり返る。誰もが息をのんで、望海さんの返答を待っていた。

 やがてゆっくりと、望海さんが首だけ振り返った。





「私にとっても、あなたは誰よりも特別な生徒でした」





 細くなった両目からは、滴が零れていた。

 望海さんが小さく手を振る。

 僕も大きく振り返す。

 お店のドアが閉まり、望海さんの姿が見えなくなる。

「ありがとうございました!」

 深く深く、頭を下げる。熱くなった目元から、涙がとめどなく溢れ出す。



 あなたと出会えてよかった。

 あなたはもういない。けれど、あなたの教えを胸に、これからも強く生きていきます。

 くじけることも、弱気になることもあるでしょう。死にたいと思い悩むこともあるかもしれません。そんな時は酒でも飲んで、適度に気分転換します。だから心配しないでください。見守っていてください。





 あなたの生徒で、僕は幸せでした。
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