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貴方が華に唄う間に
菊咲栴檀草
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その日は偶然夜遅くまで大学に残っていた。研究室の無機質な香りが鼻にこびり付く。やけに冷たい外の空気に肌を刺されながら、静かに夜の闇の中を彷徨っていた。
一人きりのバスに揺られる私が思い出すのは、いつも早河先輩のこと。高校一年生のころから、ずっと憧れていたのだ。
最初は、華道部の原田先輩と一緒に居るところで会った。
「えっと、彼氏の晴くん。よろしくね。」
高校に入って初めて仲良くなった先輩に彼氏がいると知った時は流石にショックだった。
「まあ高校生だし、そういうこともあるか……」と苦し紛れに割り切ったはいいものの、内心仲良くする気はなかった。この人も男だ、きっと原田先輩を傷つけたりするに違いない。そのときは私がしばいてやる。なんて思っていた。
偶然にも彼と私は同じ分野を学ぶ仲間となったわけだったが、話してみると想像以上に良い人だった。面白い人だったし、何より、
「わからないことがあったら、僕に聞いてくれてもいいからね。」
なんて、そんな優しさを見せつけられてしまう。
原田先輩だけ文系だからか、早河先輩と二人でいる時間は思っていたよりも多かったし、当然私は意識しだしてしまう。
「恋なんて、するわけがない」と、そう思っていた私にとってこんなものは初めての経験だったのだ。でもそれは同時に叶わない恋でもあった。彼にはもう、恋人がいるのだ。しかもその相手が原田先輩というのだから勝ち目がない。成績優秀でかなりの美人、おまけに人格者とも呼べるほど穏やかで優しい。そんな彼女は私の憧れの人でもあったし、勝とうだなんて思いもしなかったし、戦う気にもなれなかた。
そういうことにして何とか取り繕っても辛いものは辛くて、早河先輩を想って枕を濡らす日もあった。今もこうして、夜の街を見つめる目に涙が滲む。乾いたコンタクトが潤されていく。
誰が見たってきっと、諦めたほうが良いというはずだ。私だってそうだ。でも諦めきれなくて、そうやって背中を追っているうちに同じ大学に進学してしまった。
「こんな私、救えないな。」
はは、と乾いた笑いを呟く。この先私は、彼以外の誰かを好きになれるのだろうか。そんな思いも流れていく。
『三番線、電車が参ります』
辿り着いた駅、最果てを目指す鉄の塊を待つ間に、私は今日も一人街を見つめる。この瞬間だけが、全てを忘れることができる。
深く深呼吸をして、呼吸を整える。いつしか捨てた希望を遠目に眺めながら、そっと手を降ろした。もうすぐ、電車が来る。
待ち続けたいつもと変わらない日常の一コマ、その瞬間、過ぎ去る電車の先に見慣れた人影が見えた。
遠くても、すぐに気づいた。
「……原田……先輩?」
気付けば私はエスカレーターを走って降りていた。夜遅いからか、幸いにも人はほとんどいなかった。
おかしい、明らかに。そもそも彼女の大学はこっちの方ではないはずだし、こんな夜にいるのもおかしい。そう、直感的に何かを感じた。
「今追いかけないと、きっと後悔する。」
そんな思いだけでただひたすらに足を動かした。
お願い、電車来ないで。彼女を、連れて行かないで。そんな私の願いを無視するように、一足早く二番線の電車はやってくる。
「待って!」
伸ばした手は届かず、走り去るそれはやがて闇の中へ消えてしまった。その瞬間に見えた、彼女の表情。全てを諦めきったような、そんな顔をしていた。向かったのは彼女の家とは真逆の方向。あっちに行けば、最果てには海に辿り着く。
何か、良くないことが起ころうとしていることだけが確かだった。
上を見上げ、電光表示を見る。
ちょうど一分後、同じ方向へ進む急行が到着する。これに乗って追いかけるしかない。
辿り着いた終着点、駅の周りは明るく照らされていたものの、浜辺に近づくにつれて光はどんどんと失われていった。何も見えなくなるほど闇に呑まれた冷たい潮風の中、スマホのライトだけを頼りに、波の音を切り裂く。防波堤の先、見えた景色。
「あっ」
ここは、前にも来たことがある。原田先輩、早河先輩とだ。
「あの島のてっぺんの塔、ライトアップされてる姿がお花みたいで素敵だね。」
「……あそこ、行ってみる?入場料かかるみたいだけど。」
「先輩、行きましょう。あの上から見える景色、きっと絶景ですよ。」
そんな少し前の会話を思い出す。三人で来た小旅行、そして辿り着いたここ。
「はあ、はあ、」
そんな思い出が、少しでも残る場所だった。
近づいたその時、再び視界に現れる見慣れた影。遠くから来る光すらも反射する涙が落ちるのが見えた。その影はゆっくりと、闇の波間へ歩みを進める。
「ダメっ!」
その瞬間、私は力強く彼女の腕を引っ張る。宙に浮く身体は、やがて地面へ叩きつけられた。
「えっ、えっ……え」
気が動転しているのか、視点を合わせない彼女は荒い呼吸でこちらをゆっくりと見つめる。
「原田先輩……どうして、こんなこと……」
そのまま彼女を抱きしめる。声にならない言葉が涙となって溢れてくる。
「あ、あ…………陽菜、ちゃん……?」
ようやく気付いた。ずっと会っていなかった彼女との再会がこんなんになるなんて、思ってもいなかった。またいつか会おうなんて、もう会えなくなるところだった。
「あ、あ……私……」
その瞬間、大粒の涙を流す彼女。その全てを吐き出させたいと、抱きしめながら背中をさする。
「原田先輩、一体なにがあったんですか。早河先輩に、何かされたんですか。」
「うっ、うう……そんなんじゃ、ない……」
必死に言葉を絞り出しているのがわかる。ゆっくりでいいですよ。落ち着いてください、と声をかける私も、いつしか涙を流していた。
「私が、悪いの……!晴くんの傍にいて、ずっといたのに、何もできなくて」
泣きじゃくる顔を眺める。
「私みたいな人間じゃ、晴くんの隣にはいられないって、生きていく自信がなくて、」
突然何を言い出すのかと思ったが、私が思っている以上に深刻そうだった。思えば彼女は昔からネガティブなところがあった。鬱っ気というか、自分を卑下しているのをよく見た。きっと何かの拍子に、気持ちが高ぶってしまったのだろう。
「私じゃ、私なんかじゃ……」
その瞬間、彼女の頬を叩く。話を聞いてもらうには、こうするしかないと思った。
「今の貴女は、私の憧れた原田文目じゃないです。自分を否定することしか見えていなくて、自分を大切にすることができていなくて。誰にでも優しくて、明るかった原田先輩は、どこにいったんですか!」
こういう時は、自分が思っていつ以上の言葉がスラスラと出てくるものだ。息が続く限りにその言の葉を綴る。
「私も、早河先輩が好きでした。優しくて、誰よりも貴女と私を想ってくれる彼が。でも、貴女がいるから、私は彼の恋人にはなれなかったんです。」
徐々に落ち着く心、それに従って、言葉の速度を落とす。
「貴女が憎い、だなんて思っていませんでした。だって、私にとっていつも憧れだったから。……私が認めたんですよ?彼と貴女の関係。」
「……なに、それ。」
涙混じりに笑う。やっぱり、その顔が一番似合う。
「私が認めたんですから、ずっと、傍にいたんですから。彼の恋人は、原田先輩しか務まらないんです。だから」
「死にたいなんて、そんなことを言わないでください。苦しい時は、私も傍にいますから……」
抱きしめる力を強める。そこから伝わる感触、温度、匂い、泣き声も全部。きっと、早河先輩が感じてきたものだ。
「綺麗な顔が台無しですよ、先輩。さ、帰りましょう。」
涙を指で拭き、手を引く。
二人で駆け抜ける夜の闇は、まるで逃避行のように、ただ冷たい空気が立ち込める。
「……ごめんね、陽菜ちゃん。助けてもらった上にお邪魔しちゃって。」
流石に申し訳なくなって思わず謝罪を漏らす。
「全然大丈夫ですよ。それに、一人じゃ寂しいですから。好きなだけいてください。」
なんだかとても苦しくて飛び込もうとした夜の海、あの瞬間私の腕を引いた感触がまだ残る。
「……どうしよう、突然飛び出しちゃって。帰りづらいな……。晴くんになんて言おう……。」
「いいんですよ、あんな人。陽菜先輩のことなんも気付けないで、気にもかけなかったんですから。」
まるで昔のように強い口調で言う。なんだか、そう言ってもらえるだけで安心する。
「でも、全部悪いのは私で……」
「あぁもうわかりましたから!この話は終わり!なし!」
陽菜ちゃんは慌てて言葉を滑り込ませる。
「全く……。帰れなかったら、しばらくここにいてもいいですから。落ち着くまで、ゆっくりしていてください。」
「ありがとう。やっぱり陽菜ちゃんは優しいね。」
「……原田先輩ほどじゃ、ないです。」
卒業式以来、開いていなかった口は止まることを知らずに言葉を交わし合う。
「そういえばさ、さっき晴くんのこと好きって言ってたよね。ほんとなの?」
「えっ、なんで覚えてるんですか。もういいでしょ、その話。」
「いいじゃん、聞かせてよ。」
数時間前の涙が嘘のように、心は晴れ渡っていた。でもその中でたったひとつ、晴くんだけがずっと気がかりで、立ち上がることができなかった。
「ごめんね。結局一か月もお邪魔しちゃって。流石に申し訳ないから、そろそろ帰るね。」
「はい。私も楽しかったです。」
連絡は取ってないけど、晴くんは大丈夫かな。きっと傷ついてる。だから、戻ったらまず謝ろう。そしてまた、ずっと傍にいるんだ。
ずっと勇気が出なくて踏み出せなかった。今日こそは、きっと。
「早河先輩の隣にいられるのは原田先輩だけですから。よろしくお願いします。」
玄関の前、優しく微笑む彼女は私を送り出す。
「また会いましょうね。」
「うん、また。」
そうして私は背を向け歩き出す。見慣れた、いつもの場所を目指して。
冷たいような暖かいような、微妙な空気が肌に纏わりつく。どんな顔をされるかな、怒られちゃうかな。なんて、私が悪いのに思考を巡らせる。
晴れ渡る空の下、未だ霽れ切らない私の心は今にもはち切れそうで、苦しかった。
花の咲く花壇、まるで奇跡のように咲く季節外れの菊咲栴檀草に足を止める。
少し先のベンチの上、巡り合わせたその背は不思議と、涙の上からはっきりと見えた。
溢れそうになる涙を堪え、そっと近寄る。
「小説、書いてるんですか?」
そうして、ノートパソコンの画面を覗き込んだ。
一人きりのバスに揺られる私が思い出すのは、いつも早河先輩のこと。高校一年生のころから、ずっと憧れていたのだ。
最初は、華道部の原田先輩と一緒に居るところで会った。
「えっと、彼氏の晴くん。よろしくね。」
高校に入って初めて仲良くなった先輩に彼氏がいると知った時は流石にショックだった。
「まあ高校生だし、そういうこともあるか……」と苦し紛れに割り切ったはいいものの、内心仲良くする気はなかった。この人も男だ、きっと原田先輩を傷つけたりするに違いない。そのときは私がしばいてやる。なんて思っていた。
偶然にも彼と私は同じ分野を学ぶ仲間となったわけだったが、話してみると想像以上に良い人だった。面白い人だったし、何より、
「わからないことがあったら、僕に聞いてくれてもいいからね。」
なんて、そんな優しさを見せつけられてしまう。
原田先輩だけ文系だからか、早河先輩と二人でいる時間は思っていたよりも多かったし、当然私は意識しだしてしまう。
「恋なんて、するわけがない」と、そう思っていた私にとってこんなものは初めての経験だったのだ。でもそれは同時に叶わない恋でもあった。彼にはもう、恋人がいるのだ。しかもその相手が原田先輩というのだから勝ち目がない。成績優秀でかなりの美人、おまけに人格者とも呼べるほど穏やかで優しい。そんな彼女は私の憧れの人でもあったし、勝とうだなんて思いもしなかったし、戦う気にもなれなかた。
そういうことにして何とか取り繕っても辛いものは辛くて、早河先輩を想って枕を濡らす日もあった。今もこうして、夜の街を見つめる目に涙が滲む。乾いたコンタクトが潤されていく。
誰が見たってきっと、諦めたほうが良いというはずだ。私だってそうだ。でも諦めきれなくて、そうやって背中を追っているうちに同じ大学に進学してしまった。
「こんな私、救えないな。」
はは、と乾いた笑いを呟く。この先私は、彼以外の誰かを好きになれるのだろうか。そんな思いも流れていく。
『三番線、電車が参ります』
辿り着いた駅、最果てを目指す鉄の塊を待つ間に、私は今日も一人街を見つめる。この瞬間だけが、全てを忘れることができる。
深く深呼吸をして、呼吸を整える。いつしか捨てた希望を遠目に眺めながら、そっと手を降ろした。もうすぐ、電車が来る。
待ち続けたいつもと変わらない日常の一コマ、その瞬間、過ぎ去る電車の先に見慣れた人影が見えた。
遠くても、すぐに気づいた。
「……原田……先輩?」
気付けば私はエスカレーターを走って降りていた。夜遅いからか、幸いにも人はほとんどいなかった。
おかしい、明らかに。そもそも彼女の大学はこっちの方ではないはずだし、こんな夜にいるのもおかしい。そう、直感的に何かを感じた。
「今追いかけないと、きっと後悔する。」
そんな思いだけでただひたすらに足を動かした。
お願い、電車来ないで。彼女を、連れて行かないで。そんな私の願いを無視するように、一足早く二番線の電車はやってくる。
「待って!」
伸ばした手は届かず、走り去るそれはやがて闇の中へ消えてしまった。その瞬間に見えた、彼女の表情。全てを諦めきったような、そんな顔をしていた。向かったのは彼女の家とは真逆の方向。あっちに行けば、最果てには海に辿り着く。
何か、良くないことが起ころうとしていることだけが確かだった。
上を見上げ、電光表示を見る。
ちょうど一分後、同じ方向へ進む急行が到着する。これに乗って追いかけるしかない。
辿り着いた終着点、駅の周りは明るく照らされていたものの、浜辺に近づくにつれて光はどんどんと失われていった。何も見えなくなるほど闇に呑まれた冷たい潮風の中、スマホのライトだけを頼りに、波の音を切り裂く。防波堤の先、見えた景色。
「あっ」
ここは、前にも来たことがある。原田先輩、早河先輩とだ。
「あの島のてっぺんの塔、ライトアップされてる姿がお花みたいで素敵だね。」
「……あそこ、行ってみる?入場料かかるみたいだけど。」
「先輩、行きましょう。あの上から見える景色、きっと絶景ですよ。」
そんな少し前の会話を思い出す。三人で来た小旅行、そして辿り着いたここ。
「はあ、はあ、」
そんな思い出が、少しでも残る場所だった。
近づいたその時、再び視界に現れる見慣れた影。遠くから来る光すらも反射する涙が落ちるのが見えた。その影はゆっくりと、闇の波間へ歩みを進める。
「ダメっ!」
その瞬間、私は力強く彼女の腕を引っ張る。宙に浮く身体は、やがて地面へ叩きつけられた。
「えっ、えっ……え」
気が動転しているのか、視点を合わせない彼女は荒い呼吸でこちらをゆっくりと見つめる。
「原田先輩……どうして、こんなこと……」
そのまま彼女を抱きしめる。声にならない言葉が涙となって溢れてくる。
「あ、あ…………陽菜、ちゃん……?」
ようやく気付いた。ずっと会っていなかった彼女との再会がこんなんになるなんて、思ってもいなかった。またいつか会おうなんて、もう会えなくなるところだった。
「あ、あ……私……」
その瞬間、大粒の涙を流す彼女。その全てを吐き出させたいと、抱きしめながら背中をさする。
「原田先輩、一体なにがあったんですか。早河先輩に、何かされたんですか。」
「うっ、うう……そんなんじゃ、ない……」
必死に言葉を絞り出しているのがわかる。ゆっくりでいいですよ。落ち着いてください、と声をかける私も、いつしか涙を流していた。
「私が、悪いの……!晴くんの傍にいて、ずっといたのに、何もできなくて」
泣きじゃくる顔を眺める。
「私みたいな人間じゃ、晴くんの隣にはいられないって、生きていく自信がなくて、」
突然何を言い出すのかと思ったが、私が思っている以上に深刻そうだった。思えば彼女は昔からネガティブなところがあった。鬱っ気というか、自分を卑下しているのをよく見た。きっと何かの拍子に、気持ちが高ぶってしまったのだろう。
「私じゃ、私なんかじゃ……」
その瞬間、彼女の頬を叩く。話を聞いてもらうには、こうするしかないと思った。
「今の貴女は、私の憧れた原田文目じゃないです。自分を否定することしか見えていなくて、自分を大切にすることができていなくて。誰にでも優しくて、明るかった原田先輩は、どこにいったんですか!」
こういう時は、自分が思っていつ以上の言葉がスラスラと出てくるものだ。息が続く限りにその言の葉を綴る。
「私も、早河先輩が好きでした。優しくて、誰よりも貴女と私を想ってくれる彼が。でも、貴女がいるから、私は彼の恋人にはなれなかったんです。」
徐々に落ち着く心、それに従って、言葉の速度を落とす。
「貴女が憎い、だなんて思っていませんでした。だって、私にとっていつも憧れだったから。……私が認めたんですよ?彼と貴女の関係。」
「……なに、それ。」
涙混じりに笑う。やっぱり、その顔が一番似合う。
「私が認めたんですから、ずっと、傍にいたんですから。彼の恋人は、原田先輩しか務まらないんです。だから」
「死にたいなんて、そんなことを言わないでください。苦しい時は、私も傍にいますから……」
抱きしめる力を強める。そこから伝わる感触、温度、匂い、泣き声も全部。きっと、早河先輩が感じてきたものだ。
「綺麗な顔が台無しですよ、先輩。さ、帰りましょう。」
涙を指で拭き、手を引く。
二人で駆け抜ける夜の闇は、まるで逃避行のように、ただ冷たい空気が立ち込める。
「……ごめんね、陽菜ちゃん。助けてもらった上にお邪魔しちゃって。」
流石に申し訳なくなって思わず謝罪を漏らす。
「全然大丈夫ですよ。それに、一人じゃ寂しいですから。好きなだけいてください。」
なんだかとても苦しくて飛び込もうとした夜の海、あの瞬間私の腕を引いた感触がまだ残る。
「……どうしよう、突然飛び出しちゃって。帰りづらいな……。晴くんになんて言おう……。」
「いいんですよ、あんな人。陽菜先輩のことなんも気付けないで、気にもかけなかったんですから。」
まるで昔のように強い口調で言う。なんだか、そう言ってもらえるだけで安心する。
「でも、全部悪いのは私で……」
「あぁもうわかりましたから!この話は終わり!なし!」
陽菜ちゃんは慌てて言葉を滑り込ませる。
「全く……。帰れなかったら、しばらくここにいてもいいですから。落ち着くまで、ゆっくりしていてください。」
「ありがとう。やっぱり陽菜ちゃんは優しいね。」
「……原田先輩ほどじゃ、ないです。」
卒業式以来、開いていなかった口は止まることを知らずに言葉を交わし合う。
「そういえばさ、さっき晴くんのこと好きって言ってたよね。ほんとなの?」
「えっ、なんで覚えてるんですか。もういいでしょ、その話。」
「いいじゃん、聞かせてよ。」
数時間前の涙が嘘のように、心は晴れ渡っていた。でもその中でたったひとつ、晴くんだけがずっと気がかりで、立ち上がることができなかった。
「ごめんね。結局一か月もお邪魔しちゃって。流石に申し訳ないから、そろそろ帰るね。」
「はい。私も楽しかったです。」
連絡は取ってないけど、晴くんは大丈夫かな。きっと傷ついてる。だから、戻ったらまず謝ろう。そしてまた、ずっと傍にいるんだ。
ずっと勇気が出なくて踏み出せなかった。今日こそは、きっと。
「早河先輩の隣にいられるのは原田先輩だけですから。よろしくお願いします。」
玄関の前、優しく微笑む彼女は私を送り出す。
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「うん、また。」
そうして私は背を向け歩き出す。見慣れた、いつもの場所を目指して。
冷たいような暖かいような、微妙な空気が肌に纏わりつく。どんな顔をされるかな、怒られちゃうかな。なんて、私が悪いのに思考を巡らせる。
晴れ渡る空の下、未だ霽れ切らない私の心は今にもはち切れそうで、苦しかった。
花の咲く花壇、まるで奇跡のように咲く季節外れの菊咲栴檀草に足を止める。
少し先のベンチの上、巡り合わせたその背は不思議と、涙の上からはっきりと見えた。
溢れそうになる涙を堪え、そっと近寄る。
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