1 / 2
Whiteout
しおりを挟む
寒い、寒い。吹きつける白に体を打たれる。
焼けるように冷たい温度、白い風が頬を撫でる。
寒い、寒い。痛い、痛い。
この白い世界で、私は。
「……っ」
目を覚ます。カーテンの隙間から薄明かりが差し込む。時計は朝の6時半を指す。
「またこの夢か……」
重い体を起こす。少し冷たい朝の空気も、きっと日に照らされ暖かくなる。きっとまた1日が始まる。いつも通りに。
「……」
朝の夢とは対照的な外を眺める。鳥が歌い、心地のいい風が吹く。日に照らされて気持ちの良い日だ。
「どこから来たんだい?」
なんて声を窓の中から掛けたくなる。そんな思いも空しく、小さな鳥たちは飛び立つ。
「……えで……楓!聞いてる!?」
大きな声で呼ばれ、はっと意識が戻る。昼下がりの教室。
「どうしたの、ぼーっとして……」
私の目の前に座るのは白瀬真那。小さいころから今の今までずっと一緒に過ごしてきた、所謂、幼馴染というやつだ。
「なんかあったの、嫌なこととか。」
不満そうな顔をしながら、弁当を広げる。
「弁当、今日もありがとね」
「そういうんじゃなくて!質問に答えて!なんかあったの!?」
日頃の感謝で誤魔化そうとしたが、やはりダメらしい。
「ん……夢、いつもの」
「またその、夢の話?最近よく見るねぇ」
真那が作ってきた弁当を食べながら話す。
「なんか……寒い場所にいて……」
「それは最近ずっと聞いてるから知ってる。他に何かないの」
「んー、誰かを探してるというか……なんだろ」
「誰かって?」
少し低い声と共に真那の卵焼きを口に運ぶ手が突然止まる。
「誰だろ、それがわかんないんだよね……」
不思議と安堵のような表情を浮かべた彼女は空中で静止していた卵焼きを頬張る。
「謎だね。ほんとになんもわかんないの」
「うん、何も」
そんな漠然とした会話をいつも通り続ける。
「……もし、何かあったら言ってね。楓の困ってるとこ、見たくないから。」
「ん、ありがと」と返しつつ、私の夢がどうなるのか、どうにかなったとして真那に何かできるのか。見当もつかなかったし、考えることもしなかった。
午後の空気に照らされる。とても眠い。どうして人間は飯を食うと眠くなるのか。どうして人間は午後に授業をしてしまうのか。昼寝の時間くらい、取ってくれてもいいんじゃないですかね。なんて全国の学生の気持ちを心の中で代弁しつつ、授業を受ける。
アセタール構造ってなんだっけ、フェーリング液ってなんだっけ。
「お前本当に受験生か?」
と自分を詰めたくなるような思考を巡らせながら先生の話を聞く。聞くと言っても、6割ほどは頭の中を通り抜けていくが。
国語と社会が死ぬほど苦手だから理系に逃げてきたというのに、化学が苦手とはどうしたものか。英語と生物しかできないしなあ、と思いつつ黒板を眺める。いかん。だんだん眠くなってきた。耐えろ、耐えろ楓。襲い来る眠気と熾烈な争いを繰り広げた末、やがてほんの少しの眠りに落ちてしまった。
寒い。またあの夢だ。頭では理解している。それなのに、夢の中の私は動かない。誰を探しているのか、何もわからないまま夢が終わるのは嫌だ。
「……?」
そんな中、真っ白な視界の先に人影が見えたような気がした。小さな子供くらいだろうか。それでも自分と同じくらいの背というか。いや、自分も小さくなっているのか?歩き出したい、手を伸ばしたい。
そんな思いも、やがで白に吞まれてしまった。
「はっ……」
時計の針は少ししか動いていない。
「DNAの糖はデオキシリボース、RNAはリボース……・」
この範囲は、たしか生物でやったところだ。起きたばかりの妙に冴えた頭で物理選択の人たちに謎の優越を感じながら、私はあの夢のことを思い出していた。
「元々夢はよく見るほうなんだよね。ここまではっきり覚えてることはほとんどないけど」
真那の弁当を食べながら、今日もまたあの夢のことを話す。昨日よりも少し肌寒いからか、あの夢のことが鮮明に思い出される気がする。
「その夢ってさ」
ポテトサラダを食べる私に、真那は聞く。
「その、見るたびに内容とかは変わったりするの?」
「……変わんない、かなぁ」
水分を奪われた口でそう答える。
「でも昨日、少しだけど人影が見えた気がするんだよね」
「……ってことは本当に誰かを探してるってことなの?」
何故だか少し不満そうな真那の顔を見る。外の冷たい空気が少し教室に入って気がした。
「真那ちゃん、学級委員の仕事、お願いできるかな」
名前は知らないが、見たことはあるような女子が真那に話しかける。
「あ……うん、楓、ごめんね。ちょっと私行ってくる」
既に弁当を食べ終わっていた真那は行ってしまった。
成績優秀で学級委員、おまけにあの性格なんだから人気になるのは当然だ。それに比べ勉強も全然、仲の良い人も真那くらいしかいないような私。こんな私とずっと仲良くしてくれるのが不思議なくらいだ。真那の学力なら、もっといい大学に行けるだろうに、何故か私と同じ大学を受けたがっている。どうして、私なんかと。
そんなことを考えながら食べていた残りの弁当は、少しばかり味が薄い気がした。
「ただいま」
玄関を開ける。電気を付け、リュックを降ろす。この6畳の部屋も、一人では少し広く感じる。気がする。
父と母は、気づいたころにはいなかった。二人とも病気で亡くなってしまったらしい。小さいころから育ててくれた祖母は、たまに心配して電話をしてくる。
「心配しなくていいよ、大丈夫だよ」
と毎回言ってはいるものの、最近はあの夢のことでいっぱいだ。
寝るたびに、寝ようとするたびにあの夢が頭を過る。また見るのかな。何か変わってるかな。それはいつしか好奇心へと変わり、同時に私の探している"誰か"に興味を惹かれていた。
暗い部屋、明かりのついた画面を凝視する。画面左から放たれる言葉の数々を眺める。
真那は少しメッセージが多い。そこまで私を心配してくれるのは嬉しいが、同じ人間で、同じ年齢だし。というか私一人暮らしだし。
「……そんなに心配してくれなくても大丈夫なのに」
自然と口角が上がる。そう考えていたころには、夢の事なんか忘れ、眠りについていた。
それはあるとき祖母から送られてきた一枚の写真だった。
「楓、覚えてる?小さい頃のなんだけど」
そんな言葉に添付された一枚の写真には、恐らく私であろう幼い少女が写っていた。
……正直、全く記憶にない。
しかし、私の目を引いたのは他でもない、景色だった。背景。写っている景色が、あの夢と同じだった。夢で見た景色をはっきりと覚えているわけではないので完全に一致しているとは言い切れない。でも、間違いない。
「ここ、どこ?」
気づけば私は聞き返していた。そこへ行けば、きっと何かわかるはず。何故あの夢を見たのか。私は誰を探しているのか。ただただ確かめたい。そんな思いは、日に日に強くなっていった。
「……あなた、誰?」
「はっ……!」
目を覚ます。いつもの天井。今、何かが。
時計を見る。8時半。
「マズい」
遅刻だ。急いだほうがいいのは重々承知なのに、とりあえずスマホを見てしまう。
「うわ」
思わず声を出してしまう。と言うのも、大量の不在着信にメッセージが届いていたからだ。
『楓!?何してんの!?』
『大丈夫!?』
「あちゃー……」
あまりにも心配させすぎている。とりあえず急がねば。急いで支度をして、その勢いのまま家を飛び出す。
「遅刻なんて、珍しい。楓遅刻とかしたことないじゃん」
その通りだ。
「寝坊です……なんで起きれなかったかなぁ……」
朝のことを思い出す。必死になっていて忘れていたことが蘇る。
「そう、声だよ!」
「え?何?」
声が聞こえたのだ。確かに。話しかけられたのだろうか。
「というか!わかったの!夢の場所!」
私は真那に昨日のことを話す。
「え?夢、なんだよね?」
真那は困惑する。
「夢の話なんだよね?本当にあるの?」
私はスマホを取り出し、例の写真を見せる。
「この場所!そっくりなの、夢と。」
私は興奮気味に話す。
「実際に行けば何かわかるかもしれないし」
そう言いかけたとき。
「行くの?」
とすかさず聞いてくる真那。
「うん、週末、いってみようかなって」
「じゃあ」
「私も行く。」
真那は真剣な目でこっちを見てくる。真っすぐなその眼には、まるで私以外は映っていないようだった。
「で、でも、真那その日、塾じゃ……」
「別に、楓のためなら塾くらい」
「それに!」すかさず言葉を挟む。
「これは私の問題だから。私は大丈夫だから。」
流石に私個人の問題に真那を巻き込むわけにはいかない。
「でも……」
「白瀬さん、ちょっといいかな」
男子生徒の声が、真那の言葉を押し込んだ。また、見たことはあるが名前は知らないような人。彼は真那に仕事を頼めないかと聞く。
「あ…………うん、大丈夫」
「あ、あとで話聞くからね!」とは言われたものの、私と真那は選択授業が違うので、私が先に帰れるわけだが。
真那には申し訳ないが、いつも通り一人で帰る。少し気が引けるような気もしたが、やはり私の問題に真那を巻き込むわけにはいかない。これは私の問題なんだ。私の勝手なんだ。そう自分に言い聞かせた。
その日の夜、インターホンが鳴った。9時頃だった。もう暗いし、ネットで何かを頼んだ記憶もない。恐る恐る外を覗く。そこには真那がいた。
「え?」
「ま、真那?どうしたの、こんな夜に……」
ドアを開けてすぐ真那に聞く。
「ねぇ」
唐突に真那が口を開く。
「私とどっちが大事なの……」
「どうして何も言ってくれないの、どうして私を頼ってくれないの」
「それは、真那を巻き込まないためで」
「私のこと嫌いになったの」
その瞬間、真那は私を押し倒す。あまりに一瞬すぎて、何が起きたのかわからなかった。ガチャン、とドアの閉まる音がする。私の腕を押さえつける手からは、彼女の温度が伝わる。でもそれはいつもの真那じゃなかった。
いつもの温かい真那じゃなかった。冷たかった。
「どうして置いていくの……」
腕を押さえつける力が強くなる。動けない。目に涙を溜めながら声を絞り出す真那は、脚すらも私を押さえつける。薄暗い玄関、光を反射する真那の涙がくすんで見える。
「ま、真那、急に……どうした、の……」
「どうしたのじゃない!」
真那は叫ぶ。震える声を絞り出す。
「ずっと夢の話ばっかり!その人が誰かも、何も知らないくせに!なんで会いに行くの!私のことも置いて!」
「私がいるのに!私が、私が楓のこと、どれだけ心配してるか、大切か、何も、知らないくせに……!」
腕を押さえつける力がさらに強くなる。痛い。
「真那…………怖い……」
そんな私の声を聞いて、少しはっとする。
真那は手を放し、息もできないまま立ち上がる。
「ばか」
そう言って真那はどこかへ行ってしまった。
パニックになった私は、彼女を追いかけることも、何もできなかった。ただただ、あれだけの想いをぶつけられたことが、怖かった。苦しかった。泣くこともできず、気づけば私は気絶するように眠ってしまった。
次の日から真那は学校に来なかった。次の日も、その次の日も。
「最近白瀬さん来ないね。鈴木さんは、何か聞いてる?」
連絡も取れない彼女のことなど、答えられるはずもない。でも「知らない」では済ませられない。
昼休み、私の前には誰もいない。味が濃いはずの菓子パンは、何故だか味がしなかった。
結局、真那は学校に来ないまま週末を迎えた。結局直前まで迷った。あそこまで本気で止められると誰だってためらう。
私は、彼女を裏切ってしまうのが怖かった。でも、それと同時に自分を裏切ってしまうことも恐れていた。自分の好奇心を捨てるのを。私は、行かないといけない。確かめないといけない。いつしか使命感にも似たものに変わっていたそれは、最終的に私をあの場所へ駆り立てることになった。
大丈夫。ちゃんと帰ってくる。帰ってきたら、しっかり謝ろう。そう自分に言って聞かせる。昨日の夜まで迷っていた痕跡を背中に背負う。窓から差し込む光を遮り、電気を消す。薄暗い玄関には、あのときの温度が残っている気がした。
「ごめんね、真那」
そう呟いて、外へ出る。冷たい温度が体を撫でる。きっと寒くなることはわかっているので厚着をしてきたが、それでもやはり寒い。
やっぱり冬は苦手だ。少し震える体で最寄りの駅へと向かう。3番線、冷たい空気を乗せた電車に乗り、新宿へと向かう。遠くへ行くときは必ずと言っていいほど経由するが、未だに迷う。そんな迷宮へ足を踏み入れるのは、いつになっても慣れない。しっかり案内を見れば大丈夫だろう。
そうしてなんとか目的の電車へとたどり着く。次はどの電車に乗り換えるんだっけ。そう思いスマホを取り出し、乗換案内のアプリを開く。気付けば時刻は11時を回っていた。駅も都会からは離れ、少し田舎に近づいている。途中のコンビニで買ったおにぎりを頬張りながらスマホを眺める。ベンチの冷たい温度が体へ伝わる。電車の本数もだいぶ少なくなってきた。数分おきに次の電車が来るような日常からはかけ離れた、ほんの少しの非日常だ。まるで冒険みたいだな、とどこか楽しんでしまっている自分がいる。
いけない。目的を忘れるところだった。
あの夢を思い出す。白い景色に、小さな人影。今思えば、どこか懐かしさがあった。私はあの景色を知らないのに。
デジャヴというやつか。合ってる?とにかく、私はあの景色に不思議な既視感を覚えていた。
やがて電車が止まる。そういえば、もう人もいなくなった。私一人だけを乗せた3両目は、不思議と孤独感が強かった。少し古い哀愁漂う車両から来るものか、どこか別の世界に来たような疎外感を感じる。車窓から見える真っ白な田園風景を眺めていた。東京はまだ雪なんか降ってないのに、こっちは大変だな。と言っても私は毎日のように雪に降られていたわけだが。
「……寒い」
そんな言葉が漏れた。
私を降ろす列車。その外観はどうも、私が乗った時よりも古く見えた。きっと雪の中を走ったからだろう。
「お疲れ様。」
と、そんな言葉を掛けたくなる。
少し古めかしい駅舎には似合わないたった一台の改札を抜ける。ここからは徒歩だ。
雪は少し降っている。あの夢のようにならないことを祈るばかりだ。辺りが少しづつ暗くなってくる。冬の空は眠るのが早い。
「どうして置いていくの……」
薄明かりが照らす道を歩きながら、ふと真那の言葉を思い出す。こんなところで思い出してしまうなんて。呪いにでもかかったか。まるで後悔のように真那の言葉が脳裏をよぎる。
わかってる。私が彼女を裏切ったのは。わかっていても、嫌というほど鳴り響く。だんだんと強くなる雪の中、私は彼女の言葉に打ちのめされながら歩く。嫌な予感がしてきた。
わかってる、わかってるから。ごめんね、ごめんね。
少しづつ体温が下がっていくのがわかる。今日中に帰れると思ってた。でも何故か、どうもいかないらしい。なんで?わからない。でもそんな気がした。だんだんと重くなる足を動かす。ただひたすらに。もう少し、もう少しなのに。
雪はどんどん強くなる。こんなはずじゃ、なかったのにちゃんと帰って謝るって、決めてたのに
「私が、私が楓のこと、どれだけ心配してるか、大切か、何も、知らないくせに……!」
ごめんね真那。私、自分の心配、できなかった。私はこのまま終わってしまうんだ、そう感じた。この辺はもう家もあまりない。人の気配すらしない道を、いや、雪の上を歩く。後悔を引きずりながら。
……私が。私が、夢の事なんて追わなければ。真那の言うことを聞いていれば。
私が。私が。全部私のせいで、私も、真那も、苦しんじゃうんだ。私のせいで。
寒さで泣くこともできないまま、ただ一人打ちひしがれる。そこにはもう、好奇心も何もなかった。あるのはただ後悔だけ。
もう助かろうともしなかった。この吹雪の中、私はただ一人立ち尽くしていた。これが、これだけが、私という愚かでどうしようもない人間にできる、唯一の贖罪なんだ。
「ごめんね、ごめんね」
そんな声ももう、誰にも届かない。私にさえも。
望んだはずの景色に、ありもしない”君”を描く。
ああ、救えないな。
強い風が雪を巻き上げる。その瞬間、視界が真っ白に染まる。
寒い、寒い。吹きつける白に体を打たれる。焼けるように冷たい温度、白い風が頬を撫でる。
寒い、寒い。痛い、痛い。この白い世界で、私は、誰かをずっと、探していた。
でもきっとそれはただの夢で、こんな現実とはなにも関係がなかったんだ。そうだ。なんて意味のないことをしたんだろう。
私はなんて、愚かな。いっそこれも夢だったらいいのに。
その瞬間、何かが。まるで閃光のように弾けた。少なくとも、私の視界にはそう映った。そこにあった人影が、私を現実へと引き戻した。
「……え?」
その瞬間、バランスを崩し前へと倒れる。
「あ……」
そんな私の身体は誰かに支えられる。
同時に声が聞こえた。それもはっきりと。聞き慣れた声で。
握られた手はどこか懐かしさを感じさせる。それはまるで、あの記憶のように。
「やっぱり……楓のバカ……!」
そこにいたのは、真那だった。
「え……?」
何を考える暇も、理解する暇もないまま、私は気を失ってしまった。
目を覚ます。知らない天井だ。はっと起き上がり辺りを見渡す。そこには、真那の姿があった。
「あ……私、あそこで倒れて……ま、真那……?」
その瞬間、バチンッという音とともに、真那に頬を打たれる。冷えた頬にはその衝撃が残った。
「バカ!だから言ったのに!楓のバカ!バカッ……!」
やがて真那は泣き出してしまう。
「真那?どうして……」
当の私は、何も状況が掴めずにいる。
「無事で、ほんとによかった……」
大粒の涙を流す彼女を見て、何かを思い出す。
そうだ。何よりも先に、彼女に言わなければいけないことがある。
「ごめんね、真那。私が真那の話を聞いてれば、こんなことにはならなかった。」
そう伝える。
「……勝手に行かないでよ、ほんとに」
なんとか泣き止んだ彼女は続ける。
「でも、私も良くなかった。あんなに強引にして、楓のこと、傷つけちゃって。怖かったよね。ごめんね。」
そうお互いに謝る。
「でも、もう危険なことはしないでよ」
「うん。ごめんね」
その瞬間、真那は私に抱きつく。力強く。でも不思議と痛くはなかった。彼女の温かさを感じた。
「ところでさ、ここ、どこ?」
「あ、ここはね、えっと」
そう真那が言いかけたとき、ガラガラ、と扉が開く。
「あら楓ちゃん、起きた?大丈夫?」
どこか見覚えのあるような女性。
「私のおばあちゃん家。楓が場所教えてくれたとこ、おばあちゃん家が近かったから。」
「もしかしたら、って思って来たの。まさかほんとに楓が来るなんて思ってなかったけど。」
「楓ちゃん、久しぶりね。覚えてるかい?」
申し訳ないが、ほとんど覚えていない。会ったことがあるだろうか?というレベルだ。
「小さい頃楓ちゃんがここに来た時に会ったんだけどね、あまり覚えてないかしら」
小さい頃……?
「え?楓、来たことあったの……?」
あれ?なにかが引っかかる。
「さ、ご飯用意したから、みんなで食べようね。」
そうおばあさんに引かれるまま、私と真那は立ち上がる。
「おばあちゃん、さっきの話、何?」
楓が聞く。
「何って、二人がまだ3歳くらいのころかなぁ、楓ちゃんがこの辺りに来たのよ。」
と、言うことはだ。
「私の夢って、昔の記憶だったってこと……?じゃああの人影は……」
「楓ちゃんが大雪の中迷子になっちゃって、その時偶然真那が楓ちゃんに会ったんだっけねぇ」
「3歳って……私たちが会ったころ?」
でも私たちが初めて会ったのは東京の保育園のはずだ。
「ちょうど真那が東京からこっちに来てたのよね」
「ってことは私と楓って、前にここで会ってたの!?」
そうとしか思えない。
たまたま、本当に偶然、ここで出会った真那と東京で再開したのだと、嘘みたいなシナリオが出来上がってしまう。
「ってか、なんでおばあちゃんがそんなこと知ってるの!?」
「真那のお母さんとか、あとは楓ちゃんのお母さんとお父さんも驚いてたよ。こっちに来た時に知り合った人と、まさか東京で会うなんて……って」
驚いた。箸が完全に止まった真那を見る。
「じゃあ、私が夢の中で見たのって、ずっと探してたのって……真那だったってこと?」
記憶が蘇る。
寒い、寒いあの白い景色の中、手を差し伸べてくれた少女。あれは紛れもない、真那だった。
完全に困惑した真那と、昔話を続けるおばあさんと、場はちょっとしたカオス状態だった。
結局、明日雪が止んでから二人で帰ることになった。
ガタン、ガタン、と揺れる。
電車の中。二人以外いない電車の中。
「ごめん。楓がずっと探してた人、私だったんだ……」
「そう、みたいね。はは……」
これを笑い話にすればいいのかどうかわからない。少し気まずい。
まだ冷たい空気を日の光が照らす。
少しの無言の後、真那が口を開く。
「私、嫉妬してた。ずっと楓が探してた人に。楓がその人に夢中なの見て、嫉妬しちゃってた。」
「あの夜も、ごめん。あんなことして、許してほしい、だなんて思ってないから。」
「だから……」
彼女が言葉を詰まらせる。
「……うん」
何も、答えられなかった。
「私の事、嫌いに……なっちゃったかな……」
「そんなことない。私だって、自分勝手に夢ばっかりで、真那の気持ちも無視して。私も、悪かった。こんなに大切に想ってくれてるなんて、思わなかった。」
きっと私たちはすれ違っていた。だからこそ言える。
「ごめんね。」
そんな言葉が、声が重なる。
「……ふふ」
「……はは」
なんだか少し照れくさい。
「ねぇ、楓。」
真那が、少しかしこまった様子で言う。何故だか深呼吸をしてしまう。鼓動が早くなる。
何も、起きることはわからないというのに。
照らされた真那の顔が赤らむ。
「……何、真那」
「私、楓のことが」
きっと、真っ白で。
温かい。
そんな夢を、見ているようだった。
焼けるように冷たい温度、白い風が頬を撫でる。
寒い、寒い。痛い、痛い。
この白い世界で、私は。
「……っ」
目を覚ます。カーテンの隙間から薄明かりが差し込む。時計は朝の6時半を指す。
「またこの夢か……」
重い体を起こす。少し冷たい朝の空気も、きっと日に照らされ暖かくなる。きっとまた1日が始まる。いつも通りに。
「……」
朝の夢とは対照的な外を眺める。鳥が歌い、心地のいい風が吹く。日に照らされて気持ちの良い日だ。
「どこから来たんだい?」
なんて声を窓の中から掛けたくなる。そんな思いも空しく、小さな鳥たちは飛び立つ。
「……えで……楓!聞いてる!?」
大きな声で呼ばれ、はっと意識が戻る。昼下がりの教室。
「どうしたの、ぼーっとして……」
私の目の前に座るのは白瀬真那。小さいころから今の今までずっと一緒に過ごしてきた、所謂、幼馴染というやつだ。
「なんかあったの、嫌なこととか。」
不満そうな顔をしながら、弁当を広げる。
「弁当、今日もありがとね」
「そういうんじゃなくて!質問に答えて!なんかあったの!?」
日頃の感謝で誤魔化そうとしたが、やはりダメらしい。
「ん……夢、いつもの」
「またその、夢の話?最近よく見るねぇ」
真那が作ってきた弁当を食べながら話す。
「なんか……寒い場所にいて……」
「それは最近ずっと聞いてるから知ってる。他に何かないの」
「んー、誰かを探してるというか……なんだろ」
「誰かって?」
少し低い声と共に真那の卵焼きを口に運ぶ手が突然止まる。
「誰だろ、それがわかんないんだよね……」
不思議と安堵のような表情を浮かべた彼女は空中で静止していた卵焼きを頬張る。
「謎だね。ほんとになんもわかんないの」
「うん、何も」
そんな漠然とした会話をいつも通り続ける。
「……もし、何かあったら言ってね。楓の困ってるとこ、見たくないから。」
「ん、ありがと」と返しつつ、私の夢がどうなるのか、どうにかなったとして真那に何かできるのか。見当もつかなかったし、考えることもしなかった。
午後の空気に照らされる。とても眠い。どうして人間は飯を食うと眠くなるのか。どうして人間は午後に授業をしてしまうのか。昼寝の時間くらい、取ってくれてもいいんじゃないですかね。なんて全国の学生の気持ちを心の中で代弁しつつ、授業を受ける。
アセタール構造ってなんだっけ、フェーリング液ってなんだっけ。
「お前本当に受験生か?」
と自分を詰めたくなるような思考を巡らせながら先生の話を聞く。聞くと言っても、6割ほどは頭の中を通り抜けていくが。
国語と社会が死ぬほど苦手だから理系に逃げてきたというのに、化学が苦手とはどうしたものか。英語と生物しかできないしなあ、と思いつつ黒板を眺める。いかん。だんだん眠くなってきた。耐えろ、耐えろ楓。襲い来る眠気と熾烈な争いを繰り広げた末、やがてほんの少しの眠りに落ちてしまった。
寒い。またあの夢だ。頭では理解している。それなのに、夢の中の私は動かない。誰を探しているのか、何もわからないまま夢が終わるのは嫌だ。
「……?」
そんな中、真っ白な視界の先に人影が見えたような気がした。小さな子供くらいだろうか。それでも自分と同じくらいの背というか。いや、自分も小さくなっているのか?歩き出したい、手を伸ばしたい。
そんな思いも、やがで白に吞まれてしまった。
「はっ……」
時計の針は少ししか動いていない。
「DNAの糖はデオキシリボース、RNAはリボース……・」
この範囲は、たしか生物でやったところだ。起きたばかりの妙に冴えた頭で物理選択の人たちに謎の優越を感じながら、私はあの夢のことを思い出していた。
「元々夢はよく見るほうなんだよね。ここまではっきり覚えてることはほとんどないけど」
真那の弁当を食べながら、今日もまたあの夢のことを話す。昨日よりも少し肌寒いからか、あの夢のことが鮮明に思い出される気がする。
「その夢ってさ」
ポテトサラダを食べる私に、真那は聞く。
「その、見るたびに内容とかは変わったりするの?」
「……変わんない、かなぁ」
水分を奪われた口でそう答える。
「でも昨日、少しだけど人影が見えた気がするんだよね」
「……ってことは本当に誰かを探してるってことなの?」
何故だか少し不満そうな真那の顔を見る。外の冷たい空気が少し教室に入って気がした。
「真那ちゃん、学級委員の仕事、お願いできるかな」
名前は知らないが、見たことはあるような女子が真那に話しかける。
「あ……うん、楓、ごめんね。ちょっと私行ってくる」
既に弁当を食べ終わっていた真那は行ってしまった。
成績優秀で学級委員、おまけにあの性格なんだから人気になるのは当然だ。それに比べ勉強も全然、仲の良い人も真那くらいしかいないような私。こんな私とずっと仲良くしてくれるのが不思議なくらいだ。真那の学力なら、もっといい大学に行けるだろうに、何故か私と同じ大学を受けたがっている。どうして、私なんかと。
そんなことを考えながら食べていた残りの弁当は、少しばかり味が薄い気がした。
「ただいま」
玄関を開ける。電気を付け、リュックを降ろす。この6畳の部屋も、一人では少し広く感じる。気がする。
父と母は、気づいたころにはいなかった。二人とも病気で亡くなってしまったらしい。小さいころから育ててくれた祖母は、たまに心配して電話をしてくる。
「心配しなくていいよ、大丈夫だよ」
と毎回言ってはいるものの、最近はあの夢のことでいっぱいだ。
寝るたびに、寝ようとするたびにあの夢が頭を過る。また見るのかな。何か変わってるかな。それはいつしか好奇心へと変わり、同時に私の探している"誰か"に興味を惹かれていた。
暗い部屋、明かりのついた画面を凝視する。画面左から放たれる言葉の数々を眺める。
真那は少しメッセージが多い。そこまで私を心配してくれるのは嬉しいが、同じ人間で、同じ年齢だし。というか私一人暮らしだし。
「……そんなに心配してくれなくても大丈夫なのに」
自然と口角が上がる。そう考えていたころには、夢の事なんか忘れ、眠りについていた。
それはあるとき祖母から送られてきた一枚の写真だった。
「楓、覚えてる?小さい頃のなんだけど」
そんな言葉に添付された一枚の写真には、恐らく私であろう幼い少女が写っていた。
……正直、全く記憶にない。
しかし、私の目を引いたのは他でもない、景色だった。背景。写っている景色が、あの夢と同じだった。夢で見た景色をはっきりと覚えているわけではないので完全に一致しているとは言い切れない。でも、間違いない。
「ここ、どこ?」
気づけば私は聞き返していた。そこへ行けば、きっと何かわかるはず。何故あの夢を見たのか。私は誰を探しているのか。ただただ確かめたい。そんな思いは、日に日に強くなっていった。
「……あなた、誰?」
「はっ……!」
目を覚ます。いつもの天井。今、何かが。
時計を見る。8時半。
「マズい」
遅刻だ。急いだほうがいいのは重々承知なのに、とりあえずスマホを見てしまう。
「うわ」
思わず声を出してしまう。と言うのも、大量の不在着信にメッセージが届いていたからだ。
『楓!?何してんの!?』
『大丈夫!?』
「あちゃー……」
あまりにも心配させすぎている。とりあえず急がねば。急いで支度をして、その勢いのまま家を飛び出す。
「遅刻なんて、珍しい。楓遅刻とかしたことないじゃん」
その通りだ。
「寝坊です……なんで起きれなかったかなぁ……」
朝のことを思い出す。必死になっていて忘れていたことが蘇る。
「そう、声だよ!」
「え?何?」
声が聞こえたのだ。確かに。話しかけられたのだろうか。
「というか!わかったの!夢の場所!」
私は真那に昨日のことを話す。
「え?夢、なんだよね?」
真那は困惑する。
「夢の話なんだよね?本当にあるの?」
私はスマホを取り出し、例の写真を見せる。
「この場所!そっくりなの、夢と。」
私は興奮気味に話す。
「実際に行けば何かわかるかもしれないし」
そう言いかけたとき。
「行くの?」
とすかさず聞いてくる真那。
「うん、週末、いってみようかなって」
「じゃあ」
「私も行く。」
真那は真剣な目でこっちを見てくる。真っすぐなその眼には、まるで私以外は映っていないようだった。
「で、でも、真那その日、塾じゃ……」
「別に、楓のためなら塾くらい」
「それに!」すかさず言葉を挟む。
「これは私の問題だから。私は大丈夫だから。」
流石に私個人の問題に真那を巻き込むわけにはいかない。
「でも……」
「白瀬さん、ちょっといいかな」
男子生徒の声が、真那の言葉を押し込んだ。また、見たことはあるが名前は知らないような人。彼は真那に仕事を頼めないかと聞く。
「あ…………うん、大丈夫」
「あ、あとで話聞くからね!」とは言われたものの、私と真那は選択授業が違うので、私が先に帰れるわけだが。
真那には申し訳ないが、いつも通り一人で帰る。少し気が引けるような気もしたが、やはり私の問題に真那を巻き込むわけにはいかない。これは私の問題なんだ。私の勝手なんだ。そう自分に言い聞かせた。
その日の夜、インターホンが鳴った。9時頃だった。もう暗いし、ネットで何かを頼んだ記憶もない。恐る恐る外を覗く。そこには真那がいた。
「え?」
「ま、真那?どうしたの、こんな夜に……」
ドアを開けてすぐ真那に聞く。
「ねぇ」
唐突に真那が口を開く。
「私とどっちが大事なの……」
「どうして何も言ってくれないの、どうして私を頼ってくれないの」
「それは、真那を巻き込まないためで」
「私のこと嫌いになったの」
その瞬間、真那は私を押し倒す。あまりに一瞬すぎて、何が起きたのかわからなかった。ガチャン、とドアの閉まる音がする。私の腕を押さえつける手からは、彼女の温度が伝わる。でもそれはいつもの真那じゃなかった。
いつもの温かい真那じゃなかった。冷たかった。
「どうして置いていくの……」
腕を押さえつける力が強くなる。動けない。目に涙を溜めながら声を絞り出す真那は、脚すらも私を押さえつける。薄暗い玄関、光を反射する真那の涙がくすんで見える。
「ま、真那、急に……どうした、の……」
「どうしたのじゃない!」
真那は叫ぶ。震える声を絞り出す。
「ずっと夢の話ばっかり!その人が誰かも、何も知らないくせに!なんで会いに行くの!私のことも置いて!」
「私がいるのに!私が、私が楓のこと、どれだけ心配してるか、大切か、何も、知らないくせに……!」
腕を押さえつける力がさらに強くなる。痛い。
「真那…………怖い……」
そんな私の声を聞いて、少しはっとする。
真那は手を放し、息もできないまま立ち上がる。
「ばか」
そう言って真那はどこかへ行ってしまった。
パニックになった私は、彼女を追いかけることも、何もできなかった。ただただ、あれだけの想いをぶつけられたことが、怖かった。苦しかった。泣くこともできず、気づけば私は気絶するように眠ってしまった。
次の日から真那は学校に来なかった。次の日も、その次の日も。
「最近白瀬さん来ないね。鈴木さんは、何か聞いてる?」
連絡も取れない彼女のことなど、答えられるはずもない。でも「知らない」では済ませられない。
昼休み、私の前には誰もいない。味が濃いはずの菓子パンは、何故だか味がしなかった。
結局、真那は学校に来ないまま週末を迎えた。結局直前まで迷った。あそこまで本気で止められると誰だってためらう。
私は、彼女を裏切ってしまうのが怖かった。でも、それと同時に自分を裏切ってしまうことも恐れていた。自分の好奇心を捨てるのを。私は、行かないといけない。確かめないといけない。いつしか使命感にも似たものに変わっていたそれは、最終的に私をあの場所へ駆り立てることになった。
大丈夫。ちゃんと帰ってくる。帰ってきたら、しっかり謝ろう。そう自分に言って聞かせる。昨日の夜まで迷っていた痕跡を背中に背負う。窓から差し込む光を遮り、電気を消す。薄暗い玄関には、あのときの温度が残っている気がした。
「ごめんね、真那」
そう呟いて、外へ出る。冷たい温度が体を撫でる。きっと寒くなることはわかっているので厚着をしてきたが、それでもやはり寒い。
やっぱり冬は苦手だ。少し震える体で最寄りの駅へと向かう。3番線、冷たい空気を乗せた電車に乗り、新宿へと向かう。遠くへ行くときは必ずと言っていいほど経由するが、未だに迷う。そんな迷宮へ足を踏み入れるのは、いつになっても慣れない。しっかり案内を見れば大丈夫だろう。
そうしてなんとか目的の電車へとたどり着く。次はどの電車に乗り換えるんだっけ。そう思いスマホを取り出し、乗換案内のアプリを開く。気付けば時刻は11時を回っていた。駅も都会からは離れ、少し田舎に近づいている。途中のコンビニで買ったおにぎりを頬張りながらスマホを眺める。ベンチの冷たい温度が体へ伝わる。電車の本数もだいぶ少なくなってきた。数分おきに次の電車が来るような日常からはかけ離れた、ほんの少しの非日常だ。まるで冒険みたいだな、とどこか楽しんでしまっている自分がいる。
いけない。目的を忘れるところだった。
あの夢を思い出す。白い景色に、小さな人影。今思えば、どこか懐かしさがあった。私はあの景色を知らないのに。
デジャヴというやつか。合ってる?とにかく、私はあの景色に不思議な既視感を覚えていた。
やがて電車が止まる。そういえば、もう人もいなくなった。私一人だけを乗せた3両目は、不思議と孤独感が強かった。少し古い哀愁漂う車両から来るものか、どこか別の世界に来たような疎外感を感じる。車窓から見える真っ白な田園風景を眺めていた。東京はまだ雪なんか降ってないのに、こっちは大変だな。と言っても私は毎日のように雪に降られていたわけだが。
「……寒い」
そんな言葉が漏れた。
私を降ろす列車。その外観はどうも、私が乗った時よりも古く見えた。きっと雪の中を走ったからだろう。
「お疲れ様。」
と、そんな言葉を掛けたくなる。
少し古めかしい駅舎には似合わないたった一台の改札を抜ける。ここからは徒歩だ。
雪は少し降っている。あの夢のようにならないことを祈るばかりだ。辺りが少しづつ暗くなってくる。冬の空は眠るのが早い。
「どうして置いていくの……」
薄明かりが照らす道を歩きながら、ふと真那の言葉を思い出す。こんなところで思い出してしまうなんて。呪いにでもかかったか。まるで後悔のように真那の言葉が脳裏をよぎる。
わかってる。私が彼女を裏切ったのは。わかっていても、嫌というほど鳴り響く。だんだんと強くなる雪の中、私は彼女の言葉に打ちのめされながら歩く。嫌な予感がしてきた。
わかってる、わかってるから。ごめんね、ごめんね。
少しづつ体温が下がっていくのがわかる。今日中に帰れると思ってた。でも何故か、どうもいかないらしい。なんで?わからない。でもそんな気がした。だんだんと重くなる足を動かす。ただひたすらに。もう少し、もう少しなのに。
雪はどんどん強くなる。こんなはずじゃ、なかったのにちゃんと帰って謝るって、決めてたのに
「私が、私が楓のこと、どれだけ心配してるか、大切か、何も、知らないくせに……!」
ごめんね真那。私、自分の心配、できなかった。私はこのまま終わってしまうんだ、そう感じた。この辺はもう家もあまりない。人の気配すらしない道を、いや、雪の上を歩く。後悔を引きずりながら。
……私が。私が、夢の事なんて追わなければ。真那の言うことを聞いていれば。
私が。私が。全部私のせいで、私も、真那も、苦しんじゃうんだ。私のせいで。
寒さで泣くこともできないまま、ただ一人打ちひしがれる。そこにはもう、好奇心も何もなかった。あるのはただ後悔だけ。
もう助かろうともしなかった。この吹雪の中、私はただ一人立ち尽くしていた。これが、これだけが、私という愚かでどうしようもない人間にできる、唯一の贖罪なんだ。
「ごめんね、ごめんね」
そんな声ももう、誰にも届かない。私にさえも。
望んだはずの景色に、ありもしない”君”を描く。
ああ、救えないな。
強い風が雪を巻き上げる。その瞬間、視界が真っ白に染まる。
寒い、寒い。吹きつける白に体を打たれる。焼けるように冷たい温度、白い風が頬を撫でる。
寒い、寒い。痛い、痛い。この白い世界で、私は、誰かをずっと、探していた。
でもきっとそれはただの夢で、こんな現実とはなにも関係がなかったんだ。そうだ。なんて意味のないことをしたんだろう。
私はなんて、愚かな。いっそこれも夢だったらいいのに。
その瞬間、何かが。まるで閃光のように弾けた。少なくとも、私の視界にはそう映った。そこにあった人影が、私を現実へと引き戻した。
「……え?」
その瞬間、バランスを崩し前へと倒れる。
「あ……」
そんな私の身体は誰かに支えられる。
同時に声が聞こえた。それもはっきりと。聞き慣れた声で。
握られた手はどこか懐かしさを感じさせる。それはまるで、あの記憶のように。
「やっぱり……楓のバカ……!」
そこにいたのは、真那だった。
「え……?」
何を考える暇も、理解する暇もないまま、私は気を失ってしまった。
目を覚ます。知らない天井だ。はっと起き上がり辺りを見渡す。そこには、真那の姿があった。
「あ……私、あそこで倒れて……ま、真那……?」
その瞬間、バチンッという音とともに、真那に頬を打たれる。冷えた頬にはその衝撃が残った。
「バカ!だから言ったのに!楓のバカ!バカッ……!」
やがて真那は泣き出してしまう。
「真那?どうして……」
当の私は、何も状況が掴めずにいる。
「無事で、ほんとによかった……」
大粒の涙を流す彼女を見て、何かを思い出す。
そうだ。何よりも先に、彼女に言わなければいけないことがある。
「ごめんね、真那。私が真那の話を聞いてれば、こんなことにはならなかった。」
そう伝える。
「……勝手に行かないでよ、ほんとに」
なんとか泣き止んだ彼女は続ける。
「でも、私も良くなかった。あんなに強引にして、楓のこと、傷つけちゃって。怖かったよね。ごめんね。」
そうお互いに謝る。
「でも、もう危険なことはしないでよ」
「うん。ごめんね」
その瞬間、真那は私に抱きつく。力強く。でも不思議と痛くはなかった。彼女の温かさを感じた。
「ところでさ、ここ、どこ?」
「あ、ここはね、えっと」
そう真那が言いかけたとき、ガラガラ、と扉が開く。
「あら楓ちゃん、起きた?大丈夫?」
どこか見覚えのあるような女性。
「私のおばあちゃん家。楓が場所教えてくれたとこ、おばあちゃん家が近かったから。」
「もしかしたら、って思って来たの。まさかほんとに楓が来るなんて思ってなかったけど。」
「楓ちゃん、久しぶりね。覚えてるかい?」
申し訳ないが、ほとんど覚えていない。会ったことがあるだろうか?というレベルだ。
「小さい頃楓ちゃんがここに来た時に会ったんだけどね、あまり覚えてないかしら」
小さい頃……?
「え?楓、来たことあったの……?」
あれ?なにかが引っかかる。
「さ、ご飯用意したから、みんなで食べようね。」
そうおばあさんに引かれるまま、私と真那は立ち上がる。
「おばあちゃん、さっきの話、何?」
楓が聞く。
「何って、二人がまだ3歳くらいのころかなぁ、楓ちゃんがこの辺りに来たのよ。」
と、言うことはだ。
「私の夢って、昔の記憶だったってこと……?じゃああの人影は……」
「楓ちゃんが大雪の中迷子になっちゃって、その時偶然真那が楓ちゃんに会ったんだっけねぇ」
「3歳って……私たちが会ったころ?」
でも私たちが初めて会ったのは東京の保育園のはずだ。
「ちょうど真那が東京からこっちに来てたのよね」
「ってことは私と楓って、前にここで会ってたの!?」
そうとしか思えない。
たまたま、本当に偶然、ここで出会った真那と東京で再開したのだと、嘘みたいなシナリオが出来上がってしまう。
「ってか、なんでおばあちゃんがそんなこと知ってるの!?」
「真那のお母さんとか、あとは楓ちゃんのお母さんとお父さんも驚いてたよ。こっちに来た時に知り合った人と、まさか東京で会うなんて……って」
驚いた。箸が完全に止まった真那を見る。
「じゃあ、私が夢の中で見たのって、ずっと探してたのって……真那だったってこと?」
記憶が蘇る。
寒い、寒いあの白い景色の中、手を差し伸べてくれた少女。あれは紛れもない、真那だった。
完全に困惑した真那と、昔話を続けるおばあさんと、場はちょっとしたカオス状態だった。
結局、明日雪が止んでから二人で帰ることになった。
ガタン、ガタン、と揺れる。
電車の中。二人以外いない電車の中。
「ごめん。楓がずっと探してた人、私だったんだ……」
「そう、みたいね。はは……」
これを笑い話にすればいいのかどうかわからない。少し気まずい。
まだ冷たい空気を日の光が照らす。
少しの無言の後、真那が口を開く。
「私、嫉妬してた。ずっと楓が探してた人に。楓がその人に夢中なの見て、嫉妬しちゃってた。」
「あの夜も、ごめん。あんなことして、許してほしい、だなんて思ってないから。」
「だから……」
彼女が言葉を詰まらせる。
「……うん」
何も、答えられなかった。
「私の事、嫌いに……なっちゃったかな……」
「そんなことない。私だって、自分勝手に夢ばっかりで、真那の気持ちも無視して。私も、悪かった。こんなに大切に想ってくれてるなんて、思わなかった。」
きっと私たちはすれ違っていた。だからこそ言える。
「ごめんね。」
そんな言葉が、声が重なる。
「……ふふ」
「……はは」
なんだか少し照れくさい。
「ねぇ、楓。」
真那が、少しかしこまった様子で言う。何故だか深呼吸をしてしまう。鼓動が早くなる。
何も、起きることはわからないというのに。
照らされた真那の顔が赤らむ。
「……何、真那」
「私、楓のことが」
きっと、真っ白で。
温かい。
そんな夢を、見ているようだった。
0
あなたにおすすめの小説
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
失った真実の愛を息子にバカにされて口車に乗せられた
しゃーりん
恋愛
20数年前、婚約者ではない令嬢を愛し、結婚した現国王。
すぐに産まれた王太子は2年前に結婚したが、まだ子供がいなかった。
早く後継者を望まれる王族として、王太子に側妃を娶る案が出る。
この案に王太子の返事は?
王太子である息子が国王である父を口車に乗せて側妃を娶らせるお話です。
蝋燭
悠十
恋愛
教会の鐘が鳴る。
それは、祝福の鐘だ。
今日、世界を救った勇者と、この国の姫が結婚したのだ。
カレンは幸せそうな二人を見て、悲し気に目を伏せた。
彼女は勇者の恋人だった。
あの日、勇者が記憶を失うまでは……
【完結】私が愛されるのを見ていなさい
芹澤紗凪
恋愛
虐げられた少女の、最も残酷で最も華麗な復讐劇。(全6話の予定)
公爵家で、天使の仮面を被った義理の妹、ララフィーナに全てを奪われたディディアラ。
絶望の淵で、彼女は一族に伝わる「血縁者の姿と入れ替わる」という特殊能力に目覚める。
ディディアラは、憎き義妹と入れ替わることを決意。
完璧な令嬢として振る舞いながら、自分を陥れた者たちを内側から崩壊させていく。
立場と顔が入れ替わった二人の少女が織りなす、壮絶なダークファンタジー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる